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第三章:資本の光は辺境から
第四節:働けば報われる──労働市場の解放
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「……この国の夜明けを、閣下は本気で起こすおつもりなのですね」
ヴァルド・レヴァンティスは、机の上に広げた書簡から目を離さず、ゆっくりと吐息をついた。
その手には、今朝届いたばかりの《新銀行設立告知》――“ミティア信用組合”創設の知らせが記されていた。
通貨の整理にとどまらず、預金と融資の制度を取り入れ、利子を伴う資本流入の仕組みを築く――。
そして、通貨を持たぬ民にまで、信用を担保に生活を回せる“手形”の発行。
「貧者は金を持たず、ゆえに金を動かす機会すら与えられなかった。だが……」
その封筒を手に、彼はそっと立ち上がる。
広間の窓の先、公都の一角に設けられた簡素な建物――新銀行の看板が、朝日を受けて輝いていた。
「富める者の論理を、貧しき者にまで開いた……。これが、閣下の“利”か……!」
感嘆ではなく、畏敬に近い声だった。
彼の瞳には、憧れを超えた忠誠の色が浮かんでいた。
──今この国で、“働けば報われる”という仕組みが、本当に動き出そうとしている。
◇ ◇ ◇
その頃、加賀谷は執務室で地図を広げ、眉間にしわを寄せていた。
机上には人員分布図と生産統計、そして先日設立したばかりの銀行の報告書。
「通貨はなんとか回せるようになった……だが」
ペンを回しながら、加賀谷はぽつりと呟いた。
「……やっぱり、人が足りないな」
経済の血液を通貨とするならば、その流れを作るのは人間だ。
だがミティア公国は長きにわたり、戦乱と封建支配により“働ける人”を育てる環境を失っていた。
「人口は、一朝一夕でどうにもならない。出生率や移民政策だけじゃ追いつかない。となれば……」
そこで彼の視線が、地図の一角にある“冒険者ギルド”と“奴隷市”の印に止まった。
「……労働力として、最も流動的な人材を活用するしかないか」
リィナが隣で不安げに問いかけた。
「まさか、本気で……奴隷を?」
「使うつもりはない。解放する」
加賀谷は即答した。
「ただし、“自由にする”だけじゃ意味がない。俺たちの世界でも、農奴が解放されたあと──土地の代償を払えず、結果として小作人に落ちた。自由は得ても、食うには困るってやつだ」
「……じゃあ、どうするの?」
「職業訓練だ」
彼は、別の地図を手に取る。それは“旧軍施設跡地”の分布図だった。
「空いてる砦や兵舎を改装して、訓練校にする。読み書き、数の数え方、簡単な作業訓練、あと“契約”の意味も教えないと。成果報酬制で働いてもらうには、“条件”を理解させる必要がある」
リィナの目が見開かれる。
「奴隷として売られてきた人たちに……、文字を教えて、契約の内容を自分で判断させる……?」
「うん。知識がなければ、自由は選べないからな。働けば報われるって言いたいなら、“報われる構造”をつくるところから始める」
加賀谷は立ち上がり、窓の外、公都の街並みを見やった。
「この街に、“初めて働いた日”の記憶を持つ人が、少しでも増えればいい。……その記憶が、“もう一度働いてみよう”って思わせてくれるからな」
◇ ◇ ◇
窓辺に立つ加賀谷の手に、薄い羊皮紙のメモがあった。そこには、粗く殴り書きされた単語が並んでいる。
《解放》《雇用契約》《職業訓練》《労働報酬》《都市移住》──。
それらを見つめながら、加賀谷は呟いた。
「──これを、制度にしてくれ」
声をかけた相手は、部屋の扉の前で静かに控えていた。
「お呼びでしょうか、閣下」
赤の外套が翻る。ヴァルド・レヴァンティスは、いつもと変わらぬ無表情で進み出た。
加賀谷は、彼に羊皮紙を手渡す。
「奴隷と冒険者を“労働者”に変える。……この国を支える人的資本として、自由契約の下に組み込みたい。奴隷は形式上は解放されている者いるが、土地の縛りと借金で実質縛られてるようなもんだ。あれじゃ何も変わらない」
ヴァルドの指先が、メモの端に触れた。
「貧困層の階級を再構成し、契約と報酬による社会移動を可能にする構想──素晴らしいお考えです」
「絵に描いた餅にならなきゃ、な」
加賀谷は苦笑する。
「奴隷解放といっても、実際には教育も技能もなけりゃ、解き放ったところで生活に困るだけだ。下手をすれば、犯罪や暴動が起きかねない。そうならないために、“受け皿”が必要だ。訓練、就労、生活支援──段階的に社会に入れる制度が要る」
ヴァルドは、静かにうなずいた。
「御意。……では、お手並み拝見ということで、私に設計を一任していただけますか?」
「言われなくてもそのつもりだ。俺には制度の理屈はあっても、現地の感覚がない。お前の“現場感覚”を見せてくれ」
そこで、ヴァルドの口元がわずかに緩んだ。
「この命、使いどころがあるのは、何よりの喜びでございます」
その眼差しは、相変わらずどこか危うく、だが底知れぬ情熱に満ちていた。
「では早速、従者たちに指示を。実地調査と、既存の農地契約、都市部の空き住居、訓練施設の確保。すべて洗い出します」
「頼んだぞ」
「はっ。──この改革、“ミティア第二の建国”と称される日も遠くありません」
大仰にすら聞こえるその言葉に、加賀谷はふっと笑う。
「……まずは、その“労働契約制度”と“職業訓練校”の草案だな。三日やる。できるか?」
「三日あれば、準備は整います」
その声音には一片の迷いもない。まるで“その程度で十分です”とでも言いたげな、自信と熱に満ちた返答だった。
加賀谷は、思わず口の端を引きつらせた。
(……いや、冗談なんだけど?)
喉まで出かかった言葉を、なんとか飲み込む。
ここで「今のは軽口だ」と言い直せば、彼の全力に水を差す。だが放っておけば、本当に三日でやってのけそうな気配すらあるのが、また怖い。
(やべーなこいつ……)
額を押さえそうになるのをこらえながら、加賀谷はひとつだけ深く息を吐いた。
「頼んだぞ、ヴァルド」
「はっ。──この改革、“ミティア第二の建国”と称される日も遠くありません」
堂々とそう言い切って、ヴァルドはくるりと踵を返す。その背に、加賀谷は改めて、ある種の畏怖すら覚えていた。
この国の改革は、確かに始まりつつある。しかも──思っていたより、はるかに加速して。
◆あとがき◆
毎日 夜21時に5話ずつ更新予定です!
更新の励みになりますので、
いいね&お気に入り登録していただけると本当にうれしいです!
今後も読みやすく、テンポよく、そして楽しい。
そんな物語を目指して更新していきますので、引き続きよろしくお願いいたします!
ヴァルド・レヴァンティスは、机の上に広げた書簡から目を離さず、ゆっくりと吐息をついた。
その手には、今朝届いたばかりの《新銀行設立告知》――“ミティア信用組合”創設の知らせが記されていた。
通貨の整理にとどまらず、預金と融資の制度を取り入れ、利子を伴う資本流入の仕組みを築く――。
そして、通貨を持たぬ民にまで、信用を担保に生活を回せる“手形”の発行。
「貧者は金を持たず、ゆえに金を動かす機会すら与えられなかった。だが……」
その封筒を手に、彼はそっと立ち上がる。
広間の窓の先、公都の一角に設けられた簡素な建物――新銀行の看板が、朝日を受けて輝いていた。
「富める者の論理を、貧しき者にまで開いた……。これが、閣下の“利”か……!」
感嘆ではなく、畏敬に近い声だった。
彼の瞳には、憧れを超えた忠誠の色が浮かんでいた。
──今この国で、“働けば報われる”という仕組みが、本当に動き出そうとしている。
◇ ◇ ◇
その頃、加賀谷は執務室で地図を広げ、眉間にしわを寄せていた。
机上には人員分布図と生産統計、そして先日設立したばかりの銀行の報告書。
「通貨はなんとか回せるようになった……だが」
ペンを回しながら、加賀谷はぽつりと呟いた。
「……やっぱり、人が足りないな」
経済の血液を通貨とするならば、その流れを作るのは人間だ。
だがミティア公国は長きにわたり、戦乱と封建支配により“働ける人”を育てる環境を失っていた。
「人口は、一朝一夕でどうにもならない。出生率や移民政策だけじゃ追いつかない。となれば……」
そこで彼の視線が、地図の一角にある“冒険者ギルド”と“奴隷市”の印に止まった。
「……労働力として、最も流動的な人材を活用するしかないか」
リィナが隣で不安げに問いかけた。
「まさか、本気で……奴隷を?」
「使うつもりはない。解放する」
加賀谷は即答した。
「ただし、“自由にする”だけじゃ意味がない。俺たちの世界でも、農奴が解放されたあと──土地の代償を払えず、結果として小作人に落ちた。自由は得ても、食うには困るってやつだ」
「……じゃあ、どうするの?」
「職業訓練だ」
彼は、別の地図を手に取る。それは“旧軍施設跡地”の分布図だった。
「空いてる砦や兵舎を改装して、訓練校にする。読み書き、数の数え方、簡単な作業訓練、あと“契約”の意味も教えないと。成果報酬制で働いてもらうには、“条件”を理解させる必要がある」
リィナの目が見開かれる。
「奴隷として売られてきた人たちに……、文字を教えて、契約の内容を自分で判断させる……?」
「うん。知識がなければ、自由は選べないからな。働けば報われるって言いたいなら、“報われる構造”をつくるところから始める」
加賀谷は立ち上がり、窓の外、公都の街並みを見やった。
「この街に、“初めて働いた日”の記憶を持つ人が、少しでも増えればいい。……その記憶が、“もう一度働いてみよう”って思わせてくれるからな」
◇ ◇ ◇
窓辺に立つ加賀谷の手に、薄い羊皮紙のメモがあった。そこには、粗く殴り書きされた単語が並んでいる。
《解放》《雇用契約》《職業訓練》《労働報酬》《都市移住》──。
それらを見つめながら、加賀谷は呟いた。
「──これを、制度にしてくれ」
声をかけた相手は、部屋の扉の前で静かに控えていた。
「お呼びでしょうか、閣下」
赤の外套が翻る。ヴァルド・レヴァンティスは、いつもと変わらぬ無表情で進み出た。
加賀谷は、彼に羊皮紙を手渡す。
「奴隷と冒険者を“労働者”に変える。……この国を支える人的資本として、自由契約の下に組み込みたい。奴隷は形式上は解放されている者いるが、土地の縛りと借金で実質縛られてるようなもんだ。あれじゃ何も変わらない」
ヴァルドの指先が、メモの端に触れた。
「貧困層の階級を再構成し、契約と報酬による社会移動を可能にする構想──素晴らしいお考えです」
「絵に描いた餅にならなきゃ、な」
加賀谷は苦笑する。
「奴隷解放といっても、実際には教育も技能もなけりゃ、解き放ったところで生活に困るだけだ。下手をすれば、犯罪や暴動が起きかねない。そうならないために、“受け皿”が必要だ。訓練、就労、生活支援──段階的に社会に入れる制度が要る」
ヴァルドは、静かにうなずいた。
「御意。……では、お手並み拝見ということで、私に設計を一任していただけますか?」
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そこで、ヴァルドの口元がわずかに緩んだ。
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「頼んだぞ」
「はっ。──この改革、“ミティア第二の建国”と称される日も遠くありません」
大仰にすら聞こえるその言葉に、加賀谷はふっと笑う。
「……まずは、その“労働契約制度”と“職業訓練校”の草案だな。三日やる。できるか?」
「三日あれば、準備は整います」
その声音には一片の迷いもない。まるで“その程度で十分です”とでも言いたげな、自信と熱に満ちた返答だった。
加賀谷は、思わず口の端を引きつらせた。
(……いや、冗談なんだけど?)
喉まで出かかった言葉を、なんとか飲み込む。
ここで「今のは軽口だ」と言い直せば、彼の全力に水を差す。だが放っておけば、本当に三日でやってのけそうな気配すらあるのが、また怖い。
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「頼んだぞ、ヴァルド」
「はっ。──この改革、“ミティア第二の建国”と称される日も遠くありません」
堂々とそう言い切って、ヴァルドはくるりと踵を返す。その背に、加賀谷は改めて、ある種の畏怖すら覚えていた。
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