弱気な男爵令嬢は麗しの宰相様の凍った心を溶かしたい

灰兎

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5、常に首席だった宰相様の苦手科目が判明しました

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「私は宰相様のお役に立てますか?」

「私の役に……?」

告白を飛び越えてプロポーズのような事を言ってしまった自分に、シェリルは思い詰めた視線を向ける。

『はい』か『いいえ』しか返ってこないと思っていたヴィンセントは虚を突かれた。

シェリルのおもてはほとんど無表情な程硬いのに、泣いている様に見える。

心細げなシェリルに、彼女が望む事を言ってあげられたら、と強く願った。

けれど、分からない。

彼女の言って欲しい事も、その華奢な両肩にのし掛かっている物も、重さも。

毎日、腹の探り合いや駆け引き、熾烈な選択を迫られる仕事をしているのに。

彼女に嫌われたくない、その気持ちが先走って、冷静な判断が出来ない。

「……『ただ側に居て欲しい、それだけで幸せになれる。』私にとってそう思えるのが、この世界にシェリルさんだけみたいなのです。それは私にとって貴方が『役に立つ』以上の、比べられない程に大切な存在と言う事です」

ヴィンセントは一瞬の逡巡の末、素直な気持ちを伝えた。

彼女の望む言葉を探し当ててあげられないのなら、せめて真摯で在りたかった。

「私は、シェリルさんにとって役に立つ人間になれますか?」

ヴィンセントが尋ねると、シェリルの瞳に再び涙が滲んだ。

「ごめんなさい……私、陛下と賭けをしたのです。陛下は、もし私が一ヶ月以内に宰相様のお心を溶かすことが出来たら、実家の修繕費を出して下さるとおっしゃいました。そしてもしそれが無理でも、良いお見合い相手を紹介して頂けると──」

ヴィンセントはシェリルの話した事に驚かなかった。いつも宰相の自分に色々言いくるめられているアーサーの考えそうな事だ。むしろ今となっては自分を焚き付けてくれた事に感謝してすらしている。

「私は生まれた時から家族のお荷物で、なのでせめて結婚によって実家になにか出来たらと思うようになりました。宰相様のお気持ちが私に向かない事は分かっていましたが、陛下が取り持って下さる結婚なら両親も喜んでくれるだろうと、宰相様のご迷惑も考えず……すみませんでした」

「シェリルさんの御両親のことは存じ上げませんが、貴方は決してお荷物なんかではありません。貴方がお辛い思いで過ごさなければならなかった事は私もとても悲しいですが、貴方がそれ程に御両親や他人を思いやれるのは、御両親が愛情を持ってシェリルさんを育てて下さったからだと思います。勿論、シェリルさん自身の優しさの証でもありますが」

ヴィンセントが言い終える前に、シェリルの瞳からいくつもの涙が音もなく落ちた。

こうやって、この少女は音も立てずに、誰にも悟られる事無く何度も泣いてきたのだろうか。

「みっともなく泣いたりしてすみません……」

ヴィンセントはシェリルの涙を指でそっとぬぐうと包み込む様に抱きしめた。

「貴方が泣いていると私も辛いですが、こうして抱きしめられる理由が出来るのは良いですね」

ヴィンセントはシェリルの後頭部をそっと撫でた。

「シェリルさんがいつも笑顔で居られたら何よりですが、もしまた泣きたくなる様な事があったら真っ先に私の所へ来て下さいますか?」

「宰相様を利用しようとした私を、お許し下さるのですか……?」

「シェリルさんは私を利用しようとしたのではなく、陛下に嵌められたのです」

「いえ、決してそんなことは! 陛下は私に決断を委ねて下さいました」

「相手が自分の意思で決めたと思わせる、そこまで含めてが政治でも詐欺においてもよく使われるやり方なのです」

シェリルの涙は止まったが、納得はしていないのか、「でも」とか「やっぱり」などと自分の腕の中でぶつぶつと呟いている。

その危な気な姿を見て絶対に自分が守り抜きたいと言う庇護欲をかき立てられる。

ヴィンセントが思わず抱きしめる腕に力がこもりそうになった時、キュルルと場違いで頼りない音がする。

「す、すみません、私、散々泣いておきながらお腹が鳴るなんて、信じられない……」

シェリルは真っ赤になって、腕の中で暴れそうな程取り乱した。

「そういえば、そろそろ夕食が出来上がる頃です。行きましょう。私もお腹が空いてきた所です」

手を繋いで温室の出口へ向かう。

シェリルがまだ完全に乾ききっていない潤んだ瞳で自分を見上げている。

「そう言う可愛い顔は他の人に見せないで下さい」

「何のこ──」

シェリルが何か言い掛けていたが、彼女の泣きはらした後のあどけなくて色っぽい様に、思わず唇を奪ってしまう。

しっとりしたその感触はこのままシェリルを味わえるなら夕食なんて未来永劫どうでもいいと思える程に甘美だった。

「ん……」

抵抗しないシェリルに、ついキスが深まりそうになるが、急に夜会でのノア コールリッジの蛮行がフラッシュバックする。

「すみません、軽率でした……」

「何故謝られるのですか? 宰相様は何も悪い事をなさっていません……」

「貴方の許可も得ずにキスをしてしまいました。これではコールリッジと同じです」

「全然違います! あの人にされたことは耐えられない程気持ち悪かったですが、宰相様のキスは──」

「私のキスは?」

「えっと……言わなくてはなりませんか……?」

「私に強制する権利はありませんが、今後の為にもおっしゃって頂けると助かります」

「──宰相様のキスは、全然嫌ではありません……」

「それは、次回はお許しを得たらまたキスをしても良いと言うことでしょうか?」

「そんな……毎回宰相様にキスしても良いかと聞かれて答えなくてはなりませんか? そんなの恥ずかし過ぎます……」

「恥ずかしがる貴方が可愛いので、毎回伺ってからと言うのも捨てがたいですが、そうですね──」

ヴィンセントはシェリルにもう一度、今度はいたずらをするように軽いキスをした。

「たまには不意打ちも良いかもしれないですね」

「──誰にも見られていない時なら、いつでも不意打ちして下さい……」

突然のキスに抗議されるか、赤面して絶句すると思っていたのに、彼女はうつむいているものの、繋いだままのヴィンセントの手をぎゅっと握って言った。

彼女の一挙手一投足が予測不可能で、とてつもなく可愛い。

「はぁ……この年で自分の苦手科目を知る事になるとは……」

「苦手科目?」

「いえ、何でもありません。今晩のデザートはラズベリーのタルトレットにバニラアイスを添えたものだそうです」

「アイスですか!?」

アイスと聞いてシェリルの瞳に宿ったペリドットの輝きは、さっきまでの湿っぽさや甘さを吹き飛ばす程だが、その光はヴィンセントの心をどこまでも柔らかく照らしてくれる。

「アイスが溶けてしまわないよう、急ぎましょう!」

シェリルは幸せそうに目を細めているヴィンセントの様子に気付かぬまま、その手を引いて食堂へと駆け出しそうになったが、急に我に返り淑女らしく粛々と歩きだした。







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