100日後に〇〇する〇〇

Zazilia

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1 はじまり

1日目 気合いは十分

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4:00


 ぼくは、目覚まし時計の音で目を覚ました。
 時計の針は4時を指し示している。
「あで」体を起こそうとしたら、ハンモックから転げ落ちてしまった。焚き火が燻っている。この時期の朝は寒い。ぼくは、指を弾いて、指先に火の玉を生み出した。指を振り、それを焚き火の中に放り込む。焚き火はすぐに勢いを取り戻した。ぼくは指を振った。屋上の隅に積んでおいた薪がふわりと舞い上がり、焚き火の中に入っていく。火はすぐに大きくなった。
 ぼくは、まだ煌々と輝いている星空の下、下着姿で、箱のようなワンルームまで向かい、暖かいシャワーを浴びた。
 気分転換を終え、新品のトレーニングウェアに着替え、しゃきっとしたところで、屋上のくつろぎスペースに向かい、シートを敷いてストレッチを始めた。
 腕立て伏せ、腹筋、背筋、スクワット。
 体育の授業では30回程度だが、ぼくはその3倍まで数え、さらにもういいかなって言うところまでやる。
 ほどよく暖まってきたところで、ぼくは、水を飲み、コーヒーを啜り、プロテインを水に溶かしてポケットに押し込んでから、アキレス腱を伸ばした。
 屋上を駆け、建物の縁で走り幅跳びのようにして、隣の建物の屋上に飛び移る。
 細い路地の上を、人通りのある通りの上を、大通りの上を飛び移り、たどり着いた先は、世界有数の巨大な美術館の屋根。
 ぼくは、ガラス屋根の上から、まだ観光客のいない館内を見下ろした。
 円錐形のレモン色の光が、タイルの床をなぞっている。
 目を凝らしてみれば、少し太った体型の男性警備員が館内を歩いていた。
 ぼくは、彼に見つからないうちに、足音を殺してガラス屋根の上を歩いた。
 建物の縁から広大な中庭に飛び降りたところで、ぼくは、テキトーに見つけたベンチに腰掛け、プロテインをごくりごくりと一息で飲み干した。
 ほぅ……、と息を吐き、未だくっきりと輝いている星々を見上げた。
 なかなか良い運動だった。
 ぼくがリストの初めに書いたものはこうだ。
【1.朝の運動をする】
 早朝の空気は新鮮だ。
 たぶん、夜中は車両の通行量が減って、大気中の排気ガスが減るからだろう。
 そんな空気を吸いながら、思う存分体を動かし、コーヒーと美味いサンドウィッチで1日のはじまりをむかえる。
 なかなか最高だ。
 ぼくは、腕時計を見て、時間を確認した。
 4:30。
 行きつけのカフェはもう開いている。
 ぼくはベンチを立ち、川沿いのカフェまで走ることにした。
 

4:36


 そのカフェが行きつけなのには理由がある。
 24時間やっているのだ。
 早朝の利用客は、いつも隅っこで勉強をしている学生さんや、テラス席で貧乏ゆすりをしてワインを啜りタバコを吸いながらなにかを書いている女性。
 カウンターの奥に立っているのは、店主さんの娘のアナちゃん。
 まだ15歳のアナちゃんは、早起きをしてお店を手伝いながら小銭を稼ぎ、暇な時はカウンターで勉強をしている女の子だった。
 琥珀色の目、脂肪のない薄いまぶた、豊かなライトブラウンのまつ毛。
 無造作に垂らされていながらもまとまりのあるライトブラウンの波打つ髪は、思わず触ってみたくなってしまうほどふわふわしていた。
 身長は168cm、体重は54kg。
 細い肩幅、スレンダーなシルエット。
 しかし、絶壁なぼくとは違い、彼女の胸は前に膨らんでいた。
 15歳のくせに。
 ぼくより3つも年下のくせに。
 ちっ。
 そんなぼくの平らな胸のうちでどろどろと渦巻く嫉妬に気づいたのか、アナちゃんは顔を上げてこちらを見た。
「あ、おはよー」眠たげで力が抜けているような声だった。
「おはよー」ぼくは、アナちゃんの言葉で挨拶を返した。「朝が早いね」
「ソラこそ、いつもありがと」アナちゃんは柔らかな微笑を浮かべると、カフェオレとクロワッサン、ハムとバターとオリーブオイルを挟んだバゲットサンドを用意した始めた。「なんか顔色良いね。彼氏出来た?」
 ぼくは鼻を鳴らした。「ほざけ。野郎になんか興味ないよ」
「ふぅん?」アナちゃんはにやりと微笑んだ。「この国の男はソラみたいな子好きだと思うけどなぁ~」妙に色っぽい口調でそんなことを囁くアナちゃん。彼女は、彼氏が3人もいる系女子だった。
「男に興味ないんだってば」
「じゃあ女が好きなの?」カウンターに前のめりになって自分の凶器を強調する彼女。
 ぼくは、その魅力抜群の凶器をちらちらと見ながら、自分が15歳の頃はなにをやってたか思い出そうとした。
 学園の談話室にこもって、本を読んでワインを啜ってタバコを吸っていた。
 間違っても、こんな、アナちゃんのような言動はしていなかった。
 さすが愛と芸術の国の女子は違うぜ、そんなことを思いながら、ぼくはアナちゃんの胸から目を離し、彼女の目を見た。
 豊かなまつ毛と脂肪のない薄いまぶたは途方もなくセクシーで、その下に隠れる吸い込まれそうなほどに透き通った琥珀色の目。
 その目に映るぼくの顔は真っ赤で、ぼくのシャンパンゴールド色の目は泳ぎまくっていて、唇はぷるぷると震えて尖っていた。
 ぼくは、震える手で財布を取り出し、10ユーロ紙幣をトレイに乗せた。
 本当は5ユーロでもお釣りが来るほどにこのカフェはリーズナブルなのだけれど、なぜかぼくの手が選んだのは10ユーロ紙幣だった。
 アナちゃんは、カウンターの上の紙幣を見ると、柔らかくほくそ笑んで、優しげで嬉しそうながらも勝ち誇ったような目でぼくを見た。「ありがと」
 ぼくの顔は真っ赤に燃え上がった。
 ぼくは、震える手で、パンの入った紙袋とオフェオレの入った紙コップを取った。「じゃあ、良い1日を」
「食べてかないの?」
 ぼくは首を横に振った。
 一刻も早くアナちゃんから距離を置いて、心の平穏を取り戻したかった。
 ぼくは、カフェオレを啜りながら、早朝の、目覚め始めた街をゆっくりと進んだ。


5:12





 ぼくは、川岸に腰掛けて、バゲットサンドを頬張った。
 まだまだ空は暗い。
 辺りを見渡せば、徹夜をした学生たちが遠くでお酒を飲み、タバコを吸って騒いでいた。
 ああいうのも楽しいと思う。
 でも、ぼくはそれよりも1人の平穏が好きなのだ。
 日本にいた頃も、今と変わらない日々を過ごしていた。
 学園の寮に住み、ルームメイトは幼馴染だったので平穏ながらも楽しい毎日を過ごしていた。
 授業のない時間は談話室にこもり、本を読んだり、宿題を終わらせたりして過ごし、友達が顔を見せれば一緒に過ごしたりもした。
 思い返せば、今もこれまでもぼくから誰かに対してアクションを起こしたことはなかった。
 周りの人に興味を惹かれないからというのもある。
 ただ、たまに興味を惹かれた人に出会うこともあるわけで、そういう時、ぼくはどうしたら良いのかわからなくなってしまう。自分から誰かに話しかけた経験がなかったからだ。
 これを、日本にいる時のルームメイトのおねえさんに話したら、彼女からは、空ちゃんは傷つくのが怖いんだね、と言われた。
 たしかにそうかも。
 ぼくは、バゲットサンドとクロワッサンを頬張り、カフェオレを啜り、立ち上がった。


5:30


 ぼくは、カフェに入った。
 アナちゃんは、カウンターに肘を付いて、だらしなく姿勢を崩しながら、勉強をしていた。彼女はぼくに気がつくと、笑顔を浮かべた。「へいへい、どうしたの?」
「アナちゃん」ぼくは、ばっくばくの心臓を抑え込みながら言った。「放課後空いてる?」
 アナちゃんは可愛く小首を傾げた。「なんで?」
「この街案内してほしい」
 アナちゃんは考えるように宙を見上げた。「なにに興味あるの?」
「雰囲気良いとこで美味しいの食べたり」
 アナちゃんは唇をすぼめて、考えるように眉をひそめた。難しそうな顔だけれど、嫌な感じではなさそうだった。「今日は無理。彼氏に会うから」
 ぼくは頷いた。なんだかほっとしている自分がいて、少し不思議な感じだった。「ブノワだっけ」
「ミシェル」
「初めて聞く名前」
「新顔」
「今、何人いるの?」
「4」
「ょ……」ぼくは息を呑んだ。「どうやって……、バレないの?」
 アナちゃんは退屈そうな顔で首を横に振った。「バレても良いの」
「どうして?」
「そしたらあっちが勝手に燃えてくれるし。それに振られても良い。正直言って男なんてどいつもこいつも一緒よ」
 ぼくは唇を引っ張り、なんて言ったものか考えた。一瞬のうちで導き出した言葉は、これだった。「その話もうちょっと聞かせて?」
 アナちゃんは、ぼくの目を見て、ふっ、とほくそ笑んだ。「聞きたいの?」
「うん」
「じゃあ、明後日ね。明後日の16時にここ来て」
「どこ連れてってくれんの?」
 アナちゃんは、ぼくの顎の下に手を添えて、ぼくのほっぺを優しく包んだ。「秘密」ふっ……、と、ぼくの耳元に吐息をかけたアナちゃんは、にっこりと微笑んで、手元の教科書とノートに視線を落とした。「良い1日を」
「……、うん……」そこから記憶がないけれど、気がつくとぼくは、自分の家のハンモックに揺られて、脳内で永遠にリピートされ続けるアナちゃんの言葉と吐息の余韻に浸っているのだった。
 結局この日は、リストのほとんどを消化出来なかったのだった。


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