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3 出張
11日目 ベネチアのオアシス
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3時9分
ぼくとハリエットさんは、サン・マルコ広場を離れて、リアルト橋のそばを歩いていた。
ハリエットさんの記憶によると、この辺りに良いバールがあるらしい。
狭い路地から見上げれば、細い夜空に月が浮かんでいる。
まるで、迷路の中に放り込まれたネズミになった気分だ。
周囲の人気はどんどん少なくなってきている。
喧騒は遥か遠くから聴こえてくる。
ぼくは、ぼくがもっとも愛用している武器である、シャンパンゴールド色の指輪をはめていた。
ぼくの魔素から、ぼくの手によって作られたこれは、ぼくの意思に呼応して形を変えるものだった。
先程、ハリエットさんからタイプだと言われてから、ぼくは自然と警戒をしてしまっていた。
抱きつかれたとしても、迎撃する準備は出来ている。
シャンパンゴールド色の瞳を持つハリエットさんの扱う魔素は、ぼくと同じ生命の魔素。
ぼくが、自らの身に宿る力によって周囲の感情やらなにやらに敏感になっているように、おそらく、ハリエットさんの方にも、ぼくの緊張や警戒は伝わってしまっている。
だが、それがなんだ。
戦場を生き抜いてきたぼくにとってはちょろい相手だ。
「うぃっく……」ぼくは、すっかり酔っ払ってしまっていた。
聞くところによると、ハリエットさんは21歳。
今はロンドン警視庁に勤めながら、インターポール国際魔法犯罪課の仕事をしているらしい。
国際魔法犯罪課のメンバーは、多様な経緯を持って在籍に至っている。
主なルートは、学園の中等部から、優秀な成績を収めている生徒たち。その中から、人格や価値観などの適正を認められた生徒に選択肢を提示し、インターポールの国際魔法犯罪課のインターンになることを志願した者に、高等部の3年間でインターンを経験させる。仕事のいろはを理解したところで、高等部卒業時に、国際魔法犯罪課への配属を希望する生徒のみが、更に4年間のインターンを経験することが出来る。ぼくが歩んでいるルートはこの7年間のインターンルートだけれど、ハリエットさんはどうなんだろう。「ハリエットさんは、来年でインターン終わりですか?」
「そうね」
「その後は?」
「今のところは、捜査官になろうか、それともフリーの探偵になろうか考えてる。6年ほどインターンをやってきて感じたけれど、やっぱり、個人の方がやりたいことが出来そう。いずれにせよ、インターンを勤め上げれば、インターポールのメンバーにはなれるの。必要なときは捜査協力を求められるし、3ヶ月毎に活動報告と適性試験を受けさせられるみたいだけど、国際警察の後ろ盾があるのは頼もしいし、自分の人間性や価値観への自信にもなる。今のうちに関わりを広げておけば、フリーになったときの仕事もやりやすくなる。なんにしても、インターンは最後までやり切るつもり」
「色々考えてるんですね」
「ソラはどう? 続けられそう?」
ぼくは頷いた。「そうですね。今のところは能力の壁にぶつかってもいませんし、季節ごとの適性試験もパスしてるから、たぶん、向いてるんだろうなって思います」
「やりたいことなの?」
「向いてるとは思うけど、やりたいことって言うなら、ぼくは仕事なんてしないで、ふらふら旅だけしてたいんですよね」
ハリエットさんはうんうんと頷いた。「一応、4年間のインターンはやっておいたら?」
「それはする予定ですけど、インターンやって後悔してることとかありますか?」
「学園でもうちょっとのんびり過ごしたかったかな。インターンがはじまると、嫌でも捜査官としての授業が多くなって、受けたい科目受けられなくなるから」
「なるほど」ぼくは、基本学友と楽しむ時間を求めることもないし、興味のある学問も特にない。「やっぱり、海外出張とかが増えるんですか?」
「赴任地は希望出来る。少なくともウェールズではそうだった」
「ロンドンが希望だったんですか?」
「どこでも一緒かなって」
ぼくは、急に開けた視界に目を奪われた。
数えるほどしかないランプと、2階建てのトラットリアの明かり、月光と星々の明かりだけが照らす、程良く薄暗く、程良く明るい空間。運河沿いの体育館の半分くらいの面積の広場。
運河のそばでは、大学生たちが円を作ってあぐらをかいて、ワイングラスやギターなどの楽器を手に楽しそうな時間を過ごしていた。笑い声は、騒がしいという感じはまったくなく、賑やかで楽しそう。演奏は軽やかで耳に優しい。耳を澄ませてみれば、恋の話題やデートの話題、スポーツの試合や、この間の週末に訪れたミラノやボローニャの土産話などが聞こえてきた。こういうトラットリアのシーフードパスタが美味しくてさとか、お前が教えてくれたカンノーリ最高だったぜとか。イタリアの学生は、人生の楽しみ方をわかっている、そんな気がした。
トラットリアのテラス席では、若い観光客たちや、年配の地元客たちがお話をしたり、ノートや手帳になにかを書き込んだり、勉強したりしてくつろいでいた。
「ゆったりと過ごせそうだろう?」ハリエットさんは、ぼくの肩をぽんと叩き、ぼくの指輪を指さした。「そんな無粋なものはしまいなさい。きみはタイプだが、押し倒すつもりはないよ。わたしはヒトだ。獣ではない」
「すみません」ぼくは、指輪を外し、ポケットに仕舞った。
ハリエットさんは、気にするなという感じで、肩を竦めた。「この一週間を実りあるものにしよう」
「ですね」
ぼくたちは、トラットリアのカウンターへ向かった。
「店主も内装も変わってないな。2階が増えただけか」ハリエットさんは、ワインと軽食を注文した。
ぼくは、ハリエットさんのおすすめを聞き、それを注文することにした。
ハウスワインのグラスとオープンサンド。
どちらもリーズナブルなお値段。
たぶんここは、現地の人がよく利用しているのだろう。
穏やかながらも賑やかなこの広場は、観光客が多く騒がしくも賑やかなこの街の中にあるオアシスのように感じられた。
ぼくとハリエットさんは、サン・マルコ広場を離れて、リアルト橋のそばを歩いていた。
ハリエットさんの記憶によると、この辺りに良いバールがあるらしい。
狭い路地から見上げれば、細い夜空に月が浮かんでいる。
まるで、迷路の中に放り込まれたネズミになった気分だ。
周囲の人気はどんどん少なくなってきている。
喧騒は遥か遠くから聴こえてくる。
ぼくは、ぼくがもっとも愛用している武器である、シャンパンゴールド色の指輪をはめていた。
ぼくの魔素から、ぼくの手によって作られたこれは、ぼくの意思に呼応して形を変えるものだった。
先程、ハリエットさんからタイプだと言われてから、ぼくは自然と警戒をしてしまっていた。
抱きつかれたとしても、迎撃する準備は出来ている。
シャンパンゴールド色の瞳を持つハリエットさんの扱う魔素は、ぼくと同じ生命の魔素。
ぼくが、自らの身に宿る力によって周囲の感情やらなにやらに敏感になっているように、おそらく、ハリエットさんの方にも、ぼくの緊張や警戒は伝わってしまっている。
だが、それがなんだ。
戦場を生き抜いてきたぼくにとってはちょろい相手だ。
「うぃっく……」ぼくは、すっかり酔っ払ってしまっていた。
聞くところによると、ハリエットさんは21歳。
今はロンドン警視庁に勤めながら、インターポール国際魔法犯罪課の仕事をしているらしい。
国際魔法犯罪課のメンバーは、多様な経緯を持って在籍に至っている。
主なルートは、学園の中等部から、優秀な成績を収めている生徒たち。その中から、人格や価値観などの適正を認められた生徒に選択肢を提示し、インターポールの国際魔法犯罪課のインターンになることを志願した者に、高等部の3年間でインターンを経験させる。仕事のいろはを理解したところで、高等部卒業時に、国際魔法犯罪課への配属を希望する生徒のみが、更に4年間のインターンを経験することが出来る。ぼくが歩んでいるルートはこの7年間のインターンルートだけれど、ハリエットさんはどうなんだろう。「ハリエットさんは、来年でインターン終わりですか?」
「そうね」
「その後は?」
「今のところは、捜査官になろうか、それともフリーの探偵になろうか考えてる。6年ほどインターンをやってきて感じたけれど、やっぱり、個人の方がやりたいことが出来そう。いずれにせよ、インターンを勤め上げれば、インターポールのメンバーにはなれるの。必要なときは捜査協力を求められるし、3ヶ月毎に活動報告と適性試験を受けさせられるみたいだけど、国際警察の後ろ盾があるのは頼もしいし、自分の人間性や価値観への自信にもなる。今のうちに関わりを広げておけば、フリーになったときの仕事もやりやすくなる。なんにしても、インターンは最後までやり切るつもり」
「色々考えてるんですね」
「ソラはどう? 続けられそう?」
ぼくは頷いた。「そうですね。今のところは能力の壁にぶつかってもいませんし、季節ごとの適性試験もパスしてるから、たぶん、向いてるんだろうなって思います」
「やりたいことなの?」
「向いてるとは思うけど、やりたいことって言うなら、ぼくは仕事なんてしないで、ふらふら旅だけしてたいんですよね」
ハリエットさんはうんうんと頷いた。「一応、4年間のインターンはやっておいたら?」
「それはする予定ですけど、インターンやって後悔してることとかありますか?」
「学園でもうちょっとのんびり過ごしたかったかな。インターンがはじまると、嫌でも捜査官としての授業が多くなって、受けたい科目受けられなくなるから」
「なるほど」ぼくは、基本学友と楽しむ時間を求めることもないし、興味のある学問も特にない。「やっぱり、海外出張とかが増えるんですか?」
「赴任地は希望出来る。少なくともウェールズではそうだった」
「ロンドンが希望だったんですか?」
「どこでも一緒かなって」
ぼくは、急に開けた視界に目を奪われた。
数えるほどしかないランプと、2階建てのトラットリアの明かり、月光と星々の明かりだけが照らす、程良く薄暗く、程良く明るい空間。運河沿いの体育館の半分くらいの面積の広場。
運河のそばでは、大学生たちが円を作ってあぐらをかいて、ワイングラスやギターなどの楽器を手に楽しそうな時間を過ごしていた。笑い声は、騒がしいという感じはまったくなく、賑やかで楽しそう。演奏は軽やかで耳に優しい。耳を澄ませてみれば、恋の話題やデートの話題、スポーツの試合や、この間の週末に訪れたミラノやボローニャの土産話などが聞こえてきた。こういうトラットリアのシーフードパスタが美味しくてさとか、お前が教えてくれたカンノーリ最高だったぜとか。イタリアの学生は、人生の楽しみ方をわかっている、そんな気がした。
トラットリアのテラス席では、若い観光客たちや、年配の地元客たちがお話をしたり、ノートや手帳になにかを書き込んだり、勉強したりしてくつろいでいた。
「ゆったりと過ごせそうだろう?」ハリエットさんは、ぼくの肩をぽんと叩き、ぼくの指輪を指さした。「そんな無粋なものはしまいなさい。きみはタイプだが、押し倒すつもりはないよ。わたしはヒトだ。獣ではない」
「すみません」ぼくは、指輪を外し、ポケットに仕舞った。
ハリエットさんは、気にするなという感じで、肩を竦めた。「この一週間を実りあるものにしよう」
「ですね」
ぼくたちは、トラットリアのカウンターへ向かった。
「店主も内装も変わってないな。2階が増えただけか」ハリエットさんは、ワインと軽食を注文した。
ぼくは、ハリエットさんのおすすめを聞き、それを注文することにした。
ハウスワインのグラスとオープンサンド。
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