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Zazilia

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4 映画撮影

22日目 夕食

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 ホテルのレストランは、薄暗かった。
 中央に垂れた小さな電球と、テーブルの上にあるランプだけが、教室くらいの広さの空間を照らしている。
 しかも、ついているランプは1つだけ。
 つまり、レストランにいる客は、1人だけ。
 ユライさんは、窓際のテーブルに腰掛けていた。
 ほっそりとしていながらも、ガッシリとした肩幅。
 コケた頬を覆う、短く整えられたヒゲ。
 短く整えられたはちみつ色の髪。
 アーモンド型の、はちみつ色の瞳。
 ユライさんは、3年前よりも少し老けていた。
 彼の身に宿る魔素は特殊なのだが、身体は人間なので、老化の波に逆らえないのは当然といえば当然のことだった。
 彼の身体に宿る守護天使の魔素は特殊で、歴史の中でも十数名ほどしか確認されていないので、その魔素が宿主に幸運をもたらすこと以外はあまり良くわかっていないのだった。
 なので、ひょっとすると、身体が人間でも、寿命はぼくたち魔法族と同じくらいなんじゃないかとも思ったのだけれど、そんなことは特にないようだ。
「よう。ようやく来やがったか。こんなさみーところで1週間も待たせやがって。おかげで脳味噌もしゃりしゃり凍りついちまったぜ」ユライさんはタバコの煙を吐きながらそう言った。「変態野郎にやんちゃ野郎。お前らは変わんねーな」
「きみこそ相変わらず憎まれ口ばかり利いているんだな」変態野郎こと、ヨハンナさんはユライさんと握手を交わした。「元気そうだな」
「元気か元気じゃねーかなら元気じゃねーさ。娘にようやく反抗期が来たようでな。この間へそが出るくらい短いシャツを着てたから注意したのさ。そしたらあんにゃろう俺をブロックしやがった」ユライさんはぼくを見た。「きみはそういう服は着なさそうだな」
「着ませんね。お久しぶりです」やんちゃ野郎ことぼくはユライさんに右手を差し出した。
 彼は、優しげな目でぼくを見下ろすと、柔らかくもガシッと、ぼくの右手を握り返した。
 彼は、ぼくを見ていると娘さんのルーニーちゃんを思い出すらしい。
「どういう風に注意したんですか?」
「娼婦みたいな格好してたら変なヤツが寄ってくるぞって」
「あー」ぼくは少し考えた。「もっと上品なのが似合うとか、そういう風に言えば良かったんじゃないですか?」
 ユライさんは考えるように頷いた。「そうだな。検討しておく」
 ユライさんは、浄、アーヴィンさんと握手を交わして、テーブルについた。
 彼は、腕時計を見ると、人差し指を立て、ウェイターさんを呼んだ。
「よう、スコッチにするかい?」
「いや、これからこいつらと一緒に街に出るんだ。その前の腹ごしらえさ。Tボーンステーキをくれ。フレンチフライも少し添えてくれ」
「あいよ」ウェイターさんは、厨房に注文を伝えに行った。
「最近腹が出てきちまってな」ユライさんは切なげに言いながらタバコの煙を吐いた。
 浄は眉をひそめた。「彼は平気なんですか? 先の予定を話すなんて」
 ユライさんは頷いた。「平気かって? エヴィンはただの大学生だ。勉強しながらここで働いて家族を養ってる。つまり、チップの文化のあるアメリカ人の味方だ」
 ぼくは、メニューをパラパラとめくった。
 せっかくだからカラディシアのご当地グルメでも食べてみたいところだけれど、見た感じ、メニューに有るものはすべて、東欧のどこでも食べられそうなものばかりだった。「ユライさん、カラディシアのご当地グルメってありますかね」
「なんだろうな……、カエルのフライは悪くなかったが」
「カエルですか……」
「あとはシチューだな。ボルシチか」
「良いですね。それにしよう」
 あとはステーキか……、ん? 待てよ? なんだこれ。Aji no hiraki teisyoku? Wagyu donburi? 日本食だ。おもしれぇ。これにしよう。





 運ばれてきた料理は、日本の定食屋さんで食べられるようなアジの開き定食ではなく、アジをフライにしたもの、平らな皿に盛られたライススープ皿に入った味噌汁だった。
 Wagyu donburiは、ボウルに山盛りにされたご飯に、スライスされたステーキが載ったものだった。
 3つ並べられテーブルの上には、ランプが2つと分厚いステーキが5枚、そして、ぼくたちそれぞれが注文した料理が並んだ。
「大学があるのか」ヨハンナさんが言った。彼女の前にはグヤーシュとパンがあった。
「なんだってあるさ」ユライさんは、ステーキを切り分けながら言った。「教育機関に、警察、市庁舎、工場。スーパーやデパート。ファストフード店やレストラン。美術館や劇場。オペラやバレエが見れるぞ。暇潰しには困らない。値段も安いしな。下手すりゃウクライナやロシアよりも安い。来年の夏はここで過ごすのも良いな」ユライさんは、ステーキを口に頬張った。「普通の街だ」
「きみの報告だと、余所者を受け入れない雰囲気があるように感じられたが」
 ユライさんは、水を飲んだ。「路上で酒を飲んで逮捕された馬鹿が1人、女を買おうとして追い出された馬鹿が1人、クラブで女に触りまくって逮捕された馬鹿が1人。品行方正な俺だけが生き残れたってわけさ」
 ヨハンナさんは声を上げて笑った。「男ってやつは」
「お前が言うなよ。初対面で俺のケツ握りやがっただろうが」
 浄はヨハンナさんを見て、ごくりと喉を鳴らした。
 俺のおしりも握ってくれないかなとか思ってるんだろうか。
 変態が。
 そんなことを思いながら、ぼくはステーキ丼をかきこんだ。
「東欧の女性は可愛いからな」アーヴィンさんが言った。
 ヨハンナさんがアーヴィンさんを見た。
 アーヴィンさんはコーヒーを啜った。「なんだよ。東欧の女性が可愛いって言っただけだ」
「お二人は付き合っていらっしゃる?」浄がアーヴィンさんとヨハンナさんに訊いた。
 ヨハンナさんは笑った。「違う。アーヴィンの奥さんと仲が良いんだ」
 ユライさんがアーヴィンさんを見た。「何年目だ?」
「10年だ」
「子どもは?」
「3人」
「家族仲は?」
「良いと思う」
 ユライさんは頷いた。「奥さんとの仲は?」
「良いよ。未だに毎晩同じベッドで寝てる」
「娘はいるか?」
「いるよ。みんな笑いながら飛びついてくる」
「秘訣はなんだろうな」
「結婚生活の? それはもう、決まってる。妻の言うことには逆らわないこと。自分はお姫様と一緒に暮らしてるってことを忘れないことだ。椅子になれって言われたらなる。それが結婚生活だ」
 ユライさんは声を上げて笑い、それを見たアーヴィンさんも声を上げて笑った。
 視界の端で、浄がぼくを見た。
「なんだよ」ぼくは、どんぶりに視線を落としたまま言った。
「男の背中って座りたくなるもんなの?」
「知らん。黙って食え」
「1人って楽しいか?」
「気を使わないといけないのが疲れるんだよ」ぼくの脳裏に、アナちゃんの顔が浮かんだ。「自分が関わりたいと思った人と関わるのは楽しいよ」
「ふぅん」浄は、ステーキを、フォークで突いた。「まあ、そう言える相手がいるなら良かった」
「ぼくはぼくの人生を楽しんでる。ただ、誰かに、無遠慮に関わってこられるのが嫌なんだよ」
「子供の頃は、もう少し明るかっただろ?」
 ぼくは頷いた。「子供の頃から変わらないよ。ただ、楽しみ方が変わっただけ。十歳くらいの頃から、みんな、自分を周囲と比べるようになっただろ? それに巻き込まれたくなかったんだ。だから周りと関わらなくなったんだよ」
 浄は頷いた。「嫌いなものは嫌いっていうタイプだったもんな」
「今もそうだよ」
「連中も、今は大人になったと思うけどな」
「興味ないよ」
「そっか。俺のことは?」
「昔と同じように思ってる」
「ふうん。彼氏は?」
「いない。いらない」
「興味は?」
「ない」
 正直なところ、恋愛に興味がない。
 他人に興味を惹かれることも、あまりない。
 3週間ほど前、久々に興味を惹かれて声をかけたアナちゃんは、その実、ぼくと同じ、学園のインターンだった。
 類は友を呼ぶという言葉の真意はあまり良くわからないけれど、もしかすると、人は自分と似た匂いを自然と嗅ぎつけるのかもしれない。
 趣味嗜好が似通うところのある人は、自然と同じような場所に集まるのかもしれない。
 山に登山好きが集まるように、フランスに芸術家が集まるように、ホステルに旅好きが集まるように、高級ホテルに有名な俳優や女優が集まるように。
 考えてみれば、ぼくの友人はみんな、ぼくと似ているところがある。
 1人が好きで、自由が好き。
 たまに近くに立ち寄った時にだけ、顔を合わせて、一緒に食事をしたりして、再びそれぞれの目的地へと向かう。
 ぼくは浄を見た。「あんたは友達だよ」
 浄は、ちらりとぼくを見た。
「久々に会えて嬉しいし、楽しんでるけど、自分からこういう機会を作ろうとは思わない。1人の時間が必要なタイプだから」
 浄は、ステーキを噛みながら、頷いた。「そういや、そうだったな。小学生の時も、お前はいつも、俺達全員を見てた。少し引いたところから、俺達がいる景色を見てたな。ありゃなんでだ?」
「なんでかな。どうすれば、1人の時間を確保出来るのかを考えてたのかも」ぼくは、ステーキを切り分けた。どうやったらみんなに馴染めるのかっていうことを考えてたのかも。みんなと一緒に、なにも考えずに、心の底から笑いたかったのかもしれない。なにも考えずに、なにかを喋れる人になりたかったのかもしれない。でも、それは無理だった。ぼくには、みんなが何故笑っているのか、わからなかった。みんなが楽しいと思うことを、楽しいと思えなかった。それについて、悲しさを感じた時期もあったけれど、今ならわかる。
 人は楽しいときだけでなく、相手に楽しんで欲しいときも笑うのだ。
 笑うから楽しくなるのだ。
 それがわかったぼくは、目の前で笑っている人を見てどう思うか。
 この人は、どうしてぼくを楽しませたいんだろう、なにが狙いなんだろう、と、そんなことを思い、考えてしまう。
 ぼくは、みんなが楽しいと思うことがつまらなかった。
 あの時のぼくには、笑って欲しいと思える人がいなかった。
 だから、みんなといる時のぼくは、笑っていなかったのだ。
 それか、あの場所が、ぼくにはふさわしくないと思ったのかもしれない。
 みんながみんなと仲良くしている。
 でも、ぼくにはそれが出来ない。
 ぼくは自分に嘘が吐けない。
 その度に、自分の胸の奥が締め付けられ、吐き気がしてしまう。
 楽しくないのに笑うことが出来ない。
 嫌いなやつと仲良くすることが出来ない。
 だからといって、自分から相手を殴ったり、傷つけたりもしない。
 興味がないやつに声をかけたりはしない。
 だからといって、ニコニコと話しかけられれば、こちらも受け答えをしないわけにはいかない。
 ぼくにとって、周りにいるほとんどの人が、どうでもいい人たちで、そういう人たちと関わることを強要されることは、ストレスでしかない。
 ほとんどの人は、そのストレスを許容出来るのだろうけれど、ぼくにはそれが出来ない。
 許容しようとすると、ストレスでおかしくなってしまう。
 だから、距離を取っていたのかもしれない。
 自分を守るために。
 その選択自体は正しいことなのだろうか、間違っていることなのだろうか。
 いや、間違っているのは、誰に迷惑をかける訳でもないその選択に正しさや間違いを求めることだろう。
 ぼくは、浄を見ながら、ステーキの切れ端を口に含んだ。
 ぼくは、浄を友だちと言ったけれど、それは、未だに親しげに接してくれる浄に対する礼儀故だろうか。
 それとも、心からそう思っているのだろうか。
 どうなんだろ。
「パリに行って良いか?」浄が言った。
 ぼくは、ステーキを飲み込んだ。「好きにすれば? 助手は要らないけど」
「パリの学園に転校するよ。パリジェンヌ紹介してくれよ」
 ぼくはアナちゃんのことを頭に浮かべた。「どうかな。聞いてみる」
「週1くらいで会おうぜ」
「良いよ」

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