10 / 34
恋の恐ろしいところ
しおりを挟む古い本の匂いに包まれている図書室は、壁一面に天井近くまで届く高い木製書棚が並び、革装丁と思われる古書が整然と収められている。装飾的な格天井で、金や濃色を基調としたクラシックな意匠が施されている。柱や梁も彫刻的で、格式の高い建築様式だ。
シャンデリアやクラシックなスタンド照明が使われ、落ち着いた暖色の光が室内を包み込み、静謐で知的な空気を演出している。木製の寄木張りの床が、空間全体の統一感と高級感を高めていた。
本棚と本棚の間には艶のある木目調の机と椅子が等間隔にいくつも並べられ、ほとんどの席が生徒で埋まっている。
俺はそのエリアを通りすぎ奥に進むと、滑らかな曲線を描きながら地下へと続く木製の螺旋階段を下りていく。手すりには繊細で装飾的な金属製の透かし彫りが施され、芸術性と実用性を兼ね備えている。
2人分の足音は階段にしかれた黒を混ぜたような赤色の絨毯に吸い込まれていった。
階段を下りるとすぐ右手に、上階と同じように並べられた机と椅子が現れる。そこの席は比較的空いており、俺は一番後ろ、その中の一番左端の机の上に鞄を置いて座った。
当たり前のように俺の前の席に座った夕焼け色の彼は、あまりにもその風貌と図書室の雰囲気が合っておらず浮いている。
彼の存在に気付いた何人かが本や参考書から顔を上げ、訝しげだったり、物珍しそうな表情でこちらを窺っていた。
「なんでここまで着いてくるんですかっ」
「あんたの顔を観察していたいから」
「いつもいつも俺がフィリオン様に恋い焦がれた顔をしていると思わないで下さい」
「そんなことは知ってる。アイツのいない、普段のあんたのいろんな表情も知っておきたいってだけ」
「…勉強の邪魔はしないで下さいよ」
「分かってるって」
声をひそめているのに、空間があまりにもシーンとしているせいで周りにもれ響く。しゃらしゃらと薄い氷が空気の薄い膜の上を滑っていくような囁き声で釘を刺し、俺は彼を空気だと思いながら参考書を鞄から取り出して勉強に取りかかった。
家令科にいる生徒の中で本当に家令になれるのは数十人だ。ほとんどが使用人止まり、良くて執事や侍従侍女で生涯を終える。
だが俺が目指すのは使用人たちをまとめ、指揮監督する立場にある本物の家令になること。しかも、フィリオン様が治めるであろう伯爵家の家令を目指しているのだ。
そのためにはそれだけの力量がある人間にならなければいけないし、学ぶことは底をつきない。人を適材適所に配置し、指揮するためには知識だけではなく人間のことも学ばなければいけないからだ。
しかし最近は、その意欲が出口の見えない迷路に迷い込んだかのような不安に覆われそうになることがある。
恋愛感情の醜さを知り、自分の気持ちですらコントロール出来ない俺が他人をコントロールすることなど到底不可能だと思えるからだ。どう考えても、今の俺には家令の才覚が微塵もない。
もちろんまだ家令科で学び始めて1年も経っていないのだからまだまだこれからだということは分かっている。それでもフィリオン様への想いを抱えたまま、俺は彼のそばで彼の役に立てることをこなせるのだろうかとふとしたとき、不安に襲われる。
俺のフィリオン様への想いはまったく枯れる様子もない。まるで年老いた恒星のように、自分自身の愛の重みで潰れてしまいそうにさえ思えた。
そんな不安を脳裡に携えながら、参考書を睨み付け、大切なことは覚えるためにノートに書き写す。無意識に力が入りすぎていたのか、削ったばかりだった鉛筆の芯がポキッと音をたてて折れた。
その音がしたから顔を上げたのか、はたまたずっと俺を見ていたのか、視線を感じて目の前にいる彼に視線を向けると熟れた蜜柑のような瞳とぶつかる。
机に肘をついて手のひらに頬を預けながら片方の口角をくいっと上げて、やけに楽しそうな表情で俺を一心に見つめてくる。
視線がうるさいとはこういうことを言うのか、と思いながら咄嗟に視線をそらし、参考書とノートに視線を交互に往復させる作業へと戻った。
しばらく集中力の湯につかっているといつの間にか時計の長針は2周もしていた。凝り固まった肩と首を伸ばし、鉛筆を握りっぱなしで疲れた指を解す。
腕を頭上で組んで背伸びをするように伸ばして一気に力を抜くと、じわじわと流れる血の巡りを感じた。
目の前を見ると2時間前と全く同じ体勢、同じ表情をした彼の視線に捕まる。まるで彼だけ時が止まっていたかのようで、背筋を薄ら寒いものが駆け抜けた。
「…ずっとそうしてたんですか?」
「まぁな。あんたの表情は見ていて飽きない。うんうんと眉を寄せて難しそうな顔をしたり、なるほどと納得したような顔をしたり。言葉を使わずとも雄弁な顔だな」
「まさかこの2時間、ずっと俺を観察してたんですか!?」
「そうだと言ってんだろ」
「き、気持ち悪い…気持ち悪すぎる…あなた、頭おかしいにも程がありますよ」
「くくっ、ロランちゃんがそう言うならそうなんだろうなぁ?」
「そのロランちゃんって言うの、やめてもらえます?」
「なんで?かわいーからいいじゃん」
「はぁ…あんまり人前では呼ばないで下さい」
「ケチだな」
宇宙人と話している気分になってきて、疲れた脳と体には余計な時間だったかもしれない。
気付けば周りの席はすべて空席となり、俺と彼以外はこの階にはいないようだった。せっかく声量を落として話していたのに無駄だったなと思いながら、俺も帰る準備を始める。
「もう終わりか?」
「早く食堂に行かないと夕食を食べ損ねますから」
「あー、そういや腹減ったな。食いに行こうぜ」
「食堂にまで着いてくる気ですか!?やめて下さい!図書室ではほとんど関係のないふりをしてたから気付かれてないと思いますけど、たくさんの生徒たちがいる食堂に目立つあなたと行ったら誰に何を言われるか…!」
「一理あんな。あんたがオレの親衛隊みたいなやつらの標的にされて苛められるのは本望じゃねぇわ」
「親衛隊?あなたみたいな人に親衛隊なんているんですか?この学園も落ちぶれてきましたかね…」
「ひっでぇ!くはっ、ここまでバッサリ言うやつ初めてだからマジで超新鮮!こんな毒舌なロランちゃんがアイツと両思いになったらどんな反応をすんだろうな?めっちゃ見てー」
「りょ、りょりょ両思いだなんてっ…あ、あり得ません!変なこと言わないで下さい!」
「すんげー顔真っ赤じゃん!いいねぇ、まじでそそるわ。あームラついてきた。飯食ったら女抱こ」
「…っ!下品なこと言わないで下さい!とにかく俺はもう行くので!さようなら!」
「くくくっ…じゃーな、ロランちゃん」
語尾にハートだか星だかが付きそうな言い方で名前を呼んだ彼を置き去りにして、俺はそそくさと螺旋階段をかけ上がる。急いで階段を上ったせいか、さっきの会話のせいか、俺の頬は炎にさらされたように熱かった。
図書室を出て食堂へと向かうのに、俺はわざと頬の熱を冷ますため、内廊下ではなく外廊下を使って遠回りをした。
突き刺すような冷たい風で頬を冷やしながら、フィリオン様と両思いになれたのなら、という妄想を止めることが出来なかった。
そんなことは万が一にもあり得ないと分かっているのに、期待や妄想に胸を膨らませてしまう。これが哀れな恋愛感情というものの、恐ろしいところだった。
92
あなたにおすすめの小説
六年目の恋、もう一度手をつなぐ
高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。
順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。
「もう、おればっかりが好きなんやろか?」
馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。
そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。
嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き……
「そっちがその気なら、もういい!」
堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……?
倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡
夫には好きな相手がいるようです。愛されない僕は針と糸で未来を縫い直します。
伊織
BL
裕福な呉服屋の三男・桐生千尋(きりゅう ちひろ)は、行商人の家の次男・相馬誠一(そうま せいいち)と結婚した。
子どもの頃に憧れていた相手との結婚だったけれど、誠一はほとんど笑わず、冷たい態度ばかり。
ある日、千尋は誠一宛てに届いた女性からの恋文を見つけてしまう。
――自分はただ、家からの援助目当てで選ばれただけなのか?
失望と涙の中で、千尋は気づく。
「誠一に頼らず、自分の力で生きてみたい」
針と糸を手に、幼い頃から得意だった裁縫を活かして、少しずつ自分の居場所を築き始める。
やがて町の人々に必要とされ、笑顔を取り戻していく千尋。
そんな千尋を見て、誠一の心もまた揺れ始めて――。
涙から始まる、すれ違い夫婦の再生と恋の物語。
※本作は明治時代初期~中期をイメージしていますが、BL作品としての物語性を重視し、史実とは異なる設定や表現があります。
※誤字脱字などお気づきの点があるかもしれませんが、温かい目で読んでいただければ嬉しいです。
【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜
キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。
モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。
このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。
「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」
恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。
甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。
全8話。
《一時完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ
MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。
「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。
揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。
不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。
すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。
切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。
続編執筆中
なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?
詩河とんぼ
BL
前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
【完結】好きな人の待ち受け画像は僕ではありませんでした
鳥居之イチ
BL
————————————————————
受:久遠 酵汰《くおん こうた》
攻:金城 桜花《かねしろ おうか》
————————————————————
あることがきっかけで好きな人である金城の待ち受け画像を見てしまった久遠。
その待ち受け画像は久遠ではなく、クラスの別の男子でした。
上北学園高等学校では、今SNSを中心に広がっているお呪いがある。
それは消しゴムに好きな人の前を書いて、使い切ると両想いになれるというお呪いの現代版。
お呪いのルールはたったの二つ。
■待ち受けを好きな人の写真にして3ヶ月間好きな人にそのことをバレてはいけないこと。
■待ち受けにする写真は自分しか持っていない写真であること。
つまりそれは、金城は久遠ではなく、そのクラスの別の男子のことが好きであることを意味していた。
久遠は落ち込むも、金城のためにできることを考えた結果、
金城が金城の待ち受けと付き合えるように、協力を持ちかけることになるが…
————————————————————
この作品は他サイトでも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる