俺の好きな人は誰にでも優しい。

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理屈より感覚、秩序より衝動の男

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 大波乱の余韻を抱えたまま、月曜日の朝は容赦なくやってきた。休日に起きた出来事は、まだ整理されないまま胸の奥に揺蕩い、冬の冷たい空気がそれを凍らせる。カーテン越しの白い光は淡く、学園は何事もなかったように静まり返っていた。
 吐く息が白く、講義室へと向かう足先から現実が戻ってくる。あの休日が夢だったのか、いや確かに起きたのだと、記憶が遅れて主張する。
 学園は何も知らない顔で、月曜日を続けている。その無関心さが、俺を落ち着かせようとしてくる。冬の朝は冷たく澄んでいて、だからこそ、心の内の波立ちが際立った。

 どんなに思考を切り替えようとしてもうまくいかない。それだけのことがあったのだから当然といえば当然だが、このままでは講義に身が入らなくなり本末転倒の一途を辿りそうだ。
 危機感を覚えた俺は落ち着きを取り戻すため、いつもより早起きをしていつもよりだいぶ早い時間帯に部屋を出た。朝、お祈りに行くピートが隣のベッドの中でまだ夢を見ているほどの、早い時間。

 寒い冬の朝、学園の外廊下はまだ眠っているように静かだった。吐く息が白くなるほどの冷え込みに、肩をすくめながら歩く。足音だけが規則正しく響き、窓の外では霜に縁取られた景色がゆっくりと流れていった。
 図書室へ向かう階段を上ると、冷たい空気の中にかすかな紙の匂いが混じり始める。扉を押せば、外よりも少しだけ柔らかな静けさが迎えてくれるはずだと思いながら、歩みを進める。
 寒さに縮こまった体とは裏腹に、心は不思議と落ち着いていた。図書室は、冬の朝に選びたくなる避難所のようなものだ。文字の温度を求めて、俺はその扉へと手を伸ばし、強く押した。

 朝に勉強をすると頭に入りやすいという話から、日が昇る前から勉強をする生徒もいるため、図書室はどこよりも早く司書の手によって鍵が開けられている。
 図書室へ足を踏み入れると、そこにはすでにまばらな生徒の姿があった。席は十分に空いているのに、彼らは互いに距離を保ち、音を立てないように存在している。
 ページをめくるかすかな音と、ペンが紙を走る気配、暖炉で火がはぜる音だけが室内に漂っていた。
 冬の朝の冷えがまだ残る空気の中、窓際の席では誰かが背を丸めて本に向かい、中央の机では眠気と戦うように視線を落としている。言葉を交わす者はいない。それぞれが、それぞれの理由でこの時間を選び、ここにいる。

 フィリオン様によって落とされた爆弾への返事はまだ出していないが、俺の中で断るという選択肢などはなから存在していない。
 彼からの申し出にふさわしい家令になるために一刻も早く多くの知識を詰め込みたい。彼の爆弾は俺のやる気の起爆剤となり、朝が弱いはずの俺をここへと導いた。

 しかし不安があるのも事実だった。彼に見初められたことは天にものぼる気持ちになるほど喜びに満ちているが、恋と夢を両立することが難しいのも理解し始めたところだったからだ。
 彼の家令になるならば、彼への恋心は捨てなければならない。恋心を抱えたまま彼の家令になるということがどういうことなのか、夢を抱いた3年前の俺はまだ分かっていなかった。
 3年の月日を得て恋の正体を知った今の俺には分かる。恋心を抱えたまま彼の家令になどなれば、待っているのは地獄だ。今でも地獄にいるような気持ちに苛まれることがあるというのに、さらなる地獄が待っているはずだ。

 伯爵家当主として跡継ぎを残すために間違いなく彼は婚姻を結ぶ。彼の隣に美しい女性が立つのを笑顔で祝福し、彼と彼の妻を支える働きをするのが俺の役目となる。
 フィリオン様への恋情が残ってしまったら、俺は彼の妻となる女性への嫉妬が止まず、何をしでかすか分かったものじゃない。
 自分のことをますます嫌いになっていくだろうし、彼に嫌われる未来すらも引き寄せてしまうだろう。
 いつでも誰にでも優しい彼に、失望と怒りに染まった目で貫かれたときのことを想像するだけで心臓が止まりそうになる。そんな未来だけは絶対に避けたい。
 知識の蓄えとなりそうな本を探しながらそんな決意を再度かため、選んだ本を片手に近くの席に座る。しばらく集中力を本と握りしめる鉛筆に注ぎ、それは予鈴が鳴り響くまで続いた。

 もうそんな時間かと慌てて周りを見回すとぽつぽつと埋まっていた先はがらんどうとしていた。机の上を急いで片付け、鞄を手に持ち図書室を出る。
 走り出そうと足の裏で床を蹴ろうとしたとき、後ろから伸びてきた腕が俺の肩を抱き締めるように包んだ。

「ビンゴ。やっぱここにいたか」
「なっ…ヒューゴ・ファレル!」
「おいおい、正式名で呼ぶなよ。オレのことはヒューゴ様って呼ぶべきだろ?」

 彼は口元だけで笑った。その笑みには遠慮も配慮もなく、俺の反応を気にする素振りもない。不遜という言葉がよく似合う。挑むように歯を見せ、視線は獲物を前にした獣のそれだった。

「な、なんでここに!っていうか、一昨日も何しにわざわざ俺の部屋まで来たんですか!?まさかまだ俺を玩具にして遊ぶつもりですか!?」
「はぁ?あんたとアイツが結ばれるよう、協力するって何回も言ってんだろ。今朝もあんたの部屋まで行ったのにもぬけの殻だったからな。ここにいんだろと試しに寄ってみたが当たりだったわ」

 野性的なのは、体格や仕草だけではない。場の空気を読むよりも先に、自分の本能を信じて動く。その自信が時に無遠慮に映り、人によっては時に抗いがたい魅力となる。
 理屈よりも感覚、秩序よりも衝動――彼はそういう世界で生きてきたのだろうと分かる男だった。

「今日の昼、一緒に食いながら一昨日、部屋でアイツと何があったのか聞かせてもらうぜ。進展してねぇなんてことはねぇよな?」
「なんでそんなことをわざわざあなたなんかに言わないといけないんですか!」
「おっ、その反応はやっぱり何かあったんだな?くくっ、早く聞きてぇ。アイツとのことを思い出しながら語る熱い目を見せてくれよな」

 不遜な笑みの奥には、引くことを知らない意志がある。恐れもためらいも、笑って噛み砕いてきたような強さだ。近づけば火傷をしそうだと分かっているのに、目が離せない。その笑いは警告であり、同時に誘いでもあった。

「んじゃ、昼にな」
「ちょっと!了承してないんですけど!」

 俺の反抗をひらりと躱して颯爽と去っていく背中を眉間に皺を寄せて睨み付ける。しかしすぐに差し迫る時間を思い出し、駆け出した。
 昼休憩の時間が永遠に来なければいいと願いながら、乱れる心を振り払うように風をきった。


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