18 / 34
野性的な男の意外な一面
しおりを挟む最後の教師の言葉が黒板に溶けるように消えた、その瞬間。学園の奥から澄んだ鐘の音が響き渡り、張りつめていた空気がふっとほどけた。椅子がきしみ、机が鳴り、講義室は一斉に息を吹き返す。
窓から差し込む昼の光が、これから始まる自由な時間を告げるように、床を明るく照らしていた。
我先にと食堂に向かう生徒たちの背中を見送りながら、俺の体は椅子に縛り付けられたように動けない。
いつもならば真っ先に食堂に向かう足が少しも動こうとしないのは、この部屋を出たら夕焼け色の彼と顔を合わせてしまう予感をひしひしと感じているからだ。
一昨日とその前の日は食欲がなくほとんど食事を摂らなかったが、フィリオン様にしっかり食べるように言われてからは湯水のごとく食欲が湧いてきて昨日も三食しっかり平らげた。
今日は食べると眠くなるのを防ぐために朝食を抜いて図書室で勉強していたため、今になって空っぽの胃が小さく訴えかけてくる。胸の奥にひゅうと風が吹き抜けるような感覚に、指先まで力が入らない。
早く食事にありつきたい体とは裏腹に心はどんよりと重く、今すぐ目の前に食べ物が降ってきやしないだろうかとバカな妄想をした。
いつまでもこうしているわけにもいかないと腹を括った俺は、席を立ち講義室を出て食堂のある中央棟の廊下に差し掛かろうとしたところで。
「よっ、待ってたぜ」
きらりと犬歯をのぞかせて不遜に笑む男が廊下の死角で手を上げた状態で立っていた。まるで待ち伏せでもしていたかのような光景に、身の毛がよだつ。
「…待ち伏せなんて悪趣味ですね」
「また逃げられちゃ困るからな。オレと食堂に入って話すのは嫌だろうあんたのために、弁当を用意した。どっかで食おうぜ」
そう言って後ろに隠されていた手に掲げられた袋を持ち上げ、小さく揺らして見せる。ほのかに食欲をそそる匂いが袋から漂い、鼻腔と空腹感を擽られた。
弁当を用意してもらえるなんて聞いたことなかったが、貴族としての特権なのだろうかと疑問に思う。しかしそれを訊ねるのは悔しくて、俺はそっぽを向いた。
「用意周到なことですね。俺はあなたと話すことなんて何もありませんが」
「まぁまぁ、そう言うなって。この中身は何だと思う?食堂のメニューにはないトリュフ詰めローストチキンだぜ?食いてぇだろ?」
「ト、トリュフ詰めローストチキン…」
食欲をそそる匂いと料理名に思わず涎が口内に滲む。商人家の俺が食べたことのない貴重な料理名と空腹感には抗えず、ごくりと唾を飲み込んだ。
「なぜそんな高価なものをお弁当に出来たんですか?食堂員に金でも握らせましたか?」
「ちっげーよ。オレが実家から送られてきた食材を使って部屋で作ってきたんだっつーの」
「はぁ!?作った!?あなたが!?」
「おう」
思わず耳を疑い、思考が追いつくより先に喉が弾けた。驚きはそのまま声となって飛び出し、空気を乱暴に切り裂く。自分でも制御できないほどの大声を出してしまった。
傲岸不遜な態度のこの男が剣や書状ならまだしも、包丁を握るなど、世界の理が一つ狂ったかのように感じられる。胸の奥に走ったのは困惑か、それとも妙な感動か。
ただ一つ確かなのは、その事実が、彼という存在をこれまでとはまったく違う色で照らし始めた、ということだった。
信じられない気持ちで本当に作ったのかと聞こうとして、近くにいた生徒たちの視線を集めていることに気付く。
慌てて彼の腕を引っ張り、誰も来なさそうな空き部屋を探すために食堂とは真逆の方向へ足を動かし始めた。
「お、話す気になったか?やっぱ、食欲には勝てねぇよな」
「料理がもったいないから今回は話を聞くだけです!話すとは言ってません」
「へいへい。誰も来ない場所なら良いとこ知ってっから、着いてきな」
それならそうと早く言ってくれ、と言いそうになったが人とすれ違ったので慌てて言葉をのみこむ。
弁当を入れた袋をぶら下げた手とは反対の手をポケットに入れながらふてぶてしく歩く彼の背中を睨み付けながらも、餌に吊られて罠にハマる動物の気持ちさながら、俺は着いていく足を止められなかった。
***
茶色い背中を追いかけてたどり着いた場所は、高い天井と厚い石壁、尖頭アーチ型の窓から差し込む柔らかな自然光が厳かで静謐な空気を作り出している空き教室。
部屋の中央には、木製の脚に大理石の天板を載せた長机がいくつも並び、作業台や食卓として使われていたように感じられる。天板にはひび割れや補修の跡があり、長い年月を経てきたことがうかがえた。
「ここは実験室に使われてたらしいが天井が脆くて破片がポロポロと落ちてくるっつーので今は使われてない。誰も来ねぇし飯食うには机も椅子もあっから、丁度いいだろ」
「校内のこと、お詳しいんですね」
「授業サボって良いヤり部屋になりそうなとこ探してたら見つけた」
その回答に余計なことを言わなければ良かったと後悔が押し寄せ、げんなりとする。
彼はギギィと椅子が床を擦る音など気にせずに荒々しく座り、机の上にドサッと袋を置く。いちいち全ての動作が野生児のような彼は曲がりなりにも男爵令息のはずなのに、本当に貴族なのだろうかと疑ってしまう。
袋から雑にお重箱を2つ取り出した彼は、もったいぶらずに蓋をぱかりと開ける。途端、鶏肉のやわらかな湯気に絡みつくように、土と森を思わせるトリュフの気配が室内に広がる。見た目も綺麗で彼が作ったとはさらに信じられなかった。
「ほら、冷めないうちに食えよ」
「…これ、本当にあなたが作ったんですか?一応貴族ですよね?貴族なのに料理をされるんですか?」
「くくっ、一応貴族…失礼なヤツだが、悪い気はしねぇな。オレは顔も名前も知らねぇ人間の作った料理が食えねぇんだよ。だからいつも寮で自分で作って食ってる」
「寮には台所が備え付けられた部屋もあるとは聞いてましたが、あなたがその部屋に…?普通の料理ならまだしもこんな高価で繊細そうな料理をあなたが…?」
「信じられねーだろうが、まずは食ってみろよ。他人にオレの飯を食わせるのは初めてだが、味は保証するぜ。オレが人生で口にする飯はすべて最高に美味いものじゃなきゃ嫌だと思って作ってるからな」
いまだに半信半疑の俺をおもしろそうな目付きで見るヒューゴ・ファレルに促されるまま、恐る恐るお重箱の中におさめられたローストチキンへと渡された箸を伸ばす。
取りやすいように切られたトリュフが詰められたチキンを一つ摘み、箸を口へと運ぶ。舌にのせて一口噛むと、しっとりとした肉汁の奥から、濃密で気高い風味がゆっくりと舌を満たした。
それは派手に主張する味ではないが、記憶の深いところへ沈んでいく味だった。
知らぬ間に背筋が伸び、食事というより、ひとつの儀式に参加しているような気分になる。
これは間違いなく庶民では作り出せない味だ。粗暴な言動の彼から貴族の一面を感じ、感動すら覚えるものだった。
「す、すごい…美味しい…」
「だろ?オレが作ってんだから当たり前だけどな。こっちにはパンとサラダもあるぞ。パンにチキンを乗せて食ってみろ。さらに美味いから」
「……本当に料理するんですね」
「やっと信じたか?まだ信じられねぇっつーんなら、今度オレが料理してるとこ、目の前で見せてやる」
自信満々な様子で片方の口角を上げながらにやりと笑う彼を口と手を動かしながら見上げる。
空腹を満たしていく絶品料理に舌鼓を打っているうちに絆されそうになり、危うくフィリオン様の忠告を忘れそうになる。
しかしパンにチキンを乗せて口に入れたものをしっかり咀嚼してごくりと飲み込んだあと、咳払いをひとつして気まずさを誤魔化した。
=======
《お詫び》
毎日いいね!やしおりを挟んで頂いたり、お気に入り登録して頂いている皆様、本当にありがとうございます!
短編予定でしたが想定以上に複雑で濃厚な物語となりそうなので長編へと変更いたします。短編だから読み始めて下さった方がいらっしゃったら大変申し訳ありません。
20万文字以内の完結を目指しますがキャラの暴走が予想されるのでお約束出来ないことはお許し下さいm(_ _)m
完結まで毎日投稿は止めませんので今後も彼らの人生を見守って頂けると嬉しいです!
113
あなたにおすすめの小説
六年目の恋、もう一度手をつなぐ
高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。
順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。
「もう、おればっかりが好きなんやろか?」
馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。
そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。
嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き……
「そっちがその気なら、もういい!」
堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……?
倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡
夫には好きな相手がいるようです。愛されない僕は針と糸で未来を縫い直します。
伊織
BL
裕福な呉服屋の三男・桐生千尋(きりゅう ちひろ)は、行商人の家の次男・相馬誠一(そうま せいいち)と結婚した。
子どもの頃に憧れていた相手との結婚だったけれど、誠一はほとんど笑わず、冷たい態度ばかり。
ある日、千尋は誠一宛てに届いた女性からの恋文を見つけてしまう。
――自分はただ、家からの援助目当てで選ばれただけなのか?
失望と涙の中で、千尋は気づく。
「誠一に頼らず、自分の力で生きてみたい」
針と糸を手に、幼い頃から得意だった裁縫を活かして、少しずつ自分の居場所を築き始める。
やがて町の人々に必要とされ、笑顔を取り戻していく千尋。
そんな千尋を見て、誠一の心もまた揺れ始めて――。
涙から始まる、すれ違い夫婦の再生と恋の物語。
※本作は明治時代初期~中期をイメージしていますが、BL作品としての物語性を重視し、史実とは異なる設定や表現があります。
※誤字脱字などお気づきの点があるかもしれませんが、温かい目で読んでいただければ嬉しいです。
【8話完結】僕の大切な人はBLゲームの主人公でした。〜モブは主人公の幸せのためなら、この恋も諦められます〜
キノア9g
BL
転生先は、まさかのBLゲームの世界。
モブであるリセルは、恋を自覚した瞬間、幼馴染・セスがこの世界の“主人公”だと気づいてしまう。
このまま一緒にいても、いつか彼は攻略対象に惹かれていく運命——それでも、今だけは傍にいたい。
「諦める覚悟をしたのに、どうしてこんなにも君が愛おしいんだろう」
恋の終わりを知っているモブと、想いを自覚していく主人公。
甘さと切なさが胸を締めつける、すれ違いから始まる運命の物語。
全8話。
《一時完結》僕の彼氏は僕のことを好きじゃないⅠ
MITARASI_
BL
彼氏に愛されているはずなのに、どうしてこんなに苦しいんだろう。
「好き」と言ってほしくて、でも返ってくるのは沈黙ばかり。
揺れる心を支えてくれたのは、ずっと隣にいた幼なじみだった――。
不器用な彼氏とのすれ違い、そして幼なじみの静かな想い。
すべてを失ったときに初めて気づく、本当に欲しかった温もりとは。
切なくて、やさしくて、最後には救いに包まれる救済BLストーリー。
続編執筆中
なぜ処刑予定の悪役子息の俺が溺愛されている?
詩河とんぼ
BL
前世では過労死し、バース性があるBLゲームに転生した俺は、なる方が珍しいバットエンド以外は全て処刑されるというの世界の悪役子息・カイラントになっていた。処刑されるのはもちろん嫌だし、知識を付けてそれなりのところで働くか婿入りできたらいいな……と思っていたのだが、攻略対象者で王太子のアルスタから猛アプローチを受ける。……どうしてこうなった?
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。
【完結】好きな人の待ち受け画像は僕ではありませんでした
鳥居之イチ
BL
————————————————————
受:久遠 酵汰《くおん こうた》
攻:金城 桜花《かねしろ おうか》
————————————————————
あることがきっかけで好きな人である金城の待ち受け画像を見てしまった久遠。
その待ち受け画像は久遠ではなく、クラスの別の男子でした。
上北学園高等学校では、今SNSを中心に広がっているお呪いがある。
それは消しゴムに好きな人の前を書いて、使い切ると両想いになれるというお呪いの現代版。
お呪いのルールはたったの二つ。
■待ち受けを好きな人の写真にして3ヶ月間好きな人にそのことをバレてはいけないこと。
■待ち受けにする写真は自分しか持っていない写真であること。
つまりそれは、金城は久遠ではなく、そのクラスの別の男子のことが好きであることを意味していた。
久遠は落ち込むも、金城のためにできることを考えた結果、
金城が金城の待ち受けと付き合えるように、協力を持ちかけることになるが…
————————————————————
この作品は他サイトでも投稿しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる