俺の好きな人は誰にでも優しい。

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野性的な男の意外な一面

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 最後の教師の言葉が黒板に溶けるように消えた、その瞬間。学園の奥から澄んだ鐘の音が響き渡り、張りつめていた空気がふっとほどけた。椅子がきしみ、机が鳴り、講義室は一斉に息を吹き返す。
 窓から差し込む昼の光が、これから始まる自由な時間を告げるように、床を明るく照らしていた。

 我先にと食堂に向かう生徒たちの背中を見送りながら、俺の体は椅子に縛り付けられたように動けない。
 いつもならば真っ先に食堂に向かう足が少しも動こうとしないのは、この部屋を出たら夕焼け色の彼と顔を合わせてしまう予感をひしひしと感じているからだ。

 一昨日とその前の日は食欲がなくほとんど食事を摂らなかったが、フィリオン様にしっかり食べるように言われてからは湯水のごとく食欲が湧いてきて昨日も三食しっかり平らげた。
 今日は食べると眠くなるのを防ぐために朝食を抜いて図書室で勉強していたため、今になって空っぽの胃が小さく訴えかけてくる。胸の奥にひゅうと風が吹き抜けるような感覚に、指先まで力が入らない。
 早く食事にありつきたい体とは裏腹に心はどんよりと重く、今すぐ目の前に食べ物が降ってきやしないだろうかとバカな妄想をした。
 いつまでもこうしているわけにもいかないと腹を括った俺は、席を立ち講義室を出て食堂のある中央棟の廊下に差し掛かろうとしたところで。

「よっ、待ってたぜ」

 きらりと犬歯をのぞかせて不遜に笑む男が廊下の死角で手を上げた状態で立っていた。まるで待ち伏せでもしていたかのような光景に、身の毛がよだつ。

「…待ち伏せなんて悪趣味ですね」
「また逃げられちゃ困るからな。オレと食堂に入って話すのは嫌だろうあんたのために、弁当を用意した。どっかで食おうぜ」

 そう言って後ろに隠されていた手に掲げられた袋を持ち上げ、小さく揺らして見せる。ほのかに食欲をそそる匂いが袋から漂い、鼻腔と空腹感を擽られた。
 弁当を用意してもらえるなんて聞いたことなかったが、貴族としての特権なのだろうかと疑問に思う。しかしそれを訊ねるのは悔しくて、俺はそっぽを向いた。

「用意周到なことですね。俺はあなたと話すことなんて何もありませんが」
「まぁまぁ、そう言うなって。この中身は何だと思う?食堂のメニューにはないトリュフ詰めローストチキンだぜ?食いてぇだろ?」
「ト、トリュフ詰めローストチキン…」

 食欲をそそる匂いと料理名に思わず涎が口内に滲む。商人家の俺が食べたことのない貴重な料理名と空腹感には抗えず、ごくりと唾を飲み込んだ。

「なぜそんな高価なものをお弁当に出来たんですか?食堂員に金でも握らせましたか?」
「ちっげーよ。オレが実家から送られてきた食材を使って部屋で作ってきたんだっつーの」
「はぁ!?作った!?あなたが!?」
「おう」

 思わず耳を疑い、思考が追いつくより先に喉が弾けた。驚きはそのまま声となって飛び出し、空気を乱暴に切り裂く。自分でも制御できないほどの大声を出してしまった。
 傲岸不遜な態度のこの男が剣や書状ならまだしも、包丁を握るなど、世界の理が一つ狂ったかのように感じられる。胸の奥に走ったのは困惑か、それとも妙な感動か。
 ただ一つ確かなのは、その事実が、彼という存在をこれまでとはまったく違う色で照らし始めた、ということだった。

 信じられない気持ちで本当に作ったのかと聞こうとして、近くにいた生徒たちの視線を集めていることに気付く。
 慌てて彼の腕を引っ張り、誰も来なさそうな空き部屋を探すために食堂とは真逆の方向へ足を動かし始めた。

「お、話す気になったか?やっぱ、食欲には勝てねぇよな」
「料理がもったいないから今回は話を聞くだけです!話すとは言ってません」
「へいへい。誰も来ない場所なら良いとこ知ってっから、着いてきな」

 それならそうと早く言ってくれ、と言いそうになったが人とすれ違ったので慌てて言葉をのみこむ。
 弁当を入れた袋をぶら下げた手とは反対の手をポケットに入れながらふてぶてしく歩く彼の背中を睨み付けながらも、餌に吊られて罠にハマる動物の気持ちさながら、俺は着いていく足を止められなかった。

***

 茶色い背中を追いかけてたどり着いた場所は、高い天井と厚い石壁、尖頭アーチ型の窓から差し込む柔らかな自然光が厳かで静謐な空気を作り出している空き教室。
 部屋の中央には、木製の脚に大理石の天板を載せた長机がいくつも並び、作業台や食卓として使われていたように感じられる。天板にはひび割れや補修の跡があり、長い年月を経てきたことがうかがえた。

「ここは実験室に使われてたらしいが天井が脆くて破片がポロポロと落ちてくるっつーので今は使われてない。誰も来ねぇし飯食うには机も椅子もあっから、丁度いいだろ」
「校内のこと、お詳しいんですね」
「授業サボって良いヤり部屋になりそうなとこ探してたら見つけた」

 その回答に余計なことを言わなければ良かったと後悔が押し寄せ、げんなりとする。
 彼はギギィと椅子が床を擦る音など気にせずに荒々しく座り、机の上にドサッと袋を置く。いちいち全ての動作が野生児のような彼は曲がりなりにも男爵令息のはずなのに、本当に貴族なのだろうかと疑ってしまう。
 袋から雑にお重箱を2つ取り出した彼は、もったいぶらずに蓋をぱかりと開ける。途端、鶏肉のやわらかな湯気に絡みつくように、土と森を思わせるトリュフの気配が室内に広がる。見た目も綺麗で彼が作ったとはさらに信じられなかった。

「ほら、冷めないうちに食えよ」
「…これ、本当にあなたが作ったんですか?一応貴族ですよね?貴族なのに料理をされるんですか?」
「くくっ、一応貴族…失礼なヤツだが、悪い気はしねぇな。オレは顔も名前も知らねぇ人間の作った料理が食えねぇんだよ。だからいつも寮で自分で作って食ってる」
「寮には台所が備え付けられた部屋もあるとは聞いてましたが、あなたがその部屋に…?普通の料理ならまだしもこんな高価で繊細そうな料理をあなたが…?」
「信じられねーだろうが、まずは食ってみろよ。他人にオレの飯を食わせるのは初めてだが、味は保証するぜ。オレが人生で口にする飯はすべて最高に美味いものじゃなきゃ嫌だと思って作ってるからな」

 いまだに半信半疑の俺をおもしろそうな目付きで見るヒューゴ・ファレルに促されるまま、恐る恐るお重箱の中におさめられたローストチキンへと渡された箸を伸ばす。
 取りやすいように切られたトリュフが詰められたチキンを一つ摘み、箸を口へと運ぶ。舌にのせて一口噛むと、しっとりとした肉汁の奥から、濃密で気高い風味がゆっくりと舌を満たした。
 それは派手に主張する味ではないが、記憶の深いところへ沈んでいく味だった。
 知らぬ間に背筋が伸び、食事というより、ひとつの儀式に参加しているような気分になる。
 これは間違いなく庶民では作り出せない味だ。粗暴な言動の彼から貴族の一面を感じ、感動すら覚えるものだった。

「す、すごい…美味しい…」
「だろ?オレが作ってんだから当たり前だけどな。こっちにはパンとサラダもあるぞ。パンにチキンを乗せて食ってみろ。さらに美味いから」
「……本当に料理するんですね」
「やっと信じたか?まだ信じられねぇっつーんなら、今度オレが料理してるとこ、目の前で見せてやる」

 自信満々な様子で片方の口角を上げながらにやりと笑う彼を口と手を動かしながら見上げる。
 空腹を満たしていく絶品料理に舌鼓を打っているうちに絆されそうになり、危うくフィリオン様の忠告を忘れそうになる。
 しかしパンにチキンを乗せて口に入れたものをしっかり咀嚼してごくりと飲み込んだあと、咳払いをひとつして気まずさを誤魔化した。



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《お詫び》
毎日いいね!やしおりを挟んで頂いたり、お気に入り登録して頂いている皆様、本当にありがとうございます!
短編予定でしたが想定以上に複雑で濃厚な物語となりそうなので長編へと変更いたします。短編だから読み始めて下さった方がいらっしゃったら大変申し訳ありません。
20万文字以内の完結を目指しますがキャラの暴走が予想されるのでお約束出来ないことはお許し下さいm(_ _)m
完結まで毎日投稿は止めませんので今後も彼らの人生を見守って頂けると嬉しいです!

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