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夢の紐の端を掴んだ瞬間
しおりを挟む放課後の廊下は、昼間とは別の顔をしていた。誰もいなくなった教室の扉が、静かに並んでこちらを見送る。アーチ状の窓から差し込む夕方の光が床に長い影を落としていた。
俺は寒々しい廊下を歩きながら、一つ一つの教室や講義室を覗いては落胆するということを繰り返していた。フィリオン様にあなたの家令になりたいと直接お返事をするためだ。
しかし彼に会おうと思って会いに行ったことはない。会う約束をしたこともない。いつだって彼と会うのは偶然で、日常の中に突然現れる幸運な出来事だった。
昼間のヒューゴ・ファレルの話を聞いてからずっとそわそわとして気分が落ち着かない。一昨日のお誘いの返事を少しでも早く返したかった。
時間が経てば経つほど、なぜ俺はあのとき、すぐにでも了承の返事をしなかったのだと自分を叱責している。後悔が胸を満たす前に、彼を見つけたかった。
しかしこうしてフィリオン様を探し始めて早1時間。元々幻のような存在だった彼を広い学園内で見つけるのは至難の業だった。
この時になって俺は初めて、好きな人のことを何も知らないのだと知り、打ちのめされる。彼がよく行く場所も、お気に入りの場所も、放課後は何をしているのかも、俺は何一つ知らない。
彼に見つけてもらい、声をかけられて交わす会話の中で、いつも俺は彼からの優しさを貰ってばかりだった。俺から彼へ、何かを聞くことは不躾だと思い、聞かれるがまま答えていただけだった。
もっとフィリオン様についていろんなことを聞いておけば良かったと思いながら、すっかり日を落として暗くなった廊下を歩く。
さすがにもう校内にはおらず、夕食を食べに食堂にいるのかもしれない。そう思ったら足は自然と食堂へ向いていた。
しかしその足も次第に自信をなくしてゆったりとした足取りになる。なぜなら、彼を食堂で見かけたことがないからだ。
貴族科の生徒や、実家が男爵家以上の高位貴族の生徒の部屋は一人部屋だと聞く。ヒューゴ・ファレルが自室で料理をしているくらいなのだから、彼も食堂の料理ではなく自室で食べているのかもしれない。
学園内にシェフがいるとは考えにくいが、彼ほどの優秀な人なら特別待遇があってもおかしくはない。
一応食堂をのぞいてもしいなければ今日は諦めて、夕食を食べて寮に戻ろうと思い直す。
食堂に着くと扉を開けてそっと中をのぞいた。学園の食堂は放課後の名残を抱えたまま、ざわめいている。食器の触れ合う音、笑い声、湯気に混じる温かな匂い。そこには授業とは違う、生徒たちの素の時間が流れていた。
ぐるりと中を視線だけで見回すが、フィリオン様の姿はやはり見当たらない。彼がどこにいたって、米粒ほどの小ささになるほど遠くにいたって、俺には彼だと分かる自信がある。
もちろん彼が食堂内にいたのなら彼のいる辺りだけ輝いて見えるはずだ。あんなにも分かりやすいほどの存在感を放つ人なのだから。
とうとう今日は見つからなかったか、と落胆する気持ちを抱えながら扉の先へと入り、夕食を摂ることにした。
「あれ、ロランじゃん。お疲れ」
「ピート、お疲れ。今日のメニューなに?」
「シチューとパン。どうしたんだよ、何か元気ないな」
「うん…ちょっと」
「話だけなら聞くぞ」
時折ドライな一面を見せるが気取らない優しさを見せるピートに頷いてみせ、シチューとパンを乗せたトレーを手に持ち隣の席に座る。
ピートと共に食べていた神学科の生徒らしい人たちの姿はすでに消えている。ピートのトレーに乗っているのは空の器たちだけだった。
「どうしたんだ?暗い顔をして。どうせまたフィリオン様絡みの話だろうけど」
「当たり。フィリオン様にお伝えしたいことがあって放課後ずっと探していたんだけど見つからなくて。一刻も早く伝えたいのにフィリオン様に会う方法が分からなくて途方に暮れてる」
「あーなるほどな。確かに会うとしたら偶然しかないもんな」
「そうそう。一か八か食堂にいないかと来てみたけどいなかったし、また明日探してみる」
「あの方、いつもどこで飯食べてるんだろうな。不思議だよな~」
下手に慰めることはせず共感できる話題を振ってくれるピートといつもの調子でしばらく会話を続ける。俺が半分ほど食べ終わったというところでピートはトレーを持って椅子から立ち上がった。
「じゃ、俺は先に部屋に帰るわ」
「ここまでいたのに最後まで待っててくんないのかよ」
「神学科の課題があってな。一度部屋に帰るけどその後教会でやることあるから、ロランが戻ってくる頃には部屋にいないかも」
「了解。頑張って」
「ありがと」
一人席に取り残された俺は黙々と食事を進める。普段あまり人間観察をしないが、今日は食堂内を不自然にならない程度に見回して生徒たちを観察する。
貴族の生徒が少ないのかどうか、意識して見てみようと思ったのだ。しかし服装を見るかぎり、貴族も平民も入り乱れている気がする。貴族だからと言って貴族全員が食堂を使わないわけがないか、と考え直した。
ますますフィリオン様の食事事情が気になってきたところでシチューとパンを食べ終え、俺も部屋へと戻るために足を向けた。
***
鍵を開けて室内に入るとピートの言っていた通り、部屋はもぬけの殻だった。荷物を机の上に置いてどさりとベッドに寝転がると一日の疲れを逃がすように大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐く。
お風呂に入らないといけないと思いながらも、一昨日に引き続き情報量が多く気疲れを起こす一日だったせいか、一度横たえた体は中々言うことを聞かない。
ヒューゴ・ファレルとの昼間の会話を思い出し、彼の提案に頷いたものの不安は拭えない。あんな提案が本当に役に立つのだろうか、騙されていないだろうかと夜の静けさのせいか、心配になってきた。
窓の外からは遠くで風に揺れる木々の音が、室内からは規則正しい時計の秒針の音が聞こえてくる。
その音に誘われるように目を瞑り、思考がとろんと落ちてくる。もう少しで意識が静かに沈みかけた、そのときだった。
不意に、扉を叩く乾いた音が闇を割った。はっと目を開くと、心臓だけが取り残されたように早鐘を打つ。聞き覚えのあるリズムのせいだった。
夢と現実の境目で揺れながら、俺はそのノックの余韻に耳を澄ませた。夜の静けさの中、その音だけがやけに鮮明だった。
ノックをするということはピートではない。最近の訪問者を2人思い浮かべ、どちらだろうかと考えながらもその実、答えは分かっていた。僅かに緊張で体を強張らせながらベッドから起き上がり、扉を開けた。
「やぁ、ロラン。一昨日ぶりだね」
「フィリオン様…!ど、どうぞ!」
「ありがとう」
扉の先に現れた顔を視界に捉えた瞬間、緊張の中に嬉しさが混じる。一昨日と同じように彼を室内へと迎え入れ、当たり前のように彼は俺のベッドの上に座った。
「夜にすまないね。一昨日の返事がどうにも気になってしまって。気付いたらここへ足が向いていたんだ」
「むしろ嬉しいです!俺も早くお誘いのお返事をしたかったので…!」
放課後の時間を使ってずっと探していた彼から再び会いに来てくれるとは。まるで俺の願いが届いたようだ。
「その様子だと良い返事を期待してもいいのかな」
「もちろんです!本当は最初から答えなど決まっていたのですぐにでもお返事するべきだったのに、あまりに驚きすぎてお待たせしてしまい申し訳ありません」
「いや、大丈夫だよ。急な話だっただろうし、驚くのも無理はない。それで、私の家令になってくれるのかい?」
「喜んでお引き受けします!実はフィリオン様と出会ってからすぐにあなたの家令になることを夢見ていたんです!こちらこそぜひよろしくお願い致します…!」
「良かった。まだ先の話かもしれないけどこちらこそよろしくね、ロラン」
「はい…!」
彼は少しだけ目を細め、穏やかな笑みを浮かべた。その声音は柔らかく、肩の力がすっと抜ける。胸の奥に、温かなものがすごい勢いで広がっていくのを感じた。
届かないと思っていた夢の紐の端を、掴んだ瞬間だった。俺はこれから、決してこの紐から手を離さない。
どんなに強い風が吹いて振り落とされそうになっても、どんなに強い雨が全身を叩きつけても、どんなに紐を掴む手が痺れても。
俺は決してこの手繰り寄せた夢の紐を離さないと、心に誓った。
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