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1章
4 そう「異世界」
しおりを挟む一体何が起きているのか。
悪い冗談か、夢なのではないかと必死で考えた。心臓がバクバクと鳴っている。
変な宗教団体の敷地内に迷い込んだのだろうか。服装も持ちものもこの馬車も、全てが現代の日本では考え難いものだった。
どうしたらいいのかわからない。逃げだそうにも、縛られていてはどうしようもなかった。
絶望感に馬車の後ろに流れていく道を呆然と眺める。
「おじさん、大丈夫?」
幼い声が聞こえて、驚きつつも声のした方に顔を向けると、小学生くらいの男の子がこちらを見ていた。
「君、この腕を……!」
解いてくれ、と言おうとした言葉は驚きのあまりそこで途切れる。
薄暗い馬車の中で、こちらを覗き込んだ男の子の頭に獣の耳が生えていたのだ。
「うそ……だろ……」
ありえない、ありえない! ありえない!!
健介の思考はそこでショートした。
気絶したとかではない。まさに考えるのを放棄したのだ。心配そうに覗き込んで話しかけてくる男の子も、馬車の後ろから見えた人里の景色も、聞こえていたし、見えてはいた。舗装のされていない道、街灯一つ灯らない人里。なんなら、止まった馬車を覗き込む男の手には松明が握られていても、健介の脳みそには何一つ入ってこなかった。
そうして、止まった馬車から引きずり出されて、立てと言われても立たず、再度頬を張られたが、それでも呆然と道に横たわっていたら、再びずるずると引き摺られて、鉄格子のはまった薄汚い小屋のなかに押し込まれた。
翌日には着ていたスーツも脱がされて、腕時計も取られた。代わりに投げ込まれた服は服と呼ぶにはあまりにも粗末な、汚れほつれた布だった。
感覚と感情を切り離し、見えているようでいて見ておらず、聞こえてくる音にも耳を傾けず、現実から意識を逃避させて、何も考えずに無になる。
無になるのは得意だ。
何せブラック企業で鍛えられている。だが、それよりも遥かに悲惨な状況で、健介はこの現実を受け入れられなかった。
一緒の部屋には、同じ馬車に乗っていた、獣の耳を持った男の子と、それと同じ歳くらいの子供と女性が数名。
流石の健介もこれが現実で、ここが日本……どころか地球ですら無いことを受け入れざるを得なかった。
言うなれば──そう、「異世界」にいたのだ。
「おい、ケン。聞いてるか?」
医者の呼ぶ声で意識を戻す。
「あ、あぁ……聞いていますよ。で、ダイニセイってなんでしたっけ?」
「聞いてないじゃないか」
呆れたように、ため息をついて医者は机から視線を健介に向ける。
「おいおい、いくら記憶が無いからって常識だぞ。男女……雄雌以外に、domとsubがある。その第二の性別、ダイナミクスだよ。人も獣人もその他の亜人種もあるあれだ」
「その」も「あれ」もなにも、そんな常識がない世界で生きてきたのである。記憶があろうがそんな常識を知るわけがない。
医者が説明するに、健介でも知っている男女という性別以外に、この世界にはdomと subという、第二の性別が存在するらしい。
しかも、それは全ての人型の生き物にあらわれる可能性があるが、全員にあらわれるわけではない。domは人口の約二割、subはそれよりも少なく約一割半。それ以外の人はnormalといって、ダイナミクスがあらわれない。
そう、人口の半数以上はダイナミクスを持たないのだ。
(なんで! 俺はnormalじゃ無いんだ!!)
健介は心の中で叫んだ。
この世界の生き物では無い自分が、どうしてそんな特殊なものを発現させるのか。
自分が今いる場所が異世界だとわかったとき、思ったものである。
異世界転生といえば、自分の知っているゲームや小説、アニメの世界に行くのが定石ではないか──と。
しかし、自分の読んだことのある小説やプレイしたことのあるゲームにはこんな世界は存在しなかった。
全くの無知。この世界に関する情報は健介の頭の中には無かった。
それと同時に、こうとも思った。異世界転生といえば、ハーレムかチートだろう──と。
それも、こちらの世界に来てから何ヶ月も過ごしたが、それらしい能力は発現していない。
美醜の価値観が逆転している。
ということもなく、自分は平凡で冴えない本当にそこら辺にいるモブだった。能力も無い、金も地位も無い。いろんな意味でモブである。
いや、百歩譲って(譲っているのかわからないが)その感覚がそのままだったのは良かったのかもしれない。
目が覚めたら転生していて、貴族の三男だったり、六男だったり、召喚の儀式で招かれた世界を救う聖女ならいざ知らず、いきなりぽっと寧ろ、ぺっと吐き出されるように、別の世界に放り出された身としては、美醜が逆転していた日には、奴隷商にそのままどっかの好事家に売り飛ばされて、首に鎖を付けられて、昼夜問わず、性的な奉仕を強要されていたかもしれない。
まあ、性的な奉仕は求められなかったが、人買いにつかまってはいたわけだが──。
この世界のどこかで、聖女が召喚されていて、それに巻き込まれたのか、なんなのか。何かの力に目覚めるのか。なんでここに来たのかは全く一ミリもわからないが、いきなり森の中で目を覚ました身としては、この平凡な冴えないモブ顔に感謝こそすれ、悲しむことなど何もないのだ。
「静かに暮らす」
これこそが健介にとって至上の命題なのである。
ハーレムとかチートとかなくて、本当に良かったのである。
よく考えてみて欲しい。
いきなり知らない土地(どころか世界)で、「貴方はこの世界の救世主です。この世界を救ってください」とか普通に生きていたらどんなメンタルで受け入れられるというのだ。
ああいうのは、お話の世界だから成り立つわけだし、ましてや自分の身にそんなことが降りかかったとして、異世界に来たことでいっぱいいっぱいなのに、世界なんて救えるはずがない。
もう、自分の中でのイレギュラーはこれ以上要らないのだ。
な・の・に。
「ダイニセイ」って……。
どういうことだよ。
この世界の神がいるとして、いったい俺が何をしたっていうんだ!?神も仏もあったもんじゃない。
そう健介は思った。
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