43 / 1,121
異母様 5
しおりを挟む
その夜のこと。
母に手を引かれ歩く最中、揺すられて目を開くと、サヤが覗き込んでいた。
「ああ……ありがとう……。おかげで水に沈まず済んだよ」
「大丈夫ですか?」
「うん。歩いてるうちに起こしてくれるから……結構気分的にも助かってる」
水の中で意識を手放すまでを見てしまうと、さすがに辛いのだ。死の瞬間を追体験させられているみたいで……。
しかも、最後の最後に考えるのは、いつも自分をいらないのと聞く自分の記憶だ。必要とされないことを、無理矢理認識させられる。
「お水でも飲みますか」
サヤが、水差しの水を湯飲みに注いでくれたので、礼を言ってそれを受け取る。
一気に飲み干して、一息ついた。
「はぁ、生き返った。
なんか文字通りな感じで」
「冗談になってません……」
眉間にしわを寄せるサヤに、ははっと笑って俺は湯飲みを小机に置いた。
昼の大泣きをまだ気にしているのか、サヤは敬語をやめてくれない。
仕方がない。俺から折れるか。
「サヤ、ちょっと話をしよう。
まだ少し、眠れそうにないんだ」
嘘だ。サヤが起こしてくれたから、精神的な消耗も少なくそんなに辛くない。けど、サヤと話がしたかったのだ。
俺の言葉に、サヤは逡巡してから、コクリと頷いた。そして、一旦寝室を出て、椅子を一つ持って帰ってくる。
それを寝台横に置いたので、俺も寝台から足を下ろし、座ることにして、羽織を纏った。
小机の蝋燭に灯を灯し、それを戻してから、サヤを見る。
視線を俺から逸らしていて、なんか若干、頬が赤い。俺が笑うと、もう! と、怒った。
「ごめん、笑うつもりは無かったんだ。ただなんか……サヤが十六歳らしく見えて……。河川敷の話をしてくれた時の顔より、今の方が良いなと思ったんだよ」
俺がそう言うと、途端にサヤの顔が強張った。ああ、その顔だよ。何かに責められているような顔。
「なんでそんな、辛そうな顔をするのか……気になったんだ。
サヤが話してくれたことは、とても素晴らしい内容だった。
これからの氾濫対策に、きっと役立つ。サヤの言ったままをその通りするとは限らないけど。
……サヤは良いことをしたんだよ?誰も責めてない……」
「でも……畑の持ち主の方は……」
「畑はね、言い方は悪いけど、どうとでもなる。
別の場所に新しい畑を与えても良いし、お金を渡すこともできる。
代々の畑を手放すのは辛いことだけど、命より尊いものはない。
でも……サヤが気にしてるのは、そのことだけじゃ、ないんじゃない?」
言葉を続ける間、サヤの顔から視線は逸らさなかった。
畑の持ち主にちゃんと報いると言っても、命より価値のあるものはないと言っても、サヤの顔は強張ったままだった。
だから、きっと気になってるのはそれだけじゃない。
「話せないこと? 俺は、サヤに我慢して欲しくない。ハインも言ったろう?
今サヤは、我慢してるように見える。俺は、怒るよ?」
念を押すと、サヤがそれは嫌だと言うようにこちらを見た。
膝の上で、握られた拳が白くなっている。
その手に触れると、案の定冷たくなっていて……俺はその手を、自身の手で包んだ。
「なら、話して」
「……嫌です。きっとレイシールさんには……分からないです」
「そうかもね。でも、聞いてみないとやっぱり、分からないから。
ああ、あとそれだ。そのレイシールさんっていうのも、やめようか。
仕事以外の時は、レイって呼んで。友人は、みんなそうだから」
「……友人?」
「仕事以外だろ?なら、そうじゃない?」
俺はサヤが好きだけれど、サヤはそうじゃないだろう。カナくんがいるし……俺は情けない部分ばかり、サヤに晒しているから。
ならせめて、友人でありたかった。
サヤは暫く悩んでから……「レイさん……」と、言ったから「レイ」と、訂正しておく。
「俺はサヤを呼び捨てしてるんだ。サヤだってしろよ。サヤには身分も関係ないだろ?」
「人を呼び捨てにしたことない……」
「なら、俺で慣れてくれれば良いよ。嫌ならくん付けでも良いけど……いや、それはなんか違和感あるな……やっぱり呼び捨てがいい」
「我儘や……」
そんなやりとりをしてる間に、サヤの顔の強張りは若干取れて、手も少し、温まった。
そして、溜息を吐いてから「れい」と、呼んでくれた。
「なに?」
「……呼んだだけやのに……。もうええ。レイは、我儘さんやね」
「そうだよ。俺は俺の周りが笑ってないのが嫌だからね」
「……話さんと、手も離してくれへんのん?」
「この前はサヤがそうしたろ。仕返しだよ」
そこでやっとサヤの顔が少しだけ笑う。
俺はそのまま待った。サヤが話すのを。
「……怖いなて、思ってん」
サヤの口が、やっと言葉を紡ぐ。
「私が言うたこと、ちゃんと合うてるやろか……役に立つんやろか……そう思うたら、怖ぁなって……しもうたの。
私の国にも水害はあって、毎年のように、どこかで氾濫が起こる。せやから、私の言うたものが、絶対ではないやろ?自然災害は……人の手には余る」
「うん。そうだね」
「せやけど、このままよりはマシやて、思った……。土のままより土嚢の方が有効なはずやて。
けど……私は、自分で作ってみたことがない……実物を、見たことすらない……。人に聞いたり、テレビで見たり、ただ知識として、知っとるだけや……。確信が、持てへんのに……教えてええんやろか……って」
俺の知らない言葉がいくつか混ざっていたけれど、言いたいことの意味は伝わった。
だから、握る手に力を込める。言っていい。そのまま続けて良いんだ。
「もし、失敗してもたら? 全然あかんくて、川が溢れてしもたら? 私……どないしたらええんやろ……。
もしかしたら、誰か死ぬかもしいひんのに……村の人たちはみんな良い人で……助けたい、力になりたいって、思った。せやけど、私の言うたことが、間違うてて、それで失敗してしもたら……っ」
「サヤの所為じゃない」
サヤの手が、小刻みに震え出したので、俺は言葉を遮って、サヤを引き寄せた。
背中に手を回し、抱きしめる。
そんなことだろうと、思っていた。サヤは優しいから、全部自分の肩に乗せるつもりでいたのだ。
「決めるのはサヤじゃない。俺だからね。
サヤの意見を聞きはした。有効かどうかを判断して、決めるのは俺だよ。
だから結果は、サヤの所為じゃない」
力を込めて、サヤを抱きしめる。
嫌がったら、止める気でいたけれど、サヤは拒まなかった。
だからそのまま、背中をポンポンと叩く。
十六歳の女の子に……そんなもの背負わすわけないじゃないか。
たまたまここに引っ張り込まれてしまっただけの、異界の少女。普通は、自分のあずかり知らない世界のことなんて、気にする必要ないのだ。安全な場所で、ただ帰る日を待っていることもできる……。
なのに、この子は、自分できちんと立つだけでなく、周りまで、支えようとする。
なんて素晴らしい子なんだろう。そして、そんな姿にたまらなく惹かれた。
カナくんが羨ましい……サヤと同じ世界に生まれた彼が……。サヤの気持ちを、持っている彼が……。
「ありがとうサヤ。あとは、俺の仕事だ。サヤの教えてくれたことを、ちゃんと活かすように考えるよ。無駄にしない。だから……サヤもそれを、手伝ってくれると、嬉しい」
「……レイって…………」
「ん?」
「な、何も言うてないっ。
……も、もう大丈夫やし……その……」
「ああ、そうか」
背中に回していた手を離す。
少し名残惜しい感じがしたけれど、そこはぐっと堪える。変態になっては駄目だ。
若干乱れた夜着と羽織を、サッと直しつつ、サヤがこちらを気にする素振りを見せたので、俺はあらぬ方向に顔を向けておいた。見られたくないのだと思ったのだ。
暫くそうしていて、もう大丈夫かなと思ったので、視線を戻す。
少し、赤くなった顔のサヤが、俯き気味に「おおきに」と言った。
「……前から気になってたんだけど……オオキニって……お礼で合ってる?
何となくそんな場面で使うなとは思ってたんだけど、確信持てなくてさ」
俺がそう聞くと、赤くなってた顔がぽかんと、口の空いた間抜けな顔になった。
「知らんまま聞き流しとったん⁈」
「いや……だって聞けないような時にばっかり言うから。
サヤの訛りは特殊なんだよ。不思議な言葉や呪文が多すぎて、疑問だらけでさ。気にしてる間に他の言葉に移るんだ」
「まだ他にも⁈」
「沢山ありすぎます。デンワとか、テレビとか、カンニンとか、なんかもっと長いのも沢山あるだろ」
「そこは訛りと違う。単語。物の名前。訛りはかんにんだけやで?」
「ええっ」
もう! と、サヤが怒った顔になって、それから笑った。
暫くクスクスと笑ってから、ふんわりと……またアミ神みたいな優しい笑みを浮かべる。
「レイは……気ぃ使いやね」
そう言うのだ。
「まただ。俺は別に気を使ってるわけじゃ……!」
「ええの。本人には分からへんことや」
そう言って俺の手を握る。……え?
「寝なさい」
……そう来たか…………。
「もう結構、夜更かししてしもたから……。
おおきに。ありがとう……レイ」
ふんわり優しい笑顔のままで、サヤがそう言う。囁くように。
「分かったよ……ちゃんと寝れるから。子供みたいに手は握らなくていい」
恥ずかしくなってしまってそう言って、布団に潜る。
その俺にサヤは「おやすみ」と声をかけてから蝋燭を吹き消し、寝室を出て行った。その後パタンと、部屋の扉が閉まる音が微かに聞こえる。
サヤが部屋に帰り着いたであろう時間を待って、それから口を押さえた。
ううぅ……可愛いなんてもんじゃない……。
言葉にしてしまうと聞こえてしまいそうなので、頭の中だけで唸る。
力になりたいと言ってくれて、俺のために泣いてくれて、村の為に一生懸命になってくれる。
汗まみれ、泥まみれで村人と一緒に作業し、自分のことのように彼らを心配してくれる……。
時間の問題だった……どう足掻いても、きっと好きになってた……。サヤは美しい娘だと思う。だけど……見た目じゃなくて、気持ちがそうだと思うのだ。
おかしいな……社交会で、美しく着飾った女性は沢山見てる。踊りだって一緒に踊るのに……惹かれる人はいなかった。まあ、貴族に興味なかったから……でも、そういうならサヤだって、ここの世界の人間じゃない……そもそもはじめから、そんな目で見るつもりなんて無かったはずなのに……。
駄目だ……考えたらどんどん好きになりそう……いやもう取り返し付かない感じだけど……。
サヤのことを考えながら、そのうち眠ってしまったのだが……朝方、ひどい悪夢で飛び起きた。
波紋の広がる鏡の向こうで、サヤが誰かと手を繋いでいるのだ。
嬉しそうに微笑んで……寄り添うように佇む二人。
何か楽しそうに話していて、そのうちこちらに気づいて……ひらひらと、手を振った。
「…………もう、無理かも……」
こんな平和な、幸せそうな夢を悪夢と感じたなんて……。
俺は末期だ。
母に手を引かれ歩く最中、揺すられて目を開くと、サヤが覗き込んでいた。
「ああ……ありがとう……。おかげで水に沈まず済んだよ」
「大丈夫ですか?」
「うん。歩いてるうちに起こしてくれるから……結構気分的にも助かってる」
水の中で意識を手放すまでを見てしまうと、さすがに辛いのだ。死の瞬間を追体験させられているみたいで……。
しかも、最後の最後に考えるのは、いつも自分をいらないのと聞く自分の記憶だ。必要とされないことを、無理矢理認識させられる。
「お水でも飲みますか」
サヤが、水差しの水を湯飲みに注いでくれたので、礼を言ってそれを受け取る。
一気に飲み干して、一息ついた。
「はぁ、生き返った。
なんか文字通りな感じで」
「冗談になってません……」
眉間にしわを寄せるサヤに、ははっと笑って俺は湯飲みを小机に置いた。
昼の大泣きをまだ気にしているのか、サヤは敬語をやめてくれない。
仕方がない。俺から折れるか。
「サヤ、ちょっと話をしよう。
まだ少し、眠れそうにないんだ」
嘘だ。サヤが起こしてくれたから、精神的な消耗も少なくそんなに辛くない。けど、サヤと話がしたかったのだ。
俺の言葉に、サヤは逡巡してから、コクリと頷いた。そして、一旦寝室を出て、椅子を一つ持って帰ってくる。
それを寝台横に置いたので、俺も寝台から足を下ろし、座ることにして、羽織を纏った。
小机の蝋燭に灯を灯し、それを戻してから、サヤを見る。
視線を俺から逸らしていて、なんか若干、頬が赤い。俺が笑うと、もう! と、怒った。
「ごめん、笑うつもりは無かったんだ。ただなんか……サヤが十六歳らしく見えて……。河川敷の話をしてくれた時の顔より、今の方が良いなと思ったんだよ」
俺がそう言うと、途端にサヤの顔が強張った。ああ、その顔だよ。何かに責められているような顔。
「なんでそんな、辛そうな顔をするのか……気になったんだ。
サヤが話してくれたことは、とても素晴らしい内容だった。
これからの氾濫対策に、きっと役立つ。サヤの言ったままをその通りするとは限らないけど。
……サヤは良いことをしたんだよ?誰も責めてない……」
「でも……畑の持ち主の方は……」
「畑はね、言い方は悪いけど、どうとでもなる。
別の場所に新しい畑を与えても良いし、お金を渡すこともできる。
代々の畑を手放すのは辛いことだけど、命より尊いものはない。
でも……サヤが気にしてるのは、そのことだけじゃ、ないんじゃない?」
言葉を続ける間、サヤの顔から視線は逸らさなかった。
畑の持ち主にちゃんと報いると言っても、命より価値のあるものはないと言っても、サヤの顔は強張ったままだった。
だから、きっと気になってるのはそれだけじゃない。
「話せないこと? 俺は、サヤに我慢して欲しくない。ハインも言ったろう?
今サヤは、我慢してるように見える。俺は、怒るよ?」
念を押すと、サヤがそれは嫌だと言うようにこちらを見た。
膝の上で、握られた拳が白くなっている。
その手に触れると、案の定冷たくなっていて……俺はその手を、自身の手で包んだ。
「なら、話して」
「……嫌です。きっとレイシールさんには……分からないです」
「そうかもね。でも、聞いてみないとやっぱり、分からないから。
ああ、あとそれだ。そのレイシールさんっていうのも、やめようか。
仕事以外の時は、レイって呼んで。友人は、みんなそうだから」
「……友人?」
「仕事以外だろ?なら、そうじゃない?」
俺はサヤが好きだけれど、サヤはそうじゃないだろう。カナくんがいるし……俺は情けない部分ばかり、サヤに晒しているから。
ならせめて、友人でありたかった。
サヤは暫く悩んでから……「レイさん……」と、言ったから「レイ」と、訂正しておく。
「俺はサヤを呼び捨てしてるんだ。サヤだってしろよ。サヤには身分も関係ないだろ?」
「人を呼び捨てにしたことない……」
「なら、俺で慣れてくれれば良いよ。嫌ならくん付けでも良いけど……いや、それはなんか違和感あるな……やっぱり呼び捨てがいい」
「我儘や……」
そんなやりとりをしてる間に、サヤの顔の強張りは若干取れて、手も少し、温まった。
そして、溜息を吐いてから「れい」と、呼んでくれた。
「なに?」
「……呼んだだけやのに……。もうええ。レイは、我儘さんやね」
「そうだよ。俺は俺の周りが笑ってないのが嫌だからね」
「……話さんと、手も離してくれへんのん?」
「この前はサヤがそうしたろ。仕返しだよ」
そこでやっとサヤの顔が少しだけ笑う。
俺はそのまま待った。サヤが話すのを。
「……怖いなて、思ってん」
サヤの口が、やっと言葉を紡ぐ。
「私が言うたこと、ちゃんと合うてるやろか……役に立つんやろか……そう思うたら、怖ぁなって……しもうたの。
私の国にも水害はあって、毎年のように、どこかで氾濫が起こる。せやから、私の言うたものが、絶対ではないやろ?自然災害は……人の手には余る」
「うん。そうだね」
「せやけど、このままよりはマシやて、思った……。土のままより土嚢の方が有効なはずやて。
けど……私は、自分で作ってみたことがない……実物を、見たことすらない……。人に聞いたり、テレビで見たり、ただ知識として、知っとるだけや……。確信が、持てへんのに……教えてええんやろか……って」
俺の知らない言葉がいくつか混ざっていたけれど、言いたいことの意味は伝わった。
だから、握る手に力を込める。言っていい。そのまま続けて良いんだ。
「もし、失敗してもたら? 全然あかんくて、川が溢れてしもたら? 私……どないしたらええんやろ……。
もしかしたら、誰か死ぬかもしいひんのに……村の人たちはみんな良い人で……助けたい、力になりたいって、思った。せやけど、私の言うたことが、間違うてて、それで失敗してしもたら……っ」
「サヤの所為じゃない」
サヤの手が、小刻みに震え出したので、俺は言葉を遮って、サヤを引き寄せた。
背中に手を回し、抱きしめる。
そんなことだろうと、思っていた。サヤは優しいから、全部自分の肩に乗せるつもりでいたのだ。
「決めるのはサヤじゃない。俺だからね。
サヤの意見を聞きはした。有効かどうかを判断して、決めるのは俺だよ。
だから結果は、サヤの所為じゃない」
力を込めて、サヤを抱きしめる。
嫌がったら、止める気でいたけれど、サヤは拒まなかった。
だからそのまま、背中をポンポンと叩く。
十六歳の女の子に……そんなもの背負わすわけないじゃないか。
たまたまここに引っ張り込まれてしまっただけの、異界の少女。普通は、自分のあずかり知らない世界のことなんて、気にする必要ないのだ。安全な場所で、ただ帰る日を待っていることもできる……。
なのに、この子は、自分できちんと立つだけでなく、周りまで、支えようとする。
なんて素晴らしい子なんだろう。そして、そんな姿にたまらなく惹かれた。
カナくんが羨ましい……サヤと同じ世界に生まれた彼が……。サヤの気持ちを、持っている彼が……。
「ありがとうサヤ。あとは、俺の仕事だ。サヤの教えてくれたことを、ちゃんと活かすように考えるよ。無駄にしない。だから……サヤもそれを、手伝ってくれると、嬉しい」
「……レイって…………」
「ん?」
「な、何も言うてないっ。
……も、もう大丈夫やし……その……」
「ああ、そうか」
背中に回していた手を離す。
少し名残惜しい感じがしたけれど、そこはぐっと堪える。変態になっては駄目だ。
若干乱れた夜着と羽織を、サッと直しつつ、サヤがこちらを気にする素振りを見せたので、俺はあらぬ方向に顔を向けておいた。見られたくないのだと思ったのだ。
暫くそうしていて、もう大丈夫かなと思ったので、視線を戻す。
少し、赤くなった顔のサヤが、俯き気味に「おおきに」と言った。
「……前から気になってたんだけど……オオキニって……お礼で合ってる?
何となくそんな場面で使うなとは思ってたんだけど、確信持てなくてさ」
俺がそう聞くと、赤くなってた顔がぽかんと、口の空いた間抜けな顔になった。
「知らんまま聞き流しとったん⁈」
「いや……だって聞けないような時にばっかり言うから。
サヤの訛りは特殊なんだよ。不思議な言葉や呪文が多すぎて、疑問だらけでさ。気にしてる間に他の言葉に移るんだ」
「まだ他にも⁈」
「沢山ありすぎます。デンワとか、テレビとか、カンニンとか、なんかもっと長いのも沢山あるだろ」
「そこは訛りと違う。単語。物の名前。訛りはかんにんだけやで?」
「ええっ」
もう! と、サヤが怒った顔になって、それから笑った。
暫くクスクスと笑ってから、ふんわりと……またアミ神みたいな優しい笑みを浮かべる。
「レイは……気ぃ使いやね」
そう言うのだ。
「まただ。俺は別に気を使ってるわけじゃ……!」
「ええの。本人には分からへんことや」
そう言って俺の手を握る。……え?
「寝なさい」
……そう来たか…………。
「もう結構、夜更かししてしもたから……。
おおきに。ありがとう……レイ」
ふんわり優しい笑顔のままで、サヤがそう言う。囁くように。
「分かったよ……ちゃんと寝れるから。子供みたいに手は握らなくていい」
恥ずかしくなってしまってそう言って、布団に潜る。
その俺にサヤは「おやすみ」と声をかけてから蝋燭を吹き消し、寝室を出て行った。その後パタンと、部屋の扉が閉まる音が微かに聞こえる。
サヤが部屋に帰り着いたであろう時間を待って、それから口を押さえた。
ううぅ……可愛いなんてもんじゃない……。
言葉にしてしまうと聞こえてしまいそうなので、頭の中だけで唸る。
力になりたいと言ってくれて、俺のために泣いてくれて、村の為に一生懸命になってくれる。
汗まみれ、泥まみれで村人と一緒に作業し、自分のことのように彼らを心配してくれる……。
時間の問題だった……どう足掻いても、きっと好きになってた……。サヤは美しい娘だと思う。だけど……見た目じゃなくて、気持ちがそうだと思うのだ。
おかしいな……社交会で、美しく着飾った女性は沢山見てる。踊りだって一緒に踊るのに……惹かれる人はいなかった。まあ、貴族に興味なかったから……でも、そういうならサヤだって、ここの世界の人間じゃない……そもそもはじめから、そんな目で見るつもりなんて無かったはずなのに……。
駄目だ……考えたらどんどん好きになりそう……いやもう取り返し付かない感じだけど……。
サヤのことを考えながら、そのうち眠ってしまったのだが……朝方、ひどい悪夢で飛び起きた。
波紋の広がる鏡の向こうで、サヤが誰かと手を繋いでいるのだ。
嬉しそうに微笑んで……寄り添うように佇む二人。
何か楽しそうに話していて、そのうちこちらに気づいて……ひらひらと、手を振った。
「…………もう、無理かも……」
こんな平和な、幸せそうな夢を悪夢と感じたなんて……。
俺は末期だ。
10
あなたにおすすめの小説
私が美女??美醜逆転世界に転移した私
鍋
恋愛
私の名前は如月美夕。
27才入浴剤のメーカーの商品開発室に勤める会社員。
私は都内で独り暮らし。
風邪を拗らせ自宅で寝ていたら異世界転移したらしい。
転移した世界は美醜逆転??
こんな地味な丸顔が絶世の美女。
私の好みど真ん中のイケメンが、醜男らしい。
このお話は転生した女性が優秀な宰相補佐官(醜男/イケメン)に囲い込まれるお話です。
※ゆるゆるな設定です
※ご都合主義
※感想欄はほとんど公開してます。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
おばさんは、ひっそり暮らしたい
波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。
たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。
さて、生きるには働かなければならない。
「仕方がない、ご飯屋にするか」
栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。
「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」
意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。
騎士サイド追加しました。2023/05/23
番外編を不定期ですが始めました。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる