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雨降って 2

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 エレノラを落ち着かせて、食事処に帰す。
 夕食は、彼女の配達であった様子だ。わざわざお礼を言う為に出向いてくれたのだと思う。そんな風に感謝されるだなんて思ってなかったから、びっくりしたけれど、嬉しかった。
 食堂に戻ると、何食わぬ顔でハインが食器の準備を進めていた。
 何も聞いていなかったとでもいう様に。
 きっと、触れられたくない。って、思っている……。俺の言ったことが、エレノラたちだけでなく、ハインに向けての言葉でもあるのだって、きっと分かっているだろうに……。

「レイシール様、冷めてしまいますから……」

 立ち止まってハインを見ていたら、サヤにそう促された。
 慌てて席について、夕食を頂く。
 食事が終われば、姫様やリカルド様方の部屋より、下げられた食器も含め、洗い物をする為、ハインは調理場に残った。
 サヤと共に自室にもどり、リカルド様と湯屋を訪れるまでの暇つぶしを兼ね、先程の思案を再開しようと思ったのだけれど……。

「レイシール様、あの、お聞きしたいのですが」

 と、サヤに問われた。

「ん、何?」

 サヤから話し掛けてくれたし、なんとなく先程の、居た堪れない雰囲気は薄れている様で、ちょっと嬉しい。

「この世界での結婚って、どんな風なのですか?」

 ああ、そういえばそんな話はしたことがない。
 ならばと、これを機会に教えておくことにする。

「んー……ガウリィたちの結婚についてだよね?
 一般的には、お互いの親族と共に祝いの席を設ける。
 まず、夫となる者が、妻となる者を実家に迎えに行き、両親の許可を得て新居に連れ帰る。
 そちらでは親族が宴の用意等を進めていて、宴を催すんだ。結婚のお披露目を兼ねてのね。
 で、一夜を過ごしたら、翌日最寄りの神殿へ報告へ行く。それが済めば、晴れて夫婦だ」

 神殿がある街は限られるから、場所によっては長旅になる。
 まあ、結婚したら十日程は仕事を休めるし、二人で過ごすことを周りが助けてくれるから、その間に旅に出て、報告をしてくることが多い。

「……えっと……?   では、あのお二人の場合は……どうすれば良いのですか?」

 そう問われ、うーむ……と、唸った。

「……お披露目の宴を催して、終わりになるのかな……」

 エレノラは売られて色女となったのだから、実家との縁は切れているだろう。
 ガウリィも、ダニルの話からして、家族など持っていなかった可能性が高い。
 神殿にも赴かないだろう。
 先程、エレノラは自身が無神の民となった風なことを、言っていたし、兇手の面々は元から、そうであるだろうし……。
 そう言うとサヤは、なんだか納得いかないと言った風に、眉間にしわを寄せる。

「……結婚って、人生の一大イベントですよね」
「イチダイイベントって?」
「人生の中で、一回しかない、大きな、特別な、催し物ですよね」
「うん。……まぁ、特別……一回かな?」

 死別したりとか、別れたりとかしなければ、一回かなぁ。
 だけど、不測の事態というのは往往にして起こるし、貴族なんて複数人の妻を娶るし、サヤが強調するほど特別かと言われると、どうかな?   と、首を傾げる。
 するとサヤは、なんだか不満です!   といった風に、頬を膨らませた。

「ははっ、そんな顔しない。
 それに、あの二人は、夫婦の役でここにいる。もう結婚してることになってるんだよ?」

 ここではもう夫婦である設定なのだ。だから何が変わるわけでもない。
 それにガウリィだって、すぐに気持ちを切り替えられはしないと思う。
 今までずっと、無理だと思っていたことを望めと言われても、想像出来ないのと同じに。

 俺がガウリィを受け入れたとしたって、彼がそれをどう受け止めるかなんて分からない。
 たかだか領主代行でしかない俺の言葉に、さした重みもないと、思うかもしれない。
 その上でもし、夫婦となる覚悟を決めたなら、俺たちで祝福してやれば良いと思う。

「ガウリィが覚悟を決めたなら、その時は、俺たちから祝いの品を送ろう。
 それなら、サヤも納得できる?」

 そう聞くと、不満そうではあるものの、こくりと頷いた。
 ……サヤも、幸せな家庭を知っているのだろうなと思う。

 結婚を特別だと思えるのは、それを素晴らしいものだと認識できるからだろうし、そうである社会で育ったということなのだろう。
 両親とは離れて生活している様子ではあったけれど、きっと俺のとは、根本的に違うんだろうな。
 二親ともと、あまり褒められた関係ではなかったであろう、俺なんかとは……。
 暗く沈みそうになる思考を振り払う為に、俺もサヤに質問してみることにした。

「サヤの国の結婚は、どんな風?」

 そう問うと、俺の方をちらりと見てから、何故か少し、頬を染める。

「私の国は……色々なやり方があります。神前と人前……えっと、神様の前で誓う方法と、友人や親族の前で誓う方法ですね。
 どの結婚でもそうなのですが……女性は、白い衣装を身に纏います。それで、三三九度……同じ器からお酒を酌み交わす儀式をしたり……誓いのキス……あっ、指輪を!お揃いの指輪を左手薬指につけるんです!」

 急に焦った風にそう言う。
 へえ、指輪か。貴族の耳飾りみたいなものなのだろうか……?
 あと、キスってなんだろうな?   誓いって言うからには、誓約的なものか?

「結婚式の後は披露宴です。同じく宴ですね。その席でよく、ブーケトスとかガータートスとかをするそうなんですよね」
「ブーケトス?   ガーター……?」
「えっとブーケっていうのは、花嫁の持つ花束です。それを未婚の女性に向かって投げるんですよ。
 受け取った女性は、次に結婚が決まるって言われてます。
 ガータートスはその男性版で…………あ……えっと……く、靴下留めを……は、花嫁から花婿が、外しまして……それを同じく……投げ、ます……」

 また急に小声になり、顔を伏せてしまうサヤ。
 真っ赤だ……何か、ガーターというのは、そういうものである様子だ。
 なんなのか凄く気になった。気になったけれど聞けない……投げられる程度の、外すことが恥ずかしいもの……靴下留めなのに?   よく分からない……。

「白の衣装を必ず着るっていうのは、何か理由があるの?」

 凄く恥ずかしそうにしているし、助け舟を出すことにする。
 すると、恥ずかしそうではあるものの、どこかうっとりとした表情になる。なんというか……視線が、張り付く感じの、表情だ……。

「白いドレスは……純潔や、真っ白な自分を表しているそうです。
 これから、貴方の色に染まりますって意味があると言われますけれど……私としては、二人で、新しい家庭を築く為に、まっさらから始めるのだって考え方が、好きです……」

 頬を染めて、両手を胸の前でそっと握る。
 キラキラと輝く瞳を伏せ、うっすらと口元をほころばせて、焦がれる様に、一点を見つめる。その横顔が、ひどく大人っぽくて、男装しているのにも関わらず、美しい乙女にしか見えなかった……。

「白いドレスに、白いブーケを持つんです……。装飾品も、全て白で統一されて、頭にはヴェール……それが長く、地面に広がって……それはそれは、美しいんです……」

 囁くようにそう呟く。
 二人で、まっさらから始める……。
 それを、夢見るような表情で……うっとりと語る。
 サヤが、その白い衣装にとても憧れを抱いているのだということが、よく分かった。

「…………きっと、似合うんだろうな。うん、美しいと思う」

 艶やかな黒髪に、真っ白い衣装。
 きっとよく映える。サヤが纏うなら、その純白は、輝く程に白く見えるのだろう。
 見てみたい……サヤのその姿を。

「ええ、エレノラさん、きっと美しいでしょうね」
「え?」

 サヤの姿を想像していたのに、エレノラの名前がでてきて、一瞬意味が分からなかった。
 キョトンとする俺に、「エレノラさんのお話では?」と、首を傾げる。

「あ、いや……サヤの国の話だろう?   だから、サヤに…………」

 似合うと、思って……。
 尻すぼみに声が小さくなる。自分で言ってて気付いた。これはまるで……俺がサヤに、その姿を望んでいるみたいに聞こえる…………。

「…………」

 二人して、沈黙した。
 お互い、何を言って良いやら、分からなくなってしまっていた。
 サヤに花嫁衣装を着せたいと考えてしまった自分が信じられなくて、だけど似合うと思ったのは嘘偽りなく本心で、これ以上何を言って良いやら分からない。
 恥ずかしくて首まで熱い。
 そして、俺の視界の端の方で、口元を手で隠して俯くサヤも、また朱に染まっていた。
 不思議でならないのは、別段、それが苦痛ではないように見えることだ。恥ずかしくて仕方がないのだというのは、分かる。けれど、嫌がっている雰囲気では、ない……。
 サヤも、その衣装を纏ってみたいと思っているのか?

 それとも……俺の隣で、その衣装を纏っている未来を、想像しているのだろうか……?
    
 全身の血液が、顔に集結したかの様な熱。火が出るかと思った。顔から。
 う、うそうそうそ、ごめんなさい!   そんな大それたこと……ないないない、サヤはサヤの世界に帰る、俺の横なんて無い!
 あまりにも自分に都合よく考えている。サヤは俺の気持ちを忘れてしまわないと言っただけ。無かったことにしないと言っただけなのだ。
 それをどうしてそんな風に解釈する。馬鹿か俺は!

 そんな不埒すぎることを考えいたものだから、サヤが扉を開けていることも、ハインが戻って来たことも、気付いていなかった。

「レイシール様」
「ふぎゃあ⁉︎」
「…………なんの真似です?」
「い、いや、なんでもない……なんでもないんだ……」

 すぐ近くから、いない筈のハインの声がし、あまりにも不意打ちだったものだから、つい悲鳴をあげてしまっただけだ……。

「な、何……?」
「湯屋の方が空いたそうです。
 リカルド様方にはお伝えして来ましたので、レイシール様もご準備を」
「あぁ……分かった」
「……風邪を召されましたか?」
「え?」
「顔が赤いですよ」
「なんでもないから!」

 ハインを馬車の準備に向かわせて、サヤが衣類や手拭いの準備を進めてくれた。
 サヤは御者台となる為、雨除けの外套も纏う。
 荷物を持って、部屋を出るという段階になって、あっ。と、思い出した様に声を上げた。

「あの、井戸水の組み上げの件、お伝えし忘れてました」
「あ?   ああ……そういえばそうだったね。まあ、急がないから……」
「いえ、見るだけ、見ておいてください。これがあれば格段に楽です。リカルド様との、話のネタくらいにはなりますし。
 私の国でも、ほんの百年ほど前には当たり前に使っていた手法なのですが、考え出されたのは、二千五百年程も前で、技術的にも再現可能だと思います」

 そう言って、懐から畳まれた紙を取り出す。
 そこには、いくつかの図が記してあった。

「構造を説明します。
 こことここの二箇所に、弁を取り付けた蓋があります。これを押し込むと、水圧に押されて、上部の弁が下から押し上げられ、逆に下側の弁は閉じます。
 引き上げると、力の方向も逆になりまして、上の弁は閉じ、下の弁は開く。
 それを繰り返すことで、水が吸い上げられる構造なんです」

 一つ目の図を指差し、その部分的な構造を説明したのち、次の図に移る。すると、前の図と似ていながら、少し違う。
 上部の仕掛けが押し込められると、斜線を引き、色をつけられた部分の、閉じているのと、開いているのが逆になっている様だ。

 この器具から水面までの高さは、理想で七米以下。最大十米までで、それ以上では水が上がってこないと言うが、それだけの高低差をものともしないというのは、驚愕のことだった。

「これはつまり……ハンドルというものを押し続ける限り、水が勝手に……吸い上げられて、吹き出す?」

 ……嘘だろう?こんな、簡単な構造で?

「はい。押し込めば、水圧でハンドルは戻ります。なのでまた押し込みます。
 これはこれでまた、それなりの重労働なのですが……桶で組み上げるよりは格段に効率が良いですし、ハンドルの長さを伸ばし、バランスを調整すことで、ある程度必要な力を軽減出来ます。子供や老人でも、容易に水が汲み上げられるんですよ。
 普段の生活においても利用出来ますので、とても利便性が……ひゃえ⁉︎」

 つい、サヤを抱きしめてしまったのは、仕方がないことなのだと、思って貰えるだろうか……?
 その図案の驚異的な効果。それを考えた時、俺の全身が泡立ったのだ。
 気付いた時には愛おしさが爆発していて、両手がサヤの腰を捉えていた。感動と、感謝。それを他のどんな方法で伝えれば良いのか、分からなかった。
 顔を近付けたサヤの黒髪から甘い香りがして、その香りにつられて視線を移動させたら、随分と赤く色付いてしまった可愛い耳があり、慌てて身体を離す。

「あっ……すま、ない……。か、感動のあまり……っ」
「あ、いえ……分かってます。大丈夫、良いんです……っ」

 そう言いつつ、慌てて俺から距離を取るサヤの手が震えていて……血の気の下がってしまった俺は、更に距離を取った。

「ご、ごめんっ⁉︎   そんなつもりは……き、気持ち悪かった⁉︎」
「あっ、違いますよ?   その、急でびっくりしただけで、怖くて震えてるわけじゃ……!
 その……えっ……と……さ、触って、下さい。大丈夫ですから」

 言われた言葉に、更に物凄く、動揺した。
 けれど、差し出された手を見て、あ、そこに触れということか。と、分かり、安堵のあまり膝が崩れそうになる。

 び、びっくりした……。なんかいけない想像をしそうになった。
 しかも恥ずかしげに視線を逸らし、顔を赤らめているサヤから差し出された手を……さ、触る。
 それだけのことなのに、それ、そんな、恥ずかしがられる行為なのか?   と、思ってしまう程、サヤが……意識している風なのだ。
 遠慮します。
 と、言うべきかと思った。
 けどそれはそれで、俺まで意識している風だし、こちらが意識してしまう様子を見せるのも、気を使わせるよなぁと考え……。
 ……いや、白状します。混乱してました!
 もう、何をどう解釈して、どうすべきかなんて考えてられませんでした!
 触っても良いと、差し出された手を拒否するなんて、出来るわけもなかった。

「……は、はい」

 俺の方に差し出された右手。手のひらを上にし、細く、白い指が伸びている。
 その、人差し指と中指を、なんとなく握った。手のひらに触れるのは、欲張りすぎかと思ったのだ。
 指先は温かく、血の気の引いた様子はない。
 そのことに、ホッと息を吐く。

「うん……怖かったんじゃ、なかったみたいで、良かった……」

 そう言うと、サヤの指が動き、サヤの指をつまむ俺の手を、握る。

「お力になれそうなら、良かったです」

 指先を繋ぎ合って、嬉しそうに微笑んだ。

 っ!……可愛いなんてもんじゃないっ!

 行きましょうかと、俺を促し、歩き出すサヤ。
 するりと指が外されたことが、なんだか切なくて……咄嗟にサヤの手に、また指を伸ばしそうになって……必死で自制した。
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