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新たな戦い 16

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 お昼もロジェは一緒に食べた。
 机や口の周りを盛大に汚して、お菓子を食べた後にも関わらず、凄まじい食いっぷりだった。

「うまーっ!    これうまーっよっ」
「そうか、良かった。しっかり噛んで食べるんだよ?」

 ギルの所の料理人にも、サヤは色々教えているから、彼の味も向上中だ。とても意欲的であり、年下のサヤに対しても礼儀正しい人で、信頼できる。この人も、長年バート商会に勤めており、本店からこちらについてきた人だ。

「お洋服も汚れちゃいましたね。前掛けとか用意してあげれば良かったですかね」
「盛大に汚したなぁ……」
「子供なんてこんなものです」

 そんな話をしていたら、本日忙しくしていたギルが、やっと応接室にやって来た。

「……マジか。まだ親は見つからないのか?」
「ああ、どうもこの近所の子じゃなさそうだよ」
「衛兵の詰所にも届けたのか?」
「一応ね。ただ、子供を一人あそこに預けるのは可哀想だから、ここで預かっておくと伝えてもらってる。
 髪色と瞳色。服装、年齢と……多分間違ってるんだけど本人が言っているロジェって名前も伝えといたから、まあ、親なら分かるだろ」
「……多分間違ってるってのはなんなんだ?」
「ロジェじゃないよ。ろじぇだよ!」
「……ああ、分かった。よく分かった」

 誰が聞いてもロジェにしか聞こえないんだよなぁ……。

 苦笑する俺たちをよそに、ギルは今から昼食だ。運ばれてきたそれを豪快に食べはじめる。
 その姿に触発されたのか、ロジェもまた食べる。腹の方がはち切れないか心配になりだした頃、食欲より睡魔が優ってきたらしい。半眼になってグラグラしだした。

「ロジェ、おねむですね。長椅子に寝かせておきましょうか」
「その前に着替えだ。そのままじゃ長椅子が汚れる」

 ギルの指示がなくとも、ワドは心得ていたようだ。
 子供のいる使用人から、古着を持って来させており、半分寝ているロジェをサッと慣れた手つきで着替えさせた。顔も拭って、眠るには邪魔であろう髪の毛を解く。その頃にはもう、ロジェは夢の中に旅立ってしまっていて、ぴすぴすと鼻を鳴らしていた。

「ははっ。面白い子だな。ハインをお母さんと間違えて、カーチャだって言い張ってたんだよ」
「この悪人面をか……。どんな人相悪い母親だよ」
「ハインさんを全然怖がりませんでしたね。強い子です」
「大抵の子供を泣かすことに定評あるのにな」
「黙れ」

 小声でそんなやりとりを楽しみつつお茶を飲む。
 なんとはなしに、皆の視線はどうしてもロジェにいく。サヤも朝の雰囲気はもう吹き飛んでしまっていて、優しい表情がとても可愛い。
 たまに寝言を言うロジェに笑いを噛み殺していると、思っていた以上に時間が経っていた様子だ。
 使用人が、来客を知らせにやってきたのだが……。

「え?    今日の予定を中止にしてほしい?」
「は。そうおっしゃっております。こちらの都合で申し訳ないと」
「……まだ表にいるんだな?    なら、一旦会って事情を聞こう」

 訪れたのはエルランドであったのだが、土壇場での中止を希望してきたらしい。
 貴族とのやりとりに慣れている様子の彼が、そんな風に粗相をするなんて、相当な理由だと思われた。だからハインを伴い、急ぎ足で表に向かうと、額に汗を浮かし、少々乱れた息を無理やり整えようとしているエルランドを発見した。
 これはただごとではないのだと分かった。だから急ぎ足で向かう。

「エルランドさん、何か問題ですか?」
「御子息様、申し訳ございません。こちらの事情により、このように急な……」
「良いんです。それより事情をお聞きしたい。
 街で何かあったのなら、どうせ私に報告が届く。先に教えていただけるなら、何か手を貸せるかもしれません」

 荷物が盗まれたとか、そういったことかもしれない。
 俺はハインに、マルへ使いを出すよう指示を出す。彼の情報網なら、何か掴んでいるかもしれないと思った。荷物なら、早ければ早いほど、取り戻せる可能性は高くなる。
 彼は今日、商業会館へ出向いているのだが、午後から戻ると言っていた。そろそろ帰ってきてもおかしくないのだが、とにかく早く、彼を捕まえたい。
 だがエルランドは、思いもよらなかったことを口にした。

「そ、それが……。子供が、姿をくらませまして……」
「…………は?    子供?」
「はい、ホセの子なんです。宿の庭で遊ばせていたのが、少し目を離した隙に!
 近場にいるだろうと、午前中いっぱい探したのですが、全く見つからないのです。詰所にも行ったのですが、迷い子の届けはまだ無いと言われて……」

 必死の表情で、エルランドは焦った声音。今もう一度、ホセが詰所に行って確認しているという。
 俺は、後ろのハインが若干剣呑な雰囲気を醸し出しているのを背中で感じつつ、あー……と、言葉を探した。

「えっと……女の子……四つくらいですか?」
「はい、肩ほどの茶髪で、瞳は黄味の強い緑です。まだ舌ったらずで、会話もたいして成立しなくて、自分の状況を説明できる年齢でもなくて……っ」
「成る程……じゃああれですね。こちらへどうぞ」
「は?    いや、私は今から宿に戻り、今一度周りの確認…………私、女の子だって、言いましたか?」
「いや、うちにその辺りの迷い子が一人、今昼寝を始めたところで」
「……は⁉︎」
「ロジェと名乗ったのですけどね。お母さんを探していると言って、迷い込んだんです」

 俺の言葉に、エルランドはひどく狼狽えた。子供がとんでもない粗相をしたと思ったのだろう。まぁ、まさか貴族に絡みに行ってるなんて思わないよなぁ。

「大丈夫。元気ですよ。今、丁度お腹がいっぱいになったところなので、眠たくなってしまっただけです。とにかく、お探しの子かどうか、まず確認してくれませんか」

 二階の応接室まで案内すると、音を聞き分けたらしいサヤが、扉を開けてくれた。
 そして、上掛けをかけられ、長椅子で平和に眠るロジェを目にしたエルランドは、その場に膝をついて崩れてしまった。

「ロゼ……!
 間違いありません、ロゼッタです…………こいつなんでこんなところまで…………っ⁉︎」

 ドキリとした。
 ロゼッタ……。それが正しい名前か。

「昼前頃に、ここに迷い込んできたんですよ。
 カーチャをさがしていると言ってね。トーチャが父親だということが分かったから、カーチャが母親だと分かったんですけど、エーチャが分からなくてね……エルランドさんでしたか」

 強張る顔を誤魔化すために、声を弾ませて、そう、笑い話であるという風に、話す。
 とんでもない粗相をしたと平謝りするから、起こしてしまうよとそれを遮って、詰所にも届けは出しているから、そのうちホセもここに来るだろうと告げた。

「もっと早くに届けておけば良かったですね。こちらも、先に近所をあたっていたもので……申し訳なかった」
「いえそんな……このように手厚く保護して下さって、感謝しかありません。
 ホセの子だと知っていたわけでもないでしょう?    貴方は本当に……人が良い……っあっ、も、申し訳ございません!」
「いえ、つい最近も同じようなことを言われたところです。
 でも別段、人が良いとかではないんですよ。たんに、考えなしなだけで。
 衝動で動くから、よく失敗しますし、怒られるんですよね」

 昨日もそれで、やらかしたところだしな。

 空いた椅子にエルランドを促し、とりあえず座らせる。
 気を利かせたサヤが、お茶を用意してくれて、どうぞと俺たちの前に出してくれた。

「サヤ、後でホセも来る」
「畏まりました。ホセさんの分は、その時にご用意致しますね」

 そう言ってから、仕度をしてきますと一礼し、部屋を出た。
 作ったお菓子、どうやらこのロゼが、受け取り手だったらしいものな。持って帰らせる準備に行ったのだと思う。

「……こんな子供を、旅に連れ回してと、お思いですか?」

 何とは無しにロゼを見ていたら、横手からエルランドがそのように問うてきた。
 子供の旅人は確かに珍しい。
 だけど、事情でそうしている者は、多くいるということを、俺はもう知ってる。

「いえ。行商団には知り合いもおりますよ。そこは小さな子供も、老人も、男も女も関係なく、一緒に旅をしている」

 定住できない定めを負う身であるから、死ぬまでそうして、漂っている。
 そこは口に出さなかったのだが、エルランドはしばらく沈黙したのち、また口を開いた。

「ロゼの母親、今、身重なのですよ。
 その身体で、この元気な子の相手をしておくのは、些か厳しい状況で……気候も良いので、今回は同行させました。普段、あまり触れ合えないあの二人には、親子の時間も必要でしたし。
 ……順調に育てば、冬の、一番厳しい最中さなかに、生まれます」

 一番厳しい……二の月か、三の月か……その辺りだろうか。
 食糧事情が一番厳しいという意味で、そう言っているのだということは、察することができた。

「ロゼの時もね、大変だったんです。
 雪のひどく積もる地域で、ほとんど隔離された状態になる。途中で食糧が尽きれば、もうお終いです。だからホセは、今必死なんですよ。
 確実に食糧を蓄えようと思ったら、家畜を飼うしかなく、そうなれば家畜の餌も必要になる。
 小さな村なんです。だけどホセ一人で背負うには、些か重い」

 私は妻を持たないので、その苦労をさして理解できるわけではないのですけどね……と、エルランドは言う。
 けれど、足掻く彼を、見捨てたりせずこうやって、力になろうとしている姿は、とても好感が持てた。

「……そこら辺は、これからおいおい、話をしていきましょう」
「……取引を受けて下さるんですか?」
「そこは品を確認してみないと、なんともですね。
 でも……俺は貴族です。民の生活を支える側の身です。関わったのなら、それは俺に繋がれた縁なのだと思っています。
 それに……そこまで聞いて、気にしないでいる自信、ないですよ」

 ロゼは愛されていると思う。
 そんな厳しい地域で育っているとは思えない、天真爛漫さ。そして、ふくふくの頬や手……。厳しい中でも、きちんと食べさせてもらい、育まれていると察することができる。
 だが、一人養えば済んでいた子供が二人になれば、当然掛かる金も、倍になる。
 ロゼの笑顔が、曇ってしまうようなことになるなんて、考えたくない。
 ホセが足掻く理由がよく分かった。やはり、何かしら手は打ってやるべきだ。

 ロゼ……ロゼッタ……。あぁ、響きが似ているだけで、なんでこうも、胸が苦しくなるんだろう……。
 だけど今は、そんな瑣末ごとに悩まされるな。彼らのことを、考えなきゃ……。

 そんな風にしていたら、コンコンと控えめに、扉が叩かれる。

「ホセさんがいらっしゃいました。お通しします」
「ああ」

 扉がまだほんの少ししか開かぬうちに、慌てたホセが飛び込んできた。
 だから、静かにと唇前に指を立て、長椅子に促す。

「ロゼ……っ!」
「良い子にしていたよ。怒らないでやってくれ」

 迷い子になってしまったというだけで、それなりに怖い思いをしたと思う。
 実際、父親がいないことを知った時、ロゼはあのように大声で泣いたのだ。
 知った顔が全く無いことに気づいた瞬間の不安も、俺は、よく知ってる……。

「御子息様。ホセも合流できたことですし、私は仲間に知らせてくることにします。
 それと、資材の見本を持って参りましょう。
 もし、お時間が許すのであれば……」

 商談の続きをしたいという。
 少々遅れてしまったが、本日の午後は彼らとの商談に空けていたのだから、こちらとしても特に問題は無かった。
 ホセを残し、エルランドはすぐに戻りますと退室した。そのホセには、サヤが新しいお茶を差し出す。
 恐縮するホセに、サヤは笑いかけ、大丈夫ですよと声を掛けた。
 そして、また扉が叩かれる。

「レイシール様、マルが戻りました」
「レイ様、少々遅くなりました。いやぁ、なにか面白いことがあったんですって?」
「おかえりマル。面白いことは後で話すから、今は我慢してくれ。
 間もなく商談になるんだ。資材の質も確認してもらいたいから、同席してくれないか」

 はいはいと軽い返事をするマルを部屋に招き入れる。
 さて。ここからは職務の時間だ。集中するか。
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