異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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父の軌跡 8

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サヤの腕もさることながら、俺の喉と胸元にも盛大な引っ掻き傷が大量に刻まれていた。

「もう!骨を抉り出すつもりだったんですか ⁉︎    私が腕で庇いたくなるのも理解してほしいです !」

 ぷんぷんと怒りながら、喉元の傷に軟膏を塗り込むサヤ。滲みる。暴れたくなるくらいに。
 先にサヤの腕を手当てしたのだが、彼女はなんとも言わなかったので甘く見ていた……。やっぱりサヤ、強い……なんでこれを素で耐えられるんだ……。
 いつもの従者服に着替えたサヤだったが、本日は補整着を身に付けていなかった。もう性別も知られてしまっていたし、必要ないと判断したようだ。
 馬の尻尾のように括られた髪も普段通りなのだけど、化粧もしておらず、左頬の腫れも顕著に目立つのだが、サヤ自身は全く気にしていない。見る俺の心臓ばかりズキズキと痛むのだが……いや、傷も物凄い、痛んでいるが……。

「も、もうそれくらいで良いんじゃないかな⁉︎」
「まだ全部に塗れてません」
「嘘でしょ⁉︎」

 泣き言を言う俺を、ハインはしらっと見て、助けてくれる様子は無い。
 シザーはオロオロと俺の周りを歩き回り、ジェイドにウザい、じっとしてろと怒られて縮こまってしまった。

 そんな俺たちの様子を、遠巻きにして見る大量の視線がある。
 そのうちの一つに、カークも含まれていた。

「包帯は巻かない方が良いんですか?」
「乾燥させた方が良いです。とはいえ長衣は擦れてしまいますか……もう夜着でいさせましょう」
「そうですね。今日は寝台にいてもらいましょう」
「もう起きたよ⁉︎    それよりこの状況を教えてほしいんだけど⁉︎」
「反省の色が無いですね……誰のせいでこんな状態だと思っているのです?」
「その判断もできない状況だけど⁉︎」

 と、言うものの……俺のせいなのは分かっている。
 今いるのは、山城とのことだった。
 石造りの建物で、日中でもひんやりと、室内は涼しい。けれどその分、冬は相当寒そうだ。
 現在は、作り付けの暖炉がある大部屋にいる。応接室にあたるらしい。
 そう、傭兵団崩れの野盗まがいな連中とやらに囲まれているのだ。どうも、その様子ではないのだけど。

「話は食事が終わるまでお預けです。
 二日食べてないんですから……これで更に体調を崩されても困りますよ」
「あ、ミルク粥を作ってきます。お腹に優しいものの方が、良いですよね?」
「そうですね……サヤ、貴女の分もですよ。レイシール様に付き合わされて、さして食べてないんですから……」
「はい。じゃあちょっと、作ってきます」

 調理場を借ります。と、集まる男らに声を掛けると、案内しますと、一人が前に進み出る。すると、シザーがスススと、サヤの後に続いた。
 俺の警戒する視線に、サヤの守りについて行ってくれたのだと思う。
 けれど、この人数を前に、俺の守りを離れて行動するということは、この連中を、あまり警戒していないということなのだろう。

「……二日経ったのか」
「そうです。吐くわ暴れるわで手を焼きました」
「う……」
「麓の邸に行く予定だったのですが、貴方の状態からして、あそこは良くないとカークが判断しました。
 それで、ここに直接来たのです。おかげで、駆け引きも何もかもすっ飛ばされましたよ」

 皮肉を言うハインが、袖を通した夜着の紐を結ぶ。
 麓の邸……と言う言葉で、多分あそこだよなと、見当はついた。

「……カーク、ここは、俺のいた所なんだね……」
「左様です……」

 三歳まで、母と囲われていた村……。
 セイバーンの領内なのだろうとは思っていたけれど、場所は知らなかった。

「山城があるなんて、記憶してなかったな……」
「木々に埋もれておりますし、ロレッタ様が近付けなかったのです。
 幼い貴方は案外活発でいらっしゃって……目を離すと、とんでもないところに潜り込んだりされると、仰ってましたので」
「…………」

 その言葉に拳を握った。
 まるで、愛されていたみたいだ……。
 視線を膝に落とし、夢との差異にざわつく胸を宥める。

「あの出来事については……忘れていらっしゃると、伺っていたのですが…………申し訳ないことを、致しました……」

 顔をうつ向けた俺に、カークの言葉が届く。
 つい口元がヒクついてしまった。笑おうと思ったのだけど、上手くいかない……。

「聞いたのか」
「はい、サヤ様から……」
「…………」

 どこまでを、話したのだろうか……。
 覚えていることだけ?    それとも、夢のことまで?    判断できなかったから、口を閉ざす。
 ハインも……ジェイドも、シザーも、俺のあれを、見たのだろうな……。
 俺の記憶にあるのは、泉で恐怖と絶望のあまり、意識が真っ黒に染まるまで、叫んでいたことまでだ。
 その後どうしたのかが、分からない……。

「……貴方が我を忘れている間は、サヤしか同室しておりません。
 サヤが……あまり姿を、晒したくないだろうからと……全部一人で引き受けると言ったのです。
 貴方を一人にさせると、サヤの言ではありませんが、喉の骨を抉り出しそうだったので、同室は私が許可しました」

 俯いてしまった俺に何を思ったか、ハインがそのように説明する。
 万が一、俺がサヤに何かしたらどうするつもりだったんだ⁉︎    と、怒り顔で睨んだら、吐いて窒息しそうでしたし。と、言葉を続けられてしまった。

「サヤが夜着だったのは、貴方が汚したからですよ」
「俺の服とか貸せば良かったんじゃ⁉︎」
「貴方の物もですよ」

 ああ言えばこう言う!

「心配しなくても……あンたの唸り声とかしか聞こえてねぇっつの。喘ぎ声でもすりゃ、流石に止めに入ったけどな」

 爽やかさをかなぐり捨ててしまったらしいジェイドにもそう言われ、頭を抱えた。

「そんな状況になってから止めに入られても遅い!」
「いいじゃねぇか。あんたらできてンだし」
「良くない!」

 なんで知ってる!    なんでバラす⁉︎

 色々がダダ漏れ過ぎて何からどう対処したら良いのか分からない……っ!

「知られてないと思っていたのは貴方方だけですよ……」

 ハインにまで言われて撃沈した……。
 サヤが戻ったらなんて言おう……みんな知ってたなんて……恥ずかしすぎる!

「初心すぎンだよあんたら。なンもしねぇとか意味不明」
「もう喋らないでくれるかな⁉︎」

 あまりなやり取りに、外野からも押し殺した笑い声が聞こえて、俺はもう逃げ出したかった。
 はぁ……なんでこんな話してるんだろう……。
 それどころじゃない状況だったのに……母のこととか、夢のこととか、俺が落ちてたこととか、全部なんか、どうでも良い感じになってる……。
 だけどきっと、俺が一人で抱え込まないよう、皆が俺の心を置き去りにしないよう、あえて構い倒されているのだと思う……。……若干本気も混じってそうだけど。

「分かったから……食事をしたら、全部、話してくれ。
 もう大丈夫だから。いきなり……すまなかった……心配を掛けてしまって……」

 溜息混じりにそう言うと、やっと攻撃の手が緩んだ。
 ハインが上着を持ってきて、俺の肩にかける。
 長衣の代わりに夜着というしまらない格好だけど、自分でしたことだから仕方がない。

「はい、お話しします。
 ちゃんと全て、お話ししますから、今はお身体を労って下さいませ」

 カークにもそう言われ、俺は苦笑しつつ、頷いた。
 俺がどうやら正常らしいと分かったようで、集まっていた男たちはカークを合わせて数人だけ残り、部屋を出て行った。それぞれ何かしらの役割があるらしい。

 そして、さして待つこともなく、サヤは戻ってきた。

「甘いのと甘くないの、どちらが良いですか?」

 二人分用意されたミルク粥は、良い香りがして、二日食べてないという俺の腹が、行儀悪く鳴って催促する。

「……どっちも味が知りたい」

 つい我儘を言ってしまったのだが、サヤは笑って、小鉢に甘くない方からよそってくれた。
 ……乳粥だな。乳のことをミルクと言うらしい……。
 乳粥は定番ではあるのだが、あまり美味だと思ったことはない。というか……基本食べたくない。けれどサヤの味付けは、やはり美味だった。

「汁物の残りがあったので、その出汁を使わせていただいたんです」

 いや、それだけじゃないだろこれ……。

「そんなに手間はかけていないですよ?
 小さく千切った麺麭パンを、牛酪で炒めた玉葱と、出汁で解いた山羊乳で煮て、乾酪と塩胡椒で味付けです」
「ほう……。サヤ、味見だけ失礼しますよ」
「あっ、ずりぃ!    俺も!」
「…………」

 シザーはもう味見したらしい。
 もう一つの甘い方というのは、麵麭を山羊乳と卵、蜂蜜で割った汁で煮てあるという。こっちも後で絶対食べよう。ハインとジェイドが美味しそうに食べてるし。

「喉、ヒリヒリしないですか?」
「大丈夫」

 そんな会話をしつつ、サヤはやけにゆっくりと食べていて……口の左側を使っていないのだと気付いた。
 きっと、内側を切っているのだろう……。腫れ方からしても、結構強く、殴ってしまったのだろうし……。

「……すまない…………痛いよな……」
「大丈夫ですよ。あちらでは日常茶飯事でしたから」
「歯が、折れたりとかは……?」
「そこまでくらってません」

 あっけらかんとそう言うが、痛くないわけではないだろう……。
 食べ物を触れさせないようにするくらいには、痛いし滲みるのだ……。
 腕の引っ掻き傷も広範囲で多く、籠手を付けるには痛そうで……お願いだからと包帯を巻かせてもらった。籠手を付けないという選択肢は無いと言われたのだ。
 手の甲まで伸びた傷だけ、視界に晒されている。

「女性だとは思わず、これも少々驚きましたな。
 いやはや、異国にはこの様な強者つわものが、女性にもおりますか」

 カークがそんな風に言う。
 彼もそれなりの心得があるのだろう。執事長をしていたというしな。
 彼の後ろに控えた数人も、規律正しく直立で、サヤに嫌な視線を寄越したりはしない。いかにもよく訓練された……といった雰囲気だ。

「彼女は、特別だよ。これほどの鍛錬を積み重ねることに耐えた者が、そうそういるとは思わない」

 間合いを測ることすら習慣化するほどの鍛錬。それだけの緊張を強いられてきたからこそ身に付いた強さだ。
 そう釘をさすと、失礼しましたとカーク。サヤはそれに、「いいえ、私など、まだまだ未熟者です」などと答えている。
 性別を知られた以上、彼女の状態も伝えるべきだろうな……。けれど、その前にここの話を、聞く必要がある。

「さて、じゃあ、話を聞かせてもらって良いか」

 食事を終えてそう言うと、カークは居住まいを正した。
 食器を片付けようとしたサヤを制し、ハインがそれを受け取ってその場を去る。食器の片付けは彼が引き受けてくれるようだ。あと、難しい話を避けたかな。
 なのでサヤは、そのまま俺の背後に立った。従者としての立ち位置に、カークが目を細める。思うところはある様子だが、開いた口は、そのことに触れなかった。

「レイシール様をここにお呼びしたのは、我々の旗印にと、望んだゆえであります」

 旗印……。
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