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地位と責任 12
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「い、井戸を作れる箇所って、どこかにあったか?」
「そんなぁ、ありませんよ、すぐ横手が水路じゃないですか」
「だ、だけどこのままだと食事処の存亡が……」
「あ、いえ……方法はありますよ? 例えば、管を二本に増やすとかですけど……でもそうすればやはり作業スペースが減りますし、色々構造上の問題が出て来てしまうと思うんです。
なので、早々に職人さんを見つけて、手押しポンプを作ることをお勧めします。
あれなら、好きな時だけ水量を増やすことが可能かと」
さらっとそんな風に言われ…………あ。
「……ありましたね、そんなの」
「だけどあれ、井戸に設置するものじゃなかったか?」
サヤにそう問うと、違いますよという返事。
「井戸の再利用という意味で、よく設置されましたけど、別に井戸じゃなくても良いんです。
ここなら、カバタ同様、管を水脈まで通し、上に設置するだけで利用できるかと。
私の国でも、台所に直接設置されている時代がありましたから」
「…………なんだそのテオシポンプってのは……」
「図面持ってこられて……ないですよね。じゃあ、ここでもう一度描きましょうか?」
サヤの提案にお願いしますと答えた。
そして数分後…………部屋の中が震撼した。
「な、なんだこれ……なんだこれ⁉︎」
「こっ、どっ、どういうことですか⁉︎」
「なー……。正直なんだこれって意外の言葉で表現しようがない構造だよな……。凄すぎるよ……」
サヤに描いてもらった手押しポンプの構造に、ジェイドもウーヴェも、ガウリィすら愕然としている。
ちなみにシザーは、皆に取り囲まれた図面が覗き込めず、後方でオロオロするばかりだ。
「私の家の庭にも古井戸があって、設置されていたんです。
今は庭の水やり用に使うくらいのものだったんですけど……昔は台所にもあったって、祖母が」
さらりと言うサヤに、皆が若干慄いている……。
「こ、これ……本当に、秘匿権放棄して、良いんですか?
一攫千金どころじゃ、ないと、思うのですが…………」
震える唇で、なんとかウーヴェが、そう、サヤに問う。
これの価値は、彼には充分すぎるくらい、分かることだろう。正直、サヤが欲をかかずにいられる人物であることが、奇跡だと思うほどに、凄まじい価値がある。
これ一つで、彼女は下手をしたら、国家予算なんて目じゃないくらい儲けられるかもしれないのだ……。まぁ、自ら作ることができればの話だが……。
「私には作れませんから、秘匿する意味が無いです。
それに、それだけ需要が見込めるものなら、なおのこと広めるべきだと思いますけど。
少量を高値で売るより、大量生産して一つを安く作れるようになれば、一般家庭への普及も夢じゃないと思うので」
生真面目にそう答えるサヤ。
一般家庭に普及することまでを考えていたことに、正直俺も少々慄いてしまった……。
彼女の見通す先は、俺なんかよりずっと、遥かに先なんだと、改めて実感する。
「まぁ……こういう驚異的な構造だ。
サヤからの案だということは、伏せてくれな。彼女を金脈だとして、狙う輩が現れないとも限らないから。
だからこれは、大災厄前の文明を研究して発見したもの……ということに、しておく」
俺の言葉に、皆が硬い表情で頷いた。
その様子に、ガウリィが今までとは違う理由で、頭を抱える。
「あんたら、頭の構造どうかしてるぞ……。
なんでこれで金儲けに思考が向かないんだ……。いや、助かるがな? こんな……世界のどこを探しても無いような物体が、食事処の調理場に設置されるって…………間違ってるだろう?」
世紀の発明品一号となりそうなものが、一介の村にある食事処に設置されるのだものな……。
頭を抱えたくなる心境がちょっと分かって苦笑してしまう。
「心配しなくても、公表すればすぐに広まりますよ。
あ、ウーヴェ、これをネタに、鍛冶屋をあたりましょう。とりあえずまずは、試作を製作してもらいます。完成品が機能したら、ここに設置。後は生産力次第で考えます。
これは構造が特殊です。一定以上の技量がなければ再現は難しいでしょうから、人選には気をつけてくださいよぅ」
「はい。一人、是非任せたいと思う職人がおります。誠実な人物なので、まずはそこをあたってみます。
量を考えるなら、一組では難しいと思いますので、随時職人は探していきます」
「あの……図ではこのように記してますが、これが正解の形ではありません。
原理さえ正しく機能すれば、別の形でだって再現できますから、色々工夫していただければ良いと思います」
そうなのだ。
サヤが描いてくれたのはあくまで一例。仕組みの原理さえ理解すれば、別の形状でも再現ができるらしい。なので、これの秘匿権は、原理に発生させるよう、念を押してある。木炭の教訓を活かしたというか……うん。
と、そこで。
もう一つ、金物でお願いしたい品があることを思い出した。
「あー……ついでに、卵割り器もお願いしてもらえるかな? それは、ウーヴェに頼もうと思って、図面を持ってきてるから」
「…………た、タマゴワリキ……ですか?」
「うん、そう。文字通り、卵を割る道具だ」
ハインが差し出した図面を見ると、皆が、テオシポンプの時とは違う意味で、慄いた。
「…………本当に卵を割るためだけの道具……なんですね…………」
「……落差が、すげぇ……」
「…………同じ頭から出てきた発想とは思えん……」
ダニルからということになってはいるが、この特殊な構造と発想はどう考えてもサヤだろうと、皆は分かっているわけで……。
なんだか空間が残念な空気に包まれた。
……うん。妙な緊張感が続くより良かったんじゃないかな。
◆
細々とした今後の予定が話し合われ、ガウリィからの報告も済み、途中からはガウリィと入れ替わりでエレノラが休憩に入ったり……と、そんな風に時を過ごし、食事処がひと段落したのは、夕刻手前。そこでようやっと、湯屋に向かった。
作りたての湯屋は、一度湯船の水漏れ試験に水を張ったことがあるのみで、まだ使用したことがない。
本日は、湯船に水を張り、石を焼く作業からなのだが、これは食事処で待機している最中に進めておいたので、あとはもう、湯を沸かすばかりだ。
カミルは手慣れた様子で立ち回り、その準備は滞りなく進んだ。
「じゃあ、入れるよー」
「あぁ、頼む」
お馴染みの派手な水蒸気と音。湯船は問題なく機能する様子で、支障は無さそうだ。
投入する焼き石の数は今後様子を見ながら確認してもらうということで、本日は湯温を見つつ、放り込んでいく。
頃合いだなとなったところで、そろそろ良いよと声を掛けた。
「こっちも適温です。問題無さそうですね。
ただやっぱり……脱衣所が心配です。
今は職人さんだけですけど……村として始めたら、鍵を掛けられる小分けの棚が必要かと」
「そうだなぁ。セイバーンみたいに、顔見知りばかりじゃないものな。
所属職人に、簡単なもので良いから鍵を作ってもらおうか」
脱衣所や風呂は、高い塀で隔てられているものの、上部が繋がっている。
各々で出入りして、気になる箇所を確認していったのだが、特に問題は無さそうな気がした。
皆にも問題点など見当たらなかったかを確認するが、大丈夫そうとのこと。
「さてと……それでは湯屋、試運転といくか」
本来は、入り口で料金を支払い入店するのだが、本日それは必要無い。振舞い湯というやつだ。
まずは数少ない女性陣と、メバックに戻る職人が優先で風呂を使ってもらうこととなったので、呼び集めてもらった。帰宅時間があるから優先だ。
湯屋の使い方は、慣れているユミルとカミル、エレノラとガウリィに指導を担当してもらう。
その間、無人となる食事処は我々が占拠し、食堂で休憩時間となった。
しばらく寛いでいると、男性陣の方から、湯を上がった者が戻ってきて、あれは良いと口々に喜びの声を述べてくれる。面倒臭いと言っていた者らも、おおむね良好な感想を聞かせてくれた。
本日は着たものをそのまま着直すしかなかったが、着替えを用意してくれば、もっと気持ちがスッキリすることだろう。
どうやら好評なようで、良かった。
まるで貴族みたいだと笑っている一同に、毎日とは言わないが、利用すれば病を貰いにくくなるぞと教えてやる。ただし、湯冷めには気をつけろと言っておいた。
「気持ち良かったああぁぁ。湯に浸かるなんて贅沢、人生で初めてだわぁ」
「本気で一般向けなのあれ? お貴族様しか使わないんじゃないの?」
「一回幾らかが気になる所よね……あぁ……だけどまた入りたい……」
「銀貨一枚とか言われたら困るけど……銅貨なら……ちょっとご褒美がてら、月に何度かくらいなら……」
女性陣が輪になってそんな話で盛り上がっている。
皆、髪までしっかりと洗った様子で、とても小ざっぱりとしているうえ、頬が薔薇色に上気していて、若手の職人らの視線もそこはかとなく熱い気がする……。
「料金としては、一度が半銅貨となっているが、工事の間は無料だ。湯屋も利用も報酬に含まれるからね。
管理人がここに越して来たら、すぐに稼働するよ」
そう口を挟むと、女性陣の視線が一気にこちらに向いた。
「ほ、ほんとですかあぁぁ⁉︎」
「絶対入る、毎日入ります!」
「私着替えと手拭い持ってくることにする!」
「現場に来るたびに肌艶良くなって帰ったら、メバックでモテモテだねあたしら」
「そうかも~!」
一気に甲高い声が高まって仰け反る羽目になる。
元々があまり貴族と対したことがない人たちなのか、俺の身分を知っていても遠慮が薄い様子だ。
そのうえ視線がなんか……ねちこいというか……。な、なんでこっちをそんなにジロジロ見るんだ?
「はーい、あんたたち、レイ様は意中の人がいらっしゃるんだから、散った散った!」
少々怯えていたら、そんな風に言いつつエレノラが彼女らを追い払ってくれた。
「ええぇぇ、エレノラ姐さんそれ本当?」
「二番とか三番とかは?」
「お貴族様が私ら見るわけないでしょうが」
「二十番とかでも無いと思うわぁ」
「いやでも、周りの人らだってさ……」
各々がそんな事を言い合いつつ、店を出て行き……ホッと息を吐く。
び、びっくりした……。明け透けすぎてどう対応したら良いのか全然分からなかった……。
なんというか、男ばかりの現場に参加する女性であるからか、随分と遠慮が無い様子だ。
「ごめんなさいねぇ、あの子らにはちゃんと言い聞かせとくから」
女性陣を追い払ったエレノラが戻ってきて、俺ではなく、何故かサヤにそう言う。
「いえ、気にしてませんから」
そのサヤの声音に、ギクリとした。
妙に硬くて、抑揚の無い声音だったのだ。
恐る恐る視線をやると、サヤは俯き気味に、ただ視線を机に落としていた。
無表情の、仮面を被って……。
…………え? 今のどこに、気分を害する要因があった? 俺は別に、何もしてなかったろう?
「サヤ?」
「お気になさらず。なんでもありませんから」
「なンだよサヤ、妬いたのか?」
揶揄い混じりにジェイドが茶化すが、サヤは怒りもしなければ、恥ずかしがりもしなかった。
ただ無言を貫く。仮面のままで。
その様子に、ジェイドもこれはなんか、変だぞと思った様子。
ウーヴェも困惑気味にサヤを見て、だけど口を開きあぐねている様子で…………。
シンと静まってしまった空気。
しばらくそれぞれが、何を言うこともできずにいたのだけど……。
「すいません。……荷物を……帰りの準備をしておきます」
その場から逃げ出すようにして、サヤは食堂の二階に去り、少ない荷物を持って下りてきた。
「えっ、ひ、一人でか⁉︎」
「これだけしかありませんから」
言い捨てるようにして、足早に外へ向かってしまう。
慌てて立ち上がった俺の前に、サッとハインの手が伸び。
「シザー……」
それだけで、シザーはこくりと頷き、そのままするりと、サヤの後を追った。
そしてまた、静寂……。
……いや……食堂の中は、湯屋を堪能した職人らが、談笑を楽しんでおり、仮小屋へ住む遍歴職人らは、夕飯までの時間を食堂で過ごすと決めた様子で、席で寛いで雑談中だ。
静まっていたのは、俺たちの周りだけ……。
「どうしたんでしょうねぇ、サヤくん……」
「だから、妬いたンじゃねぇの?」
マルと、ジェイドのやりとりに、エレノラが「そういうんじゃないよ」と、言葉を遮る。
「あれは……そういう表情じゃ、ないよ……」
「じゃあ、なンだってンだよ」
「…………そうねぇ……諦め……が、近い気がする。娼館では、よく見たよ、あんな表情の娘」
「……?」
故郷のことでも、思い出したのか……?
それとも…………カナくんの……こと……か?
そう思い至ると、いてもたってもいられず、もう一度席を立ったけれど、ハインに鋭い声で呼び止められた。
「今、貴方が行くのは無駄です」
「は? 無駄って、どういう意味?」
「今の貴方では、なんの慰めにもなりはしないと言っているのですよ」
怒りを湛え、険悪に輝く瞳で睨まれて、更にわけが分からなくなってしまう……。
ハインまで……何を怒っているんだ?
輝く瞳が彼の怒りを如実に表現していて、譲る気はない様子。
ハインはどうあっても、俺にサヤを追わせるつもりはないらしい。
「まあ、サヤは大丈夫さ。あの子は強いから。護衛だってつけたんでしょ?
しばらく頭を冷やしたら、ちゃんと戻ってくるよ。そうしたら、理由を聞いてあげたら良いんじゃない?」
そう言うエレノラにとりあえず頷いて、焦らされる心地でサヤが戻るのを待つしかなかった……。
「そんなぁ、ありませんよ、すぐ横手が水路じゃないですか」
「だ、だけどこのままだと食事処の存亡が……」
「あ、いえ……方法はありますよ? 例えば、管を二本に増やすとかですけど……でもそうすればやはり作業スペースが減りますし、色々構造上の問題が出て来てしまうと思うんです。
なので、早々に職人さんを見つけて、手押しポンプを作ることをお勧めします。
あれなら、好きな時だけ水量を増やすことが可能かと」
さらっとそんな風に言われ…………あ。
「……ありましたね、そんなの」
「だけどあれ、井戸に設置するものじゃなかったか?」
サヤにそう問うと、違いますよという返事。
「井戸の再利用という意味で、よく設置されましたけど、別に井戸じゃなくても良いんです。
ここなら、カバタ同様、管を水脈まで通し、上に設置するだけで利用できるかと。
私の国でも、台所に直接設置されている時代がありましたから」
「…………なんだそのテオシポンプってのは……」
「図面持ってこられて……ないですよね。じゃあ、ここでもう一度描きましょうか?」
サヤの提案にお願いしますと答えた。
そして数分後…………部屋の中が震撼した。
「な、なんだこれ……なんだこれ⁉︎」
「こっ、どっ、どういうことですか⁉︎」
「なー……。正直なんだこれって意外の言葉で表現しようがない構造だよな……。凄すぎるよ……」
サヤに描いてもらった手押しポンプの構造に、ジェイドもウーヴェも、ガウリィすら愕然としている。
ちなみにシザーは、皆に取り囲まれた図面が覗き込めず、後方でオロオロするばかりだ。
「私の家の庭にも古井戸があって、設置されていたんです。
今は庭の水やり用に使うくらいのものだったんですけど……昔は台所にもあったって、祖母が」
さらりと言うサヤに、皆が若干慄いている……。
「こ、これ……本当に、秘匿権放棄して、良いんですか?
一攫千金どころじゃ、ないと、思うのですが…………」
震える唇で、なんとかウーヴェが、そう、サヤに問う。
これの価値は、彼には充分すぎるくらい、分かることだろう。正直、サヤが欲をかかずにいられる人物であることが、奇跡だと思うほどに、凄まじい価値がある。
これ一つで、彼女は下手をしたら、国家予算なんて目じゃないくらい儲けられるかもしれないのだ……。まぁ、自ら作ることができればの話だが……。
「私には作れませんから、秘匿する意味が無いです。
それに、それだけ需要が見込めるものなら、なおのこと広めるべきだと思いますけど。
少量を高値で売るより、大量生産して一つを安く作れるようになれば、一般家庭への普及も夢じゃないと思うので」
生真面目にそう答えるサヤ。
一般家庭に普及することまでを考えていたことに、正直俺も少々慄いてしまった……。
彼女の見通す先は、俺なんかよりずっと、遥かに先なんだと、改めて実感する。
「まぁ……こういう驚異的な構造だ。
サヤからの案だということは、伏せてくれな。彼女を金脈だとして、狙う輩が現れないとも限らないから。
だからこれは、大災厄前の文明を研究して発見したもの……ということに、しておく」
俺の言葉に、皆が硬い表情で頷いた。
その様子に、ガウリィが今までとは違う理由で、頭を抱える。
「あんたら、頭の構造どうかしてるぞ……。
なんでこれで金儲けに思考が向かないんだ……。いや、助かるがな? こんな……世界のどこを探しても無いような物体が、食事処の調理場に設置されるって…………間違ってるだろう?」
世紀の発明品一号となりそうなものが、一介の村にある食事処に設置されるのだものな……。
頭を抱えたくなる心境がちょっと分かって苦笑してしまう。
「心配しなくても、公表すればすぐに広まりますよ。
あ、ウーヴェ、これをネタに、鍛冶屋をあたりましょう。とりあえずまずは、試作を製作してもらいます。完成品が機能したら、ここに設置。後は生産力次第で考えます。
これは構造が特殊です。一定以上の技量がなければ再現は難しいでしょうから、人選には気をつけてくださいよぅ」
「はい。一人、是非任せたいと思う職人がおります。誠実な人物なので、まずはそこをあたってみます。
量を考えるなら、一組では難しいと思いますので、随時職人は探していきます」
「あの……図ではこのように記してますが、これが正解の形ではありません。
原理さえ正しく機能すれば、別の形でだって再現できますから、色々工夫していただければ良いと思います」
そうなのだ。
サヤが描いてくれたのはあくまで一例。仕組みの原理さえ理解すれば、別の形状でも再現ができるらしい。なので、これの秘匿権は、原理に発生させるよう、念を押してある。木炭の教訓を活かしたというか……うん。
と、そこで。
もう一つ、金物でお願いしたい品があることを思い出した。
「あー……ついでに、卵割り器もお願いしてもらえるかな? それは、ウーヴェに頼もうと思って、図面を持ってきてるから」
「…………た、タマゴワリキ……ですか?」
「うん、そう。文字通り、卵を割る道具だ」
ハインが差し出した図面を見ると、皆が、テオシポンプの時とは違う意味で、慄いた。
「…………本当に卵を割るためだけの道具……なんですね…………」
「……落差が、すげぇ……」
「…………同じ頭から出てきた発想とは思えん……」
ダニルからということになってはいるが、この特殊な構造と発想はどう考えてもサヤだろうと、皆は分かっているわけで……。
なんだか空間が残念な空気に包まれた。
……うん。妙な緊張感が続くより良かったんじゃないかな。
◆
細々とした今後の予定が話し合われ、ガウリィからの報告も済み、途中からはガウリィと入れ替わりでエレノラが休憩に入ったり……と、そんな風に時を過ごし、食事処がひと段落したのは、夕刻手前。そこでようやっと、湯屋に向かった。
作りたての湯屋は、一度湯船の水漏れ試験に水を張ったことがあるのみで、まだ使用したことがない。
本日は、湯船に水を張り、石を焼く作業からなのだが、これは食事処で待機している最中に進めておいたので、あとはもう、湯を沸かすばかりだ。
カミルは手慣れた様子で立ち回り、その準備は滞りなく進んだ。
「じゃあ、入れるよー」
「あぁ、頼む」
お馴染みの派手な水蒸気と音。湯船は問題なく機能する様子で、支障は無さそうだ。
投入する焼き石の数は今後様子を見ながら確認してもらうということで、本日は湯温を見つつ、放り込んでいく。
頃合いだなとなったところで、そろそろ良いよと声を掛けた。
「こっちも適温です。問題無さそうですね。
ただやっぱり……脱衣所が心配です。
今は職人さんだけですけど……村として始めたら、鍵を掛けられる小分けの棚が必要かと」
「そうだなぁ。セイバーンみたいに、顔見知りばかりじゃないものな。
所属職人に、簡単なもので良いから鍵を作ってもらおうか」
脱衣所や風呂は、高い塀で隔てられているものの、上部が繋がっている。
各々で出入りして、気になる箇所を確認していったのだが、特に問題は無さそうな気がした。
皆にも問題点など見当たらなかったかを確認するが、大丈夫そうとのこと。
「さてと……それでは湯屋、試運転といくか」
本来は、入り口で料金を支払い入店するのだが、本日それは必要無い。振舞い湯というやつだ。
まずは数少ない女性陣と、メバックに戻る職人が優先で風呂を使ってもらうこととなったので、呼び集めてもらった。帰宅時間があるから優先だ。
湯屋の使い方は、慣れているユミルとカミル、エレノラとガウリィに指導を担当してもらう。
その間、無人となる食事処は我々が占拠し、食堂で休憩時間となった。
しばらく寛いでいると、男性陣の方から、湯を上がった者が戻ってきて、あれは良いと口々に喜びの声を述べてくれる。面倒臭いと言っていた者らも、おおむね良好な感想を聞かせてくれた。
本日は着たものをそのまま着直すしかなかったが、着替えを用意してくれば、もっと気持ちがスッキリすることだろう。
どうやら好評なようで、良かった。
まるで貴族みたいだと笑っている一同に、毎日とは言わないが、利用すれば病を貰いにくくなるぞと教えてやる。ただし、湯冷めには気をつけろと言っておいた。
「気持ち良かったああぁぁ。湯に浸かるなんて贅沢、人生で初めてだわぁ」
「本気で一般向けなのあれ? お貴族様しか使わないんじゃないの?」
「一回幾らかが気になる所よね……あぁ……だけどまた入りたい……」
「銀貨一枚とか言われたら困るけど……銅貨なら……ちょっとご褒美がてら、月に何度かくらいなら……」
女性陣が輪になってそんな話で盛り上がっている。
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「料金としては、一度が半銅貨となっているが、工事の間は無料だ。湯屋も利用も報酬に含まれるからね。
管理人がここに越して来たら、すぐに稼働するよ」
そう口を挟むと、女性陣の視線が一気にこちらに向いた。
「ほ、ほんとですかあぁぁ⁉︎」
「絶対入る、毎日入ります!」
「私着替えと手拭い持ってくることにする!」
「現場に来るたびに肌艶良くなって帰ったら、メバックでモテモテだねあたしら」
「そうかも~!」
一気に甲高い声が高まって仰け反る羽目になる。
元々があまり貴族と対したことがない人たちなのか、俺の身分を知っていても遠慮が薄い様子だ。
そのうえ視線がなんか……ねちこいというか……。な、なんでこっちをそんなにジロジロ見るんだ?
「はーい、あんたたち、レイ様は意中の人がいらっしゃるんだから、散った散った!」
少々怯えていたら、そんな風に言いつつエレノラが彼女らを追い払ってくれた。
「ええぇぇ、エレノラ姐さんそれ本当?」
「二番とか三番とかは?」
「お貴族様が私ら見るわけないでしょうが」
「二十番とかでも無いと思うわぁ」
「いやでも、周りの人らだってさ……」
各々がそんな事を言い合いつつ、店を出て行き……ホッと息を吐く。
び、びっくりした……。明け透けすぎてどう対応したら良いのか全然分からなかった……。
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「ごめんなさいねぇ、あの子らにはちゃんと言い聞かせとくから」
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「いえ、気にしてませんから」
そのサヤの声音に、ギクリとした。
妙に硬くて、抑揚の無い声音だったのだ。
恐る恐る視線をやると、サヤは俯き気味に、ただ視線を机に落としていた。
無表情の、仮面を被って……。
…………え? 今のどこに、気分を害する要因があった? 俺は別に、何もしてなかったろう?
「サヤ?」
「お気になさらず。なんでもありませんから」
「なンだよサヤ、妬いたのか?」
揶揄い混じりにジェイドが茶化すが、サヤは怒りもしなければ、恥ずかしがりもしなかった。
ただ無言を貫く。仮面のままで。
その様子に、ジェイドもこれはなんか、変だぞと思った様子。
ウーヴェも困惑気味にサヤを見て、だけど口を開きあぐねている様子で…………。
シンと静まってしまった空気。
しばらくそれぞれが、何を言うこともできずにいたのだけど……。
「すいません。……荷物を……帰りの準備をしておきます」
その場から逃げ出すようにして、サヤは食堂の二階に去り、少ない荷物を持って下りてきた。
「えっ、ひ、一人でか⁉︎」
「これだけしかありませんから」
言い捨てるようにして、足早に外へ向かってしまう。
慌てて立ち上がった俺の前に、サッとハインの手が伸び。
「シザー……」
それだけで、シザーはこくりと頷き、そのままするりと、サヤの後を追った。
そしてまた、静寂……。
……いや……食堂の中は、湯屋を堪能した職人らが、談笑を楽しんでおり、仮小屋へ住む遍歴職人らは、夕飯までの時間を食堂で過ごすと決めた様子で、席で寛いで雑談中だ。
静まっていたのは、俺たちの周りだけ……。
「どうしたんでしょうねぇ、サヤくん……」
「だから、妬いたンじゃねぇの?」
マルと、ジェイドのやりとりに、エレノラが「そういうんじゃないよ」と、言葉を遮る。
「あれは……そういう表情じゃ、ないよ……」
「じゃあ、なンだってンだよ」
「…………そうねぇ……諦め……が、近い気がする。娼館では、よく見たよ、あんな表情の娘」
「……?」
故郷のことでも、思い出したのか……?
それとも…………カナくんの……こと……か?
そう思い至ると、いてもたってもいられず、もう一度席を立ったけれど、ハインに鋭い声で呼び止められた。
「今、貴方が行くのは無駄です」
「は? 無駄って、どういう意味?」
「今の貴方では、なんの慰めにもなりはしないと言っているのですよ」
怒りを湛え、険悪に輝く瞳で睨まれて、更にわけが分からなくなってしまう……。
ハインまで……何を怒っているんだ?
輝く瞳が彼の怒りを如実に表現していて、譲る気はない様子。
ハインはどうあっても、俺にサヤを追わせるつもりはないらしい。
「まあ、サヤは大丈夫さ。あの子は強いから。護衛だってつけたんでしょ?
しばらく頭を冷やしたら、ちゃんと戻ってくるよ。そうしたら、理由を聞いてあげたら良いんじゃない?」
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