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暮夜 2

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 夕食を堪能し、随分と遅くなったため、姉妹のお二人をディート殿が送ってくださることとなった。
 いや、アギーの邸宅内だし、夜会も終わったので特に問題は無いのだけどね。賓客の方々はまだ残ってらっしゃるわけで、念のためだ。
 そうして、ひと段落ついたので、マルとハインを伴って父上の元へ。ついでに報告会だ。長くなるので説明は一度で済ませてしまいたかったし。

「……以上、契約書の捺印は明日の朝となります。
 といっても、内容は決定事項となっているのですが、問題無かったでしょうか」
「うむ……神殿に関しては、もういい加減逃げられぬ状況だったろう。
 今まで氾濫を理由にしてかわしていたようなものだからな。
 あの問題が片付いた以上、あちらが何かしら手を打ってくるだろうと思っていたし、拠点村から遠ざけられたならば、僥倖だ」

 父上は……俺が獣人を従者や影に持ち、村に住まわせることに、一切口を挟まない。
 拠点村の今後に関しても、何一つ口出しは無い。俺がやると決め、必要ということには全て、同意すると決めていらっしゃる様子。
 それは父上なりの、俺への罪滅ぼしなのだろう。そうして、俺に託すしかない領地の今後を、考えた上での行動なのだと思う。

 父上の次に、契約書を確認していたマルが全てを確認し終えた様子。それを机の上に戻した。

「よく交渉できていると思いますよぅ。あちらも満足していることでしょう。
 抑えるべき部分は抑えた……と、思わせておくことも大切ですしねぇ」

 そう言って笑う。
 元々受け入れざるを得なかったであろう事柄で、こちらに必要なものは全て得ることに成功した。
 痛みは伴わないのだから大勝利だということであるらしい。
 俺の判断に関しても、マルの考えと大した差は無かったようだな。

「ただ、神官を置かないことに関しては、また後で何か言ってくるでしょうねぇ。せめて信者を置けとか、孤児院管理の報告を寄越せとか。
 本気で全て手放しにはしないと思いますよぅ。そこをどうしてくるか……」
「プローホルの神殿は腐敗の進み具合も相当な感じだったし……あそこの者は寄越されたくないな……」
「誰か都合の良い神殿関係者が捕まえられると良いんですけどねぇ……」

 今まで神殿とは関わってこなかったからな……。これという伝手は思い浮かばない。
 父上にも心当たりは無いとのこと。そこは色々、心配だな……。

「まぁでも、ほとぼりが冷めた頃に言ってくるのじゃないですか?
 今は是と言ったてまえ、言いづらいでしょうからねぇ」

 マルのその言葉で、俺からの報告は一旦終了となった。
 続いて、ハインの報告だ。

「女近衛の正装に関する件ですが、狼を利用して明後日中に届けられるとのことです。もう出発して頂きました。
 セイバーンより遅れて出立となったエルランドとロゼも、無事リディオ商会へと送り届けたとの報告が入っていました。
 それから拠点村ですが、工事を再開したとのことです」
「あ、それで思い出した……。父上、領主の館の再建について……一つ提案があるのですが……」

 そこからは細々とした内容を話し合っていたのだけれど、コンコンと扉が叩かれ、一旦話し合いが中断された。

 扉前ではサヤとシザーが警備についてくれていたのだ。アギーの邸宅はどうやら隠し通路だらけである様子で、どこに誰が潜んでいるか分かったものではないので、サヤの耳が頼りだった。
 獣人に絡むことを口にする可能性がある時は、特に警戒が必要だ。

「お話中すいません。アギー公爵様より使いの方がいらっしゃいました」
「……続きはまた明日、帰路でとしよう」
「はい」

 話し合いは保留となり、扉の外に向かってみると、アギーの従者……先程馬車を操っていた方だった。

「夜分遅くに申し訳ございません。ご内密に、お会いしたいとのことです」
「伺います」

 従者の方に連れられ、人目を避けた移動となった。
 同行者はサヤとハインのみ。サヤは伴ってほしいと言伝られていたため、ハインが警戒したためだ。
 そしてどこぞの部屋より、壁の中を通り連れていかれた先は、またもや見知らぬ場所……。

「明日必要であると報告を受けたのでね、今日中に渡しておこうと思って急な呼び出しになった。申し訳ないね」

 今日は、アギー公爵様だけである様子。
 招かれた部屋は雑然と色々な小物が転がった、不思議な内装だった。なんというかこう……散らかってる?

「ここは私の隠れ家でね。この部屋だけは、好きなものを好きな場所に好きなようにしてて良いことにしているんだ。
 少々乱雑に見えるだろうが、許してくれると有難い」

 そんな私的な場所に通してもらって良かったのだろうか……。

「今日、春から着任する司教にも会ったそうだねぇ。
 既にアギーへお越しとは聞いていなかったのでね、良い情報をありがとう」
「いえ……不可抗力ですし」

 簡素な法衣を纏ってらっしゃるなとは思っていたけれど……お忍びであったようだ。
 もしかしたら、着任する地を先に見ておこうと思っていらっしゃったのかな。

「君は、彼の白髪に驚かなかったそうだねぇ。
 あれは、王家の白とは違う……と、分かったのかい?」
「いや、驚いておりましたよ。態度に出し損ねただけでなので。
 ただ……病ではなく、生死を彷徨うような怪我が原因であると、本人はおっしゃっていましたね」
「ふむ。確かに生きているのが不思議であるような怪我を負った経験があると聞いている。
 で、その白髪になった原因というのは、確かなのかな?」

 アギー公爵様の言葉に、そっと斜め後ろに立つサヤへ、視線をやった。
 俺の視線にサヤは、自分が答えるべきことなのだと理解した様子で、こくりと頷く。

「……生まれつき色素が作れない場合、肌の色も、目の色も同様に作れないのが、あの病である……と聞いています。
 人によって、微量ながら作れたり、全く作れなかったりで瞳の色は変わってくるのですけれど……。血管が浮いて赤く見える姫様のような、全く作れない方以外は、全て薄い色合いの瞳となるはずです。
 アレクセイ様は、日に焼けた肌をされており、瞳も濃い緑青色。
 陽の光で肌が妬けるならば、色素をお持ちです。
 であれば、やはり王家の病とは違うのだと思います。怪我が原因で、色素が髪色を作れなくなった……ということかもしれません」
「確信は持てない?    王家と同じ病を患ったということはないと?」
「あの病は……遺伝子の疾患ですから、人としての形を成している最中に起こる病……つまり、母胎の中でしか、発生しないはずです。
 それに……人は歳をとると、白髪が増えますよね。過度な重圧や肉体的な負担で、それが早まったと考えられるかと」

 サヤが、唇を噛み、少し俯く。
 記憶の中の知識を吟味しているのだろう。そして、確証が持てない知識に、恐怖を感じている……。
 サヤの手を握ると、固く握られていたそれが、スルリとほどけて握り返してきた。

「ふむ……。まぁ、どちらにしたとて変わらぬか。病であると公表する以上、あれの髪色に価値は無くなるのだしな。
 いや、すまんね。少々厄介な人物なのでね、彼は。不安要素は少しでも減らしておきたかったんだ」
「……アレクセイ様が、厄介……ですか」

 アギー公爵様は、詳しくは述べなかった。ただうっすらと笑って、話は終わりなのか足を進めるものだから、慌てて後に続く。
 だが、その言葉は俺の耳に残った。
 厄介……か。
 あの人は……サヤが自身の黒髪を肯定した時、サヤを強く欲したと、俺は感じた。
 あの瞬間、妙な危機感に支配され、俺は自然と足が動いたのだ。
 その後は、特別違和感を感じたりはしなかったけれど……だけどあの瞬間だけは……。

「二年ほど前かな。うちのグラヴィスがなぁ、彼を真っ黒だと言ったんだよ。
 あれはのらりくらりと政治から逃れて、極力関わらぬようにとするのだけどね、何故か彼を見た時、わざわざそう忠告してきた。
 それで一応、警戒しているというだけなんだがね」

 そのアギー公爵様の言葉に、つい足が止まった。

「……グラヴィスハイド様が?」
「そう……あの時アレクセイ殿は一介の司祭でしかなかったし、髪色も隠していたし、ただ通り過ぎただけだったんだ。
 なのに、何故か急にね。それまで逃げ回っていたのにわざわざ引き返してきて、そう言ったんだよ。気になるじゃないか、ねぇ?    そんな言い方をされたんじゃ」

 そう言ったアギー公爵様が、俺に飲むかい?と、瓶を差し出してきた。
 独特の香り……葡萄酒であるようだ。いいえと首を振ると、今度はサヤの前に向けられた。

「あ、申し訳ございません……私の国では、成人まで飲酒は許されておりません……」
「成人まで⁉︎    ここでは五歳でも飲むんだよ⁉︎」
「……そうなんですか?」
「いや、そうだけど俺は……極端に弱いんだ。頭が働かなくなる」
「なんだそうか。三年前も全く口にしていないとは思っていたんだ」
「……覚えてらっしゃらないんじゃなかったですか?」

 そう聞き返すと、笑って誤魔化された。……姫様、絶対この人の影響受けてるよな……。

「まぁそれでだね、レイシール殿の見解を伺いたいというのもあったんだ。
 君は、アレクセイ殿をどう思った?」
「……何故私なのでしょう?」
「君も結構読める人なんだろう?    グラヴィスが随分と目をかけていたとも聞いているよ」

 ……途中で見限られた感がありますけどね……。と、頭の中だけで考えた。
 でもそれは、言うの必要のないことなのだろう。アギー公爵様は当然知っているのだろうし、それを踏まえても、俺の意見は求められるのだ。

 今一度アレクセイ様について、思い返す。

 ……あの瞬間以外に、彼は特別強く感情を、動かさなかった。
 珍しいものには視線をやったけれど、それは誰もがそうする自然な行動だといえば、それまでだ。
 交渉の最中も、穏やかに凪いだ感情で、意思の揺らぎを感じにくかった。
 つまり彼は……始終冷静だった。

「……とてつもなく冷静な人だと思いました。
 表面に出している感情も、意図して出されている……というか、感情の全てを意思の力で支配しているというか……。
 真っ黒だ……という、グラヴィスハイド様の表現の意味が、よく分からないのですが……交渉の最中も、目先の利益に飛びつかず、先を見据えた提案をされておりましたし、その選択が周りに与える効果に対しても、配慮されていて……かなり頭のキレる方かと」

 そう、例えば交易路の収入から一分を寄付にするという提案もそうだ。
 これくらいなら……と、考えられる金額。神殿建設が終わって寄付が終了するまで何十年と掛かることを想定し、例えその時期が来たとしても、理由を忘れ、そのまま支払い続けることを選択する可能性も高くなる。
 そして例え打ち切りとなっても、この金額なら内部への影響は無いに等しい。神殿のがこの金額をあてにしない、神殿側の運営をも考えてあるのだろう。
 神殿と貴族であるからこそ、できる提案であり、必ず実行される約束事だ。じっくり時間をかけて、本来の約束事を過去に押し流す忍耐力のある提案だった。
 そして、その寄付が続いている以上、神殿の権威は補強される……。俺たちに意識させず、潜在意識の中で優位に立つ。

「ふむ……これは面白いな。
 そうか、とてつもなく冷静か。うん……あ、これを忘れぬうちに渡しておこう。新しい領主印だから。
 古い方は部屋の暖炉の、灰の中に放り込んでおいてくれるかな、掃除の時にでも回収させる」

 もののついでのように話が飛んで、一瞬呆気にとられてしまった……。
 ……あ、そういえば一番はじめに、渡しておこうと思って……とかおっしゃってたっけ。……領主印のことだったのか……。
 受け取った領主印はなんと箱にも入っていなかった……。困ってとりあえず懐の隠しに入れる。帰ったらすぐ父上に渡そう……怖い。持ち歩きたくない……。

「ふむ。参考になった。
 で、明日だけどね、アレクセイ殿が来られたら、人をやろう。私の立会いのもとで、セイバーン殿がその領主印を使用するだけなんだろう?」
「は、はい……お手を煩わせまして……」
「いやいや、良い判断だ。第三者の立ち会いは必要だと思うよ」

 そう言ったアギー公爵様は、瓶の葡萄酒をやっと硝子の器に注いだ。
 それをひと口、ふた口と味わってから「手間を取らせて悪かったね」と、おっしゃった。……帰って良いってことかな……。

「領主印、ありがとうございました。戻り次第すぐに、対処致します」
「うむ、頼んだよ。では今後とも、娘共々よろしく頼む。君とは楽しい関係が築けそうだ」

 アギー公爵様のその言葉を最後に、俺たちは部屋を辞すこととなった。
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