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病と政 5

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 ここで陛下に直談判を挟んだことも、実は計算尽く。マルよりそうするようにと助言を受けていた。

「陛下はどうせご自身の目で確認したがります。
 ですから、こちらが何をせずとも、舞台は整うと思いますよぅ。後は、レイ様の演出次第かと」

 新設の役職。下位の男爵家の、成人すらしていない俺が我を通すには、正しき順序を守っているだけでは駄目だとマル。
 まだ周りの警戒心もゆるいであろう初手に、最も重要な部分は押し通してしまうべきだと。

「手押し式汲み上げ機は、皆さん欲しいと思うでしょうねぇ。まだ世に出てない、大災厄前の豊かな時代を感じる、特別な道具だとね。
 これの値段、我々からしたら大金でしょうが、貴族方ならば多少悩んでも融通はきくであろう金額です。
 だから、秘匿より、公開を希望する意識が必ず働きますよ。
 まぁ、先を見る目のある方は、反対意見を出して来るかもしれませんけれど……どうせそれは少数派でしょう」

 先の、更に先を見る方は、もっと少ないでしょう。と、マル。
 だから、気付かれる前に、楔は打ち込み終えておきましょう。
 我々の一手は、一つの役所だけをこなしていたのでは足りない。先の更に先へ、手を伸ばさなくてはならないのですから……。
 そう言って、にんまりと笑った。

 俺がそんな、マルとの会話を反芻している間にも、周りの騒めきは高まっていく。
 返事を待つ俺に、陛下がまず仰ったことは……。

「して、これの価格は如何程だ」
「…………陛下」
「分かっておる。だがそこは重要だろう。
 この汲み上げ機とやらがどれほど優れたものであったとしても、蓄えを貪り尽くすような値段をしていたのではたまらぬではないか」

 ルオード様のやんわりとした制止の声を、陛下は跳ね除けた。
 隣の近衛総長殿は全く感情を伺わせない無表情。この方も豪胆な方なのかな。汲み上げ機に驚きが無いとは思わないのだけど……。
 陛下の言葉に、ルオード様は小さく息を吐き、直立の姿勢に戻ったから、これは答えて良いということなのだろう。

「…………現在は、基本型が金貨二十七枚となっております」

 俺の答えにまた周りが騒めく。
 けれど、それは法外な金額に……という感じではなく、それならば直ぐにでも手が出せる。といった雰囲気だ。
 そう。そうやって、目先の利益をまずは追う。

「基本型?」
「お持ちしております、こちらをそのまま作る場合です。
 見ての通り無骨で飾り気ひとつないものでございますが、例えば握りの長さを変えたり、飾り彫りを加えたり、注ぎ口の形状を改良したりなど要望が加われば、その都度追加料金がかかります。
 更に今ですと、セイバーンからここまで輸送し、設置しなければなりませんから、輸送費も人件費も掛かりますし、職人の移動も必要ですので、手続きも発生しますし……」
「成る程。その加工という付加価値の部分で更に利益を出すか。
 基本型は一律の金額であっても、その先は職人の采配に委ねていると……。
 確かに、輸送、設置を考えると、セイバーンでのみ製造していたのではたまらぬな……」
「地域によって材料費にも差があります。セイバーンでは金貨二十七枚ですが、他領ではまた違ってくるでしょう。
 もっとも……この製品はもっと安価にできるよう、これから研究していくつもりですが……」

 だがそこで「成りません!」という大喝が入った。
 驚き視線をやると、それはエルピディオ様。
 それまでの温厚な表情をかなぐり捨て、厳しい口調で俺を指差し、唾を飛ばして抗議の声を上げる。

「これがその程度の値段で済まされるはずがありません!
 陛下、其の者はこの国の根幹を揺るがしかねない過ちを侵そうとしております!」
「過ちとな。
 はて……それはどんな過ちだ?」
「秘匿権という、この世を支えることわりを揺るがす、大きな過ちです!
 秘匿権は、特別な技術にはそれ相応の対価が必要であると認めるための法。更に、その特別な技術を正しく守っていくための法でございます!
 そのように簡単に世に晒しても、本来の形に遠く及ばぬ劣悪なものが出回るだけにございます。
 そしてそれは、正しく守るべき技術を汚し、貶める。価値どころか、形すら歪めます!」

 この方が声を荒げるというのは、どうやら珍しいことであるようだ。
 それは、周りの方々の驚きから伺える。
 オゼロは特別な秘匿権を数多所有する貴族であるから、やはりそこを見逃しはしないか……と、俺は内心で溜息を吐く。
 けれど、表情には出さない。そこはもとより、突かれる覚悟をしていたし、もう対策は講じてある。

 それに感情を荒げて見せているのも演出だ。
 公爵家の領主であり、大臣であるこの方がそうすれば、たとえ問題と思っていなくともそれに従う者が出てくる。そう計算しての行動。
 実際賛同するかのように、手が打ち鳴らされ、賛成の声が上がった。
 だから俺は、敢えて冷静に、淡々と言葉を返すことにした。

「そうはならぬよう、ブンカケンを作りました。
 先程述べました通り、秘匿権を利用するならば、それ相応の技術を身につけてもらうための研修が必要ですし、製造許可を得るためには試験も必要です。
 また、製造した製品には全て製造者の番号が振られ、それが無い品は秘匿権を侵害していると見なし罰せられます」

 秘匿権の価値を貶めぬための方策は、既に組み込まれてあるのだと伝える。
 ただ思いつきで、突っ走っているのではないですよ。

「国全体に拡散しておいて、それが其方に把握できるとでも言うつもりか⁉︎」
「少々難しいかもしれませんね。ですが、手段は講じております。
 製品と、製造番号を持参し問い合わせていただければ、それが正しく作られたものかどうか、正規の品かどうかは判断できます。
 そうすれば、買った店を特定できます。
 我々は販売業者にも地方行政官の正規販売先であるという認可証を出しておりますから、例え行商人であっても、誰が売買したものか突き詰めることが可能です。
 その上でもし偽装品であったのだとしたら……それはもう、犯罪ですからね。その業者の洗い出しに手を抜くつもりはありません」

 今の販売元は吠狼のみだが、これから業者を増やしても、同じようにするつもりだ。
 その上で犯罪に手を染める者が出てきた場合も、当然対処するし、そうできるように準備している。
 なにより、吠狼とマルの情報網を甘く見ないでもらいたい。彼らはこと情報収集に関しては、専門家だ。

「あ、不良品であった場合は、良品との交換も可能ですよ。対価を払ったのですから、それ相応の品でなければ納得できないのは当然です」

 そう返すと、凄い視線で睨まれた。
 先手を打たれているとは思ってなかったのかな。
 だけど、こちらだって人生をかけて、この事業を立ち上げているのだ。役職を賜ったのは後付け。それに胡座をかくつもりは、毛頭無いんですよ。

「それにお忘れですか。
 地方行政官という役職は、当代における臨時の官職。この役職も、秘匿権無償開示も、いわば試験的な導入です。
 私の提案すること全てが、やってみなければ分からないのが現状。
 ですが、今を乗り切ることに利用する価値は、充分にあると考えております。
 王家の病に民が振り回されるのも、今年一年のうちくらいのもの……王家が、今までと変わらないことが実感できれば、自然と落ち着いてくるでしょう。
 それまでを乗り切るため。そう割り切るのも、一つの考え方ではございませんか?    時代にそぐわないとなれば、自然と淘汰されると思いますし」
「タダで餌をばら撒けば、食いつくのが当然であろう!
 そして次にはそれを当たり前としてくるのだ!」
「ですが、差し出すのは我々が研究し、発見し、提供された秘匿権のみです。
 そしてこれからも、新たに発見したものを年に数個提供していく。誰の懐も痛みませんが?」

 今まであったものが奪われるわけではない。
 そう言うと、周りがホッと息を吐いたのが、広を見る視線に切り替えていた俺には分かった。
 実際、痛いのは俺の懐だけだと、皆が考えているのは明白で、その意識が大半を占めていることに手応えを感じる。

 何より、欲しいでしょう?    この汲み上げ機が。
 もしここで反対してしまえば、これは手の届かぬ場所に行ってしまいますよ。
 検証期間に入るから、世に出るのです。そうでないならば、金貨二十七枚なんて金額では手に入らない。値段が十倍以上に吊り上がることだってあるでしょう。
 そして鍛治職人を他領に動かすための許可を得るには、膨大な時間が掛かる。当然地位の高い方、財のある方が優先されることになり、これの設置ができるのは、その膨大な金額と、時間経過が許せる者だけになる。

「確かに……今を乗り切ることがまずは先決ですな」
「左様。この混乱を鎮めるためにも、これは有用でしょう」
「これと交易路……。確かにこの公的事業は、民にとっても利益が見えやすい。
 今これを打ち出すだけの価値はありますな」

 そう。そうやって、今ここで決断を下してしまいましょう?

「皆の者、目先の利益ばかりに囚われておらぬか⁉︎
 この先脅かされるのは…………っ」
「ですが、では他の手立ては、ございますか?」

 そこでそう口を挟んだのは、アギー公爵様。

「民の嘆き、先ほど我々は耳にしたはず。
 そして王家の病は、我々にも巣食う。種は、我々の身にも宿っておるのですぞ。
 今ここで駆逐せねば、滅ぶ未来とて、そう遠くない。今戦わねばならぬのです。
 そのための手段を、選んでいる場合ではない。違いますか?」
「私も、アギー殿に賛成です。
 秘匿権を数多捨てることになる地方行政官長殿には申し訳ないが、それ以上の良策が、私には思い浮かびません……」

 ヴァーリン公爵ハロルド様も、そう賛成の意見を述べてくださった。
 ハロルド様は特に、身内に白の病を抱えていらっしゃった身だ。病の駆逐を強く願うと思っていた。

「そうですな……交易路の費用を捻出するには手段が必要。民の心を落ち着かせるにも手段が必要。
 そのどちらをも、この一手で賄える…………」
「なにより地方行政官長殿は、自らの利益を得るために、そうしているのでないのは明白」
「大災厄前の研究か……。今までは、秘匿権を捨ててまでそれを成そうと言う者は、なかったものな……」
「有意義なことだと思う。このような物が当然となれば、フェルドナレンは豊かになるに違いない」

 沢山の声が重なり、騒めきが大きくなる。
 その中で、法務大臣となられたベイエル公爵様に視線が集まった。

「……法を侵すには至らぬと考える」

 俺はそれを、心地よく聞きながら、陛下のお言葉を待った。
 もとより陛下は、賛同者。是の答えしか無いのだけど、ゴリ押しにゴリ押しを重ねるより、すんなりと意見が通る方が良いに決まっている。
 支持、賛同の声の高まりを待っていたであろう陛下が、スッと手を挙げた。
 それにより、場が静まる。

「その素晴らしい発見を、其方は王家のために差し出すと言うか」
「王家を支えるは、我らの責務でございます。
 王家の安寧あってこそのフェルドナレン。
 なにより私の愛する者たちが暮らす国。豊かであってもらわねば、困ります」
「胡散臭い言葉を平気で吐くのだな」
「本心からの言葉ですが?」

 つい姫様とやりとりしていた頃の癖が出てしまった。
 言い返した俺に、長の方々がギョッとした表情になるが、陛下はそれにくつくつと笑う。

「それだけ私財を投げ出されてはな……文句も言えぬわ」

 その言葉にも、俺は賛成し兼ねますよ。

「私財などとは、考えておりません。これはかつて我らが持っていたはずのものです。
 私が発見したとも、思っておりません。皆で探し出したものです。皆で使うのが当然のこと。
 かつての繁栄。それを正しく、取り返す時が来た。それは、ここまでこの国が、豊かになればこそ、今までの王家の献身があってこそです。
 病を背負い、それでも耐えてくださっていたからこそ、踏み出せた一歩であると、私は考えております」

 サヤの知識を利用しているのだから、正しくかつての繁栄ではない……。
 それは陛下も、薄々分かっていたろう。全てが俺の見つけ出した秘匿権ではない。サヤの知識も、含まれているのだろうと……。
 けれど彼女がどういった人物か。それも陛下は、よくご存知だ。

「皆で幸せになりましょう。
 そのためにこの役職を賜ったのだと、私は理解しております」

 そう言い笑うと、数多の人が何故か顔を背けた。……え?    なんで?

「…………あの?」
「…………いや、お主それは反則だぞ……」
「は?」
「なんでもない。其方の忠義、しかと受け止めた。どちらにせよ、今の我らに、他の手段は無さそうだ……。
 否を唱える者らよ、代案を出すが良い!
 そちらがより有用となれば、皆も賛同しよう」

 その言葉を最後に、場が静まった。
 そのまま暫く待つ。けれど……声を上げる者は、現れなかった。

「うむ。では、これを答えとする。
 地方行政官長、レイシール。其方の望むように成そう」

 陛下の言葉に、俺たちは揃って敬礼し、決定を受け入れた。


 ◆


 その後会議室に戻り、会議が続けられた。
 しかし、やはり俺たちのことがこの会議の主要な題材であった様子。これが通れば、後は結構すんなりと進む。
 なにより、膨大な資金が必要だろう交易路計画だったのだが、あの汲み上げ機で結構稼げそうだぞという判断に繋がったようだ。それも見越してこれを出して来たわけだけど、大盤振舞いして良かった。

「はー、今日までの丹念な下準備が全部実りましたぁ……大変でしたぁ……!」
「突っ込まれそうなところは全部潰したんですから当然です」
「そうは言っても、想像外の横槍が入るもんなんですよ、こういう時は!」

 離れに戻った俺の報告を聞き、マルやハインがそんな感想を返してくれた。
 そうして最後に……。

「お疲れ様でした。無事大役を果たしていただけたようで、安心しましたよ」
「マルのおかげだ。本当に」
「やめて下さいよ。当然でしょ、それが僕の仕事なんですから」

 珍しく照れているマルに、皆が笑う。
 皆のホッとした顔が、精神的に削れた俺の気持ちも癒してくれた。
 あれだけの衆人環視に晒されたのだから、平気な顔をしておくのも結構大変だったのだ。

「でも、これからですからね」
「そうだな。確実にオゼロは敵に回してしまったし……」
「んっふふふ、大丈夫ですよぅ。オゼロ公爵様は利に聡い方です。
 ならばこそ、彼の方には対処できると見越したんですから。
 次も踊っていただきますよ」
「…………公爵様相手に強気だな……」
「だって僕は相手しませんもん。レイ様にお任せですから」

 へらへらと笑い、いつもの調子を取り戻したマルが言う。
 俺はそれに苦笑して、肩を竦めた。まぁね。それが、俺の役割だものな。

「あ。あと、明日は騎士訓練所だから、マルも来てくれよ?
 湯屋の見積もり渡さないとだし、説明もしないと。それとなくリカルド様のご機嫌も、取っておかないと……」
「クロード様を引き受けたんですから、それくらい利用させてもらって当然です」
「…………ハインはたまに最強だよなって、俺は思う……」
「…………」

 しらっと平気で豪胆なことを言うハインに、オブシズとシザーは疲れた様子だ。
 この二人は常識人だもんなぁ。色々心臓に負担をかけたことだろう。

「皆も良くやってくれた。
 明日を過ごしたら、一応一通り終了だから。
 セイバーンに戻ったら、少しゆっくりしような」
「そうですね」
「あ、でも十日間も休みはいりません」
「そうだな、あれは逆に疲れる……」
「ウーヴェさんやアイルさんも忙しくしてるでしょうし、ちょっとだけにしておきましょう」
「お前ら……働いてないと死ぬのか?    それ、だいぶン病ンでンぞ?」

 ジェイドが呆れた様子でそんな風に言う。
 それには皆で顔を見合わせて……肩を竦めた。
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