異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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もし……

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 赤子は見ていて飽きない……ほんと可愛い。
 俺たちが遅い昼食を済ませた頃にはレイルも戻っていて、現在は衝立の向こうでノエミに乳を貰っている。
 赤子というのは二時間おきに腹を空かせ、乳を飲むそう。固形物の食べられない赤子の胃は、乳でしか満たされないうえ、小さいから入る量が少ない。
 あっという間に満杯になって、あっという間に空っぽになるのだそうだ。昼も夜も、関係なしに。

 だもんで、この乳も今日何度目になるか分からないレイルの食事。
 その間俺は、先に乳を貰い終えたサナリの遊び相手を務めることにした。ロゼもお昼寝中で、遊び相手に欠員が出てしまっていたためだ。

 うつ伏せでヨダレを垂らすサナリが必死で首を持ち上げて、俺の指が床を歩くのを目で追いかけていた。
 ぷくぷくのほっぺには紅がさし、サナリの興奮ぶりがキラキラと輝く瞳でよく分かる。
 服を着ている赤子が、必死で動くその姿はとても愛らしい。
 右に進めば頭ごと右に、左に戻れば左に……。顔に近付けると、手を伸ばして掴もうとする。けれどあまりにゆっくりだし、目算が合わないのか、指をもどかしそうに動かすだけで、かすりもしないのだ。

「ふふふ……」

 不器用だなぁ。赤子というのは、こんなに動きがぎこちないんだな。
 だぁ、うぶぅ、と、よく分からないことを必死で喋っているのも面白い。
 サヤの持ってきた布おもちゃというのを振ると、サナリは嬉しそうに笑った。キャっと歓声まで上げて、興奮のあまり勢い余ったのか、ゴロンと転がり仰向けに戻ってしまって、不可抗力だとばかり、驚いたみたいに瞳を見開く。
 その様子が可笑しくって笑っていたのだけど、横から手が伸びてきて、サナリを抱き上げてしまった。

「サナリちゃん、もうげっぷはさせました?」
「げっぷ?」

 赤子はげっぷもするの?    小さくてもいっぱしの人間なんだなぁ。

「もう!    そうじゃなくて、げっぷしないとお乳を吐き戻してしまうかもしれないんです。
 胃がまだ小さいし、お乳を飲むのも上手じゃないから、空気まで飲んでしまっていたりするんですよ」

 そう言いながら、サナリの背中をトントンと叩いたり、脇をさすったりするサヤ。
 サナリはきょとんとした表情。

「四ヶ月くらいまでは、一応気を付けておく方が良いって言ってましたから……。
 哺乳瓶じゃなくて母乳だから、そこまで心配しなくても良いかもしれないんですけど、念のため……」

 トントンとリズミカルに背中を叩かれているサナリ。そのうち瞳が閉じだして、口元からとろんとヨダレが……っ。

「サヤっ」

 慌てて手拭いを、肩とサナリの口の間に挟んだ。それと同時くらいに、けぷっと、溜息のような音……。

「……これ?」
「出ましたね。このまま寝かしつけましょう」

 ふんわりと笑ったサヤは、そのまま体を揺らしながら、何かの旋律を口ずさみだした。

 あまり高くない、落ち着いたサヤの声音で歌われる、聞いたことのない歌……。
 ゆりかごの歌を、金糸雀が歌うという歌詞。
 短い歌詞が、繰り返される歌で、金糸雀が枇杷の実になり、木鼠になり、黄色い月になる……優しい歌だ。

 サヤの母親は、遠く離れた異国に、サヤを残したまま行ってしまったと聞いていたけれど……サヤに沢山の知識を残しているのだな……。
 遠く離れていても、話ができる手段があると言っていた……。それでも、お互いが繋がろうと思わなければ、繋がらぬだろうに……。
 だから、サヤの母親は、それだけの時間をサヤに割いていた。愛していたのだ……。

 こうして見ていても、サヤは良い母親になったのだろうと、思う。
 ヨダレを垂らす赤子を、嫌がりもせず慈しみの目で見ていたし、他人の子でも、優しく抱いている……。
 キュッと、胸が締め付けられて、それを誤魔化すため、俺は口を開いた。

「慣れているんだな」

 そう声をかけたら、歌声を一瞬止めて……。

「職業体験やボランティアで……やったことがあるので」
「ボラ……ン……?」
「お手伝いみたいなものです。
 おむつ交換は、やらせてもらえませんでしたけど……抱っこは沢山しました」

 そう言い、また歌に戻った。

 …………サヤの世界に戻れていれば……。
 サヤは自らの子を、いつかこうして抱いたのだろうか……。
 そうすれば、今以上に優しい表情で、声音で、赤子をあやしたのかな……。
 花嫁に憧れを持っていたサヤ。
 暫くただ眺めていたのだけど…………ふと、ある考えが脳裏をよぎった。

 もしかしてサヤが憧れていたのは…………花嫁ではなく、母親?

 白い衣装を身につけて嫁ぐのだと、頬を染めて言っていた時……サヤはなんと言っていたか……。
 二人で、新しい家庭を築く為に、まっさらから始めるのだという考え方が、好きです。……と、確か、そんな言葉……。
 家庭を築く……。当然それは新たな営みを始めるということで、夫と共に、子を成し、家族を増やして生きていくことだったろう。
 サヤの世界に戻れていれば、彼女はごく普通に、結婚し、子を産んで育み、育て、歳を取って孫に囲まれる……。そんな未来があったのだろう……。

「………………」

 皆が、俺の血を残すことばかりを、気にする……。
 だけど、この地に血を残せないのは、サヤも同じ……。
 この世界の誰とも、子は成せない。だから、最初から最後まで独りなのだと、それに慣れなければならないのだと、彼女は泣きながらそう言った。
 帰り方が分からない……戻れない以上、彼女はどう足掻いても、孤独のまま……。
 だからせめて俺は、彼女の孤独に寄り添いたいと思った。共に手を握り合っていたいと願った。

 でもそのせいで、余計にサヤを苦しめても、いるのだよな……。

 貴族であるから。後継であるから……。
 成人し、婚儀を済ませれば、サヤは俺の妻となる。
 そうなれば、いつまで経っても子を成せないことを……責められることになるだろう……。
 必ず近い未来に、そんな運命が、待っている……。

 そうなった時彼女は……………………サヤはそれに、耐えられるだろうか……。

 揺れる背中。赤子の頭を左肩に乗せ、歌われる歌……。
 彼女はこれを失って、そのことを更に、責められるのだ……。
 守るつもりでいる。絶対に独りにはさせない。誰が何を言おうが、手を離さない。その覚悟をしている。
 だけどサヤは?
 俺がどれだけ庇おうと、彼女は傷付くのだろうし、例え館の一室に閉じ込め、囲い込んだとしても、彼女を責める言葉の全てを遮ることは、できないだろう。
 俺が守ることが、余計にサヤを追い詰め、苦しめるかもしれない……。

「眠りましたね……」

 ぐるぐると深く沈み込んでいた思考から、その言葉で我に返った。

「サナリちゃんの篭、どこでしたっけ……」
「あぁ……持ってくる」

 そっと立ち上がって、部屋の端の方に置いていた籠を持ってきたら、サヤは慎重に、ゆっくりと……サナリを篭に下ろした。
 そうしてそれをゆらゆらと揺らし……。

「ゆりかごって、ないんですか?」
「…………これじゃないの?」

 ゆりかごだし、揺らす篭……って意味だと、思ってたんだけど……。

「ないんですね。……じゃあベビーカーもない?……無いですよね」
「ベビーカー……」

 それ、なんでそんな変な音の羅列なのかな……。

 俺の反応に、サヤはくすくすと笑った。
 丁度レイルに乳を飲ませ終わった様子のノエミが、衝立の中から出てきて、レイルもどうやら眠っている様子。
 それを見て優しく微笑んだサヤは、唇の前に指を立てて、静かに俺を、家の外へと促した。
 扉をそっと、音を立てないように閉じて、暫く歩いてから……。

「二人を寝かしつけたら、ノエミさんもやっと少し休めますね」
「母親って、思っていた以上に大変なんだな」
「本当にそうですよね。聞いていたよりもやっぱり、全然大変そう。でも……」

 幸せそう。

 にこりと笑ってそう呟いて、ふっと、視線を逸らしたサヤ。
 その一瞬の翳りに、俺が気付かないと思う?

 手を引いて、木陰に引き込んで、そのまま抱きしめた。

「どうしたんですか?」
「サヤが可愛くて、こうしたくなったんだ」

 苦しさと悲しさで、どうしても顔を歪めてしまった。
 だけど声は、弾ませて、明るく茶化したように……そう、聞こえるように……。

 少しの間、サヤは黙っていた。
 そして俺の肩に、頭をもたせかけたまま……。

「もうっ、少しだけですよ」

 と。
 普段なら、あかんって、言うのだろうに……。
 明るく、優しく、言ってくれた……。

 覚悟してる。
 絶対に、手を離さないと。共に歩むのだと。
 子ができるかどうかなんて関係なく、サヤが必要で、サヤと生きたいのだ。
 だけど…………。
 後継が、どうこうじゃなく……。
 サヤに、赤子を抱かせてやれない……。自らの子を、慈しむことを、させてやれないかもしれないのだと、そう思ったら……。
 ノエミのように、赤子を抱いて、乳を含ませ、それを優しく見つめる……そんな光景は、訪れないのだと、そう思ったら……。
 よく分からない、悲しみのような、愛しさのような、苦しみのような……それでも一緒にいたい、それに後悔なんてないって、そんな纏まらない感情が、溢れそうだった。

 愛しいのだ。それでもサヤが。
 だから、ごめん。だけど、ありがとう……。

 森のどこかから、夕食の準備なのか、芳しい香りが漂ってきている中、俺は暫く、サヤを抱きしめていた。
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