異界娘に恋をしたら運命が変わった男の話〜不幸の吹き溜り、薄幸の美姫と言われていた俺が、英雄と呼ばれ、幸運の女神と結ばれて幸せを掴むまで〜

春紫苑

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終幕 11

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「イェーナ」

 肩を掴むと、彼女は驚いた顔で、俺を見上げた。

「ウォルテールは、最後なんて言ってた……」
「え……」
「悲鳴に聞こえた。何を叫んでた。あいつは何か、訴えてたんじゃないのか」

 獣化するときの様子だって、おかしかったんだ。
 なんであいつは獣化した? なんで涙を零した? ずっとあの表情が、声が、頭から離れない……。
 こんな状況にまでなって、まだあいつのことを気にして、皆に迷惑かけてしまうと分かっている……なのにやっぱり……。

 引っ掛かるんだ。
 あいつが俺に言った言葉が。

 世界はこの形でできている。
 世界はこれで、均衡が取れている。
 今の形なら、このまま保てる……。
 世界を壊さなくて良い。見えないままであれば、無いものとして扱える……。

 今日の様子が、あいつがこの群れを裏切ったということが、その答えをくれた気がする。
 もしあいつが、このアヴァロンに潜ませてあった兇手らと同じく、駒として使われている身ならば。
 あいつはあいつなりに、必死で俺たちを巻き込む歯車……その噛み合わせから、俺たちを外そう、逃れさせようと、足掻いてたんじゃないか……。
 今までだって、本当は言ってはいけないことを、言えることのギリギリまで伝えてくれてたんじゃないか。
 仲間だと思ってくれていたから、あんな風に涙したんじゃないか。
 そう考えると色々辻褄が合う気がするのだ。

 そう……もし、ウォルテールに元から、主がいたとしたら。

 その主の命令が絶対だ。
 獣人の血が濃い彼は、それに必死で従おうとするだろう。
 どんな役割であったって、それが辛く苦しいことだって、彼は受け入れる。
 俺はそれを知ってるんだ……身をもって知っている。

「イェーナ!」

 もう一度名を呼ぶと、彼女は瞳を潤ませて俺を見た。
 まるで、ウォルテールを助けてほしいと訴えているようなその視線に、確信を強めたけれど……。

「イェーナ」

 そこでアイルの声が、イェーナの名を呼んだ。
 余計なことは言うな。
 そう含められた、硬い声。
 これは……俺に伏せられた何かがある。

「アイル」
「今は逃げることを優先すべきだ。あんたの命が俺たちの最優先事項」
「アイル、聞いてくれ」
「今は駄目だ」

 険しい表情で俺を諌めようとするアイルの右腕を掴むと、彼はギクリと身を固めた。
 ここに、頭であるローシェンナはいない……そしてジェイドも不在の今、アイルがここの吠狼らを率いている。
 だから彼は、ただ主の言葉に是と答えていてはいけない身だ。
 皆を統べるために、本能を抑え込むことができる彼は、この先ローシェンナと同じく、彼らの中の長となるべき身なのだと思う。

「マルが探していたものが、ここにあるのかもしれない」

 だからこそ、彼なら理解してくれると思った。

「ウォルテールは俺に、世界の形の話をしたことがある。
 世界はこれで均衡が取れているのだって、だから手を引いてくれ、今のままなら、伏せておけたなら、無いものとして扱える……そう言ったんだよ」

 ピクリと眉が反応した。
 ウォルテールの言葉を吟味するかのように、視線が空虚を彷徨い、俺が掴む腕に力が篭ったのが、筋肉の動きで伝わってくる……。

 そう。おかしいよな……。まるで世界の均衡を保つ必要があるみたいな言葉。
 おおよそ獣人らしくない言葉。
 まるでそう教え込まれて来たかのような言葉だ。

「ウォルテールに元から主がいたなら、その人物がここに来ていたなら、あいつは逆らえないんじゃないか?
 本心では拒みたいと思っていても、拒めない……一度捨てられた身だったら尚のこと、抗えない」

 その言葉に、アイルの瞳が見開き、俺の視線と交わる。

 出会った当初、群れに馴染まず、我を通すことしか知らなかったウォルテール。
 群れで過ごすならば備わっていて当然の、習慣や決まり事すら、理解していなかった。
 拒絶されることに強い恐怖心を持っていた。
 頑張ったと褒められることに、慣れていなかった。
 見てきた彼を思い描けば、それまでの彼がどう過ごしてきたか……その姿も、自ずと見えてくる気がするんだ。
 傷だらけで裸身のまま、荒野に倒れていた理由だって……。

 頭を使うしかできない俺の精一杯で、今回のこの一連の出来事について考えた。
 今回の第三者。この人物ならば、どんな風に駒を打つ。
 冷静で、忍耐強い相手だ。心の制御・読心に長けていると思う。駒に期待を抱かず、裏切らせない方法を選ぶ冷酷な心の持ち主。
 感情を持たないんじゃない……知り尽くし、殺し切れるのだ。だから、まるで操り人形を繰るみたいに人を翻弄できる……。
 獣人についてもきっと詳しい。彼らが本能に抗えない、感情制御が覚束ないことを熟知していて、それを逆手に取り、利用できるだけの技量がある。

「ウォルテールは、どこかの組織にいたのだと思う。
 そこから放逐された……いや、放逐と思い込ませて使われてた。
 その時既に主を持っていて、放逐後も、組織のことを口外することは禁じられていた。
 そうしたのは多分……彼が獣人で、命令無しでの精神面や感情の制御が、覚束なかったからだ」

 秘密を秘密としておくことを期待されていなかった。
 だから捨てられたと、本人にも思い込ませた。
 与えられていた情報もどうせ制限されていたろうけど、その上で更に蓋をする周到さは、ウォルテールの気持ちなんて全く考慮していない、酷いやり口だと思った……。

「失敗しても構わなかった……。その場合は獣人が一人死ぬだけだ。
 だけど、獣化できる者ならば、拾う可能性が高いと理解していた。勿論、始末されたって構わなかった……」

 それはそれで情報を得られる。
 獣化できる獣人を拾う理由も、殺す理由も、獣人が獣化できるという世界の秘密を知っているからこそ。獣化できる獣人を抱える証拠のようなものだ。
 父上の奪還で、俺が獣人を使う可能性に気付き、獣人一人を消費する覚悟でカマを仕掛けてきたのだろう。
 そして思惑通り俺たちに拾われ、その後も、それを利用し続けていた……。

「捨てられてると思ってるから、ウォルテールだって新たな群れに必死で馴染もうとするよな……。
 もう捨てられたくない。だから身を削る思いで一生懸命……そして頃合いを見て、また……接触したんだと思う……。
 初めのうちは多分、俺たちの情報を得るために使われていたんだ。
 ウォルテールの罪悪感と、俺たちを刺激しない程度に、回数も、内容も、極力当たり障り無いものに絞られていたはずだ。
 そうやって徐々に慣らしていって、それで最後は……ウォルテールを消費するのが前提の、こんな罠を仕掛けてきた」

 イェーナの表情が強張っていく……。
 彼女は心優しい娘だ。ウォルテールの置かれていたであろう境遇に、心を痛めてくれている……。
 俺の言葉に、アイルも目元を歪めていた。だけど、最後の足掻きのように口にした言葉は。

「……推測でしかない」
「勿論そうだ。だけど……」

 ウォルテールは泣いていたんだ。

「手を出さない約束のはずだろって言った!」

 そこで声が割って入った。
 瞳に溢れんばかりの涙を湛えたイェーナ。

「最後に吠えたの、手を出さない約束のはずだろって。避けてって、そう言ったの!」

 チッとアイルは舌打ちした。
 イェーナは人間だから、獣人と同じようには考えられない。
 ウォルテールとの接点が多かった彼女だから尚のこと、ウォルテールのことを案じていたのだ。

 やっぱりと思った。
 この人物なら、それくらいのことはするだろう。寧ろしていないはずがない。
 利用したろう。ウォルテールの葛藤や苦しみまで分かっていて、ギリギリまで追い詰めた。
 そして今もこの人物の掌の上に、俺たちは立っているのだろう。
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