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終幕 20
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なんとか踏ん張って身を起こし、震える脚に力を込めると、ハインが支えてくれた。
肩の傷も、背の傷も酷いだろうに、黙って俺の腰に腕を回す。
反対側を、アイルが支えてくれた。
そしてオブシズとシザーが、剣を構えて前後を守る。
「ウォルテール、おいで……」
手首を失った俺を、呆然と見ていた狼は、それでようやっと我に返ったよう。
間違いを犯してしまった。どうしよう……俺のせいで傷つけてしまったと、そんな風に思っているのが、狼の姿でも伝わってくる……。
ジリリと後退り、ごめんなさいと言うように尾を丸めてしまうから、怖がらせないために、とにかく笑った。
「おいで。一緒に行こう。大丈夫、平気だ」
お前を失うことに比べたら、全然平気だ。
だって死なせたくなかった。そうしたら勝手に身体が動いたのだ。
一歩を踏みしめるごとに、血が落ちる。
もう手足の先の感覚は薄らいでいた。腕の痛みも、切り落としたにしては然程でもない。
もうやばいかなと脳裏を掠めたけれど、その思考は捨てた。
そんなことは考えなくて良い……とにかく今は、ここを離れる。そして、皆を死なせず、なんとか生き残る……。その後のことは、その後に考えよう。とにかく今は、生きるんだ。少しでも可能性のある方に、サヤを悲しませない方を、考える…………。
「一緒に行きます!」
背に、女性の叫び声が上がった。「姉上、駄目です!」と、慌てたヘイスベルトの声も。
「ば、馬鹿来るな⁉︎」
オブシズの焦った声。チャキリと剣の鍔が鳴る音がしたけれど、その後に肉を割く音は続かなかった。
背後に迫ってきた足音は、ドンとオブシズに体当たりする勢いでぶつかって止まる。
「これでも貴族の端くれです。人質にでもなんでもなさいませ!
だけど事情を教えてもらえず、置いていかれるだけは、もう嫌……蚊帳の外は、もう嫌です!」
「状況見えてるだろう⁉︎」
「見ても分かりません!」
思いもよらない力強さ。するとまたもや背後で「俺も行きます!」という声が。
「ユスト⁉︎」
アーシュの手を振り解き、ジークの制止の声も振り切って、医療器材を放り込んだ鞄を抱えたまま、こちらに走り寄ってきたユストは、一度だけ振り返って「俺は、知ってた!」と、叫んだ。
「前から知ってた。だから俺も、こっち側だ!」
そうしながら鞄を漁り、中から紐を取り出した後、鞄をクレフィリアに押し付ける。
「持っててください! 止血しないと命に関わる。歩きながらでいいから、最低限のことをさせてください!」
「ユスト……」
「良いんです。貴方を死なせるか……死なせてたまるか! そんなの、絶対にさせない!」
「離れなさい。でないと、貴方たちも粛清の対象になります!」
どうやら、俺の一味に加担しそうな者の炙り出しをしていたようだ。
侍祭殿の言葉に、肩を跳ねさせたクレフィリアは、それでもここを離れなかった……。
「貴女より私は……夫を信じます」
その言葉にピクリと動いた、侍祭殿の口元。
俺の腕を縛りながら、視線すら寄越さず無視したユスト。
「仕方ありません……」
一瞬苛立ちを滲ませた侍祭殿は、右腕を持ち上げた。粛清の続行……その合図を飛ばすつもりなのだと分かったから、クレフィリアを背に押しやる。
懐の小刀……小刀はどこだ。後一本くらいならば投げられる……っ。
けれどそこで、場が動きを止めた。
音が聞こえたのだ。
ひとつ。細く長い音が。それがまたひとつ。
それに呼応するかのように、ウォルテールが空を仰いで同じように、細く、長く、伸びる音を。
また重なった。いくつもあがる音は、狼の遠吠え。
朦朧としてきた意識で、それを聞いていた。きっと雄大な光景だろうと思った。狼姿の皆が、空に向かって吠えている姿は。
「レイ‼︎」
そして聞こえた、耳にしたかったけれど、してはいけないはずの声。
いつの間に来ていたのか、飛び込んできたサヤが、そのまま後ろから俺の首にしがみつく。
「サヤ…………?」
「うん。かんにん、かんにんな……」
「サヤ、逃げろ。なんでここに……」
「うん。せやけど、私だけ逃げられへん。一緒やって約束やろ……」
ウルルルル……と、幾つも重なる威嚇の音。
周りに視線をやると、霞む視界に何匹もの大狼がいた。
そのうちの一匹の背に、イェーナらしき人影も。
俺を取り囲むように、足を進めてきた狼たちが、牙を剥いて威嚇しているのだろう……侍祭殿は後退る。
「嘘…………、こ、こんなに…………?」
あぁ、想定してなかったか。……ウォルテールは、狼になれる者がどれほどいるかは、言わなかったんだ…………。
このまま攻撃に出ようかとする皆に、やめろと吐いた言葉は、掠れて音にはならなかった。
けれど、狼たちはその意思を汲んでくれたようだ。
血を失いすぎたか、視界が暗くなってきていて……見えないけれど、狼たちが動く気配はない……。
「皆、背に乗れ。中衣の取っ手を掴んで、極力身体を胴に密着させろ」
アイルが指示する声。すると、兇手らがさせじと動いたようだ。
けれどそこに、何かが飛来する鋭い音が、続けざまに三つ……。そして崩れ落ちるような、衣擦れの音も三つ続いた。
「援軍……⁉︎」
悔しそうな侍祭殿の声。
「動けば的にする」
そう宣言したアイル。
ざわめく音はピタリと止まった。
援軍は相当な実力者揃いだと判断したのだろう。
「クレフィリア」
オブシズが呼ぶ声。
「二人一緒に乗れるか?」
「いける」
「悪いな。多分一人だとこいつは振り落とされるだろうし……」
声はすれど、見えない……。
朦朧とする意識の中、俺も優しい手で抱きしめられた。
「レイ、あとちょっとだけ頑張って。馬車は、そう遠くない場所にある。
そこに着いたら、ちゃんと手当て、しよ。
もうちょっとだけ。だからお願い……後生やから、私を、独りにせんといて……」
しない。大丈夫……そんな風には、絶対にしないと約束した…………。
ふんわりとした暖かい場所へうつ伏せに寝かされて、更に暖かいものが覆い被さるような、えも言われぬ心地よさ。
腕の痛みなんてもう微かしか無くて、だけど寒かったから、その温もりにホッと意識が解けた……。
少し寝て、起きたら、また頑張る。サヤを独りにしない。先に来世になんて逝かない。大丈夫。大丈夫だよ……。
◆
お前、また来たのかよ……。
そういわれて顔を上げると、ただ白く続く、大きな場所にいた。
頬杖をついてだるそうに胡座をかくーーは、どこか不機嫌そう……。
ごめん……。
とりあえず勝手に入ったのは悪かったと思ってる……。
いつの間にか居て、どうやってここに来たのかも分からないけれど、勝手に自分の領域に他人が立っていれば、嫌な気分にもなるだろうなと思ったから、素直に謝った。
するとーーは、人間くさい溜息を吐き……。
いや、意識して来れるわけでもあるまいし……。癖付いちまったのかな……。
だけどあまりここに来ると、そのまま来世に迷い込んでも知らねぇぞ。
っ⁉︎ それは困る! えっと……でも、どっちに帰ればいい?
ただ真っ白な空間は、上も下も、地も天も分からない。
だけど、サヤが待っているのだ。独りにしないでと言われた。なにがなんでも戻らなければならない。
そう思い質問したのだけど、聞いた相手であるーーは答えず……。
……来世の方が、楽なのではないか?
ガラリと雰囲気を変えた。
お前はここに来る度、何故戻ろうとする?
来るということは、それに等しい現実があるということだ。
来世と結びついてしまうような何かが、あったということだろうに。
そう言われ、そういえばと右手首を見下ろすと、焼け爛れた断面があり……うわぁ。と、思った。
そうだ……きちんとした設備等も無いし、出血は止まらないしで、きっと傷口を焼くことになったんだ……。
やむを得なかったのだろうけれど、これはいわゆる荒療治というやつで、処置の途中に衝撃で死ぬ者も多々いる危険な対処法だと、学舎で学んだ。
戦などになったら多用される処置だし、いざとなれば自分で自分の傷を焼く必要も出てくるからという話だったけれど……まさか我がことになるとは……。
つまり俺は、相当量の血を失っていたことと、傷口を焼くという凄烈な痛みに耐えられず、意識を飛ばしてしまったのだろう。
それでここに来たのかと、合点がいった。いかん、早く戻って気を確かに保たねば、本気で死にかねない。
もう良いではないか……あのような苦痛の中に、舞い戻らぬでも……。
厳しい表情で、そう言われた。
いや、困りますよ⁉︎
心配せずとも、次の生には全て忘れている……苦痛も、罪悪感も、残らない。
歪められた目元。この方々はただひたすら俺を、哀れんでくださっているのだと理解できるから、文句を言うのも気がひける……。
この方々は、たとえどのような所業を行った者にも、きっとこんな風に、哀れと……ただ悲しんでくださる……。
愛しんでいただいているのに、争いばかり生み出す自分たちが恥ずかしい。
でも……それだけじゃない、苦しいだけじゃなく、愛おしく、美しいものもあるのだと、知っているから……今世をまだ、手放したくない……。
もう苦しまずとも良い。これ以上悲しむな……。
そうですとも。戻らずとも良い。あれに戻ればまた傷付く。壊れてしまいかねぬ……。
途中から喋り口調がまた変わり、ハラハラと涙まで流して訴えられ……申し訳なさで胸が苦しい。
だけど…………いやだ。まだ、駄目だ。
戻りたいんです……。まだやらなければならないことが、山ほど残っている。
愛しい人にも、約束したことがあります……。
彼女を孤独にしたくない。まだ……未だに何ひとつ……成してない……やり遂げてない。与えてない、繋げてないんだ……。
得たと思っていたものも、また失った……。
確かに苦しい現実が待っているのだろうけれど……。
やはりこれが俺の罰なのか……と、膝をつきそうになる気持ちも、あるのだけれど……。
俺はもう、独りじゃないから……。
俺だけでは済まない。俺に関わる皆まで苦しませ、悲しませることになる。
だから、帰りたい……。あそこへ戻らなければ……。
そう言うと、聞き分けのない俺に、ーーは深く息をひとつ、吐いたけれど……。
…………次に来る時は、全てをやり尽くしてからになさい。
また来た時は、もう……待ちませんよ。
そうですね。流石に三回目は無いようにしないと。
そう言ったら馬鹿者。という叱責。
今回が、三度目です……。
そうして指先でトンと、額を押された……。
肩の傷も、背の傷も酷いだろうに、黙って俺の腰に腕を回す。
反対側を、アイルが支えてくれた。
そしてオブシズとシザーが、剣を構えて前後を守る。
「ウォルテール、おいで……」
手首を失った俺を、呆然と見ていた狼は、それでようやっと我に返ったよう。
間違いを犯してしまった。どうしよう……俺のせいで傷つけてしまったと、そんな風に思っているのが、狼の姿でも伝わってくる……。
ジリリと後退り、ごめんなさいと言うように尾を丸めてしまうから、怖がらせないために、とにかく笑った。
「おいで。一緒に行こう。大丈夫、平気だ」
お前を失うことに比べたら、全然平気だ。
だって死なせたくなかった。そうしたら勝手に身体が動いたのだ。
一歩を踏みしめるごとに、血が落ちる。
もう手足の先の感覚は薄らいでいた。腕の痛みも、切り落としたにしては然程でもない。
もうやばいかなと脳裏を掠めたけれど、その思考は捨てた。
そんなことは考えなくて良い……とにかく今は、ここを離れる。そして、皆を死なせず、なんとか生き残る……。その後のことは、その後に考えよう。とにかく今は、生きるんだ。少しでも可能性のある方に、サヤを悲しませない方を、考える…………。
「一緒に行きます!」
背に、女性の叫び声が上がった。「姉上、駄目です!」と、慌てたヘイスベルトの声も。
「ば、馬鹿来るな⁉︎」
オブシズの焦った声。チャキリと剣の鍔が鳴る音がしたけれど、その後に肉を割く音は続かなかった。
背後に迫ってきた足音は、ドンとオブシズに体当たりする勢いでぶつかって止まる。
「これでも貴族の端くれです。人質にでもなんでもなさいませ!
だけど事情を教えてもらえず、置いていかれるだけは、もう嫌……蚊帳の外は、もう嫌です!」
「状況見えてるだろう⁉︎」
「見ても分かりません!」
思いもよらない力強さ。するとまたもや背後で「俺も行きます!」という声が。
「ユスト⁉︎」
アーシュの手を振り解き、ジークの制止の声も振り切って、医療器材を放り込んだ鞄を抱えたまま、こちらに走り寄ってきたユストは、一度だけ振り返って「俺は、知ってた!」と、叫んだ。
「前から知ってた。だから俺も、こっち側だ!」
そうしながら鞄を漁り、中から紐を取り出した後、鞄をクレフィリアに押し付ける。
「持っててください! 止血しないと命に関わる。歩きながらでいいから、最低限のことをさせてください!」
「ユスト……」
「良いんです。貴方を死なせるか……死なせてたまるか! そんなの、絶対にさせない!」
「離れなさい。でないと、貴方たちも粛清の対象になります!」
どうやら、俺の一味に加担しそうな者の炙り出しをしていたようだ。
侍祭殿の言葉に、肩を跳ねさせたクレフィリアは、それでもここを離れなかった……。
「貴女より私は……夫を信じます」
その言葉にピクリと動いた、侍祭殿の口元。
俺の腕を縛りながら、視線すら寄越さず無視したユスト。
「仕方ありません……」
一瞬苛立ちを滲ませた侍祭殿は、右腕を持ち上げた。粛清の続行……その合図を飛ばすつもりなのだと分かったから、クレフィリアを背に押しやる。
懐の小刀……小刀はどこだ。後一本くらいならば投げられる……っ。
けれどそこで、場が動きを止めた。
音が聞こえたのだ。
ひとつ。細く長い音が。それがまたひとつ。
それに呼応するかのように、ウォルテールが空を仰いで同じように、細く、長く、伸びる音を。
また重なった。いくつもあがる音は、狼の遠吠え。
朦朧としてきた意識で、それを聞いていた。きっと雄大な光景だろうと思った。狼姿の皆が、空に向かって吠えている姿は。
「レイ‼︎」
そして聞こえた、耳にしたかったけれど、してはいけないはずの声。
いつの間に来ていたのか、飛び込んできたサヤが、そのまま後ろから俺の首にしがみつく。
「サヤ…………?」
「うん。かんにん、かんにんな……」
「サヤ、逃げろ。なんでここに……」
「うん。せやけど、私だけ逃げられへん。一緒やって約束やろ……」
ウルルルル……と、幾つも重なる威嚇の音。
周りに視線をやると、霞む視界に何匹もの大狼がいた。
そのうちの一匹の背に、イェーナらしき人影も。
俺を取り囲むように、足を進めてきた狼たちが、牙を剥いて威嚇しているのだろう……侍祭殿は後退る。
「嘘…………、こ、こんなに…………?」
あぁ、想定してなかったか。……ウォルテールは、狼になれる者がどれほどいるかは、言わなかったんだ…………。
このまま攻撃に出ようかとする皆に、やめろと吐いた言葉は、掠れて音にはならなかった。
けれど、狼たちはその意思を汲んでくれたようだ。
血を失いすぎたか、視界が暗くなってきていて……見えないけれど、狼たちが動く気配はない……。
「皆、背に乗れ。中衣の取っ手を掴んで、極力身体を胴に密着させろ」
アイルが指示する声。すると、兇手らがさせじと動いたようだ。
けれどそこに、何かが飛来する鋭い音が、続けざまに三つ……。そして崩れ落ちるような、衣擦れの音も三つ続いた。
「援軍……⁉︎」
悔しそうな侍祭殿の声。
「動けば的にする」
そう宣言したアイル。
ざわめく音はピタリと止まった。
援軍は相当な実力者揃いだと判断したのだろう。
「クレフィリア」
オブシズが呼ぶ声。
「二人一緒に乗れるか?」
「いける」
「悪いな。多分一人だとこいつは振り落とされるだろうし……」
声はすれど、見えない……。
朦朧とする意識の中、俺も優しい手で抱きしめられた。
「レイ、あとちょっとだけ頑張って。馬車は、そう遠くない場所にある。
そこに着いたら、ちゃんと手当て、しよ。
もうちょっとだけ。だからお願い……後生やから、私を、独りにせんといて……」
しない。大丈夫……そんな風には、絶対にしないと約束した…………。
ふんわりとした暖かい場所へうつ伏せに寝かされて、更に暖かいものが覆い被さるような、えも言われぬ心地よさ。
腕の痛みなんてもう微かしか無くて、だけど寒かったから、その温もりにホッと意識が解けた……。
少し寝て、起きたら、また頑張る。サヤを独りにしない。先に来世になんて逝かない。大丈夫。大丈夫だよ……。
◆
お前、また来たのかよ……。
そういわれて顔を上げると、ただ白く続く、大きな場所にいた。
頬杖をついてだるそうに胡座をかくーーは、どこか不機嫌そう……。
ごめん……。
とりあえず勝手に入ったのは悪かったと思ってる……。
いつの間にか居て、どうやってここに来たのかも分からないけれど、勝手に自分の領域に他人が立っていれば、嫌な気分にもなるだろうなと思ったから、素直に謝った。
するとーーは、人間くさい溜息を吐き……。
いや、意識して来れるわけでもあるまいし……。癖付いちまったのかな……。
だけどあまりここに来ると、そのまま来世に迷い込んでも知らねぇぞ。
っ⁉︎ それは困る! えっと……でも、どっちに帰ればいい?
ただ真っ白な空間は、上も下も、地も天も分からない。
だけど、サヤが待っているのだ。独りにしないでと言われた。なにがなんでも戻らなければならない。
そう思い質問したのだけど、聞いた相手であるーーは答えず……。
……来世の方が、楽なのではないか?
ガラリと雰囲気を変えた。
お前はここに来る度、何故戻ろうとする?
来るということは、それに等しい現実があるということだ。
来世と結びついてしまうような何かが、あったということだろうに。
そう言われ、そういえばと右手首を見下ろすと、焼け爛れた断面があり……うわぁ。と、思った。
そうだ……きちんとした設備等も無いし、出血は止まらないしで、きっと傷口を焼くことになったんだ……。
やむを得なかったのだろうけれど、これはいわゆる荒療治というやつで、処置の途中に衝撃で死ぬ者も多々いる危険な対処法だと、学舎で学んだ。
戦などになったら多用される処置だし、いざとなれば自分で自分の傷を焼く必要も出てくるからという話だったけれど……まさか我がことになるとは……。
つまり俺は、相当量の血を失っていたことと、傷口を焼くという凄烈な痛みに耐えられず、意識を飛ばしてしまったのだろう。
それでここに来たのかと、合点がいった。いかん、早く戻って気を確かに保たねば、本気で死にかねない。
もう良いではないか……あのような苦痛の中に、舞い戻らぬでも……。
厳しい表情で、そう言われた。
いや、困りますよ⁉︎
心配せずとも、次の生には全て忘れている……苦痛も、罪悪感も、残らない。
歪められた目元。この方々はただひたすら俺を、哀れんでくださっているのだと理解できるから、文句を言うのも気がひける……。
この方々は、たとえどのような所業を行った者にも、きっとこんな風に、哀れと……ただ悲しんでくださる……。
愛しんでいただいているのに、争いばかり生み出す自分たちが恥ずかしい。
でも……それだけじゃない、苦しいだけじゃなく、愛おしく、美しいものもあるのだと、知っているから……今世をまだ、手放したくない……。
もう苦しまずとも良い。これ以上悲しむな……。
そうですとも。戻らずとも良い。あれに戻ればまた傷付く。壊れてしまいかねぬ……。
途中から喋り口調がまた変わり、ハラハラと涙まで流して訴えられ……申し訳なさで胸が苦しい。
だけど…………いやだ。まだ、駄目だ。
戻りたいんです……。まだやらなければならないことが、山ほど残っている。
愛しい人にも、約束したことがあります……。
彼女を孤独にしたくない。まだ……未だに何ひとつ……成してない……やり遂げてない。与えてない、繋げてないんだ……。
得たと思っていたものも、また失った……。
確かに苦しい現実が待っているのだろうけれど……。
やはりこれが俺の罰なのか……と、膝をつきそうになる気持ちも、あるのだけれど……。
俺はもう、独りじゃないから……。
俺だけでは済まない。俺に関わる皆まで苦しませ、悲しませることになる。
だから、帰りたい……。あそこへ戻らなければ……。
そう言うと、聞き分けのない俺に、ーーは深く息をひとつ、吐いたけれど……。
…………次に来る時は、全てをやり尽くしてからになさい。
また来た時は、もう……待ちませんよ。
そうですね。流石に三回目は無いようにしないと。
そう言ったら馬鹿者。という叱責。
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