上 下
77 / 90
スピンオフー第三王女と王国宰相

中庭を見下ろす王女

しおりを挟む
 皆が知るあの人は、真面目で少し怒りっぽい一方でその眼差しは柔和。
 態度は穏やかで堂々とした姿だろうけれど、中庭で一人でいるあの人はなんだか寂しそうに見える。
 あの時もそうだった。
 だから大人できっとお父様が命じる“おしごと”をする“やくにん”だと思いながらも、屈み込んでどこか遠い一点を見つめていたあの人の頭を必死に手を伸ばして撫でた。
 亡くなったお母様がわたしにそうしてくれていたから。
 わたしはその時とても幼かったけれど、わたしを見て驚いた彼のその時の顔をはっきりと覚えている。
 頭の上を撫でようとしたけれど手が届かなくて、彼の耳元にかかる癖のない銀髪を乱しただけだった。
 薄く紫がかった灰色の瞳をした目を大きく見開いて、わたしをしばらく見詰め、ゆっくりと目を細めて困ったような笑みを口元に浮かべた。

「わたしなどとは比べようもなくお辛いでしょうに、フェーベ王女はお優しい」

 ――恥ずかしながらあの時は、晴れて試験に通って王宮勤めの上級官吏となったものの、貴族や富裕の子弟が大半を占めていて階級意識の強い周囲になじめず、新人いびりの標的にもされてほとほと困って根をあげる寸前でしたと、随分後になって彼は笑いながら話した。

 見知らぬ人だった彼が、自分のことを知っているのにきっと不思議そうな顔をわたしはしてしまったのだろう。
 貴女のことは皆が知っておりますよ、と彼は言った。

「尚書府書記官のトリアヌスと申します。本来ならこうしてご挨拶するのもおこがましいような末端書記官に……ありがとうございます」
「しょうしょ……かん、の、トリアヌス……」

 彼の言葉を繰り返したつもりだったわたしに彼は微笑むと、深い紺色のローブが汚れるのも厭わず、屈めていた足の膝を地につけて、まるでお母様を警護していた騎士のように恭しく頭を下げた。

「こんなところで、しょぼくれていたわたしを慰めようとしてくれたのでしょう? 王女」

 わたしは頷いた。
 彼はとても寂しそうに見えた。
 お母様を亡くしたばかりの自分よりも。
 ちいさなわたしの、ちいさな憐れみとちいさな優越とちいさな仲間意識。
 わたしは三歳、彼は二十一歳。
 それが、後に宰相となる若き上級官吏トリアヌスとの出会いで、ちいさなわたしが知らぬ間に落ちた、長い長い恋の始まりだった。
 
 *****

「トリアヌス」

 呼びかけるよりも早くトリアヌスがわたしを振り返って、その薄く紫がかった灰色の瞳を持つ目をすうっと細めた。たぶん、冬枯れし始めた草を踏んだ足元がかさりと立てた音で気が付いたのだろう。
 いつもどこかから帰ってきたような顔でわたしを見て、そして王宮勤めの文官の顔になる。
 この表情の変化はきっとわたししか知らない、そう思っているし思っていたい。

「フェーベ王女。まり遊びのお誘いですか?」
「もうわたしそんな小さな子じゃないのよ。中等学校も終えて春には学術院に進むんですから」
「そうでした。学術院の勉強はなかな難しいですよ。ま、わたしは入学してはいないですが」 
 
 揶揄からかうような微笑を浮かべる彼は、もうすっかり王族に対し節度ある親しみで接する上級官吏だ。
 トリアヌスの肩くらいしかないわたしの背に合わせて、彼は片膝をつくようにして身を屈めた。
 ただ身を屈めるだけじゃなく、小さな頃からきちんとわたしの顔を見て話をしてくれる。
 この人は、わたしが幼かった頃からその適度な接し方を変えない。
 家臣も使用人達も皆、わたしが小さな子供であっても恭しく接するのに、普通に遊び、普通にいさめ、普通に話し、けれど王女への敬いは保つ。
 そんな振る舞いを平然と自然にする人は王宮勤めの官吏にはとても珍しく、わたしが知る限り彼くらいのもので、その様子はわたしの知らないところで物議を醸し出しもしたらしいけれど、侍従長と侍女頭とわたしの乳母が一緒になってなにか掛け合って収まったらしい。
 わたしと六つ歳下の異母妹のティア。
 王女二人があれほど信頼し慕っている文官が他にありますかと王家に仕える者達から言われれば、彼の文句のつけようもない仕事ぶりもあって誰もなにも言えなかったらしい。
 大人の世界は面倒くさい。
 わたしは小さな子ではなくなったけれど、まだ大人ではなかった。

「入学していないのにどうして知っているの?」
「家業をサボってよくもぐりこんでいました。教授達のお手伝いなどして小遣い稼ぎもしながら」
「小遣い稼ぎ?」
「フェーべ王女はあと四年経てば成人して財産を王から賜わることになりますから、そんな心配はありません。だからこそ貴女は国の為になることをなにかしなければならない。学術院での勉強はそれを考える助けになるでしょう」
「お説教……」
 
 顔を顰《しか》めたわたしに、ははとトリアヌスは少し笑い声を立てた。
 トリアヌスは上級官吏には珍しく、貴族や富裕階級の出身ではなかった。
 けれどそんな人達より、ずっと美しくて賢く、ものすごい早さで出世していた。

 出会った時は、色々な書類をひたすら清書するだけが仕事の末端の書記官――とはいえ、王宮の書記官になるだけでも平民階級の者にとっては大変に難しいことなのですよといった説明を彼から受けた――だったのが、その三年後にティアちゃんが生まれる頃には三十人の書記官を束ねる尚書府主事となり、その後、部署を移してたった十年足らずで王宮の公式行事を取り仕切る儀典長の副官になっていた。

 いくら王女二人と親しいからといってもこんなことは異例です、と侍女頭がわたし付の侍女達とどこかうっとりとした表情で話していた。
 侍女頭も、わたしやティアちゃん付の侍女達の何人かも彼に想いを寄せている。
 トリアヌスはまったくなにも気がついていないみたいで、それは彼が、そういったことには鈍感らしいのもあるけれど、結婚相手としてではなく遠くから眺める憧れの存在としてただ眺めるだけの人が大半だったからもある。
 すごい美青年だから、恋人として隣に立つのは気が引けると侍女達が話しているのも聞いた。
 たしかに。
 王国最南端の都市出身とは思えないあまり陽に灼けていない象牙色の肌はしみひとつなく滑らかで、以前はよく伸びていたけれど儀典長副官になってからは顎先の長さで切り揃える癖のない銀色の髪を額縁に、少し神経質そうな顔は鼻筋が通って引き締まっていて、薄く紫がかった灰色の瞳を持つ目元がどこか穏やかに微笑むように柔らかい。
 背が高く、文官のローブに覆われているからあまりわからないけれど肩幅も結構広い。
 おまけに常に物腰は丁寧で穏やか、目下の者にも偉ぶるような態度はとらない。
 本人曰く、文官にしては逞しいのは元商人で、重い油の壺や積み上げた木箱などを運んだりしていたから、もしもわたしが他の官吏より愛想よく見えるのならそれもその名残でしょうとのことだった。
 仕事では厳しい人のようで、聞いた話では彼がいるだけで仕事場の緊張感が違うらしい。

「それにしても……フェーベ王女はわたしが一人みっともなく落ち込んでいるところにいつもやってきますね」
「廊下から中庭を見下ろしたら、トリアヌスがじっと立っているのが見えるのですもの」
「また廊下にお茶の用意をさせていましたか。あそこはフェーベ王女のお部屋に繋がる廊下で他の用がある人は通らない場所ではあるものの、あまりお行儀のいいことではありません」
「お庭や他の建物の様子も見られて楽しいのですもの」

 いつも複数の部下や大臣や貴族達と一緒にいるあなたが一人でいるのも見つけられるし。
 そう心の中で付け足す。
 けれど彼が一人でいる時は本人が言った通り、元気がなさそうに見える時が多かった。

「貴女のその……ティア王女とはまた種類の異なる観察好きは少し心配です。まあしかしフェーベ王女がいらっしゃるとわたしも気が晴れます。今回は大目に見ましょう」
「王女で気晴らしなんてあなたくらいね、トリアヌス」

 わたしの言葉に、彼は肩をすくめて困ったように微笑し、顎先の長さに切り揃えられた銀色の髪を軽く後ろへと払った。
 そんな仕草が大人の男の人らしくてどきりとして、同時に少し生意気なかわいらしい王女としてしか扱われていないことにがっかりする。

「なにか御用ですか?」
「あ、えっと……ティアちゃんの様子を見たいのだけど」
「ティア王女はまだ眠っていると聞いています。あんなことがあったのですから無理もない。一番仲の良いフェーベ王女が心配されるのはわかりますが、休ませてあげてください」
「でも……」
「貴女が廊下でお茶を飲んでいる時は心配事がある時なのは知っています。それにこれはわたしと貴女とごく一部の者達の間の秘密です。成人してもいない王女にこのようなことを背負わせてしまったのは心苦しいですが……」

 王国のまだ幼い第四王女は、五日間行方不明になっていた。
 より正確に言えば、或る貴族の屋敷に軟禁されていた。
 わたしが廊下でティアちゃんを心配しながらお茶を飲んでいて、ふとあまり見かけない様子のおかしな人がいるのに気がついてトリアヌスに告げ、彼女は救出された。
 その貴族はとても薄いけれど古い系図をたどれば王族の傍系ではあって、簒奪の罪で秘密裏に罰せられたとだけ最後まで言いたくなさそうにしていたトリアヌスから聞き出した。
 国を乱そうとするのは重罪中の重罪だから、きっと極刑に違いないと恐ろしくてその夜は眠れなかった。
 この事件は表沙汰にはなっていない。
 王国の混乱を防ぐためだ。
 表向きティアちゃんは、迷宮のような王宮の深部に迷い込んだところをトリアヌスに助け出されたことになっている。
 もともと王宮のなかで自分だけが知っている場所をいくつも持っていて、お菓子をたくさん持ってよく姿を消しては侍女達を騒がせていたティアちゃんだから疑問を持つ人はいなかった。

 ティアちゃんは、わたしや他のお姉様やお兄様よりはるかに頭が良くて、なんて表現したらいいのか気品といった言葉では足りないような、王国王であるお父様に似た雰囲気と現王妃様ゆずりの誰もが守ってあげたくなるようなかわいらしさを持っていた。
 うっかりお父様が、「ティアが第一王子だったらなあ」なんて冗談を仰って、当人であるお兄様まで「ティアが女王になれば皆から慕われるでしょうね」なんて言ったものだから、本当に家族の場での冗談だったのにそれが人づてに伝わって、ティアちゃんに取り入ろうとする王宮の大人が急に増えて、ティアちゃんも少し怖がっていた。

 王国の王位継承権はとても厳格です、どうあってもティア王女とお兄様の継承順位がひっくり返ることなんて有り得ない。いずれなにか国の中で重要な役割につくだろうと思われるティア王女への先行投資のつもりでしょうとトリアヌスは言ったけれど、しかし危険な兆候だと心配もしていた。
 いくら王国法典が厳格でも、時に人の欲は止められなくなると言って。

「フェーベ王女」

 ぼんやりしていたので、はっとトリアヌスを見れば心配そうな深い色の瞳がじっとわたしの顔を見ていた。
 ティアちゃんはもう丸二日も眠っている。

「大丈夫ですか?」
「ええ」
「ティア王女は疲れて眠っているだけです。王宮医によれば体のどこにも異常はないそうですし、状況からご自分が攫われていた自覚もなさそうですから。目を覚ましたら一緒にお見舞いに参りましょう」
「本当?」
「わたしがフェーベ王女に嘘を言ったり、お約束を守らなかったことがありますか?」
 
 わたしは首を横に振った。
 いま考えると、彼は書記官として山のような仕事があったはずなのに、小さなわたしやティアちゃんと毎日遊んでくれた。乳母や侍女がそろそろお部屋に戻りましょうと連れて行く時にかならず翌日の約束をわたしはしていたけれど、彼がその約束を面倒がって断ったり破ったりしたことは一度もなかった。

「トリアヌス」

 彼の首元に腕を伸ばし抱きつけば、大丈夫ですよと優しく頭を撫でられた。
 もしかすると一番恐ろしかったのは貴女かもしれない、貴女は人に敏い王女ですから、と。
 きっと今日、中庭にいたのはティアちゃんのことで一人なにか考え事をしていたのだろうと思った。
 わたしも同じように廊下から中庭を眺めていたから。
 
 ティアちゃんが助け出された時。
 まさか本当にこんなことになるなんて、と彼が本気で怒った時の様子をはじめて見た。
 南の都市の生まれなのに、まるで氷のようだった。
 きっとトリアヌスはもっと偉い人に、お父様の側でお仕事をするような官吏になるに違いないと思った。
 この人は、物事の先を見通せていざとなったら冷酷なこともできる。
 お父様はトリアヌスを有能だと知っていたし、ティアちゃんのことでその信頼は決定的になった。

「さあ、いつまでもわたしに甘えていないでお部屋に。王家の使用人の方々はまだぴりぴりしていますから侍女達が探しにきますよ」
「甘えてない……」
「おや、そうですか。それは残念だ……まあ貴女ももう少しすれば大人ですからね」

 わたしを引き剥がしながら苦笑したその笑みが、少し寂しそうに見えたのは何故だろう。

 ***** 

 中庭で一人でいるあの人はいつもどこか遠い一点を見つめている。
 まるでこれから起きることを見ているかのように、あるいはここにはいない誰かのことを憂いているように。

「トリアヌス」

 声をかけるより早く、彼はわたしを振り向いた。
 きっと、中庭の地面を華やかに染め上げている落ち葉を踏んだ音に気がついたのだろう。

「ティアちゃんのこと? それとも王国のこと? もしくはあの公国の騎士長のこと?」
「全部です。そして貴女のことも……第二王子だなんて嘘でしょう。貴女がご兄妹で一番気の弱いお兄様を巻き込むはずがない」
「あら、ばれちゃった。危険なことはしていないわ」
「どうでしょうね」

 さっきまで、ティアちゃんと、彼女が連れてきた公国王の弟で騎士長であるフューリイと名乗る男性と、トリアヌスと四人で話をしたばかりだった。
 いつのまにか勢力を拡大してきたラウェルナ帝国はヒューペリオ公国を属国にして、長く栄えてきたアウローラ王国侵略の拠点としてきた。
 公国は古くは王国王家の傍系が離脱して建てた国で、両者の間は概ね友好的であったものの公爵家にして代々王を名乗る不遜と建国の経緯が経緯なだけに信頼できる間柄とはいえない。
 帝国の属国になってしまったいまとなっては国交は途絶え、このまま国境の小競り合いが長引くようなら王国としても防衛に徹しているだけにはいかないといった流れが強まっていた。
 王国は長く繁栄しているけれど、閉じた国でもある。
 多少の交易はあるものの経済の大部分は内需で回っているから、富の為に争いを好む人が出てきてもしかたがない。
 王国法典は王侯貴族に厳しいけれどそれは主に権力に重きを置いていて、経済活動における制限は権力に対してほど厳しくはない。
 長すぎた安定と繁栄に若干の綻びが見え始めてもいて、新しい法整備については大兄様やトリアヌスが骨を折っているけれど経済活動で生じる権力の事例は過去にはあまりないから難航していた。
 王国は過去に学ぶ。
 未来に目を向ける人は一握り。

「わたしを信用しないの? トリアヌス」
「商人を甘く見てはいけません。ましてや両替商なんてもっとも狡猾な部類の商人です。情報収拾に使うには難しい相手だ。どういった伝手ですか?」
「鉱脈担当大臣のご子息」
「まったく……取り巻きの方々を政治に使うのはお止しなさい。いずれ本当に無理矢理に結婚を迫られることになりますよ」
「あら、いつもわたしに縁談をうるさく言ってくるのはあなたじゃないのトリアヌス」
「貴女にはっ、幸せになって貰いたいのです」

 その言葉が、どんなにわたしの心をずきりと刺すかなんてちっともわかっていないのだわこの人はと、わたしはため息を吐いた。
 ひどいのね。
 そんな王宮の恋愛遊戯のように、彼の肩に頭をもたせかけたり出来るならどんなにいいだろう。
 トリアヌスはわたしのことを、大切な第三王女としてしか見てくれない。
 だから、小さい王女だった頃と同様に彼の背後から両肩に手をかけてぶら下がるように体重をかけた。

「過保護ね、本当っ」
「フェーベ王女……貴女、もう子供ではないのですよ」
「わかっているわ」

 小さい王女だった頃と同じように彼に甘えるように首に両腕を回せば、やれやれとゆるく首を振ってトリアヌスは息を吐き、そっとわたしの右腕を小さな子をなだめるようにとんとんと掌で優しく叩いた。
 
「考えることが多くてつい苛立ってしまいました。王宮の社交を担う貴女とは仕事で関わることも多い。わたしも貴女には立場をわきまえず甘えてしまうところがある。申し訳ありません」
「宰相なのに、王女に遠慮なんていらないわ」
「そう言いましてもね」

 宰相にまでなれたのは貴女やティア王女あってのことですから、とそのあとに続く言葉は容易に想像できた。
 身分なんかよりもこうして長年親しくしてきた関係がなによりも障壁になるなんて。
 幼い頃や少女の頃のわたしには想像もしていなかった。

「ねえ、わたしが行き遅れてしまったら、カルロが揶揄からかう通りにわたしをお嫁さんにしてくれない?」
「フェーベ王女……行き遅れもなにも貴女さえその気になればまとまる縁談はいくらでも。それに庶民は王女を嫁になんて貰えません」
「あら、お父様の信頼も篤い王国宰相様がなにを仰ってるの。あなたこそいくらでもお嫁さんになりたい方がいるのにちっとも見向きもしないで」
「わたしの恋人は国ですから」

 本当に、本気でそんなことをいう人だから始末におえない。
 文官は彼の天職で、とにかく仕事に飽きることがなくて色々腹立たしいこともあるけれど、やはりこれ以上の仕事はないといった結論になるらしい。

「第一、一体いくつ歳が離れていると」
「そんなのそこらじゅうに、カルロなんて二十も若い奥様だし」
「あの人は一般基準にはなり得ません。もしかして、どなたか心に決めている人でもいらっしゃるんですか?」
「いないわ。そんなことよりいまは公国や帝国のことでしょうっ」
 
 一度ぐっとトリアヌスを後ろに倒すように体重をかけて、わたしは彼から離れた。
 
「ティアちゃんの言ってたこと、あなたどう思う?」
「帝国は誰かが作り上げたまやかしかもしれないといった話ですか。いくらティア王女が常識にとらわれないお考えをする方でも突飛すぎる」
「でも、噂というものは案外侮れないものよ。それに王国や公国以外は小規模な集落や民族ばかり。争い以外でなにか連帯を……ううん、全体の連帯なんていらないかも。それらしく見えればいいのですもの」

 それらしくとは簡単に言いますねと苦笑して、トリアヌスは目を細めた。
 なにか考える時の彼の表情だ。

「たしかに可能性としてはあり得ます。しかしそんなこと一人や二人で簡単に出来ることではない」
「なんだか得体が知れなくて恐ろしいわ。ティアちゃんが攫われた時みたい……そういえば、ティアちゃんやっぱりあまり覚えていないみたい。あのこと」
「王宮に戻られて丸三日眠って起きたらなにもかもすっかり忘れていましたからね。けれど、あの日から本格的に人を寄せ付けなくなって、よほど怖い目にあったのか」
「首謀者は、もうこの世にはいないのよね?」

 わたしが尋ねれば、トリアヌスは少し口ごもった。
 極刑になっているのは確実だけれど、それをわたしにあらためて話すのが嫌なのだろう。
 わたしが告発したようなものだから。

「ええ。若くして細君を亡くし子供もなかったはずです」
「そう」
「まだ今日の執務が残っていますからそろそろ。フェーベ王女もお部屋にお戻りください日が暮れれば外は冷えます」

 気がつけば、わたしもトリアヌスも橙色の光に包まれていた。
 王宮の建物の廊下がぐるりと取り巻く中庭なのにわたし達以外に人の姿はなかった。
 王宮の奥であることもあるけれど、ここは人目につくようでつかない不思議な場所で、だからこそここをトリアヌスは一人考え事をする場に使っている。
 もっともわたしがその都度邪魔をしてしまっているのだけど。

「そういえば、わたしがここに来るの邪魔に思ったことはない?」
「何故です? ありませんよ」

 本当に不思議そうにトリアヌスがわたしを見たので、なんだかかえってこちらが驚いてしまった。
 あっけにとられているわたしに一礼して、トリアヌスは自分の執務に戻っていった。
 一人になった中庭で、ぼんやりと遠く夕焼けに染まりつつある空を見つめる。
 そっと中庭にため息を落として、わたしも部屋に戻った。

 中庭で一人でいるあの人をわたしは廊下から見下ろす。
 誰よりもきっと、お互いになにか心配ごとを抱えていることは手に取るようにわかるのに。
 わたし達はずっと付かず離れずの平行線で労わりあうしかなかった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

仲良しな天然双子は、王族に転生しても仲良しで最強です♪

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:688pt お気に入り:305

俺を裏切り大切な人を奪った勇者達に復讐するため、俺は魔王の力を取り戻す

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:5,290pt お気に入り:91

異世界のんびり散歩旅

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:2,251pt お気に入り:745

陰陽怪奇録

キャラ文芸 / 完結 24h.ポイント:21pt お気に入り:1

憧れていた王子が一瞬でカエル化した!

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:106pt お気に入り:490

処理中です...