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東都編

第25話 帝国の若王と公国の副官

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 あの男をオレは絶対に許さない。
 家族と家畜すべてを殺し、草原と台地を血の染み込んだ焦土に変えたあの男を――。

「公国の……あいつ」

 馬上から、金色の髪をなびかせ地に伏して動けないでいたオレを緑色の目で見下ろした、全身血濡れた男をオレは一生忘れない。

「また気を昂ぶらせておいでで、若王」

 落ち着き払った声に、むっと重なったクッションに身を沈ませた。
 渓谷に張った天幕の頂点を仰ぎ、赤地に五色の糸を使って一族の紋様を描く厚く織られた絨毯を重ねた床にひざまずいている男に目線だけを下ろす。
 手に触れたやはり赤地の毛織布のクッションを掴んで、形だけは俯いている、長い髪を左に寄せ一束に編んでいる頭に投げつければ、避けることもせず奴は額でそれを受け止めた。

 赤は一族の色だ。だから天幕の壁に掛けられている布も赤が目立つ。
 男はそんな天幕の中にいて子供の頃を思い出すとオレに言ったことがあるが、こいつに子供の頃なんかがあったことがオレには想像もできない。 
 こちらに苛立つようなこともなく、男は同じ姿勢のまま微動だにせず頭を垂れている。
 あの男と同じ、金色の髪。
 公国の血を引いているとは聞いているが、公国の奴ではないらしい。
 整った顔立ちを伸びた前髪が隠すように垂れ下がっている。その顔はうっすら笑っているような表情をしているがなんの感情もない。まるでそういった仮面をつけているみたいな男だった。
 
「アンタ見てっと、ムカつく。あいつと同じ髪の色してるし……」
「そう言われてもね、出自は変えられない」
「だから、そういったとこがムカつく!」

 落ち着き払った口調に、もう一つ手近な白いクッションを投げつければ今度は頭の側面で受け止めておやおやと顔を上げて両肩をすくめた。
 その風体はオレ達のような遊牧の民のようで、違っている。
 オレ同様、刺繍と毛皮に飾られた踝まである丈の上着を羽織っているが、その下は、オレが着ているだぶついた袖のシャツとズボンとは違い、農耕の国から出てきた商人のような旅装束に似た服を着ていて、それよりもこざっぱりとしている。 
 男は元旅人だ、医術ができて方々回って疫病にかかった者や怪我人を助けたりしていたらしく、あちこちの民族に知り合いがいる変わった奴で、オレ自身も奴に助けられた。
 山岳地帯の平野部に勝手に国境などといった線を引いた奴等との戦いで、右の背中から串刺しにされ気を失ったオレにまだ息があることに気がついて治療したらしい。
 奴がやってきたのは争いが終結した翌朝で、三十日余りに渡った争いの地によく立ち寄ろうなんて気を起こしたものだと思うが、とにかく奴が酔狂を起こしてくれたおかげでオレは助かった。
 あれからもう季節は二巡もしている。

「すべて若王の思い通りになっているというのに?」
「どこが?! 奴らは相変わらず奴らのままだろうがっ」
「ええ。彼らは我々と手を組んでいると思っているから」
「奴らを滅ぼして、オレの国にするのを手伝うとか言って……アンタがやったことといえば子供ガキと老人共に厄除けのまじない布を配りまくっただけだろう。あるじを放ったらかしに好き勝手放浪しやがって」

 ま、本当にそれで奴らが真に受けたのは愉快だったけど……と、床に伸ばしていた片足を持ち上げて組む。
 
「あんな子供騙しそのうちバレんだろ」
「さて? まやかしの危うさは残すものの、偽りも長く言い続けていればそれは本当と似たようなものになる」
「ラウェルナ帝国……ね」
 
 もたれているクッションからさらに背をそらしてオレは、オレの後ろに掛けられている赤い布を見て目を細め、口の両端を吊り上げた。
 赤く染めた絹糸で織られた布。
 剣を持った黒い髪の女と鷲を単純な絵にし、魔除けの蔦を表す紋様で囲むようにして、黒と黄色の糸を使って布の真ん中に織り出している。
 共通の目に付く記号に人は弱いものだとはこいつの言葉で、いつの間にかオレの一族がいた山岳地帯近くに争いに参加せず生き残っている部族のみならず、大河沿いの平野や森林地帯のあたりまでをもひっくるめて、農耕の奴等の間で“帝国”などと呼ばれるようになっていた。
 どこの部族も集落も、かつてなにか助けられた恩のあるこの男のいいなりにただ厄除けに赤い布切れを提げているだけだというのに馬鹿な奴等だ。

「アンタ、詐欺師の才能あるよ」
「僕が考えたわけじゃない」

 へえっ、とクッションから起き上がって、男を見た。
 それは初めて聞いた。
 大体、こいつはオレに仕えるとか言って、若王なんてオレを呼び頭を下げはするが、自分のこともろくに話さない。

「じゃ誰が考えたってんだ?」
「僕の妻」
「ふざけんな……アンタにそんなもんいんのかよ」
「正確には僕の妻にかな」
「アハハー、振られたか」

 そりゃそうだろ。
 こんな訳のわからねぇ男の嫁になろうなんて物好きな女がいるとは思えない。
 オレと同じで、国も家族もないって言う。
 見た目は公国の奴等のようで、けどどっか違う。
 医術ができて物知りで、どこの部族や集落の奴等も丸め込んでしまう口の上手さを持っていて、オレには意味不明なことを考えて、放浪しているうちに覚えたとか言ってるけど大国の貴族さまの言葉から少数部族の言葉まで話せるらしい。
 そもそも商人でもないのに大国にも出入りしてるってなんだそりゃ。
 そんな旅人、オレは見たことも聞いたこともない。
 
「でもまあ、そんなことはもはやどうでもよいことだ……僕にとって重要なのはこれは“彼女”が考えた計画であるということ。手は加えたけれどね」
「相変わらずわけわかんねぇことばっか言う奴」
「君は公国を滅ぼし国が欲しい、僕は王様になってくれる者が欲しい。我々の間にはそれで十分だよ、若王」

 そう、立ち上がってこいつが言うところの“帝国旗”である赤い布を眺める男に、家来が主の許しもなく勝手に立ち上がんなよとぼやいてまたクッションにもたれて寝転がる。
 どうせこいつは勝手な奴だ。
 だが、オレに仕えて、オレの望みに協力してくれるらしいのはたしかなようだった。

「君がムカつく公国の彼は、きっとそのうち君の前に現れる。死なずにいられたならね」
「オレの前に現れんなら今度は奴を串刺しに、手足を引き千切って獣の餌にしてやる」
「実に野蛮だ」
「うるせぇっ、意味わかんねぇことばっか言いやがって」

 それでも足りない。
 父や兄だけでなく、オレのために弓を構えた弟までも斜めに切り捨てたあの、悪魔みたいな騎士の男。
 
「彼だって自分の仕事をしただけだ」
「ハァ?! 仕事だ?!」
「彼は公国騎士長としてただ国を守るという仕事のために、君の一族郎党皆殺しにしたのだよ、若王」

 だから君の帝国に抵抗するというのなら、君もまた帝国君主として同じことができるという訳だ。
 
「忘れてもらっちゃ困るけど、公国はいまや帝国の属国。彼は君の下僕だよ、若王」 

 薄気味悪いうっすらした笑みでそう言った男に、そりゃ面白いとオレは応えた。 

 
******


「ですからっ! 騎士長の面会謝絶はいつまでだと聞いているんです!」

 滅多に足を運ぶことはない場所だが、たまに訪れるたびに穴蔵のように薄暗い場所だと思う。
 贅沢にも赤い絨毯を敷き詰めた床、赤茶けた木と黒い木を使い縦長の菱形に交互に組んだ模様を出す寄木の壁、縦の直線を幾本も彫り込み縞模様に装飾された等間隔に左右八本並ぶ四角く太い柱の上部に鍍金を施した燭台が付けられているが、今は昼間でそこに灯る火はなく、専ら柱と柱の間の壁に小さく真四角に三つずつ開けられた、斜めの編み目の鉄格子の嵌る明り取り窓からの光のみであった。
 暁光宮なんて名前がついているが、昇る陽の光が射す前の薄明るい夜の終わりを思わせる。
 
 宮廷を置くヒューペリオ公爵家の本邸の東、議会のためにある離宮の一室で張り上げた声だけでは足りず、目の前の円卓を叩くように両手を置いて、私を囲むようにしているお歴々の顔を順番に睨みつけた。
 十二人の貴族と聖職者で構成される議会の中でもお偉い五人が首を揃えていた。
 騎士長代理を預かる立場で一刻を争う事だと、少々手荒い説得もしつつ無理矢理乗り込んだ甲斐はあった。

「私は、騎士長の副官です! これ以上、ただ治療に専念しているというだけでは全体の士気と統率にも関わる。帝国兵は殆ど傭兵と変わらない。王国もいつまで鷹揚に構えてくれるか……っ」

 王国との森林地帯での争いから、もう一ヶ月以上が経つ。
 先に撤退していた帝国兵の大半は難を逃れ、その最後尾の守りを務めていた公国騎士団と率いていた兵の約半数が犠牲となった。
 指揮官を務めていたのがあの人でなかったらきっと全滅していたはずだ。
 一体何故そう思ったのか、まだ敵の姿もないうちに囲まれていると、無理に戦うより離脱を最優先で指示し、その言う通りとなった状況で即座にまだ相手側の備えの薄い箇所を狙い、自ら先陣切って敵に突っ込んだなどと。
 指揮官が誰よりも前に出ようとすんな、あの馬鹿大将っ!
 副官であるのに隊から外され、王都警護の任されていた私のところに伝えられた報告を聞いて思わずそう吠えてしまった。

 その後は数日生死不明の行方不明、瀕死の体で公国に帰還した報が何故か宮廷の役人から入り、宮廷内で治療にあたるとだけで以降、情報が入ってこない。
 大体、騎士団の中にあの人の姿を見た者が誰もいない。
 帝国兵とは宿舎が別で、こちらから出向くことは禁じられている。
 俺達はいまや属国の兵に過ぎない。
 そうこうしているうちに収穫期となって一時休戦の体となり、それは構わないがやはりあの人に関する情報はなにも入ってこない。
 これでは病に倒れたきり姿を見せない王と同じだ。
 
「あなたがたは騎士団におけるあの方の求心力も、国の危うさもまったく理解しておられないっ!」

 文句の付けどころは無数にあるものの、彼は公国随一の騎兵で指揮官で戦略家だ。
 それまで見栄と権威で動いていたような公国騎士団に、効率と実力を重んじる規律と統率をもたらした。
 それが議会にとって必ずしも喜ばしいことではないことも知ってはいるが、だからといってこのままでは本当に帝国の属国となってしまう。
 侵略拠点だからと帝国の者共による掠奪が起きておらず、表向きには侵略される前となんら変わらない王都の生活が続いているのが奇跡みたいなものだ。
 それとていつまでそうしてくれるかわからない。

「これでは議会が……っ」
「口を慎め、ファルコネッロ」

 真正面に腰掛け、円卓の上で手を組んでいる初老の男の重々しい咎めの一言に続けようとした言葉を遮られた。
 司教のグリエルモ・アクィナス。
 白く光る絹の服もなにか重苦しいような存在感でそこに座っている、鷲鼻の男の顔を私は見た。

「公爵家はいま未曾有の危機。王だけでなくその弟君までも倒れ、老人と子供しか後がない」

 確かにあの人は騎士長である前に王の弟だ。継承順位が三番目とはいっても、王の息子はまだ幼く素行の悪さで王位につけなかった先々代の王の兄弟は高齢だった。
 いまの王に万一のことがあれば、現実的に最もその後につく可能性が高い人ではあるから軍医ではなく宮廷医が治療に当たるのはわからないではないものの。

「我々は武力でなく対話で公国を守っている。帝国との交渉が続いているいま公爵家の事を悟られる訳にはいかない。騒ぎ立てるな」

 暗に帝国侵略の報に際し、なにも出来なかったことを言われて唇をきつく噛む。
 なにも出来なかった訳ではなく、身動きが取れない状況にさせられていただけだ。
 いち早く降伏を決めたここにいる者共に。
 たしかに犠牲は出ただろうが退けられたはずだ、それなのに。

「これはフェリオス・ヒューペリオ殿下の意志でもある」
「それは本当なのか、司教殿」
「無論だ。なにかあれば報せる。不穏な憶測も飛び交っているようだがそのような事では困る」

 普段、散々騎士長として扱き使っておいて、こんな時だけ王の弟扱いだ。
 王の容態は機密事項として、公爵家の護衛の任に就いていた者も退けられて、司教の配下の修道兵で固められ公国騎士団の人間はもはや宮廷から閉め出されているのも同然だった。
 不穏な憶測? 当然だろう。公爵家の、王直轄の武官でもある騎士団がここまで蔑ろにされてなにも思わないとでも思っていたのだろうか。
 王が体調を崩して床についてから、宮廷は議会に乗っ取られたも同然だった。
 議会の者共は信用出来ない。
 これ以上、問答しても時間の無駄だと判断し、私は一礼して背を向けた。
 
 なに黙って言いなりに大人しく閉じこもってやがる、そんな柄か?!
 考えがあるなら先に知らせろと何度でも言ってるだろうが。
 
 騎士団の宿舎に戻る道すがらつい、悪態が際限なく口をついて出でしまう。
 悪態は議会の者共ではなく、自分の上官に対してだった。

「本当っ、なにしてやがるあの馬鹿大将っ」
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