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スピンオフー第三王女と王国宰相

最良の縁談・前編

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 公国との緊張状態に裏で糸を引くまやかしの帝国、東都の毒騒動、フェーベ王女の毒殺未遂……ここのところ目まぐるしいような日々が続いている。
 そんな中、降って湧いたような話であった。

 諸々、辻褄つじつまをつけたり、処理したりの後は大量の書類が待っている。
 おまけにそれらにかまけていた間、急ぎのものを除いて後回しになっていた通常業務も積もりに積もっている。
 おかげでここ二日程、朝から晩まで執務室にこもっている。
 紙と、紙の上に走らせているペンの音以外は普段静かなこの部屋に。
 甘い響きの男の声音が……うるさい――。
 
「なんでも第一王女のサロンで交友があったそうで、例の事件のことを第一王女から伝え聞いて矢も盾もたまらず申し入れたそうで」
「まだ十日も経っていないというのに不謹慎にも思えるがな」
「年齢や王宮内の勢力から離れている自分を省みて、想いを伝えることは控え、よき友人として寄り沿う気でいたとか。しかし命に関わるようなことが起きて心変わりしたようです」

 静かにしろといった感情を込め、無愛想に応じたつもりだったが通じなかったようだ。

「どこかの誰かさんが釣り合うような方をせっせとおすすめしては断られ、気がつけばもうそれほど適当な人がいなくなりつつあるといった状況も後押しになったようですがね。おや、不満げな表情をなさってどうしたんですか?」
「よく喋るが、頼んだ書類は出来ているのか?」

 王国以前から続く由緒正しき大貴族の三男というのは、ずいぶんと色々な話が耳に入ってくるらしい。
 詳しいことだと副官オルランドの問いかけに、執務机の書類に認めの署名を書き入れながら問いかけで返せば、一刻前にお渡ししたはずですがといった返答に思わず無言になる。

「らしくもない」
「色々立て続けで流石に少し疲れている」

 目頭を押さえて、軽く頭を振った。 
 降って湧いたようなフェーベ王女の縁談だった。
 それもまったくの盲点といっていいような、彼女のことを考えれば最良といってもいい縁談であった――。

*****

 ルフス・オルシーニ伯爵。
 副官であるオルランドの生家ターラント侯爵家の程近くに屋敷を構え、彼もまた王国以前から続く由緒正しき古い貴族である。
 領主として領地をよく治めるのが王国への貢献になるといって、屋敷からあまり出ることはなく王宮の勢力からは距離を置き必要最低限にしか公の場には現れないが、王の戴冠式を取り仕切るのが役目の大家令の職についている。
 王が代替わりする時だけ権限を持つ名誉職ではあるものの、その冠を預かるといった役目を世襲で担うほど格の高さと清廉性を保つ家柄。
 王家との釣り合いにまったく問題はない。
 人格者として名高く、また代々オルシーニ家は日頃から先を見据えて治水や土壌改良や設備への投資と蓄財と備蓄に励み、非常時にはその蓄えたものを惜しみなく出して近隣の他家の領地まで助けるといった家風であるらしく、かの家よりも格上であるターラント家もオルシーニ家には災害や飢饉の際に幾度も救われた大恩があると頭が上がらないらしい。
 日頃は質素倹約に努めここぞという時には惜しみなく使うのは、商人であるわたしの実家と相通じるものが感じられる家風だ。
 領民への介入は最低限に、彼等が栄えるための環境を整えるといった、地味で地道なしかし確実に利になる事業に注力し、体面より実を重んじるのは貴族としては珍しい。
 歳はわたしより二つ上の四十四歳。
 二十一歳の時、妻を迎えるはずであったが婚儀の前日、運悪く花嫁の家に落雷しその火災で妻になるはずだった女性もその両親も亡くなった。
 つまり結婚不成立となったわけだが、婚儀前日にそのような厄災に見舞われた相手の家を忌むどころか、葬儀や残された縁者や使用人の後の面倒を引き受け、喪に服し、新たな縁談は控えるといった義理堅さで独り身のまま現在に至る。
 かの領地近辺ではいまだに美談として語り継がれ、あんなにいい領主様にどうか良縁が巡ってきますようにと願われているらしい。
 ちなみに二十五の際に養子を迎えて跡取として養育し、立派な息子として育った彼に家の権限の大半を引き継がせており、この先伯爵家になんの憂いもないと早くも隠居に近い状態。
 詩作が趣味で、様々な芸術家を支援する第一王女のサロンに出入りし、そこでフェーベ王女と知り合い、彼女と接点のある男性としては異例といっていい、色恋などの利害が一切絡まない文芸趣味を通じた穏やかな交友関係の相手であった。

 条件としては完璧だった。
 王家と釣り合いのとれる家柄、そしてなにより王宮の華として王家の社交を一手に担い、あらゆる交友を記憶するといった特異な才能を生かした本職顔負けの諜報活動を行っていたフェーベ王女の嫁ぎ先は非常に難しい。
 彼女の頭の中にあるものは、人によっては黄金よりも価値がある。
 だからこそフェーベ王女の縁談相手は慎重に選んできたが、王宮から距離を置くしかし王の冠を預かる名誉職では、彼女が野心の道具に使われるような心配もない。
 年齢は離れてはいるが、そもそも貴族同士の結婚にあまり年齢は問題にはならないし、それにまったく見ず知らず同士でもなく趣味を通じての友人といった信頼関係まである。
 人柄も良く、家風もその華やかさと相反して落ち着いたフェーベ王女の気質とも合っている。

 それに当のフェーベ王女本人がことごとく縁談を断ってしまったためもう後に勧められるような者がほとんどおらず、もうすぐ二十五を迎える年で若干行き遅れの感も出てきた。
 命を狙われ心配もされている。
 そんな中での申し出であった。
 本当に、考えれば考えるほど最良といっていい縁談であると認めざるを得ない。
 嫁いでしまえば、自分の介入が難しいといった点を除いて。

「しかし本当に盲点というか、歳の差が多少ある事以外にはまるでフェーベ王女の為にあるような相手ですよね」
「そうだな」
「難しい顔をされて……」
「片付けなければならない仕事が山積みで頭が痛いだけだ。今日はやけに無駄口が多いな」

 まったく、なんなのだ。
 日頃の執務に加えて対公国への準備などやらなければいけないことはいくらでもあるというのに、さっきから侍女の噂話みたいな無駄口ばかりで。

「気になっているのではないかと、こちらで聞いた情報をお伝えしているまでです」
「気になるもなにも、今回はオルシーニ卿が直接申し入れている。わたしの関与することではない。王家とオルシーニ家、当事者同士の問題だ」

 書類仕事の手を止めて、執務室のテーブルで同じく新規に届けられる書類の精査をしているオルランドに顔を上げてそう一息に言えば、対抗馬は考えないのですかと妙に狡猾めいた口調で呟く。

「なに?」
「大家令にして王宮勢力から一線を引くオルシーニ家に嫁いでしまったら、いくら宰相閣下でも簡単には介入できませんよ。これまでそれも頭に入れて縁談の相手を選別していたのをこの私が気がついていないとでも? 万一、卿が世間の誰も知らない顔でも持っていたらどうします?」
「フェーベ王女とてもう子供ではない。それにオルシーニ卿に匹敵する相手などいまの王宮には――」
「いるでしょう、一人」

 テーブルの椅子から立ち上がり、こちらもお願いしますと未決裁書類を積み上げ、人の顔を見てにっこりと人の悪い笑みを浮かべるオルランドの意図を悟って、渋面を見せずにはいられなかった。

「馬鹿なことを……」
「なにがです? 伯爵相当位で王の信頼も厚い宰相にして、幼い頃から王女を見守り公私に渡って支えてきた、王家の友人扱いな閣下であるのに。しかも卿より二つ若い」
「何度も言っているが、わたしにそんな気はない」

 いつもの揶揄やゆだと思って取り合わず再び書類へと戻りかけて、ご自分の幸運に甘えるのもいい加減になさったほうがよろしいのでは、といつになく厳しい声が返ってきたのに手を止めた。

「本当にその気がないのなら結構。しかし立場も忘れて取り乱すくらいなら考え直したほうがいい。閣下はどこかでフェーベ王女は自分の元から離れないとたかくくっている」
「……その件ならもう済んだ話だ。貴殿は折にふれけしかけるが、それはなにか意向でも働いているのか?」

 かっとオルランドの顔に朱がのぼり激昂するかと思ったが、そこはさすがに貴族の中の貴族と称えられるような男で、しばらくわたしを睨みつけやがて呆れや諦めというよりは哀れみに近いようなため息を吐いた。

「貴方が大切にするのは、貴方が大切にしたいものだけだ……」
「オルランド?」
「貴方はご自分や貴方を想う者を蔑ろにし過ぎる。私とて上官の幸福を願っているのですよこれでも」

 公国との事もどう転ぶか保証はない、失う時は一瞬です。
 至極真面目なオルランドに、近頃、身近な者によく怒られると胸の内でひとりごちる。
 
「長年、貴方を仰ぎ見てきた部下の進言は聞いて損はないかと」

 損はない、か。
 なんというか自己陶酔の気がある割に、存外人がいいなこの男はと書類にペンを走らせる。
 オルランドはそれ以上はもうなにも言わず、失礼しましたと部屋を出ていった。
 東都から戻ったティア王女が騎士団本部に来ており、私の代理で騎士団本部の会議に出るよう頼んでいた。

*****

 王族の住居と王の公務に関わる区画の境に、回廊が取り囲む中庭。
 枯れ色を見せはじめている芝、適度な間隔で木陰を作る落葉樹は色づき葉を落としつつあった。
 特に噴水や溜池があるわけでも、腰掛ける場所があるわけでもないただ建物の奥にまで自然光を取り入れるために作られた空間。
 仕事を一区切りつけ、凝った体をほぐそうと執務室を出れば、人の気のないその場所に足が向いていた。

 ――閣下はどこかでフェーベ王女は自分の元から離れないとたかくくっている。

 地面を鮮やかに染めている落ち葉の色を眺めながらオルランドの言葉が脳裏に浮かんで、彼にはそう見えるということか……とひとりごちる。
 本来なら、もうとっくに公務でたまにまみえる以外の接点など持ちようがないはずの方なのだ。それなのに幼い頃と変わらない近さでいる。
 離れなければ、距離を置かなくては。
 あの方が信頼を寄せているわたしは、ここであの方と出会った後の、あの方に頭を下げて仕えているわたしだ。
 それまでの、いや、その後も彼女からは見えないわたしのことを考えれば――。
 
 ふと、振り返った先に輝くような蜂蜜色の長い髪が揺れるのが目に入って、ああどうしてこの方はと思いながら、略式の礼を取る。
 ここに来れば、彼女が姿を現すとどこかでわたしは知っている。

「……フェーベ王女」 
「ティアちゃん、戻って王宮に来ているのですってね」
「相変わらず耳が早い」
「知らせが入ったの。後でわたしのところに立ち寄るって」

 公国のことを教えて欲しいって、わたしがしていたことわかっちゃったみたい。
 肩をすくめて、困ったように微笑んだ彼女にそうですかと答えた。
 
「東都でなにか知っているかと尋ねられました。きっと後でどうして教えてくれなかったと叱られるでしょうね」
「わたしに口止めされてたと言えばいいわ、そう言っておきます」

 本当に、もう引退ねとフェーベ王女はくるりと背を向けた。
 陽光にきらきらと輝くような姿に目を細める。
 
「聞いているでしょう? お受けしようかと思うの」
「そうですか」
「驚かないのね」
「話を聞いた時にそうなさるだろうと思いましたので」
「そうね。きっと驚かないだろうって思ってた。情勢が情勢だから……公にするのは落ち着いてからになるでしょうね」

 では、春の頃ですねと言えば彼女は振り返った。
 王女の顔でわたしを見上げる。

「おさまるの?」
「本格的な冬になる前に片をつけます。ティア王女もそのおつもりです」

 身をかがめ、家臣として答えれば……貴方も出向く気ねとため息混じりに言われ、はいと返事をする。

「貴方、宰相なのよ……」
「お忘れですか? 王国は王自ら各地に出向く国ですよ? しかも皆に黙ってお忍びで。その上、王女が本職も真っ青な諜報活動も行う」
「意地悪」
「心配がひとつ減ります」
「わたしは心配がひとつ増えます」

 彼女の言葉に、立ち上がって苦笑する。

「わたしが貴女の花嫁姿を見ずになにかなるとでも? 有り得ませんよそんなことは」
「トリアヌス」
「……それにしても、詩がお好きであることは知っていましたが。作る趣味がおありとは知りませんでした」

 それもあの新進気鋭の芸術家や好事家で名高い貴族が出入りする第一王女のサロンで発表、批評し合うほどだったとは、わたしもぜひ読ませていただきたいものですと言えば、絶対だめと言われた。

「だめ、ですか」
「ひとつくらい貴方に秘密があったっていいでしょう」
「それはまあ。そろそろ戻らなければいけません、失礼いたします」

 再度一礼して体の向きを変えれば、かさっと落ち葉を踏む音がしてわずかな重みが背に寄りかかった。
 トリアヌス……と、囁くような声と私の背に額を預けて寄りかかっているらしいフェーベ王女の微かな温かみが服を通して伝わる。
 正直、誰かに見られたら際どい状態だったが、振り返ってとりなす気になれなかった。

「貴方、宰相なのよ」
「ええ……気がついたらそうなっていました」

 本当に、ただ夢中で。
 この方が微笑んでいられる国であるようにと。

「わたしあって、なのでしょう」
「そうですね」
「彼、わかっているの。なにもかも……それでよいのですって。わたしが持つものを彼の家では眠らせることができるし、わたしと彼の間には穏やかな親愛があるからそれで十分だって」
「卿は、良いお相手です。おそらくは誰よりも」

 そうね、と寂しげな笑みの吐息に、彼女が握りしめているローブの生地が軽く後ろに引きつれ背中に小刻みの震えを感じる。

「わたしが持つものを眠らせることが出来るということは、貴方もなにも出来なくなるということなのよ?」

 幼い時から。
 黙って、震えながらわたしにしがみつくのは、どうにもならないことに駄々をこねる時だと知っている。
  
「貴方、わたしを手放すの? 出来る限りのことをしてくれるのでしょう?」
「手放すもなにもわたしは王に仕える文官です。いくら王女に望まれようとを超えた勝手は出来ません」
「貴方はわたしが見つけたのっ! お父様よりずっと先にわたしは貴方に心を預けているのよ! 分ならとっくに超えてる……少なくとも王女としてのわたしはそうだわ……っ」

 フェーベ王女が離れないのではない。
 わたしが離れられないままでいる。
 幼い頃から親しんだ文官と彼女に手を伸ばすことが出来る立場を得た男であることを巧みに使い分け、彼女を落胆させるような自分を見せることはない安全な位置から。
 
 ……どうしてなにも言ってくれないの?

 泣き出した王女に、言うべきことがないからですと答える。
 嗚咽の声を聞き、泣いて少し熱くなった彼女の体温を感じながら目を伏せる。
 
「フェーベ王女のお気がすむまで、わたしはどこにもいきません」

 彼女が子供の頃から幾度か繰り返した言葉を繰り返せば、息を飲む声が聞こえて、子供のような泣き声がわたし達の他には誰もいない中庭を満たした。
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