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第9話 ほほう。この私を討ち取る、ですか
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朝の空気はやや冷え込んでおりました。
見渡すかぎりの平野に、両軍は既に布陣を終えています。旗が林立し、お互いの軍勢は軽く十万を超えるでしょうか。矢面に立ちながらもまだ一歩を踏み出さぬその姿は、まさしく嵐の前の静けさでした。
そんな中、まず声を発したのは移動式の櫓の上でふんぞり返っていた簒奪派の総大将――ドラヴォス公爵でした。
「聞けい、皆の者!」
肥えた体を揺らし、鼻を鳴らすようにして彼は叫びました。
この時代の戦は、まずこうして大将が味方に檄を飛ばすことから始まります。言わば決戦前の儀式や儀礼ですね。ある意味で一騎打ちの名乗り合いのようなものでもあります。
「今、我らの目の前にいるヴァルケスト家は、代々帝国の要職を独占してきた。そして今回、前当主が病で倒れたことにより現れたのはなんと若干十七歳の若造である。まだ政治の経験もろくにない未熟者だ。こんなことが許されるだろうか? 奴らは我らの呼びかけには応じず、帝国の安定した未来よりも自分たちの既得権益を守ることを優先したのだ。民を導く同じ貴族として、これほど嘆かわしいことはない」
やれやれ、嘆かわしいのはどちらでしょうかね。なーにが呼びかけですか。ダリオン様が倒れるや否や、すぐさま裏でコソコソ動いてその地位を奪おうとしたくせに。
私はまるで舞台役者にでもなったかのように語るドラヴォス公爵の姿に溜め息を吐きました。
「それだけではない! 奴らは己の立場が危ういとみるや、あらんことか恐れ多くも帝宮に乗り込み、陛下の前で魔法を使って脅迫まで行ったのだ」
そのひと言に、敵軍の兵士たちがざわつきます。
この世界において魔法は武器代わり。陛下の御前で許可なく使用するだけでも、本来なら不敬罪となります。
「これでわかっただろう? 奴らの所業はまさに欲におぼれた蛮族のそれであり、もはや万死に値すると言える。さあ征くぞ皆の者。遠慮はいらん。相手は不正に権力を確保した、言うなれば簒奪者だ。必ずやこの地にて滅ぼし、その汚れた権力の座から引きずり降ろしてくれようぞ。正義は我らにあり!」
ドラヴォス公爵の叫びに続いて敵軍から歓声が沸き立ち、旗が大きく揺れました。
まったく。ついには正義と来ましたか。本当に厚顔無恥なタヌキ親父ですね。
……まあ魔法での脅迫のくだりについては何も言えませんが。とはいえ仕方ありません。あれも必要な行為だったのです。
ともあれ、こうなると次はこちらの番です。よろしい。そっちがその気なら、今度は私がその化けの皮を剥がして差し上げましょうかね。
「皆さん、恐れる必要はありません」
私はゆっくりと高台に進み出て、手にした杖を掲げながら語りかけました。
「我らは決して簒奪者などではありません。むしろ目の前にいる彼らこそ、ダリオン様不在に乗じて権力を掠め取ろうとした真の簒奪者。もしここに正義があるとすれば、それは我らの方です」
風魔法を応用して拡散された声が広く戦場を駆け抜けます。先ほどドラヴォス公爵もやっていたことです。
ですが私の方が鋭く澄み渡るように響いたのは、ひとえに魔法の腕の差ですね。これだけで熟練の魔導士なら、私とドラヴォス公爵の実力差を理解できることでしょう。
「先ほどドラヴォス公爵は、我がヴァルケスト家が不当に権力を独占してきたと申されました。しかし、それは明確な誤りです。なぜなら歴代の当主たちは皆、その手腕でもって帝国の発展に尽くしてきました。ヴァルケスト家が今日まで地位を保ってきたのは、決して慣例などではなく、その功績と信頼あってこそ。それはこの地で暮らす皆さまが一番よくご存じのはずです」
脳裏に、かつてオルネッタから受けた歴史の授業がよみがえります。
街道の整備により交易を活発にし、飢饉の際には率先して備蓄を放出して民を救い、敵国との戦争の折には自ら杖を執って外敵を退けた。数え上げればきりがありません。
「つまり、ドラヴォス公爵の言い分は全くの見当違い。あえて言うなら……ただの難癖です!」
私ははっきりとそう言い切りました。そもそもダリオン様とドラヴォス公爵は同じ公爵家。格に差などありません。にもかかわらず一方が要職に就けなかったのは、単に能力の差に過ぎないでしょう。不当だの不正だのと喚く方がお門違いなのです。
遠くの櫓の上でドラヴォス公爵が顔を引きつらせながら、「ぐっ……!」と声を詰まらせるのが見えました。
好機。私はさらに畳みかけました。
「ちなみに私の調べによると、ドラヴォス公爵はダリオン様と同い年でしたね。たしか幼少の頃より顔見知りだとか。けれど歩んできた道は雲泥の差。政治においても軍事においても、そして社交界においても、ずっと後塵を拝して来られたと伺っております。……そういえば、かつてはエルリーゼ様に婚約を申し込んだこともあったとか」
「なっ……!?」
ドラヴォス公爵が目を見開き、顔を真っ赤にします。明らかに図星と言った様子。向こうの兵たちの間にもざわめきが広がっていきます。
そして私は、トドメのひと言を放ちました。
「もしかして、今回の一連の動きの発端はすべて“逆恨み”なのではありませんか?」
その瞬間、敵陣に目に見える動揺が走りました。
それもそのはず。大義のためと信じて集まった兵たちにしてみれば、その裏に大将の私怨が潜んでいたなど思いもよらぬこと。どうしてそんなことで自分たちが命を賭けねばならないのか――そう考えるのは自然な心理でしょう。
ちなみに今の情報の出所については、この間陣営に加わった商工会やギルドからもたらされたものです。
つくづく彼らは侮れない人々ですよ、本当に。まさか経済や物流の裏事情だけでなく、こうした男女の痴情にまで通じているとは。味方につけておいて実に良かったです。
もっとも、最初に聞いたときはそんな感心より先に素直に失笑してしまいましたけどもね。しかも裏付けを取るためにそれとなくエルリーゼ様に確認したら、「ああ、そういえばそんなこともあったわねぇ」とほとんど思い出に残っていなかったのがまたなんとも。
「さあ、これでおわかりでしょう。いったいどちらに正義があるのか。そして、この決戦の地は我らの土地。必ずや祖霊も我らに加護を与えてくださるはず。――では皆さん、出陣です!」
雷鳴のような歓声が背後から湧き上がりました。
その声量は先ほどの敵陣営よりもずっと力強く熱を帯びています。兵たちの胸に宿る昂ぶりが、戦場全体の空気を変えていくのが手に取るようにわかりました。
実のところ、戦場で勝敗を分けるのは兵の数でも魔法の腕でもありません。
小規模な戦ならそれらも大きな意味を持ちますが、これほどの大軍同士が衝突する局面では別。
最も重要なのは、士気です。
どれだけ兵士一人ひとりが戦う意欲を持っているか。それこそが戦局を左右するのです。
これは魔法にしても同じこと。いかに優れた術者であっても、魔力のコントロールは体調や心の状態に大きく左右されます。寝不足の翌日や嫌なことがあった直後など、威力も精度も露骨に落ち込んでしまう。
だからこそ、開戦前の演説は儀礼であると同時に、兵の力を実際に底上げする重要な要素なのです。
そして彼らは失敗し、こちらは成功した。
もうこの時点で勝敗は決したも同然でした。
しかし、櫓の上のドラヴォス公爵はなおも怒りに顔を歪め、喚き散らしました。
「黙れ黙れ黙れっ! 小娘風情が知ったような口を聞きおって! いけぇ、全軍突撃! 総攻撃だ!!」
そしてさらに、彼は続けざまにこう宣言しました。
「そうだ、今思いついたっ! おい貴様ら! あの女狐を討ち取った者には、ワシ個人から親子二代……いや三代遊んで暮らせるほどの財を与えてやるっ!!」
これにはさすがに敵兵の間から「おお……!」「さ、三代……!?」とどよめきが広がりました。
銭の力とは恐ろしいものですね。意気消沈しかけた兵たちも、欲望に突き動かされて再び杖を構え、魔法の光を閃かせながら突撃してきました。
――ですが。
「ほほう。この私を討ち取る、ですか。果たしてあなた方にそれができますかね」
私は杖を掲げ、雷を放ちました。
轟音とともに光の奔流が敵兵の群れを薙ぎ払い、突撃の勢いが一瞬で止まります。眩い閃光に目を細めた兵士たちは身体を強張らせつつ、「ひぃっ!」という悲鳴を漏らしていましたよ。中には失禁している者もチラホラ。
その後の流れは正直、一方的でした。
各地で我が陣営が押し込み、敵を逆に跳ね返していく。
「せやっ!」
ヴァレフ様も奮戦していました。訓練で鍛えた術式を駆使し、氷の矢を放って敵兵の杖を正確に射抜き、あるいは地面を凍らせて彼らの足を縛りつけていきます。
「よし、この場はもう良い! 次へ向かうぞ!」
「おー!」「皆の者、ヴァレフ様に続けぇ!」
気迫も十分といった様子で、若い当主の堂々たる姿に味方の兵も奮い立つ様子が見て取れました。
もともと才あるお方ですからね。そこに落ち着きと責任感が伴えばご覧の通りです。
「はぁっ!!」
ですが戦場を支配したのは、やはり私の雷でした。
荒れ狂う稲妻が次々と敵を薙ぎ倒し、その勢いは一騎当千の如し。味方の間からは、ひっそりと「もうあの人だけでいいのでは……?」などという声まで聞こえてくる始末。が、あいにくですけどもそれでは意味がないのです。
というのも、これはただの私闘ではありません。
大貴族である公爵家同士の戦であり、国内のみならず大陸全土が注目する政争です。
ここで重要なのは、ヴァルケスト家が一致団結して敵を退けるという事実。それこそが今後の領内の結束を固め、他の外敵に対しても「容易に手出しできぬ存在」であると知らしめる礎となるのです。
これがもし私一人で鎮圧してしまえば、どうなるでしょう?
そうならば、あっという間にこの戦は「セレイナ個人対ドラヴォス陣営」という形に矮小化されてしまう。
それでは家の未来を守ることになりません。もしなんらかの事情で私が家を離れざるを得なくなった際、「今が好機」とまた邪な考えを持つ者が現れてしまうかも。
だからこそ、皆で戦い、皆で勝利することが大事なのです。
――とまあ、そんな考えを頭の中で思い描きつつも。
「ああ、なんて楽しいのでしょう! 久々です、この感覚!」
どうしましょう、魔法を撃つ手が止まりません。
次々と雷を放ちながら、私は抑えきれぬ喜びに浸っていました。
あ、でも一応手加減はしてますよ、もちろん。派手に見える雷撃も、実際には音と光を強調しているだけ。電圧も低めに抑えてありますから、直撃してもせいぜい気絶する程度。命に別状はありません。
相手は同じ帝国に生きる人々です、いたずらに命を奪う必要などないのですからね。
***
やがて陽が傾き始めた頃には、戦場の大勢はすでに決しておりました。
本来これほどの大軍同士が衝突すれば、何日も野営を繰り返しながら戦い続けるもの。ところが今回は、わずか数時間で勝敗が明らかになったのです。
敵陣の兵士たちは次第に杖を捨て、地に伏して命乞いをする者も現れました。投降者の列は刻一刻と長くなり、やがて戦場を覆うのは敗北を認める呻き声ばかりとなります。
その中心に――青ざめて膝をつくドラヴォス公爵の姿がありました。
「ば、馬鹿な……こんなことが……」
かつての尊大な姿は消え失せ、今や彼は一人の老人のように震えておりました。
「決着は着きました」
私は静かに告げ、杖を構え直しました。
「同じ祖国を持つ身として、あなたの兵たちの命は奪いませんでした」
これだけの戦で奇跡的なことです。まあうちの陣営の者たちには、始まる前から「訓練のときと同じく、なるべく防御魔法を貫かない程度に加減するよう」と命じてきましたが。
ちなみにこちらも負傷者のみで死者はおりません。恐らくは相手側も序盤の士気の沈下が影響し、魔法の出力が出なかったのでしょうね。
ですが……と私は続けました。
「あなた本人は別です。先々の禍根を断つためにも、ドラヴォス公爵……あなただけはここで処刑せねばなりません」
怯えた目で見上げるその男に、もはや往年の気迫はありません。
ですが放置すれば、またいずれ闇から手を伸ばすでしょう。演説の折には彼の過去を笑い話のように扱いましたが、これほどの反乱を起こす執念を見せたのです。その心の闇は想像以上に深いはず。
私は杖を高く掲げました。
「さあ、お覚悟を――」
けれど、その瞬間でした。
「やめよ!」
鋭い声が戦場に響き渡りました。
振り返った先に立っていたのは、皇帝カリオス陛下とその御一行でした。
見渡すかぎりの平野に、両軍は既に布陣を終えています。旗が林立し、お互いの軍勢は軽く十万を超えるでしょうか。矢面に立ちながらもまだ一歩を踏み出さぬその姿は、まさしく嵐の前の静けさでした。
そんな中、まず声を発したのは移動式の櫓の上でふんぞり返っていた簒奪派の総大将――ドラヴォス公爵でした。
「聞けい、皆の者!」
肥えた体を揺らし、鼻を鳴らすようにして彼は叫びました。
この時代の戦は、まずこうして大将が味方に檄を飛ばすことから始まります。言わば決戦前の儀式や儀礼ですね。ある意味で一騎打ちの名乗り合いのようなものでもあります。
「今、我らの目の前にいるヴァルケスト家は、代々帝国の要職を独占してきた。そして今回、前当主が病で倒れたことにより現れたのはなんと若干十七歳の若造である。まだ政治の経験もろくにない未熟者だ。こんなことが許されるだろうか? 奴らは我らの呼びかけには応じず、帝国の安定した未来よりも自分たちの既得権益を守ることを優先したのだ。民を導く同じ貴族として、これほど嘆かわしいことはない」
やれやれ、嘆かわしいのはどちらでしょうかね。なーにが呼びかけですか。ダリオン様が倒れるや否や、すぐさま裏でコソコソ動いてその地位を奪おうとしたくせに。
私はまるで舞台役者にでもなったかのように語るドラヴォス公爵の姿に溜め息を吐きました。
「それだけではない! 奴らは己の立場が危ういとみるや、あらんことか恐れ多くも帝宮に乗り込み、陛下の前で魔法を使って脅迫まで行ったのだ」
そのひと言に、敵軍の兵士たちがざわつきます。
この世界において魔法は武器代わり。陛下の御前で許可なく使用するだけでも、本来なら不敬罪となります。
「これでわかっただろう? 奴らの所業はまさに欲におぼれた蛮族のそれであり、もはや万死に値すると言える。さあ征くぞ皆の者。遠慮はいらん。相手は不正に権力を確保した、言うなれば簒奪者だ。必ずやこの地にて滅ぼし、その汚れた権力の座から引きずり降ろしてくれようぞ。正義は我らにあり!」
ドラヴォス公爵の叫びに続いて敵軍から歓声が沸き立ち、旗が大きく揺れました。
まったく。ついには正義と来ましたか。本当に厚顔無恥なタヌキ親父ですね。
……まあ魔法での脅迫のくだりについては何も言えませんが。とはいえ仕方ありません。あれも必要な行為だったのです。
ともあれ、こうなると次はこちらの番です。よろしい。そっちがその気なら、今度は私がその化けの皮を剥がして差し上げましょうかね。
「皆さん、恐れる必要はありません」
私はゆっくりと高台に進み出て、手にした杖を掲げながら語りかけました。
「我らは決して簒奪者などではありません。むしろ目の前にいる彼らこそ、ダリオン様不在に乗じて権力を掠め取ろうとした真の簒奪者。もしここに正義があるとすれば、それは我らの方です」
風魔法を応用して拡散された声が広く戦場を駆け抜けます。先ほどドラヴォス公爵もやっていたことです。
ですが私の方が鋭く澄み渡るように響いたのは、ひとえに魔法の腕の差ですね。これだけで熟練の魔導士なら、私とドラヴォス公爵の実力差を理解できることでしょう。
「先ほどドラヴォス公爵は、我がヴァルケスト家が不当に権力を独占してきたと申されました。しかし、それは明確な誤りです。なぜなら歴代の当主たちは皆、その手腕でもって帝国の発展に尽くしてきました。ヴァルケスト家が今日まで地位を保ってきたのは、決して慣例などではなく、その功績と信頼あってこそ。それはこの地で暮らす皆さまが一番よくご存じのはずです」
脳裏に、かつてオルネッタから受けた歴史の授業がよみがえります。
街道の整備により交易を活発にし、飢饉の際には率先して備蓄を放出して民を救い、敵国との戦争の折には自ら杖を執って外敵を退けた。数え上げればきりがありません。
「つまり、ドラヴォス公爵の言い分は全くの見当違い。あえて言うなら……ただの難癖です!」
私ははっきりとそう言い切りました。そもそもダリオン様とドラヴォス公爵は同じ公爵家。格に差などありません。にもかかわらず一方が要職に就けなかったのは、単に能力の差に過ぎないでしょう。不当だの不正だのと喚く方がお門違いなのです。
遠くの櫓の上でドラヴォス公爵が顔を引きつらせながら、「ぐっ……!」と声を詰まらせるのが見えました。
好機。私はさらに畳みかけました。
「ちなみに私の調べによると、ドラヴォス公爵はダリオン様と同い年でしたね。たしか幼少の頃より顔見知りだとか。けれど歩んできた道は雲泥の差。政治においても軍事においても、そして社交界においても、ずっと後塵を拝して来られたと伺っております。……そういえば、かつてはエルリーゼ様に婚約を申し込んだこともあったとか」
「なっ……!?」
ドラヴォス公爵が目を見開き、顔を真っ赤にします。明らかに図星と言った様子。向こうの兵たちの間にもざわめきが広がっていきます。
そして私は、トドメのひと言を放ちました。
「もしかして、今回の一連の動きの発端はすべて“逆恨み”なのではありませんか?」
その瞬間、敵陣に目に見える動揺が走りました。
それもそのはず。大義のためと信じて集まった兵たちにしてみれば、その裏に大将の私怨が潜んでいたなど思いもよらぬこと。どうしてそんなことで自分たちが命を賭けねばならないのか――そう考えるのは自然な心理でしょう。
ちなみに今の情報の出所については、この間陣営に加わった商工会やギルドからもたらされたものです。
つくづく彼らは侮れない人々ですよ、本当に。まさか経済や物流の裏事情だけでなく、こうした男女の痴情にまで通じているとは。味方につけておいて実に良かったです。
もっとも、最初に聞いたときはそんな感心より先に素直に失笑してしまいましたけどもね。しかも裏付けを取るためにそれとなくエルリーゼ様に確認したら、「ああ、そういえばそんなこともあったわねぇ」とほとんど思い出に残っていなかったのがまたなんとも。
「さあ、これでおわかりでしょう。いったいどちらに正義があるのか。そして、この決戦の地は我らの土地。必ずや祖霊も我らに加護を与えてくださるはず。――では皆さん、出陣です!」
雷鳴のような歓声が背後から湧き上がりました。
その声量は先ほどの敵陣営よりもずっと力強く熱を帯びています。兵たちの胸に宿る昂ぶりが、戦場全体の空気を変えていくのが手に取るようにわかりました。
実のところ、戦場で勝敗を分けるのは兵の数でも魔法の腕でもありません。
小規模な戦ならそれらも大きな意味を持ちますが、これほどの大軍同士が衝突する局面では別。
最も重要なのは、士気です。
どれだけ兵士一人ひとりが戦う意欲を持っているか。それこそが戦局を左右するのです。
これは魔法にしても同じこと。いかに優れた術者であっても、魔力のコントロールは体調や心の状態に大きく左右されます。寝不足の翌日や嫌なことがあった直後など、威力も精度も露骨に落ち込んでしまう。
だからこそ、開戦前の演説は儀礼であると同時に、兵の力を実際に底上げする重要な要素なのです。
そして彼らは失敗し、こちらは成功した。
もうこの時点で勝敗は決したも同然でした。
しかし、櫓の上のドラヴォス公爵はなおも怒りに顔を歪め、喚き散らしました。
「黙れ黙れ黙れっ! 小娘風情が知ったような口を聞きおって! いけぇ、全軍突撃! 総攻撃だ!!」
そしてさらに、彼は続けざまにこう宣言しました。
「そうだ、今思いついたっ! おい貴様ら! あの女狐を討ち取った者には、ワシ個人から親子二代……いや三代遊んで暮らせるほどの財を与えてやるっ!!」
これにはさすがに敵兵の間から「おお……!」「さ、三代……!?」とどよめきが広がりました。
銭の力とは恐ろしいものですね。意気消沈しかけた兵たちも、欲望に突き動かされて再び杖を構え、魔法の光を閃かせながら突撃してきました。
――ですが。
「ほほう。この私を討ち取る、ですか。果たしてあなた方にそれができますかね」
私は杖を掲げ、雷を放ちました。
轟音とともに光の奔流が敵兵の群れを薙ぎ払い、突撃の勢いが一瞬で止まります。眩い閃光に目を細めた兵士たちは身体を強張らせつつ、「ひぃっ!」という悲鳴を漏らしていましたよ。中には失禁している者もチラホラ。
その後の流れは正直、一方的でした。
各地で我が陣営が押し込み、敵を逆に跳ね返していく。
「せやっ!」
ヴァレフ様も奮戦していました。訓練で鍛えた術式を駆使し、氷の矢を放って敵兵の杖を正確に射抜き、あるいは地面を凍らせて彼らの足を縛りつけていきます。
「よし、この場はもう良い! 次へ向かうぞ!」
「おー!」「皆の者、ヴァレフ様に続けぇ!」
気迫も十分といった様子で、若い当主の堂々たる姿に味方の兵も奮い立つ様子が見て取れました。
もともと才あるお方ですからね。そこに落ち着きと責任感が伴えばご覧の通りです。
「はぁっ!!」
ですが戦場を支配したのは、やはり私の雷でした。
荒れ狂う稲妻が次々と敵を薙ぎ倒し、その勢いは一騎当千の如し。味方の間からは、ひっそりと「もうあの人だけでいいのでは……?」などという声まで聞こえてくる始末。が、あいにくですけどもそれでは意味がないのです。
というのも、これはただの私闘ではありません。
大貴族である公爵家同士の戦であり、国内のみならず大陸全土が注目する政争です。
ここで重要なのは、ヴァルケスト家が一致団結して敵を退けるという事実。それこそが今後の領内の結束を固め、他の外敵に対しても「容易に手出しできぬ存在」であると知らしめる礎となるのです。
これがもし私一人で鎮圧してしまえば、どうなるでしょう?
そうならば、あっという間にこの戦は「セレイナ個人対ドラヴォス陣営」という形に矮小化されてしまう。
それでは家の未来を守ることになりません。もしなんらかの事情で私が家を離れざるを得なくなった際、「今が好機」とまた邪な考えを持つ者が現れてしまうかも。
だからこそ、皆で戦い、皆で勝利することが大事なのです。
――とまあ、そんな考えを頭の中で思い描きつつも。
「ああ、なんて楽しいのでしょう! 久々です、この感覚!」
どうしましょう、魔法を撃つ手が止まりません。
次々と雷を放ちながら、私は抑えきれぬ喜びに浸っていました。
あ、でも一応手加減はしてますよ、もちろん。派手に見える雷撃も、実際には音と光を強調しているだけ。電圧も低めに抑えてありますから、直撃してもせいぜい気絶する程度。命に別状はありません。
相手は同じ帝国に生きる人々です、いたずらに命を奪う必要などないのですからね。
***
やがて陽が傾き始めた頃には、戦場の大勢はすでに決しておりました。
本来これほどの大軍同士が衝突すれば、何日も野営を繰り返しながら戦い続けるもの。ところが今回は、わずか数時間で勝敗が明らかになったのです。
敵陣の兵士たちは次第に杖を捨て、地に伏して命乞いをする者も現れました。投降者の列は刻一刻と長くなり、やがて戦場を覆うのは敗北を認める呻き声ばかりとなります。
その中心に――青ざめて膝をつくドラヴォス公爵の姿がありました。
「ば、馬鹿な……こんなことが……」
かつての尊大な姿は消え失せ、今や彼は一人の老人のように震えておりました。
「決着は着きました」
私は静かに告げ、杖を構え直しました。
「同じ祖国を持つ身として、あなたの兵たちの命は奪いませんでした」
これだけの戦で奇跡的なことです。まあうちの陣営の者たちには、始まる前から「訓練のときと同じく、なるべく防御魔法を貫かない程度に加減するよう」と命じてきましたが。
ちなみにこちらも負傷者のみで死者はおりません。恐らくは相手側も序盤の士気の沈下が影響し、魔法の出力が出なかったのでしょうね。
ですが……と私は続けました。
「あなた本人は別です。先々の禍根を断つためにも、ドラヴォス公爵……あなただけはここで処刑せねばなりません」
怯えた目で見上げるその男に、もはや往年の気迫はありません。
ですが放置すれば、またいずれ闇から手を伸ばすでしょう。演説の折には彼の過去を笑い話のように扱いましたが、これほどの反乱を起こす執念を見せたのです。その心の闇は想像以上に深いはず。
私は杖を高く掲げました。
「さあ、お覚悟を――」
けれど、その瞬間でした。
「やめよ!」
鋭い声が戦場に響き渡りました。
振り返った先に立っていたのは、皇帝カリオス陛下とその御一行でした。
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