記憶の中に僕は居ますか

遭綺

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週末の彦星

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日曜日のギリギリの時間まで、勇緋は夬皇に寄り添って、彼が忘れている部分を丁寧に話をする。
その度に、彼は熱心にメモを取る。
「俺、これ以上何もかも忘れたくない。かみつか君に教えて貰った事は、絶対に忘れないから」
そのひたむきな姿勢に、勇緋は心を動かされた。
明日から次の週末まで、彼には会えない。
そう思うだけで言い知れぬ寂しさと悲しさで包まれる。

「夬皇。そろそろ行くよ」
勇緋は彼の部屋の扉を開けながら話す。
「…うん」
夬皇はと言うと、何処となく名残惜しい気持ちなのか、キョロキョロと落ち着かない様子である。
「あ、PCとかはどうする? 向こうでも使うでしょ?」
「そうだね。絵とか書きたいから」
「確か、ベッドの横にPCを入れるカバンがあったはず」
勇緋の言葉に導かれるようにそこを覗いてみると、確かにノートPC用のカバンが引っ掛かっていた。
「本当に、かみつか君は凄いね。何でも知っているんだね」
「知っていると言うか、教えて貰ったんだよ、お前に」
彼の言葉に夬皇は そっか と小さく呟いて、そのカバンを手に取った。
「この二日間、色々思い出せた?」
「うん。まだ霞んでいる記憶が多いけど」
「大丈夫だよ、焦らなくて」
「ありがとう。本当にかみつか君は優しいね」
だが、その表情はどこか浮かない。
彼の目の動きを見た勇緋はその心が読めた。
「夬皇。今、お前が想っている事は気にしないでくれって言うのは簡単だけど、俺のお前を想う気持ちは本物だから。それだけは分かって欲しい。重たいかも知れないけど、俺はこのやり方しか知らないから」
勇緋の言葉を聴いた夬皇はだんだんと唇が震え始める。

「俺、本当にかみつか君の隣に居て良いのかな。こんな何も出来ない奴なのに」

夬皇はそう言うと、静かに涙を流した。
勇緋は驚く。
彼がこうして人前で涙を流す所をほとんど見た事がなかったから。
簡単に壊れてしまうくらい今の彼は繊細だ。
また、同時にその純粋さが何故か美しさすら感じてしまう。
次の瞬間には、勇緋は彼を抱き締めていた。

「違うよ、夬皇。俺がお前の隣に居たいんだ。記憶が消えても、お前が動けなくなっても、俺はずっとお前の隣に居たい。そこが俺の生きる場所なんだ」
彼の言葉を聴いた夬皇は身体を預ける。
「俺の事、大切に想ってくれて本当にありがとう」
夬皇は想い人の腕の中で静かに声を枯らす。

(夬皇。これじゃあ、離れられなくなるよ)

勇緋は次の週末まで心が持つか、とても不安になった。

それから二人は車に乗り込む。
彼の実家まで約二時間の長距離ドライブだ。

車内はいつもの彼らの大好きな音楽で溢れる。
以前、夬皇がまとめたプレイリストを再生してみる。
彼のセンスの良い曲達が次々と流れる。
「コレ、全部好きな感じの曲ばかり」
「そりゃあ、お前が作ってくれたプレイリストだから」
「あ、なるほど…」
いつ作ったか全然思い出せないけど、我ながら良い曲のセンスだなと感心してしまった夬皇。
「なんか、あまりにも覚えてなさ過ぎて笑えて来る」
「夬皇?」
「ゴメン、変な事言って。全部俺が悪いのに」
そう言いながら彼は少し窓を開け、外を眺める。
頭の傷を包むバンダナが風に靡く。
彼の憂いを帯びた表情がどこか眩しく感じた。
「あのさ、夬皇」
「はい?」
「次の週末までに行きたい所。あ、あったら…考えて、おいて欲しいんだ」
勇緋は少し恥ずかしそうに言葉を続けた。
「…うん。考えておく」
夬皇は嫌がりもせず、静かに頷くのだった。

車はあっと言う間に彼の実家の前に到着した。

「ここが、俺の家?」
都心から少し外れた場所にある彼の実家。庭付きの一軒家。
「ああ。何か思い出したか?」
「小さい頃の記憶だけしかないかも」
「そうか」
勇緋は車を降りる。そのまま彼の家のインターフォンを押す。
玄関の扉が静かに開く。
「ああ、勇ちゃん。いらっしゃい」
「こんにちは」
そう言いながら、視線をぼんやりと家を眺めている夬皇が居た。
「あれからどう?」
「ええ。少しずつですけど、記憶は戻っていると思います」
「そう。ホント、勇ちゃんのおかげね」
「いいえ、俺は何も。全ては夬皇の頑張りです」
二人がそんな事を話していると、夬皇がやって来た。
「母さん。た、ただいま…」
「お帰りなさい、夬皇」
「それじゃあ、俺はこれで」
「えっ? 上がって行かないの?」
「…はい」
そう言って、彼はくるりと踵を返す。

「かみつか君!」

夬皇は今まで発さないくらい大きな声でその名を叫ぶ。
「また、会えるよね?」
「ああ。また来週、必ず迎えに来るよ」
勇緋はそう言って、少し小走りで車へ戻る。
これ以上彼を見ていると別れるのが辛くなるから。

「夬皇。貴方、さっき…」
「うん。あの子はかみつか君。俺の事、何でも知っている素敵なヒトなんだ」
「そう。また週末、彼に会いたくなった?」
母親の言葉に、夬皇は彼女の目を見る。
「勿論。それまでに、色々と思い出さなくちゃ行けないから」
そう言って彼は、颯爽と玄関をくぐった。

一人、家路を急ぐ勇緋。
隣に彼が居ないだけでこんなに寂しいものなのか。
これが毎週続くとなると、やっぱり心が折れそうだ。
大好きなバンドの音楽が流れる。
「こんな時にこの曲は、破壊力が強過ぎる・・」
最新曲のあのバラード曲だ。
ダメだ。
何度聞いても沁みてしまう。
涙で前が見えなくなるくらいに。
「週末までしっかりと頑張らないとな。アイツに会っても恥ずかしくないように」

さあ、頑張って平日を生き抜いていこう。
週末に大好きなヒトと会うために。
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