記憶の中に僕は居ますか

遭綺

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そっと手を伸ばしてくれたなら

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二人の思い出を彩って来たあの観覧車が撤去される。

そのXデーはその年の年末だった。
残り二か月を切っている。

そんな運命のカウントダウンが進むとある週末。

自室でゆったり読書に耽っている勇緋。
すると、ドアをノックする音が聞こえた。
「あの。ゆうひ君、ちょっと相談があるんだけど、時間良い?」
「ああ。良いよ。入って」
ガチャリと言う音がしてから、ぬっと大男がやって来た。
「どうした? 深刻そうな顔をして」
勇緋の言葉に夬皇は小さくうなずいてから、彼の近くでストンと落ちる様に座り込んだのだ。
「あ、あのさ。仕事をする時間、増やしても良い?」
「えっ?」
「もうすぐ産休に入る人が居るみたいなんだ。俺も仕事を少しずつこなせるようになってきたから、多分、俺でもその穴埋めくらいは出来ると思うんだ。あと、それにね…」
少し夬皇は沈黙し、
「仕事が楽しいんだ。いつも、この服を来てくれたらきっと楽しい気持ちになってくれるだろうなって考えると、自分まで嬉しくなってきてさ。あと、ゆうひ君に似合うコーデを見つけたりすると、敢えて飾らずに俺の心の中で留めて置いたりするのが凄く面白くて」
彼の言葉の端々から溢れる楽しい思いと声に、勇緋は穏やかな気持ちになった。
「でも、一つだけ問題があって。実は、土曜日も仕事になるんだ」
「そ、そうか…」
鳩尾に強烈なパンチを喰らったような衝撃を受けた。
カウンターって奴か。
一緒に過ごせる時間が減ってしまうし、あの観覧車へ行く機会が丸々一日無くなるのは厳しい。
だが、冷静になって考えてみると、記憶が無くなる前の夬皇はシフトで土日も普通に仕事に行っていたのでこれが平常運転ではあった。
あまりにもここ最近は一緒にいる機会が多かったから忘れていた。
長く一緒に居る事が当たり前だと考えていた。
でも、実際に 生活する と言う型に当てはめてみると、それは拘束なのかもしれない。
それはお互いの為ではない。
「わかったよ。お前と一日遊べないのは寂しいけど、お前がやりたい事なら、応援するよ」
「ほ、ホント? 嬉しい、ありがとう!」
そのまま夬皇は大型犬と化し、勇緋に向かって飛び込んで来たのだ。
思い切り倒され、彼はクッションに後頭部を深く埋めた。
彼の頬が額に触れた。
心の奥で何かパチッとパズルがはまった音がする。
やめろよと言いながらも、身体とその手は彼の髪や顔に自然と触れてしまっていた。

次の日。
勇緋は夬皇を外へと連れ出す。
(結局昨日は、夬皇は自室にこもってイラスト描きに没頭してしまったので、何処にも出掛けられなかったようだ)
勿論、目的地はあのアウトレットだ。
勇緋の気迫はただならぬものだった。
是が非でもあの匣で夬皇の記憶の扉をこじ開ける。
今なら、本当に彼の頭に手を突っ込みそうな勢いすらある。
そんな彼の強い意志を感じた。
無論、隣で運転している彼がそんなオーラを放つ意味が理解出来ないでいる夬皇。
「ねぇ、ゆうひ君。今日はずっと怖い顔しているけど、何かあったの?」
「な、なんでもない。こっちの話だから」
勇緋の顔を見ながら、夬皇は大きく首を傾げていた。

(はて、何か俺、したかな)

それから二人は、何度も足を踏み入れているあのアウトレットへとやって来た。
今日もかなりの人達で賑わっていた。
「へぇー。いっぱいお店があるんだね」
「ああ」
勇緋は内心複雑な気持ちを抱いていた。
彼が記憶を失ってから、この場所に来る事を敬遠していた。
何故ならこの場所こそ、彼の記憶が戻る最後の砦。
最後の切り札だからだ。
彼の視界の先に見える、思い出の観覧車。
あそここそが、二人にとっての特異点。
数年前、二人の関係性が友人から恋人になった。
去年は、共通のネックレスを身に着ける事で絆を深めた。
そう、何かが変わり、変われる場所なのだ。

でも、心の何処かで、もし、あの匣の力を以てしても彼の記憶が戻らないとしたら。
そう考えてしまって、なかなか踏ん切りを付ける事が出来ずにいた。
だが、そのもの自体が無くなってしまうとなれば、話は変わる。
毎日、仕事を休んでお百度参りのように訪れたくなるものだ。

そんな二人は一緒に寄り添うように歩いていると、あのネックレスを買った店の前にやって来た。

夬皇はあれからあのネックレスをしていない。

何故なら転落事故の際に、ネックレスは彼の頭から出血した血の海に沈んでしまい、目を背けたくなるような色に染まってしまったのだ。病院に彼が運ばれたあの日、医者から渡された不吉な程どす黒いそれを見た勇緋は一人、泣きながら車を走らせていた。

今まで誰にも言わずに居た、彼の悲しい想い出。

傷心の彼を車は自然と海へ導いていた。
勇緋は砂浜に崩れ落ち、顔面が崩壊するほど泣き叫んだ。
手に握る変わり果てたネックレスに波が当たって、彼の身体と服を濡らしていく。
その時、一際大きな波が押し寄せると、余りの威力に手からそれが零れ落ちた。
「あっ」
涙が止まり、一言声が出た。
ネックレスはそのまま海へと消えて行った。
束の間、何もない自らの掌をただじっと見つめる勇緋。
でも、何故か少し救われた気持ちになった。
それはまるで母なる海が優しく彼に手を差し伸べて、彼の心とあのネックレスを浄化してくれたように感じた。

「ねぇ、ゆうひ君? 急に立ち止まってどうしたの?」
夬皇は彼の顔を覗くようにして尋ねて来た。
二人の姿が店の鏡に反射して映る。
少し感傷に浸ってしまっていたようだ。
「いや。いずれまたこの店で買い物をするって決めてるから。それまでお預けなんだ」
「えー。普通に入れば良いのに!」
勇緋はそのままスタスタと歩き出していたので、夬皇は不満そうにしながらも彼の後を追った。

そして、二人の前についにあの観覧車が姿を現したのだった。
勇緋はそれを見上げる。
「絶対に、俺は勝つ!」
目に見えぬ怪物と対峙しているのではないかと錯覚するくらいに彼の全身からは熱きオーラが迸っていた。
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