記憶の中に僕は居ますか

遭綺

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ma chérie(マシェリ) ~私の愛しい人~

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年の瀬も近づき、寒さも厳しくなって来た12月のとある日。
夜の駅の改札口の近くで、壁を背もたれにしながらじっと一点を見つめている男が居た。
「まだかな、ゆうひ君」
夬皇である。
ロングコートにマフラーと言うキラーアイテムを身に纏い、冷える手を擦りながら彼の帰りを待っていた。
長期出張を終え、ついに今夜、彼が帰って来る。
居ても立っても居られなくなり、彼に黙って駅の改札で待つことにしたらしい。
それからすぐ、電車がホームに着いたのかぞろぞろと人が改札口を通過していく。
夬皇は視線を人混みに向け、目で彼を探す。

お、居た! 
スーツ姿で、大きなキャスター付きのカバンを引っ提げている。
ちょっと疲れているのかな?
元気がなさそう。
まだ声を出さない。彼をびっくりさせたいから。
もう、すぐそこまでやって来ている。
あ、こっち見た。俺に気が付いたみたい。もう驚いた顔をしているし。
声は聴こえないけど今 ワコ って言ったよね?
てか、後ろの人が戸惑うから急に立ち止まっちゃ駄目だよ。

それはまるで改札を隔てた、束の間の逢瀬を楽しむロミオとジュリエットのように思えた。
どうやら妄想が過ぎるらしい。

改札を通過した勇緋はすぐさま夬皇の元へ駆け寄る。
キャスター付きのカバンを雑に手放し、そのまま夬皇の胸に飛び込んだ。
夬皇も彼の身体を優しく抱き留める。
久し振りに感じる互いの体温と匂いに途轍もない安堵感を憶えた。
「なんで、お前がここに居るんだよ」
「ゆうひ君が帰って来ると分かったから、すぐに会いたくなって」
「ありがとう。すげー、嬉しい」
「良かった、喜んでくれて。あ、お帰りなさいを言い忘れた」
「ただいま、夬皇。ココが俺の帰るべき場所だ」
勇緋はそう言って彼の胸に顔を埋め、匂いを楽しむ。

二人は束の間、人目を気にせずハグをしたまま時を過ごすのだった。

家に戻るとすぐに、二人は一緒にお風呂を楽しみ、会えなかった間の出来事を報告し合った。
もっと近くでお互いを感じ合いたい所ではあるが、今日は会えた喜びが大き過ぎたのか、そのまままったりとした時間を過ごす事になった。

パジャマ姿のまま、久し振りにリビングで寛いでいると。
「今日は一緒に寝よ?」
夬皇の飾らない言葉に勇緋は静かに頷く。

それから夬皇の部屋に移動した二人は並んで一つのベッドに入った。
眠りにつくまでの間、二人はぎゅっと手を握り合ったまま互いの体温を共有するのだった。
だが、勇緋の脳裏には穏やかなこの雰囲気とは別に、あの日が迫って来ている事に危機感を抱いていた。

(いよいよだな。まずは天気が良くなりますように)
3日後の12月最後の日曜日こそ、彼にとって重要な一日である。

そして迎えたその週の日曜日。
天気は彼の願い虚しく、曇り空であった。とても寒い一日である。
ちょっと風邪を引いてしまったようだ。
若干鼻声になっている。
あれほど気を付けていたのに、もう出だしからつまづいているじゃないか。
勇緋は自分を責めた。

「ねぇ、ホントに行くの? 体調悪そうだけど」
玄関で靴を履きながらも彼の事を気遣う夬皇。
「行く! 俺は大丈夫だ。夬皇は俺に付いて来てくれれば良い!」
勇緋はバサッとマフラーを肩に掛けながらそう話す。
「う、うん。わかった…」
台詞と仕草だけ見ればカッコよく感じるが、如何せん、鼻が辛そうな彼を見てしまうとちょっと頼りなさを感じる夬皇であった。

少し車が左右に揺れる勇緋の運転で、彼らは想い出の地であり決戦の舞台となるあのアウトレットへと向かう。

ここに来るのはもう何度目になるだろうか。
でも、今日程、気合を入れてやって来た事はないだろう。
初めて夬皇に告白をしたあの時ぐらいの緊張感。
入口にあるモニュメントの前で勇緋は足を止めた。
そして大きく深呼吸をする。
突然始まった彼の儀式のような動きに隣に居る夬皇は猜疑心を深めた。

SNSの事前情報で今日は観覧車がかなり混雑する事が予想されていた。
何故なら、今日はクリスマスに加えて最後の週末。
すでに長蛇の列が出来ていて、整理券を配る程の熱狂ぶりだ。

「うわー。凄い人。ホントに乗れるの?」
「何時になっても良いから、必ず乗るぞ。それまでは買い物でもしていよう」
「う、うん…」
聖なる日に似つかない程彼の全身から放たれるオーラに夬皇はより戸惑いを強めた。
(ゆうひ君、今日、クリスマスだって事、忘れているのかな)
夬皇はカバンの中にひっそりと隠しているプレゼントに触れると、そっと奥に押し込んだ。

ひとしきり買い物を楽しんだ二人は、整理券を握りしめながら、長蛇の列に並び始めた。
人の流れと動きから、恐らく乗れるまでに大体二時間ぐらいは掛かりそうな勢いだ。
「俺、温かい飲み物、買って来るよ」
「ああ。すまない、ありがとう」
勇緋は鼻を啜りながら答えた。
一人列で待つ勇緋に冷たい風が吹き付ける。
(本当は今の関係性のままでも良いんだ。でも、俺は、アイツには呼び捨てで呼ばれたい。この想いだけはどうしても消せなかった。だから俺は、今日お前に全てを話すよ。どんな結果になろうとも)
彼はそんな事を心の中で呟きながら目を閉じて、風を感じた。

ぼんやりとしていると、突然頬に熱いものが触れた。
夬皇がグイッと勇緋の頬に缶コーヒーを押し当てて居た。
「ボーッとしているけど、本当に大丈夫? 顔、赤いよ?」
「へ、平気。顔が赤いのは、風が冷たいせいだから。それよりも、コーヒー、サンキュな」
「なら良いけど」
二人はそれから少し無言になって、列に並ぶのだった。

「なあ、夬皇。俺と初めてここに来た時の事、憶えてないか?」
「…ごめん。憶えてない」
「良いんだ、気にしないでくれ。だけどな、夬皇。俺達はあの観覧車があったから、今こうして一緒に
居られているんだ。それだけはどうしても伝えておきたかった」
「ゆうひ、君?」
急に彼があの場所に拘る理由を話し始めたので戸惑いを隠せないようだった。
でも、その言葉を絶対に聞き逃さないようにと顔つきを鋭くした。
「実は俺、あの匣の中でお前に告白をしたんだ」
「えっ?」
「ずっと隠していた気持ちを、何故か口に出せたんだ。今でもあの時ちゃんと言えて良かったって思ってる」
そんな大切な事を自分は忘れているのか。
夬皇は俯いてしまった。
だが、すぐにその顔に勇緋の冷えた手が触れる。
「だからあの観覧車が無くなる前に、もう一度、お前に今の俺の気持ちを伝えさせて欲しいんだ。
もしお前の記憶が戻らないとしても、今、目の前に居る夬皇にちゃんと伝えたい」
「ゆうひ、君」
夬皇は今にも泣きそうな顔をしているが、すぐに顔を振って表情を作る。
「わかった。ゆうひ君の想い、絶対に忘れないから」
「最高の想い出にしような、夬皇」
「うん。この瞬間をいつまでも憶えておくよ」
それから二人は自然と手を繋いだ。その時が来るまで。

そしてついに、二人の順番がやって来た。
これで最後になる想い出の観覧車。とても感慨深い。
二人は仲良くそこに乗り込んだ。

この前とは違って二人は対面で座った。
何故だか緊張感が漂う。
「やっと乗れたな。無事に乗れてホッとしたよ」
「そうだね」
少しそんな会話をするとすぐに、二人は静かになってしまった。
ゆっくりと二人を乗せた匣が動き出す。

「夬皇、こんな時だからこそ言えるけど、俺と一緒に居てくれて本当にありがとう。記憶が無くなってもなお、俺の事を好きで居てくれて凄く嬉しい」
「ゆうひ君…」
もうすでに夬皇は涙目になっている。勇緋は言葉を続ける。
「俺はお前の事が世界で一番大好きだ。お前がどんな姿になっても俺は構わない。だから…」
それから少し間があった。言葉を紡いでいるようだ。
匣がもうすぐ頂上へと差し掛かる時、勇緋の口が開いた。

「これからもお前の隣にずっと俺を居させて下さい」

勇緋も少し涙を浮かべつつも、その表情はとても晴れやかで素敵な笑みを見せていた。
その瞬間、曇り空から一瞬だけ温かな陽の光が差すと共に、観覧車を優しく照らしたのだ。
そして、夬皇はそのまま勇緋の唇を奪っていた。
それが答えだった。
今までで一番熱を帯び、全身に温もりが染み渡るような優しく忘れられないキスだった。
唇が離れ、二人の視線が合う。

「勿論。これからもよろしくお願いします、ゆうひ君」

夬皇は顔を赤らめながらも力強い口調で答えた。
彼の言葉に勇緋は静かに頷いて見せた。

どうやら彼の記憶の扉をこじ開ける事は出来なかったらしい。
だけど、悔いはない。寧ろ、これで良かったのかも知れない。
だって、大好きなヒトとこれからも一緒に居られるのだから。
それから空は再び曇り空へと戻って行った。

最後の遊覧を終えた匣はゆっくりと地上へ戻って来た。
勢いよく匣の扉が開くと、冷たい風が一気に吹き込んで来た。

嗚呼、とても楽しかったよ。
素敵な想い出をありがとう。

そんな事を思いながら、勇緋が立ち上がり、足を踏み出したその時であった。
(あれ…)
足元がふらついてしまった。着地が危うい。
「ゆうひ君!」
目の前で彼の体勢が崩れたので、咄嗟に夬皇は身体を乗り出す。
だが、その時だった。

《ゴンッ!》

長身の彼にとって予期せぬ動きは命取りだった。
思いっきり匣の壁に頭をぶつけてしまったらしく、鈍い音が辺りに響く程だった。
その音に、勇緋の意識が戻される。
「夬皇! お、おい。大丈夫か?」
無事に降りる事が出来た夬皇であったが、余りの激痛からかその場に蹲ってしまった。

「だ、大丈夫ですか!?」
急な事に、慌ててスタッフの方もやって来た。
「ううっ」
おでこを押さえたまま痛みを堪えて居る夬皇。
「す、すまない。俺がちゃんとしなかったから」
勇緋は罪悪感を抱きながら、彼の頭を優しくよしよしと撫でる。子供をあやす様に。
すると、

「あー。超痛ぇ! 絶対タンコブ出来たよ、コレ!」
急に大きな声を発した夬皇。
「は?」
戸惑う勇緋に対し、夬皇はゆっくりと視線を上げる。

「ねえ、俺のおでこ大丈夫かな、

一瞬、何が起きたか分からなかった。
だけど、身体が憶えている。
その声のトーンと自分の名を呼ぶ声を。

「夬皇、お前…今」
「んっ? どうかした?」
「俺の事、何て、呼んだ」
震える声で尋ねてみる。
「えっ、何て呼ぶって。そりゃあ 勇緋 って言うよね?」
あっけらかんとした答えが返って来た。
すぐさま いてて と自らのおでこを押さえる仕草を見せる夬皇。
何だよこいつは。
こんな所にまで天然さを発揮するのか。
そして何故だか心の奥底から嬉しさを掻き消すくらいの怒りに似た感情が湧いてきていた。

《パチンッ!》

次の瞬間には勇緋は思わず彼の頬を叩いていた。
新しい痛みに夬皇は驚く。
「いたっ! い、いきなり何をするのさ!」
「戻って来るのが遅いッ! 俺がどんだけ心配したと思ってるんだ! この馬鹿!」
「はぁ? 馬鹿ってなんだよ!」
「とりあえず来い! ここじゃ俺達邪魔だ!」
勇緋はすぐさま彼の手を取って、グイグイと引っ張っていく。

彼の目からは大粒の涙が溢れていた。
だがその顔を見せないように彼は大好きな夬皇の手を引いていた。
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