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番外編7

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「おはよう。具合はどうだ」
「うん、大丈夫。昨日よく眠れたから調子はいいよ」

 カミルが部屋に入るなり心配そうに顔を覗き込む。俺は既に着替えも済ませて窓からの景色を眺めていた。
 あの後ヴァルターに会えないまま王城で夜を迎えた俺は少し心細く感じていたが、ヴァルターは予定があり急いで帰らねばならなくなったと聞いたので、ならば仕方がないと割り切ることにした。それからは、慣れないベッドだからこそ余計なことを考えずにぐっすりと眠れた気がした。今朝にはヴァルターも迎えに来るはずだ。すぐに帰れるように準備も整えてある。
 先程カミルが部屋に入るなりノックが鳴った時は、ヴァルターが来たのだと思ったが、カミルは顔だけ覗かせてすぐに閉めてしまったから違うらしい。昼までには来てくれるだろう。その時間まではお言葉に甘えて王城でゆっくりさせてもらおうか。ヴァルターが来たら、今日こそ妊娠を打ち明けるんだ。気持ちを落ち着けておこう。

「今日はどうするんだ?」
「そうだね、天気も良さそうだから庭園を見せてもらおうかな」
「分かった。食事をとったら一緒に行こう」
「え、一人で大丈夫だよ! だってカミルはフランツの護衛でしょう?」
「ハルトの方がずっと大事だ」

 俺の手を取りながら熱っぽく見つめてくるカミルに、すっかり言葉を失ってしまった。こんな不敬なことを堂々と言ってしまっていいのだろうか。
 握った手を引き寄せて、カミルがその胸に俺を収めようとしてくるのをなんとか踏ん張って持ち堪える。カミルはフランツ以上に俺に対して遠慮がない。カミルの故郷では明確な婚姻制度というのがないらしく、一人が何人もの伴侶を持つこともあるそうだ。だから俺がヴァルターと婚姻していても気にならないと公言している。俺としてはもっと気にして欲しいのだが、そもそもこの世界では既婚未婚関係なく誰とでも体の関係を結ぶのが普通なので、どちらかと言えばおかしな主張をしているのは俺の方なのかもしれない。
 カミルは俺の背に手を添えて、いよいよ抱きしめようとしてくるので必死で押し戻そうと力を込めると、下腹部に張るような痛みが走った。身を屈めると、カミルがはっとして手を離し、大きな体を小さくする。

「す、すまん。大丈夫か?」

 大丈夫、と答える前に部屋の扉が開き、ちょうどフランツが部屋に入って来た。

「野蛮人め、少しは力加減を考えろ」
「フランツ、おはよう。俺は大丈夫だよ、少しお腹が張った感じがしただけだから」

 開口一番に罵られ剣呑な雰囲気を纏ったカミルと、蔑むように嘲笑を浮かべるフランツが一触即発の睨み合いをしている間に立って、俺は慌てて言った。すると、フランツはフン、と息を吐いてからこちらに向き直り、ころりと表情を変えた。

「今日は俺も暇だからハルちゃんとお茶でもと思ってさ」
「暇、ということはないでしょう。いくつも予定が入っていたと思いますが」

 先程の仕返しとばかりにカミルが噛み付くので、また場の空気が悪くなってしまった。

「そう言うならばお前は私に仕えているのだから、ハルトではなく私と一緒にその"予定"をこなしに行くことになるのだぞ」

 フランツが片頬を上げて笑めば、カミルは睨みながらも口を噤んだ。
 二人は普段からこんな調子なのだろうか。少し一緒にいただけで俺は既に気疲れしそうだった。国王もここまで犬猿の仲の二人を主従として組ませるなんて、もう少し配慮してもよいのではと思ってしまう。

「支度もできてるみたいだし、早速行こうか。朝食を用意させてあるんだ。ハルちゃんの好きな場所でとろう」
「いや、待て」

 既に身支度を整えてあった俺を確認すると、フランツは笑って促してくる。それをカミルが制して、視線を扉の外に遣った。何かあるのだろうか。訝しんで眺めると、二人は視線を交わして頷き合った。

「案ずるな。私が入って来た時には既にいなかった」
「そうですか。案外早かったな」
「昨日の今日だからな。さて何日持ち堪えることか」
「……何の話?」

 言葉少なに確認をし合う二人に、俺は首を傾げて尋ねた。すると、フランツが

「さっきまで部屋の前にどこかから迷い込んだ犬がいたんだよ。でも今は帰ったから大丈夫、安心して」

 そう笑顔で答えてくれたけれど、その瞳が妙に細められていたことが気になった。何か含みがありそうで引っかかったものの、二人に急かされて結局そのまま部屋から連れ出されてしまった。

 テラスで食事を取り、庭園の東屋でお茶をして、温室で本を読み、またフランツと食事をとって……。それでもヴァルターの迎えは来なかった。紅い夕日が空に浮かぶのを部屋の窓から眺めていると、カミルから今日はヴァルターは来れなくなったと聞かされた。寂しさは勿論あったが、迎えに来れないほどヴァルターが忙しくしていることの方が心配になった。ちゃんと食事はとれているだろうか。眠れているだろうか。前に、俺を胸に抱いていないと良く眠れないと言っていたから気がかりだ。その日はヴァルターの無事を祈りつつ、俺はまた王城の充てがわれた部屋で夜を明かした。
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