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第二章 失って得たもの
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心臓が大きくどくりと脈打った。
必死に目を背けていたことを眼前に突きつけられたようで、胸がざわめき金切り声を上げる。
分かっていたのだ。いくら想い合ったとしても所詮僕は忌人で、クリストフは名家の跡取り。誰にも認めてはもらえないということを。いつかはこうして僕の存在を咎められる日が来るだろうということを。
でも、だからと言って簡単に離れられるものではない。愛とはそんなに聞き分けの良いものではないと、そう教えてくれたのはクリストフだ。
僕は震える指先をぎゅっと握り込んで頭を下げた。
「僕はこれまで誰にも忌人と気付かれずにここでやってきました。これからもそうです。シュヴァリエ家からの援助は一切望みませんし、ご迷惑もお掛けしないようにします。もしも忌人だと分かって騒動になった時は、すぐに姿を消します。命を断てと言うなら従います」
サミュエルが鼻で笑った。
「忌人の命にそれほどの価値があるとでも思っているのか」
「それは……。でも、それだけの覚悟があります。僕はクリストフの人生の邪魔は絶対にしないと誓います。だから、クリストフの側にいさせて下さい」
僕は深く頭を下げ、己の拳を見つめたまま祈るように言った。情けないことに、僕には懇願しかできない。
サミュエルが僅かに身動ぎした気配に、僕の体はびくりと揺れた。
硬い音がして視線を上げると、サミュエルは人差し指の先で机をコツコツと叩きながら言った。
「人生の邪魔……か。お前は大きな勘違いをしている」
サミュエルが人差し指を机から僕に向けた。
「お前が忌人と世間に知られているかなど問題ではない。シュヴァリエ家の人間と卑しい忌人が知己である、それだけで既に罪なのだ。忌人はその存在自体が世界の“邪魔”なのだから」
言うや否や、サミュエルの頭上に赤い鳥の精霊が浮かんだ。クリストフのものより少し鋭い目を持ったその鳥が嘴を僅かに開く。隙間から火の粉が砂のように零れ落ちたかと思うと、次の瞬間、僕は炎に包まれた。
頭が、顔が、燃えている。
僕は頭を手で覆い、椅子から転げ落ちた。いくら手で抑えても、炎は手の平を焦がすばかりで一向に消えない。床でのたうち回っていると、一気に冷水を浴びせかけられた。ジュッと音がして、炎が消える。辺りに水蒸気と混じって焦げた臭いが漂った。
固く閉じていた目を開くと、心配するように雲の形をした精霊が僕を覗き込んで去って行ったので、水の加護の力が使われたようだった。
「てめぇ、アンリに何しやがんだ!」
「一歩間違えれば死ぬぞ! 近衛騎士団長のやることか!」
それまで静かに様子を見守っていた客達が、皆立ち上がってサミュエルを語気荒く非難している。しかしサミュエルは椅子に腰掛けたままで、客達の方に視線も向けず、ずぶ濡れの僕を冷めた目で見つめていた。
「大丈夫か、アンリ」
床に寝転んだままの僕に一人の客が手を差し伸べた。それを掴みながら、その人の方を振り向いた時、
「ひぃっ!」
その客は恐れるように身をのけ反らせ、僕の手を叩き落とした。
状況がわからず、ゆっくりと立ち上がって辺りを見回す。それまで荒々しくサミュエルを責めていた客達が途端に口を噤み、まじまじと僕を見つめていた。彼らの瞳には、驚きだけではなく、嫌悪や恐怖、蔑みまでも浮かんでいる。
僕は恐る恐る己の頭に手を遣った。焦げて縮れた黒い髪が触れる。フードも帽子も、燃えてなくなっていた。
「い、忌人だ……」
客の誰かがそう呟いた。声のした方を見遣ると、小さな悲鳴と共に空のジョッキが飛んできて僕の頭に当たった。僕はよろけて机に俯せで倒れ込む。ぐらぐらと脳が揺れて体を起こせないでいると、人差し指が再び目の前に突きつけられた。先程の炎の恐怖が呼び起こされて、僕は身を強張らせた。
指の持ち主を見上げると、サミュエルは無表情のまま僕を見下ろして言った。
「これまでどれほど上手くやってきたのだとしても意味はない。忌人は生まれた瞬間から誰からも許されぬ卑しい生き物だ」
僕は何も言えずにただサミュエルを見上げていた。
ジョッキの当たったこめかみが今頃ズキズキと痛みを訴えてくる。手を遣れば切れて少し出血しているようで、ぬるりとした感触に触れた。そのせいだろうか、ふっと血の気が引いていくような薄ら寒さが忍び寄る。いや、違う。僕の心の中が、現実を思い知らされて急速に凍えているのだ。
必死に目を背けていたことを眼前に突きつけられたようで、胸がざわめき金切り声を上げる。
分かっていたのだ。いくら想い合ったとしても所詮僕は忌人で、クリストフは名家の跡取り。誰にも認めてはもらえないということを。いつかはこうして僕の存在を咎められる日が来るだろうということを。
でも、だからと言って簡単に離れられるものではない。愛とはそんなに聞き分けの良いものではないと、そう教えてくれたのはクリストフだ。
僕は震える指先をぎゅっと握り込んで頭を下げた。
「僕はこれまで誰にも忌人と気付かれずにここでやってきました。これからもそうです。シュヴァリエ家からの援助は一切望みませんし、ご迷惑もお掛けしないようにします。もしも忌人だと分かって騒動になった時は、すぐに姿を消します。命を断てと言うなら従います」
サミュエルが鼻で笑った。
「忌人の命にそれほどの価値があるとでも思っているのか」
「それは……。でも、それだけの覚悟があります。僕はクリストフの人生の邪魔は絶対にしないと誓います。だから、クリストフの側にいさせて下さい」
僕は深く頭を下げ、己の拳を見つめたまま祈るように言った。情けないことに、僕には懇願しかできない。
サミュエルが僅かに身動ぎした気配に、僕の体はびくりと揺れた。
硬い音がして視線を上げると、サミュエルは人差し指の先で机をコツコツと叩きながら言った。
「人生の邪魔……か。お前は大きな勘違いをしている」
サミュエルが人差し指を机から僕に向けた。
「お前が忌人と世間に知られているかなど問題ではない。シュヴァリエ家の人間と卑しい忌人が知己である、それだけで既に罪なのだ。忌人はその存在自体が世界の“邪魔”なのだから」
言うや否や、サミュエルの頭上に赤い鳥の精霊が浮かんだ。クリストフのものより少し鋭い目を持ったその鳥が嘴を僅かに開く。隙間から火の粉が砂のように零れ落ちたかと思うと、次の瞬間、僕は炎に包まれた。
頭が、顔が、燃えている。
僕は頭を手で覆い、椅子から転げ落ちた。いくら手で抑えても、炎は手の平を焦がすばかりで一向に消えない。床でのたうち回っていると、一気に冷水を浴びせかけられた。ジュッと音がして、炎が消える。辺りに水蒸気と混じって焦げた臭いが漂った。
固く閉じていた目を開くと、心配するように雲の形をした精霊が僕を覗き込んで去って行ったので、水の加護の力が使われたようだった。
「てめぇ、アンリに何しやがんだ!」
「一歩間違えれば死ぬぞ! 近衛騎士団長のやることか!」
それまで静かに様子を見守っていた客達が、皆立ち上がってサミュエルを語気荒く非難している。しかしサミュエルは椅子に腰掛けたままで、客達の方に視線も向けず、ずぶ濡れの僕を冷めた目で見つめていた。
「大丈夫か、アンリ」
床に寝転んだままの僕に一人の客が手を差し伸べた。それを掴みながら、その人の方を振り向いた時、
「ひぃっ!」
その客は恐れるように身をのけ反らせ、僕の手を叩き落とした。
状況がわからず、ゆっくりと立ち上がって辺りを見回す。それまで荒々しくサミュエルを責めていた客達が途端に口を噤み、まじまじと僕を見つめていた。彼らの瞳には、驚きだけではなく、嫌悪や恐怖、蔑みまでも浮かんでいる。
僕は恐る恐る己の頭に手を遣った。焦げて縮れた黒い髪が触れる。フードも帽子も、燃えてなくなっていた。
「い、忌人だ……」
客の誰かがそう呟いた。声のした方を見遣ると、小さな悲鳴と共に空のジョッキが飛んできて僕の頭に当たった。僕はよろけて机に俯せで倒れ込む。ぐらぐらと脳が揺れて体を起こせないでいると、人差し指が再び目の前に突きつけられた。先程の炎の恐怖が呼び起こされて、僕は身を強張らせた。
指の持ち主を見上げると、サミュエルは無表情のまま僕を見下ろして言った。
「これまでどれほど上手くやってきたのだとしても意味はない。忌人は生まれた瞬間から誰からも許されぬ卑しい生き物だ」
僕は何も言えずにただサミュエルを見上げていた。
ジョッキの当たったこめかみが今頃ズキズキと痛みを訴えてくる。手を遣れば切れて少し出血しているようで、ぬるりとした感触に触れた。そのせいだろうか、ふっと血の気が引いていくような薄ら寒さが忍び寄る。いや、違う。僕の心の中が、現実を思い知らされて急速に凍えているのだ。
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