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Part1 My Boyhood
Chapter_06.絶縁(1)母親の家出~親族との争い
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At Nishihara Town, Okinawa; December,1989
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
高校一年生の冬のある土曜日、学校から早めに帰ってきた僕は、台所のテーブルの上にある紙切れを見て、愕然となった。母親からの短い手紙だった。
事情があって、この家に帰れなくなりました。
銀行の通帳、キャッシュカード、印鑑類は置いていきます。
それでなんとか高校を出てください。
本当にごめんなさい。
……ちょっと、それって、どういうこと?
僕は母親の鏡台から通帳を取り出した。確認すると、三十五万あった。
いい加減にしてくれよ。俺はあんたの何だったんだよ。
これっぽっちの金で、なんとかなるわけないだろう?
「くっそー!」
握りこぶしで思いっきりテーブルを叩いた。涙が溢れてきた。
僕は捨てられた、そう思った。だって、ほかにどう考えろっていうんだ?
薄ら寒い中、僕はただ椅子に茫然と腰掛けていた。
リリリリーン リリリリーン
遠くで、黒電話が鳴っている。
夢の中にいるような感覚が僕を支配していた。
リリリリーン リリリリーン
……やっぱり、取らなくちゃいけないかな?
リリリリーン リリリリーン
僕はよろよろと立ち上がると、受話器を取った。
「もしもし?」
「上間さんのお宅ねー?」
男性のダミ声が耳元で響いた。
「はい」
「勉どぅやるい? 糸満の上間やしが」
「糸満?」
声の主はどうやら、長らく顔を会わせていない叔父のようだ。西原に引っ越して以来、糸満の上間の親族とは、ほとんど連絡を取ったことがなかった。
「汝お母に替われ」
「いませんよ。戻ってこないし」
叔父の舌打ちが聞こえた。
「あんどぅなとーるい。あんしぇー、我が其処んかい向かいさ」
そう言い終えると同時に電話が切れた。
「も、もしもし?」
……何なんだ、一体?
一時間ほどして、糸満の叔父がやってきた。大柄で、目がぎょろりとして、髪には白髪が混じり、無精ひげが生えていた。くたびれた背広からは、タバコの臭いがぷんぷんした。
「大きくなてーさや。十年近く行逢てーねーらんたしが」
叔父はずかずかと上がりこみ、居間に座った。
「用件はなんですか?」
僕は冷たく応対した。もてなす必要もなかった。
父の葬式の後、ごみを捨てるように糸満から俺たちを追い出したのは、どっちだ?
成長した今なら判る。僕らが糸満を追い出された理由は、母親がハーフだったからだ。
父と母は上間の親族から猛反対されながら一緒になった。僕が生まれたときも、宮古島に嫁いで里帰りしていた一人の叔母を除いて、誰も尋ねてはこなかったという。
父の四十九日のあと、一年忌を待たずして、僕らは出て行くように言われた。いつまでも金髪の親子が居ると近所から白い目で見られる、というのがその理由だった。
当時三つだった僕が最後に覚えている光景は、いつもお菓子をくれた雑貨店のおばさんが、僕の頭を撫でてこう言った事だ。
「誰も悪くない、あんたも悪くないさ。糸満が悪さる所んでぃ思んなよ、や?」
「タバコ、済むがやー?」
叔父の言葉に僕は黙って頷くと、母親の使っていた灰皿を出した。ライターの音がジュッとして、叔父はゆっくりとタバコを近づけると、うまそうに吸い込んだ。
「財産分与の話やしがて」
そう言って叔父は懐から茶封筒を出し、畳の上に書類を広げた。
「我達、上間ぬ財産、分割すんでぃ言ち、此ぬ書類んかい印鑑、集みとーしが」
財産の話なんて初めて聞いたし、未成年の僕が勝手に印鑑を押していいものかどうかもわからなかった。叔父は灰皿のタバコを揉み消した。
「汝やてぃん、済むさ。此処んかい、印鑑。実印の有えーさに?」
「待ってください。そんな重要な話、急に言われても」
困惑する僕に叔父の怒鳴り声が落ちた。
「印鑑の有れー、済む話どぅやる!」
叔父はねじ込むように言うと、目をぎょろつかせ、僕を威嚇した。
「実印、持っち来ーわ」
こんな男の言い分に、従う必要はない。僕は努めて静かに言った。
「……帰ってください」
「何やん?」
「帰ってください」
強い口調で繰り返す僕に、叔父は逆上した。
「此ぬ童!」
左のこめかみに強烈な痛みが襲った。衝撃で、僕の眼鏡が宙に舞った。
「実印ぇー、何処やが?」
こめかみを押さえる僕を尻目に、叔父は立ち上がり、あたりを物色している。やがて、台所のテーブルに置いてある印鑑を見つけ出した。冷やかな笑い声がした。
「是どぅやさやー」
「何をする!」
印鑑を背広のポケットに入れようとする叔父に思いっきりタックルした。
「返せ!」
「あがー! 此ぬヤナ童、離せ!」
台所で揉み合いになった。何度となく叩かれ、口の中が切れた。僕は必死だった。なんとしても実印だけは守らなければならないというは、直感でわかっていた。僕は叔父の肩に噛み付き、痛がる隙にその頭を殴りつけ、実印を取り返した。そして、息を弾ませ叔父を睨みつけた。
「……帰れ」
僕は命令口調になっていた。こんな奴、もう親戚でも目上でもない。
「今すぐ出て行け!」
「ふん」
叔父は吐き捨てるようにつぶやくと、体の埃をはらいながら起き上がった。
「勉、覚とーきよー」
ぎょろ目で睨みを利かしながら、叔父は低い声で言った。
「汝や上間ぬ家んかいや、一足たりとぅん、入りらん事よー」
バーン、と荒々しくドアの閉まる音が響いた。
僕はひとり薄暗い部屋の中で、体をがくがくと震わせて立っていた。((2)へつづく)
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
高校一年生の冬のある土曜日、学校から早めに帰ってきた僕は、台所のテーブルの上にある紙切れを見て、愕然となった。母親からの短い手紙だった。
事情があって、この家に帰れなくなりました。
銀行の通帳、キャッシュカード、印鑑類は置いていきます。
それでなんとか高校を出てください。
本当にごめんなさい。
……ちょっと、それって、どういうこと?
僕は母親の鏡台から通帳を取り出した。確認すると、三十五万あった。
いい加減にしてくれよ。俺はあんたの何だったんだよ。
これっぽっちの金で、なんとかなるわけないだろう?
「くっそー!」
握りこぶしで思いっきりテーブルを叩いた。涙が溢れてきた。
僕は捨てられた、そう思った。だって、ほかにどう考えろっていうんだ?
薄ら寒い中、僕はただ椅子に茫然と腰掛けていた。
リリリリーン リリリリーン
遠くで、黒電話が鳴っている。
夢の中にいるような感覚が僕を支配していた。
リリリリーン リリリリーン
……やっぱり、取らなくちゃいけないかな?
リリリリーン リリリリーン
僕はよろよろと立ち上がると、受話器を取った。
「もしもし?」
「上間さんのお宅ねー?」
男性のダミ声が耳元で響いた。
「はい」
「勉どぅやるい? 糸満の上間やしが」
「糸満?」
声の主はどうやら、長らく顔を会わせていない叔父のようだ。西原に引っ越して以来、糸満の上間の親族とは、ほとんど連絡を取ったことがなかった。
「汝お母に替われ」
「いませんよ。戻ってこないし」
叔父の舌打ちが聞こえた。
「あんどぅなとーるい。あんしぇー、我が其処んかい向かいさ」
そう言い終えると同時に電話が切れた。
「も、もしもし?」
……何なんだ、一体?
一時間ほどして、糸満の叔父がやってきた。大柄で、目がぎょろりとして、髪には白髪が混じり、無精ひげが生えていた。くたびれた背広からは、タバコの臭いがぷんぷんした。
「大きくなてーさや。十年近く行逢てーねーらんたしが」
叔父はずかずかと上がりこみ、居間に座った。
「用件はなんですか?」
僕は冷たく応対した。もてなす必要もなかった。
父の葬式の後、ごみを捨てるように糸満から俺たちを追い出したのは、どっちだ?
成長した今なら判る。僕らが糸満を追い出された理由は、母親がハーフだったからだ。
父と母は上間の親族から猛反対されながら一緒になった。僕が生まれたときも、宮古島に嫁いで里帰りしていた一人の叔母を除いて、誰も尋ねてはこなかったという。
父の四十九日のあと、一年忌を待たずして、僕らは出て行くように言われた。いつまでも金髪の親子が居ると近所から白い目で見られる、というのがその理由だった。
当時三つだった僕が最後に覚えている光景は、いつもお菓子をくれた雑貨店のおばさんが、僕の頭を撫でてこう言った事だ。
「誰も悪くない、あんたも悪くないさ。糸満が悪さる所んでぃ思んなよ、や?」
「タバコ、済むがやー?」
叔父の言葉に僕は黙って頷くと、母親の使っていた灰皿を出した。ライターの音がジュッとして、叔父はゆっくりとタバコを近づけると、うまそうに吸い込んだ。
「財産分与の話やしがて」
そう言って叔父は懐から茶封筒を出し、畳の上に書類を広げた。
「我達、上間ぬ財産、分割すんでぃ言ち、此ぬ書類んかい印鑑、集みとーしが」
財産の話なんて初めて聞いたし、未成年の僕が勝手に印鑑を押していいものかどうかもわからなかった。叔父は灰皿のタバコを揉み消した。
「汝やてぃん、済むさ。此処んかい、印鑑。実印の有えーさに?」
「待ってください。そんな重要な話、急に言われても」
困惑する僕に叔父の怒鳴り声が落ちた。
「印鑑の有れー、済む話どぅやる!」
叔父はねじ込むように言うと、目をぎょろつかせ、僕を威嚇した。
「実印、持っち来ーわ」
こんな男の言い分に、従う必要はない。僕は努めて静かに言った。
「……帰ってください」
「何やん?」
「帰ってください」
強い口調で繰り返す僕に、叔父は逆上した。
「此ぬ童!」
左のこめかみに強烈な痛みが襲った。衝撃で、僕の眼鏡が宙に舞った。
「実印ぇー、何処やが?」
こめかみを押さえる僕を尻目に、叔父は立ち上がり、あたりを物色している。やがて、台所のテーブルに置いてある印鑑を見つけ出した。冷やかな笑い声がした。
「是どぅやさやー」
「何をする!」
印鑑を背広のポケットに入れようとする叔父に思いっきりタックルした。
「返せ!」
「あがー! 此ぬヤナ童、離せ!」
台所で揉み合いになった。何度となく叩かれ、口の中が切れた。僕は必死だった。なんとしても実印だけは守らなければならないというは、直感でわかっていた。僕は叔父の肩に噛み付き、痛がる隙にその頭を殴りつけ、実印を取り返した。そして、息を弾ませ叔父を睨みつけた。
「……帰れ」
僕は命令口調になっていた。こんな奴、もう親戚でも目上でもない。
「今すぐ出て行け!」
「ふん」
叔父は吐き捨てるようにつぶやくと、体の埃をはらいながら起き上がった。
「勉、覚とーきよー」
ぎょろ目で睨みを利かしながら、叔父は低い声で言った。
「汝や上間ぬ家んかいや、一足たりとぅん、入りらん事よー」
バーン、と荒々しくドアの閉まる音が響いた。
僕はひとり薄暗い部屋の中で、体をがくがくと震わせて立っていた。((2)へつづく)
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