サザン・ホスピタル byうるかみるく

くるみあるく

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Part1 My Boyhood

Chapter_07.ゆびきりげんまん(1)多恵子、襲われる

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At Nishihara Town, Okinawa; 5:30PM JST October 27, 1991.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.

大学受験の真っ最中とはいえ、サンシンの稽古を休む気には、僕はさらさらなれなかった。むしろ、日ごろ動かさない左手を動かして腹の底から大声を出して歌うことは、一種のストレス解消とも言えた。
東風平こちんだのおばさんからは、夕ご飯として毎回弁当をいただいていた。実はこっちの目的が重要だったりして……。僕は十八歳の育ち盛り。稽古のあとは腹ペコだったもんなー。相変わらず、風呂にも入っていたし。
今考えると、長年にわたる貧乏暮らしの中で、家庭的な温かさを味わえる唯一の時間を、そもそも捨てようなんて発想が出てくるはずがなかったのだ。

あれはたしか、高校三年生の十月の終わりの日曜日。
僕はいつものように東風平家から出ると、自転車でうーじ畑の間の砂利道を通り抜け、集会所のある高台へと向かった。曇りがちで雨がぱらついていたが、泳ごうと思えば、まだ余裕で泳げる気温だ。暗くなり始めた道を自転車で飛ばすのは、結構快感だった。
集会所の広場でいつも自転車を止め、貴重な小遣いから百円出し、自販機から100%のオレンジジュースを買う。かろうじて、沖縄はまだワンコインの時代だった。観光客らしき人々が驚く声をときどき耳にしたから、ひょっとすると、沖縄だけ特別だったのかもしれない。
オレンジジュースを飲みながら、電灯がぽつぽつ点く家々が増えていく景色をながめつつ、頭の中を整理して家へ帰る。それが、日曜夕方の僕の日課だった。

その日も同じだった。ジュースを買うまでは。

ガッシャーンと金属音が響き、オレンジジュースを取り出したときだ。
「きゃー!」
女の子の声だ。集会所の裏側? 僕は聞き耳を立てた。くぐもった男の声がする。
「つべこべ騒ぐな。この、おとなしく、しろ!」
と、とにかく助けなきゃ! 僕はサンシンの入ったリュックサックを放り投げ、声のした方へ息を切らせ駆け寄った。茂みに人がドサッと倒れる音が響き、そして、
「ぐわぁ」
という声。続いて、
「あーん、しっかりしてー」

……はぁ?
駆けつけた僕は、現場を見て唖然とした。そこに居たのは、なんと、見事に倒れた大男と、その前でうろたえている女の子だった。ま、まぁ、声、掛けたほうがいいよな?
「あ、あのう、大丈夫ですか?」
遠くから声を掛けると、女の子がすすり泣きながら振り返り、僕の名を呼んだ。
「つとむぅ…」
「た、多恵子?」
僕は目をしばたかせた。まさか、多恵子とここで会うとは。
確か今日は、多恵子が受験を考えている看護学校の文化祭があるって、東風平こちんだのおばさんが言っていた。とすると、文化祭を見学しての帰り道だったのだろう。ここは、バス停から東風平家までの近道の途中にあった。しかし最近は、夕暮れ時は痴漢が出るから通らないように、という注意書きの看板があちこちに掲げられていた。
「どうしよう。勉、あたし、この人、殺しちゃったかも。どうしよう、どうしよう、……」
多恵子は泣きべそをかいている。倒れた男のほうは、全然起き上がる気配がない。僕は二人にゆっくりと近寄った。
「ま、まあ、多恵子、落ち着け。落ち着いて」
僕は男をそばに寄って観察を始めた。医者になるべく、日ごろから救急法の本にはざっと目を通していた。男のこめかみにちょっと血がにじんでいるものの、頭部にはめだった外傷はなさそうだ。僕は男の鼻の上に手のひらをかざした。すると、ほのかに温かい鼻息を感じた。僕は安堵した。
「なーんだ。多恵子、大丈夫だ。こいつ、息してるよ」
「本当に?」
多恵子は泣き止んだ。
「ああ。なんなら、心臓の音、聞くか?」
多恵子はそっと、男の胸に左の耳をあてがった。
「ほんとだ。生きてる」
「だろ? ちょっと待ってて」
僕はリュックサックを取りに戻ると、サンシンを包んでいた布切れを一枚ずつ丁寧に剥がし、いつ気がついても動かないように、男の手足と口をぐるぐると縛った。これでよし、と。
「多恵子、怪我はないか?」
肘と膝のほこりを払いながら僕は尋ねた。
「うん、大丈夫」
「一体、何があったんだ?」
多恵子は、とつとつと語りだした。
「あそこの角で、通りがけにこのおじさんに道を聞かれて、急に腕をつかまれたの。で、ここまで引っ張り込まれて……あたし、怖くて、怖くて、……そんで、投げちゃったみたい」
「投げたぁ?」
驚く僕に多恵子は淡々と語った。
「うん。よく覚えてないんだけど」
多恵子は首を傾げながら右肩をぐるぐる回している。
「なんか、ボウリングみたいに、ポーンって。投げちゃったみたい」
「う、うそだろ? だって、この男、八十キロは固いぜ?」
「だよねぇ」
あのねぇ君、大男を投げ飛ばしといて、他人事のように頷かないでよ。
「と、とにかく警察呼ぼう! 警察!」
僕は多恵子をせきたてた。
「警察? 救急車は?」
「いいから、警察!」
「勉、あたしお金持ってないよ?」
本当に、こいつはどこまでもピントのずれた奴だ。
「お前なぁ。公衆電話に赤いボタンついてるだろ?」
「あ、そーか」

僕は、多恵子を集会所の前にある電話ボックスに連れて行った。受話器を取り、赤いボタンを押し、110をダイヤルした。コール音がし、お巡りさんの声が響く。
「もしもし、警察です。もしもし?」
すると、多恵子は急に震えだした。半泣きになっている。
「……ごめん、勉。あたし、怖くなってきた」
多恵子はつぶやき、僕に受話器を渡した。
「代わりに出て。お願い」
「もしもし、もしもーし?」
受話器から、お巡りさんがずっと呼びかける声がする。このままだと、いたずら電話だと思われるぞ?
「ったく、しゃーねーなぁ」
僕は多恵子から受話器をひったくった。
「あ、警察ですか? 今、女の子がですね、知らない男の人に襲われてて。……はい、無事です。男は縛ってあります。……場所? とりあえず、西原の集会所まで来てもらえます? ……はい。わかりました」
僕は受話器を置いた。
「十分で来るって」
「……うん」
多恵子は、泣いていた。こんなとき僕はどうしてよいのかわからず、まごまごしていた。
「そっか、ちょっと待っとけよ」
僕はリュックサックを取ると、さっき買ったばかりのオレンジジュースを多恵子に指し示した。
「うり、飲めよ」
多恵子は反応しない。ずっとしゃくりあげたままだ。
「……ったく、世話の焼ける奴だなぁ」
僕は缶を開け、再び多恵子の目の前に持って行った。
「開いてるよ。うり、飲め」
「……うん」
多恵子は缶を受け取ると、泣きながら口元に持っていった。
ごくごくという音が響き渡る。二秒、三秒、……あ、あ、おい、まだ飲む気か? 俺のオレンジ。ちょ、ちょっと?
あーあ、全部飲み干しやがって。畜生。
「ふう」
多恵子は口をぬぐってにっこり笑うと、
「ありがとう。おいしかったー」
そういって、すっかり空になった缶を僕に渡した。
「あ、ああ。そりゃ、良かった……ね」
ご存知だと思うが、全部飲まれてしまった僕のショックは結構大きかった。だが、まさか、百円返せと言う訳にもいかず、苦笑いしながら空き缶を受け取るしかなかった。
その時、多恵子の顔が曇った。
「あ、あたし、トイレ行きたくなってきた」
「トイレ?」
集会所は……あー今日は第四日曜か、閉まってる!
「どうしよう?」
「どうしようって、…仕方ねえな、お前ん家まで連れて行くよ」
「え?」
「俺、自転車あるから。来いよ」 ((2)へつづく)
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