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Part3 The year of 2000
Chapter_12.蜜月の日々(2)勉、多恵子の写真を撮る
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At Los Angeles; December 1, 10:40AM PST, 2000.
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
車は高速道路の大きな交差点に差し掛かった。減速し、左折のウインカーを出した。
「いまから左折だから、話しかけないでね」
僕は多恵子に釘を刺し、安全を確認すると、ゆっくり車を左折させた。
「よし、大丈夫。いいよ」
「そういえば車線、逆だね?」
そう、多恵子の指摘どおりここアメリカでは車は右側通行だ。交差点では左折が大回りになる。僕はふとあることを思い出した。
「多恵子は、ナナサンマルは覚えてないのか?」
「あ、車線変更の話? うーん、お父が自分のタクシーのヘッドライトを取り替えたって言ってたけどね」
「俺、その日車に轢かれそうになったから、よく覚えてる。保育園の帰りに道渡ろうしたら車がいつもと反対側から出てきて、でーじびびった。沖縄に帰って、車運転するのが今から怖いよ」
沖縄が日本本土と同じ左側通行になったのは、本土復帰から六年経った一九七八年七月三十日のことだ。その日付から俗にナナサンマルと呼び習わされている。
それまで沖縄は米軍統治下にあったから右側通行だった。だからその年は年始から沖縄中の学校で盛んに交通安全教育がなされ、マスメディアからは一斉に、交通方式の変更について県民の注意を喚起するCMが流れた。そしてバスやタクシーのみならず、一般車両のヘッドライトはすべて交換の対象となった。ライトが照らし出す範囲が異なって危険というのがその理由らしい。でも、こうやって運転してても全然ピンと来ないけどね。
多恵子がぼそっとつぶやく。
「確かに今、自分が右側に乗ってるの、ちょっと変な気分」
その一言で、僕の頭は似て非なる別の単語を導き出した。
‘キープ・レフト’
左側通行という意味も一応あるが、……そう、女を口説く男の立ち位置は、左側。そして僕は偶然にも彼女の左側にいる。運転するというもっともな理由で。
車が高速に乗って加速すると同時に、僕の考えも加速した。
……これは、いけるかもしれない!
いや、決して、やましい気持ちからではない。決して。僕は彼女にずっとずっと本気だったのだ。
そうさ、これからだって、ずっと。
……それなのに、この後ろめたさは何なんだ?
「これからサンタモニカビーチまで行くけど、いいか? お腹空いただろ?」
僕は動揺を悟られないよう、できるだけ自然にこう切り出した。
「アボガドバーガー置いてる店があるから。アボガドは大丈夫だったよな?」
「うん、アボガド大好き。でさ、勉、その近くでいいから、安物の服売ってる店ない? あんたのお土産ばっかり考えて、自分の着替え持ってくるの忘れた。寒いから関空でマフラーだけ買ったけどさ」
ああ、そうでした、そうなのでした。人のことばかり考えて、自分はいつも後回し。彼女にとって、自分というのはどうでもいい存在らしい。
こんな純粋な人を、だましてはいけないよな?
「わかった、あとで、スーパーマーケットにでも寄るよ」
僕は少々反省してそう答えながら、車を走らせていた。
僕らはサンタモニカビーチにたどり着き、早速クアアイナという店に車を止めた。この店に目的のアボガドバーガーがある。かなりでかいが、絶品だ。
僕はどうしても多恵子にこのアボガドバーガーを食べて欲しかったのだ。え、理由ですか? ちょっと待ってね。多恵子がトイレ使っている間、インスタントカメラ買ってきます。
「うわー、すごいねコレ!」
目の前に出されたアボガドバーガーを見て、多恵子が目を丸くしている。
「どう、一人でいけそう?」
「たぶん大丈夫だよ。ご馳走さびら」
そう言って彼女が笑顔でバーガーにかじりついた瞬間、僕はカメラを取り出してシャッターを切った。ナイスショット!
「んーーー!」
バーガーかじったまま目を見開いて、出ない声で怒りなさんな、多恵子。だって、僕は君の写真を一枚も持ってなかったんだぞ?
ランチの後、多恵子の無事を伝えるべく公衆電話から沖縄の東風平家に電話を掛けた。沖縄はようやく六時になるところだが、師匠とおばさんは早起きだ。この時間ならラジオで琉球民謡が始まっている。きっとラジオを流しながら朝ごはんの準備をしている頃だろう。
「もしもし?」
電話口に出たのは、おばさんだ。声を聞くのは二ヶ月ぶりくらいだろうか。
「おはようございます」
「あい、勉? 元気ねー?」
「おかげさまで。今、多恵子がロサンゼルス着いたから、連絡しようと思いまして」
僕は素早く多恵子に替わった。多恵子が電話口でニコニコしながら相槌を打つ姿をカメラに収める。多恵子は電話口ですっとんきょうな声をあげていた。
「なんで、お父さんはいないの? ゴンゾーと散歩ぉ?」
そうか。ゴンゾーの朝の散歩は多恵子の仕事だったけど、師匠が代役してるんだ。
「あ、帰ってきた? 勉と替わるね?」
僕は電話口に出た。
「もしもし?」
「勉?」
電話の向こうから師匠の声と、ゴンゾーがしきりにワンワン吠える声が聞こえる。
「如何そーたが? 病気やあらんたんな? 食むしぇー、食でぃどぅ居るい?」
うわっ! 師匠の心配そうな声に、僕は事態の重要さを思い知った。
そうだよ。師匠たちからすれば、一人娘の多恵子がロクに説明もせず、ショルダーバッグとパスポートと空のトランク二つを担いで急に飛び出してしまったから、僕は重病人だと勘違いされちゃったんだよ。多恵子を止められない事はよーくご存知だから、必要なものと土産は空港で揃えなさい、とアドバイスするしかなかったのだろう。多恵子も多恵子だ。結局、僕への土産ばかり買い込んで、あんな大荷物になったんだ。僕は真っ青になって、必死で師匠に謝った。
「うさきーなー心配しみてぃ、いっぺー、申し訳ねーやびらんたん!」
「わはははは!」
電話口から師匠の豪快な笑い声が響く。良かった。カミナリを落とされるかと思った。
「あんしぇー、多恵子ぬ事、頼だんどーやー!」
頼まれちゃいました。お嬢様を。師匠から直々に。
これじゃ、手出しなんか、無理です。できっこありません。((3)へつづく)
The narrator of this story is Tsutomu Uema.
車は高速道路の大きな交差点に差し掛かった。減速し、左折のウインカーを出した。
「いまから左折だから、話しかけないでね」
僕は多恵子に釘を刺し、安全を確認すると、ゆっくり車を左折させた。
「よし、大丈夫。いいよ」
「そういえば車線、逆だね?」
そう、多恵子の指摘どおりここアメリカでは車は右側通行だ。交差点では左折が大回りになる。僕はふとあることを思い出した。
「多恵子は、ナナサンマルは覚えてないのか?」
「あ、車線変更の話? うーん、お父が自分のタクシーのヘッドライトを取り替えたって言ってたけどね」
「俺、その日車に轢かれそうになったから、よく覚えてる。保育園の帰りに道渡ろうしたら車がいつもと反対側から出てきて、でーじびびった。沖縄に帰って、車運転するのが今から怖いよ」
沖縄が日本本土と同じ左側通行になったのは、本土復帰から六年経った一九七八年七月三十日のことだ。その日付から俗にナナサンマルと呼び習わされている。
それまで沖縄は米軍統治下にあったから右側通行だった。だからその年は年始から沖縄中の学校で盛んに交通安全教育がなされ、マスメディアからは一斉に、交通方式の変更について県民の注意を喚起するCMが流れた。そしてバスやタクシーのみならず、一般車両のヘッドライトはすべて交換の対象となった。ライトが照らし出す範囲が異なって危険というのがその理由らしい。でも、こうやって運転してても全然ピンと来ないけどね。
多恵子がぼそっとつぶやく。
「確かに今、自分が右側に乗ってるの、ちょっと変な気分」
その一言で、僕の頭は似て非なる別の単語を導き出した。
‘キープ・レフト’
左側通行という意味も一応あるが、……そう、女を口説く男の立ち位置は、左側。そして僕は偶然にも彼女の左側にいる。運転するというもっともな理由で。
車が高速に乗って加速すると同時に、僕の考えも加速した。
……これは、いけるかもしれない!
いや、決して、やましい気持ちからではない。決して。僕は彼女にずっとずっと本気だったのだ。
そうさ、これからだって、ずっと。
……それなのに、この後ろめたさは何なんだ?
「これからサンタモニカビーチまで行くけど、いいか? お腹空いただろ?」
僕は動揺を悟られないよう、できるだけ自然にこう切り出した。
「アボガドバーガー置いてる店があるから。アボガドは大丈夫だったよな?」
「うん、アボガド大好き。でさ、勉、その近くでいいから、安物の服売ってる店ない? あんたのお土産ばっかり考えて、自分の着替え持ってくるの忘れた。寒いから関空でマフラーだけ買ったけどさ」
ああ、そうでした、そうなのでした。人のことばかり考えて、自分はいつも後回し。彼女にとって、自分というのはどうでもいい存在らしい。
こんな純粋な人を、だましてはいけないよな?
「わかった、あとで、スーパーマーケットにでも寄るよ」
僕は少々反省してそう答えながら、車を走らせていた。
僕らはサンタモニカビーチにたどり着き、早速クアアイナという店に車を止めた。この店に目的のアボガドバーガーがある。かなりでかいが、絶品だ。
僕はどうしても多恵子にこのアボガドバーガーを食べて欲しかったのだ。え、理由ですか? ちょっと待ってね。多恵子がトイレ使っている間、インスタントカメラ買ってきます。
「うわー、すごいねコレ!」
目の前に出されたアボガドバーガーを見て、多恵子が目を丸くしている。
「どう、一人でいけそう?」
「たぶん大丈夫だよ。ご馳走さびら」
そう言って彼女が笑顔でバーガーにかじりついた瞬間、僕はカメラを取り出してシャッターを切った。ナイスショット!
「んーーー!」
バーガーかじったまま目を見開いて、出ない声で怒りなさんな、多恵子。だって、僕は君の写真を一枚も持ってなかったんだぞ?
ランチの後、多恵子の無事を伝えるべく公衆電話から沖縄の東風平家に電話を掛けた。沖縄はようやく六時になるところだが、師匠とおばさんは早起きだ。この時間ならラジオで琉球民謡が始まっている。きっとラジオを流しながら朝ごはんの準備をしている頃だろう。
「もしもし?」
電話口に出たのは、おばさんだ。声を聞くのは二ヶ月ぶりくらいだろうか。
「おはようございます」
「あい、勉? 元気ねー?」
「おかげさまで。今、多恵子がロサンゼルス着いたから、連絡しようと思いまして」
僕は素早く多恵子に替わった。多恵子が電話口でニコニコしながら相槌を打つ姿をカメラに収める。多恵子は電話口ですっとんきょうな声をあげていた。
「なんで、お父さんはいないの? ゴンゾーと散歩ぉ?」
そうか。ゴンゾーの朝の散歩は多恵子の仕事だったけど、師匠が代役してるんだ。
「あ、帰ってきた? 勉と替わるね?」
僕は電話口に出た。
「もしもし?」
「勉?」
電話の向こうから師匠の声と、ゴンゾーがしきりにワンワン吠える声が聞こえる。
「如何そーたが? 病気やあらんたんな? 食むしぇー、食でぃどぅ居るい?」
うわっ! 師匠の心配そうな声に、僕は事態の重要さを思い知った。
そうだよ。師匠たちからすれば、一人娘の多恵子がロクに説明もせず、ショルダーバッグとパスポートと空のトランク二つを担いで急に飛び出してしまったから、僕は重病人だと勘違いされちゃったんだよ。多恵子を止められない事はよーくご存知だから、必要なものと土産は空港で揃えなさい、とアドバイスするしかなかったのだろう。多恵子も多恵子だ。結局、僕への土産ばかり買い込んで、あんな大荷物になったんだ。僕は真っ青になって、必死で師匠に謝った。
「うさきーなー心配しみてぃ、いっぺー、申し訳ねーやびらんたん!」
「わはははは!」
電話口から師匠の豪快な笑い声が響く。良かった。カミナリを落とされるかと思った。
「あんしぇー、多恵子ぬ事、頼だんどーやー!」
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