サザン・ホスピタル byうるかみるく

くるみあるく

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Part4 Starting Over

Chapter_03.苦いバレンタイン・デー(1)2月14日、午後7時~流産

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At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; February 14, 2001.
Firstly, the narrator of this story is Taeko Kochinda.
Chapter03ではモノローグ担当者が4名に増えます。最初のモノローグは多恵子さんです。

あれから三週間、とにかく、働いた。
あたしには年末休んだ「借り」があった。整形外科のみんなにも迷惑を掛けたし、十二月分の給料は休んだ一週間分ごっそり減っていた。とりあえず、年末の分だけでも取り返したかった。できるだけ夜勤に入るようにした。夜勤のほうが手当てが弾むし、スタッフみんなから感謝もされたからだ。深夜勤に連続で入ったことも、三回くらいあった。

お金が欲しかった。勉のために。彼と、あたしと、子供の生活のために。
今思い返せば、かなり無理をしていた。だから、あんなことになってしまったのだろう。

二月十四日。
勉がロサンゼルスから帰ってこないまま、二十一世紀最初のバレンタインデーがやってきた。あたしにとって、この日はもうどうでもよかった。だから、照喜名てるきな先生とデートの約束をした里香とスケジュールを調整して、代わりに準夜勤に入るつもりだった。

そういえば、去年も一昨年も、ずっと、勉にチョコレート、あげたことなかったな。
義理でもいいから、一度くらい、あげとけばよかったかな。

その日の夕方、里香はあたしと入れ替わりにさっさとロッカールームに消えた。デートだもん、しょうがないよね。今日は千秋もお付き合いをしているナカダさんとの別れが五月に迫っていて、思い出作りのため一日オフをとっていた。きっと今頃、本島のどこかのリゾートホテルにいるはずだ。
患者さんへの夕食のセッティングと薬配りが終わった。ナースステーションに戻ったあたしは、無意識のうちに左手で右肩をトントン叩いた。肩が凝ってるな。働きすぎかしら? いやいや、これくらいのことで音を上げちゃいけない。もっと、頑張らないと。

突如、ナースステーションから喚声があがった。廊下の向こうから、なんと深紅のバラの花束を抱え、スーツにネクタイ姿の照喜名先生がやってきたのだ。右手薬指にはしっかり、カルティエのラブリングが輝いている。外国籍のナースが声を掛ける。

“It's suit you, Dr.!”
(お似合いですよ、先生!)

日本人スタッフと患者さんらが一斉に先生を取り囲んだ。
「すごーい、先生、イケてる!」
「これから粟国さんと、どちらにいらっしゃるんですか?」
ナースや患者さんたちにたかられて、照喜名先生はうつむき、頬を赤らめた。すっごくシャイなんです。
「えっと、あの……」
先生が目をきょろきょろさせた。里香を探しているのだ。あたしが答えた。
「里香なら、一目散にロッカールームへ行っちゃいましたけど?」
周りは大爆笑だ。照喜名先生はますます真っ赤になった。くるりと背中を向けてロッカールームを目指そうとして、
「あ、そうだ」
と、こちらに戻ってきた。
「多恵子さん。あの、上間先生の件、お聞きになりました?」
「へ? 何?」
「明日、沖縄へお戻りになりますよ」
「……はい?」
「だから、帰っていらっしゃるんです。明日」

思考停止に陥っているあたしの側で、ナースたちの喚声が聞こえる。
……そうか、勉、戻ってくるんだ。
遠くから響くように思える喚声に、ぼんやりそう考えながら、あたしは心の中に異質な空洞を感じていた。なぜ、素直に喜べないのだろう? あんなに会いたかったのに。 今だって、会いたいのに。

三度目の喚声があがる。
「裕太、お待たせ」
里香の姿が廊下の向こうに見えた。照喜名先生が持つバラの花束と同じ色のワンピースに、バックとパンプスまでバラ色じゃないの! 驚いた。それってRopeのスーツだ。バックやパンプスだって、どこかの有名ブランドのだろう。
思わず、あたしは里香に駆け寄った。彼女の右手薬指にもカルティエのラブリングがキラキラ光ってて、ブルガリのプルオムの香りがほのかに漂っている。
里香はこちらをむいてニッコリした。微笑みの相手は、あたしではない。
「じゃ、行きましょうか」
すぐ側で、照喜名先生の声がした。
「えっと、あの、気をつけて、楽しんできてね」
急いで二人に笑顔を作りながら、あたしは自分の間抜けさに舌打ちした。なぜ、里香に駆け寄ってしまったのだろう? 里香が呼んだのは照喜名先生なのに。
「多恵子、勤務替わってくれて、ありがとう。行ってこようね?」
里香は、こちらの心中などまったくお構いなしで、あたしにも微笑をくれた。くるりと背中を向け、照喜名先生と仲良く腕を組んで、廊下の向こうにあるエレベーターへ向かっている。

不意に、奇妙な感覚が、あたしを襲った。
背中というか、腰の背後から、ぬるま湯を引っ掛けられたような感覚。
同時に、あたりの景色が、くにゃっと曲がった。

あたしは、自分の額を押さえた。地面が揺れてる。ぐらぐら。腰から下を激痛が襲った。温かい奔流が、あたしの体から流れ出た。
エレベーターがプンッと軽い音を立てた。到着したのだ。扉が開くと、こちらに向かって大柄な人が飛び出してきて、あたしの側に立った。

“Taeko!”
(多恵子!)

マギーだ。彼女があたしの顔を覗き込もうとしたのと、あたしが彼女の肩につかまり倒れこんだのと、ほぼ同時だった。

“Taeko, are you by any chance pregnant?”
(多恵子、ひょっとして妊娠している?)

マギーの声が遠くから響く。あたしは、やっとの思いで口を動かした。

“Maggie… I've had a miscarriage.…”
(マギー、あたし、流産した……)

「ちょっと! 多恵子さん?」
「誰かストレッチャー持ってきて!」
照喜名てるきな先生と里香だ。エレベーターから引き返してきたのだ。あたしは二人に心から済まなく思った。忙しい中、互いの時間の都合をつけて、あんなに楽しみにしていたデートだったのに、あたしが滅茶苦茶にしてしまうんだ。あたしのせいで。あたしが、無理をしたから。ずっと、自分だけで問題を解決しようと思っていたから。
二人だけではない。あたしはまた、同僚のみんなに迷惑を掛けてしまう。
ごめんなさい。みなさん、本当に、ごめんなさい。
「Maggie, call Dr. Ito! Hurry up! まだなんとかなるかもしれない。多恵子さん、多恵子さん! しっかり!」
照喜名先生が皆に指示を出す声が響く中、あたしは気を失った。

目が覚めたとき、あたしはベッドに横たわっていた。伊東先生とマギーの顔が見えた。
「多恵子ちゃん、一体、どういうことなの?」
伊東先生の声が震えていた。
照喜名てるきな先生がまず伊東先生を呼んだのは正しい判断だったと思う。あの時刻、伊東先生はまだ整形外科病棟のドクター控室にいらっしゃった。そして、ER出身の先生は産婦人科の処置にも詳しかった。だが伊東先生をしても、あたしの流産を止めることはできなかった。後で聞いたら、頭も手も足もある十センチくらいの子供が、心停止状態で出てきてたそうだ。
「どうして、こんなになるまで放っておいてたの? 残念です。なんとか助けてあげたかったけど」
「……そうですか」
せっかく、この世に生まれようと頑張っていたのに、あたしの不注意でこんなことになって、本当に申し訳なくて涙が出た。
「この調子だと、自然に胎盤とかが全部出てくるでしょう。しばらく横になっていてください。入院の手続きを取ります。ご両親、呼びますか?」
あたしは、首を振った。両親の顔を思い浮かべるのも正直しんどかった。
「明日にしてください。今夜は、もう遅いですから」
「わかりました」
伊東先生は、静かにあたしの手を取った。
「父親は、上間だね?」
「はい」
「あいつが帰って来たら、殴らないといけないな」
あたしは、ゆっくり首を振った。
「いえ、これは、あたしの責任なんです。勉は、なにかあったら必ず連絡してくれ、責任持つって言ってくれていました」
あたしは、息を継いだ。
「あたしが、悪いんです。足の治療の妨げになっちゃいけないと思って。……彼は、まだなにも知らないと思います」
「なんてこったい、よりによって、明日、帰ってくるのに」
伊東先生の無念そうな声が響く。
「上間とまだ連絡が取れないんだ。アパートをちょうど出払ったところらしい。ロサンゼルスのどこかのホテルだろうけど」
「……そうですか」
マギーがあたしの手を握った。彼女は微笑んでいた。

“Taeko, don't blame yourself.”
(多恵子、自分を責めないで)

あたしは、泣きながらマギーの顔を見つめた。

“It’s happened to me too. I was seventeen.”
(私にも経験があるわ。17歳だった)

“Really?”
(本当に?)

あたしの問いかけにマギーは優しく頷き、あたしの髪を撫で上げた。

“Now, I have three wonderful children! You’ll be okay too. Trust me!”
(私、今は三名の素晴らしい子供達がいるわ。あなたも大丈夫よ、信じて!)

マギーの温かい言葉に、あたしの頬から大粒の涙がいくつも流れ出た。
「マギー! ……ありがとう……」
泣きじゃくるあたしを、マギーは優しく諭した。

“Sleep, Taeko. Just sleep. Don't worry.”
(寝なさい、多恵子。とにかく寝て。心配しないで)

やがて、耳元に、マギーの歌うアメージング・グレースが流れてきた。あたしは、目を閉じ、その響きに心と体をゆだねた。

Amazing grace how sweet the sound
(驚くべき慈悲の心 なんと美しいその響き)
that saved a wretch like me.
(それはわたしのごとく不幸な人々を救い給う)
I once was lost but now I'm found,
(わたしは一度失い、今、見つけ出した)
was blind but now I see.
(わたしは盲目だったが、いまでは全て見渡せる)((2)へつづく)
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