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Part4 Starting Over

Chapter_06.Dr. Uemaは再始動しました(3)優等生

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At the Southern Hospital, Nakagusuku Village, Okinawa; February 23, 8:45AM JST, 2001.
This time, the narrator changes from Tsutomu Uema into Taeko Kochinda.
久々に多恵子さんのモノローグです。

あたしが病室を出ると、そこには里香がいた。
「ちょっと、多恵子!」
「なによ里香、あんた、聞き耳立ててたわけ?」
「心配だったからさ。あんた、何にもわかってないね?」
あたしたちは歩き出しエレベーターホールへ向かう。
「何でマギーがあんたを上間先生のプライマリ・ナースにしたと思ってるの? 上間先生の気持ち、少しは考えたら?」
「あたしは仕事は仕事としてきちんとしたいだけです」
「いい加減にしなさいよ!」
突如、里香が怒り出した。
「多恵子、あんた、看護の基本っての忘れてるんじゃない? たしかに、仕事をきちんとしようとする多恵子の態度は立派かもしれない。でもね、今回は特別なんだよ」
特別って? 患者さんが、婚約者だから? でも、入院患者さんに対して、ひいきとかしてもいいわけ?
エレベーターの下りのボタンを押す。いぶかしげな目線を里香に向けると、彼女はこう切り出した。
「あたし、千秋と交代で十日間近く上間先生のプライマリ・ナースしてたけど、一回もこんな用事頼まれなかったよ。上間先生、見た目は人懐っこそうだけど、どれだけ遠慮深いから!」
「……そうなの?」
意外そうに首を傾げるあたしに、里香は続けた。
「多恵子、よく考えてごらん。今までも遠慮深くて、看護師になーんも言わないでずっと黙ってた患者さん、いたよね? あたしたち困ったよね? 気軽に要望を言ってもらうにはどうしようかって、考えたこともあったよね?」
うん、あったね。
「その患者さん達には、まだ、ご家族がいらっしゃいました。ご家族が看護師のかわりにいろいろ動いて下さっていた。でもね、上間先生は一人ぼっちなんだよ! 家族も親戚もいないんだよ! わかってる、多恵子? あんたに甘えられなかったら、上間先生、どうするの?」

「うん……」
頷いてみたものの、なんだか釈然としない。里香は優しく諭すように、あたしの肩に手を置いた。
「あたしたちはみんな、上間先生に元のように職場復帰してほしいの。だから、多恵子が上間先生の支えになってくれないと、逆に困るんだ。わかった?」
「わかった。もうちょっと、やさしくするように努力します」
「よかった。じゃ、よろしくね」

……そんなもんなのかな?
ナースステーションへ去る里香の背中に、あたしはつぶやいた。そして、やってきたエレベーターに乗った。

売店で、封筒の束と500ミリリットルのペットボトルに入ったポンジュースを買って、その足で医局へ寄った。戸口にいた研修医の方に頼んで、プリントアウトされた資料を取ってきてもらう。全部で二十枚以上あった。うわー、これ、またしても全部、英語だ。

コツコツコツ。
「ただいまー」
「おつかれさん」
勉はキーボードを叩いていた。
「はい、これ書類です」
「サンキュ。これで、やっと出せるな」
「……なんか英語ばっかり」
「Thank you letterだから」
勉は書類を確認しながら言った。
「UCLAの先生方に、お世話になりました、ありがとうございました、足の事故ではご心配をお掛けしました、是非沖縄へ遊びにいらしてくださいって書いたわけ。沖縄の人はあまり手紙かかないけど、アメリカで手紙書かなかったら殺されるよ」
ああ、なるほど。あたしは頷きながらぼんやり考えた。そういえば、あたしは結局、勉に返事を出さずじまいだったもんな。
「そうそう。100パーセントオレンジジュース買って来たよ」
「やったー! オレンジだー! 頂戴、頂戴!」
「はい」
あたしは、ポンジュースのペットボトルを渡した。勉はまるで、子供のようにはしゃいでいる。
「うわー、ポンジュースだ。うれしいなー。おいしいなー、幸せやっさー!」
そういって、ごくごくっとあっと言う間に飲み切ってしまった。飲み終わると勉はペットボトルの包装シールを取りながらを言った。
「アメリカでは、病院の食事に牛乳とペプシが出ててさー」
……ぺ、ペプシ?
「オレンジジュースに切り替えられないか頼んだら、バヤリースだった。ま、バヤリース嫌いじゃないけどな。でも、毎日飲んだら、太りそうだろ?」
そう言いつつ、空になったペットボトルを手で潰している。あたしは、頭に浮かんだ疑問を彼に尋ねた。
「勉、あんたさ、こっちに来てから、オレンジジュース、誰にも買ってもらわなかったの?」
「うん」
「里香や千秋には、頼まなかったの?」
「忙しいのに、こんなくだらない用事で呼んだら悪いでしょ?」
勉は再びキーボードに向かっている。あたしは言葉をつないだ。
「うちのおとう、おかあは毎日こっち来てたよね? 何も言わなかったの?」
勉はノートパソコンの画面から目を離さずに言った。
「目上の師匠やおばさんに、お使い頼めるか?」

あたしは、彼の側に椅子を引き寄せ、座った。
「何でよ、あんた、オレンジジュースが大好物でしょ? 毎日飲んでいたでしょ? いつも部屋の冷蔵庫に買い置きしてたでしょ?」
「多恵子、オレンジジュース飲まんでも、人は生きていけるよ」
勉はパソコンの画面を眺めたまま、寂しそうな声だけを返した。
「だから、そんな些細なことで、周囲の人を煩わせる必要はないよ」

勉? なんで、みんなに何も言わなかったの?
酒もタバコもたしなまない、ギャンブルもやらない、贅沢らしい贅沢を全然しないあんたが、オレンジジュース買ってきてってお願いしても、全然バチあたらんよ?

あたしは、勉の顔を覗き込んだ。
「勉さ、いつも、あたしに言ってるよね?、したいことは言って貰わないとわからないって」
勉は、うつむいた。
「そういえば、言ったっけね」
そして、あたしから顔をそらせて壁の方を向いた。
「……勉?」
「言わないで、わかってもらいたいって思うのは、わがままだよな? でも、言ったら、言ってしまったら、笑われたり、怒られたり、叱られたり……」

やっと、里香の言っていた意味がわかった。
この人は、怖がっている。まわりの人間に自分の感情をぶつけるのを。
本当は人一倍、寂しがり屋なのに。 ((4)へつづく)
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