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二章

白龍の国

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 ララが薬草のスケッチをするのに飽きて、ついアマガエルを捕まえることに夢中になっていると、後ろからおばあさまに呼ばれて飛び上がった。

「ララ」
「わ、わかってる、アマガエル触った後はよく手を洗う!」

 弱いが毒があるのだ。触れた手でうっかり目を擦ると、炎症を起こすことがある。
 慌てて手の中のアマガエルをエプロンのポケットに突っ込んで、そうっとおばあさまの方を向くと、ララより少し大きな男の子がおばあさまに手を引かれてボンヤリと立っていた。
 見たこともない黒い瞳と黒い髪で、あんまり綺麗なので近寄ってまじまじ見ていると、ポケットのアマガエルが男の子の頬にぺたんと張り付いてしまった。

「あ」 

 思わずそれを捕まえようとして、反動で頬をパチンと叩いてしまった。

「あ、ごめん!」

 慌てて謝ったけど、男の子はまるで何事もなかったかのようにボンヤリと立ったままだ。
 そしてよく見ると、左の首の付け根のところに大きな怪我をしていた。

「……おばあさま、この子どうしたの?」
「心を深い深いところに隠しておるのじゃな」
「ふうん、なんで?」
「とても恐ろしい嫌なことがあったからだろうの」
「ふーん、じゃあ私と同じだ」

 ララの両親は去年山火事で死んだ。
 山菜採りに出かけて、乾燥した草むらの真ん中で、気付いた時にはすでに周囲を炎に囲まれていた。
 炎は逃げ場を失ったララの両親を次々に飲み込んだ。そして、次にお母さんの胸に抱かれていたララにジリジリ迫ってきたとき、危機一髪でおばあさまに救われた。
 ララはまだ三つだったけど、その時のことを不意に思い出して息苦しくなることがある。
 お母さんの髪がボウっと燃え上がり、悲鳴の形に大きく口を開いているのに、その口はぽっかり開いたまま無音だった。
 ララはそれが恐ろしくて恐ろしくて、必死でお母さんの代わりに悲鳴をあげた。

 すると、突然白い大きな龍が現れて、お母さんにしつこく纏わりついていた炎を一息でぶわっと一瞬だけ払い、胸に抱かれていたララをパクッとひと飲みすると、サッと空に舞い上がった。
 ララは龍に食われる寸前、お母さんが巨大な炎に飲み込まれながら、捩れた真っ黒な影になってしまうのを見た。お父さんは影すら見つけられなかった。
 龍の大きな口の中でララはモグモグと味見された。唾液でベトベトになってうへえっと思ったけれど、ヒリヒリと熱くて痛い火傷の跡が、スーッと消えて行くのを感じた。
 そして気づくと、雑草だらけの花壇のある広いおうちの前でぺっと吐き出されたのだ。ララはやせっぽちだから美味しくなかったのかもしれない。何にしても食べられなくてよかった。
 ララが涎まみれの全身ズルズルで立ち上がると、龍の背中から真っ白な小さなおばあさんが降りてきてララの体を丁寧に改めて言った。

「うん、唾液だけでなんとかなったようじゃの。おまえの母親とシンに感謝せねばな」

 そういって、おばあさんが白龍の巨大な顎の辺りをゴシゴシ撫ででやると、龍は気持ち良さそうに金色の目を細めた。
 以来ララは、そのおばあさまと白い龍から離れられなくなった。
 
 ララは全く口が利けなくなっていた。
 口を開けば悲鳴しか出てこないような気がして怖かったからだ。
 なにを話しかけられても口を利かなかったから叱られるかなと思ったけれど、おばあさまはまるで気にすることなく、丁寧に字を教えてくれて、綺麗な絵の具をくれた。
 そして、夜は寝床で一緒に眠ってくれた。おばあさまの真っ白な髪は、日向の草の香りがした。

 おばあさまはこの国の女王様で、龍はシンという名前の神様だと教えてもらった。だから、雑草だらけの花壇を持つこの広いお家は王宮なのだそうだ。
 王宮にはたくさんの動物がいて、それ以上にたくさんの人が出入りしていたけれど、出入りしているほとんどの人が身体をどこかしら悪くしていたので、あまりかまってはもらえなかった。
 みんなおばあさまの薬草と、治療を必要としていたのだ。花壇に生えている雑草も、みんな貴重な薬草だと教えてもらった。
 ララは王宮とはこういうものだと思っていたけれど、ずいぶん大きくなってから、王宮というよりここは、治療院や病院と呼ばれる方がふさわしいのだと知った。
 そして、王宮を病院替わりに使っている変わり者の女王もシンだけなのだと。
 ごく稀に、外国のお客様を王宮にお招きするときは、病棟に使っている西側の棟とは反対側の東の棟に、大人たちが急場の豪華な部屋を拵えて体裁を整えていたのだった。
 でも、薬草を煎じるヘンテコな匂いだけは隠しようもなく、気取った煌びやかなお客様が、時々そっと鼻を摘むのを見てみんなで笑った。

 まぁとにかく、ララはとにかくおばあさまとシンがいないとなにもできなかったので、おばあさまはララに薬草や人の身体の仕組みについていろいろ教えてくれた。そのうち自分でもいろいろ興味が出てきた。
 そこらに生えている──実際は険しい山の崖などから採取して花壇に注意深く植え替えていたのだが──葉っぱや木の皮を刻んだり煮詰めたりして作った、臭い匂いのするネバネバやドロドロが、怪我を治したり熱を下げたりするのが面白くて仕方なかったのだ。

「ララは私の後を継いでくすしになるかい?」

 おばあさまにそう聞かれて、ララはなんの疑いもなく「なる!」と答えた。
 あの山火事の日以来、ララが喋った最初の一言だった。声がかすれてうまく言えなかったので、ララはもう一度「くすしになる」と今度はハッキリ言えた。

「そうかい。じゃあ、王はどうかね?」

 おばあさまがニコニコしながら言った。

「おう? おうってシンのお世話する人?」
「うん、まぁ、あの神龍と、この国のたくさんの人々をお世話する人のことだよ」

 王宮には本当にたくさん動物がいる。犬のココも猫のニノもヤギや羊や馬だって、最近は全部ララがお世話を手伝っているのだから、そのぐらいはどうってことないと思った。ララはこれからもっと大きくなるのだから。
 それに、シンは王宮で一番大きくて一番賢くて一番美しい動物で、ララのことも助けてくれた。
 その上、気が向くと、稀に白馬に化けて背中に乗せてくれるのだ。ララはシンが大好きだった。

「いいよ! おばあさまお年だもんね。私がシンのお世話してあげる。あの子は何を食べるの?」
「ふぉっふぉっ、今すぐじゃなくていい。神龍は大きいからね。まぁ、ゆっくり考えなさい」 
 
 そんなわけで、ララは日々くすしになるための勉強に勤しんでいるというわけだ。 
 目の前のこの男の子の場合はきっと、目を開けたら恐ろしいものが見えそうな気がして心ごと閉じちゃってるんだ。
 悲鳴だけなら黙っていれば済むけど、何かを見たくないときは、眠るしかないもんね。
 ララはこの子のお世話はきっと私がしっかりやろうと心に決めた。
 ララはこの頃にはやっと、少しぐらいならシンやおばあさまがいなくても、一人で何でもできるようになっていた。
 
「名前は? おばあさま、この子の名前はなんて言うの?」
「そうだね、ララが好きに呼べばいいよ」
「うーん、じゃあ、トト! あんたは今日からここではトトよ」


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