星に願いをかけられたなら

天野蒼空

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星に願いをかけられたなら

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 世界は残酷だ。

 神様なんてどこにもしないし、運命というやつはいつも私を嘲笑っている。

「悠真」

 空気が抜けるような、小さな声で私は世界でいちばん大切な人の名前を口にする。もう、二度と会うことのできない大切な人。私の生きる理由だった人。私のことを愛してくれた人。何に変えても、守りたかった人。

 低くてゆったりとした声も、石鹸の匂いがする柔らかな黒い髪も、ごつごつと節くれだっていた指も、どっしりとしていた広い背中も、いかつい顔の中にある小さくて可愛らしい目も、笑うたびに頬に浮かび上がる笑窪も、隣にいると感じられていたぬくもりも、照れると顎を掻く癖も、キスをするといつもミントガムのすうっとした味がしたことも、私の髪型が崩れることを全く気にしてくれない豪快な頭の撫で方も、息が詰まるくらいぎゅっと抱きしめてくれたことも、全部、全部、まぶたを閉じればそこにくっきりと蘇る。

 なのに、もう二度と会えないなんて信じられない。

 いや、信じたくない。

 ずっとずっとそばにいると、約束してくれたのに。一生離れないと、約束してくれたのに。

 ベランダから見える街の光は、煩かった。キラキラと明るく楽しそうなその光は、生きる意味を失った私のことを馬鹿にしているようだ。

 悠真が好きだと言ってくれた私の黒くて長い髪は、一日中梳かされなかった為、ぼさぼさになっていた。都会の夜の生暖かい風に身を任せるように、ゆらりゆらりと揺れている。悠真が好きだと言ってくれた私のふっくらとした頬は、たった一日でげっそりと痩せこけてしまい、そこには絶えず涙の河が流れていた。

 一日中、何も食べず、何も飲んでいなかったので、もう頭の中には白い靄がかかっていた。でも、どうでもよかった。食欲はまったくなく、むしろ、隣の家から流れてくるご飯の匂いに吐きそうになっていた。

 もしも、このままベランダから真っ逆さまに落ちていったら、悠真と同じ場所に行けるだろうか。

 ここから地上までは十五メートル以上あるはずだし、下はコンクリートだからきっと行けるはずだ。でも、だめだ。ここでは色んな人に迷惑がかかる。そういうものは別に望んでいない。

 私はただ、悠真に会いたいのだ。

 昨日の夜、急に私が生きている世界から、違う世界に行ってしまった悠真。原因は、居眠り運転をしていたトラックだそうだ。相手の方も命を落してしまったそうで、相手が許せないだとか憎いだとか、もう、そんな理由とかどうでも良くなってしまった。

 ただ、悠真に会いたいだけなのだ。

 悠真のからだはまだ警察が管理しているから、悠真の葬式はまだ行っていない。

 悠真の肉体に会えたらそれでいいわけではない。それは悠真かもしれないが、そんなただの固形物は悠真じゃないから。

 会いたい。

 もっと話がしたかった。もっと「好きだ」といいたかった。もっと一緒に笑いたかった。もっと手をつないでいたかった。もっと一緒にご飯を食べたかった。もっと一緒にデートに行きたかった。もっとそばにいたかった。もっと愛を伝えたかった。

 会いたい。

 ただ、それだけしか考えられない。

 街の明かりに照らされた、ぼんやり明るい灰色の空には、星は一つも見えなかった。

「悠真、星、好きだったな」

 天体観測が趣味だった悠真は、私をよく天文台や星がよく見える丘や、一面星で覆い尽くされた海岸などに連れて行ってくれた。

「行こうかな」

 そこに悠真がいないことはわかっていた。でも私は、どこかに悠真のかけらがあるような気がして家を出た。




 車を走らせて二時間。隣に誰もいないことなんて、普段はちっとも気にならないのに、今日は一人ぼっちでいることが寂しくてしょうがなかった。お気に入りの音楽を大音量で流しても、音が頭の上を素通りしていくようだった。いつもならテンションがあがる曲なのに、何も感じなかった。

 ぽっかりと穴が空いてしまったようだった。心の中で懐かしいミントガムのすうっとした味がした。心臓の中心から氷漬けにされていくようなその味が、ずっとずっと続いていた。



 
 やっとの思いでついた山の中は、初めて悠真が天体観測に連れてきてくれた場所だ。悠真の故郷の近くであるこの場所は、まわりを木で囲まれているものの、南側だけは大きく開けていた。

 はじめて来た四年前と、何も変わっていなかった。

 コンビニで買ってきたお菓子とジュースを広げたボロボロの木製のベンチも、錆びついて誰が使うのかよくわからない、観光地の展望台にあるような備え付けの双眼鏡も、膝下くらいの丈の雑草が一面に生えているところも、頭上の星が綺麗なことも、変わっていなかった。

 街頭どころか、月明かりすらなかったので、スマホのライトを付けていたが、それをかばんの中にしまって、ベンチの上に座る。

 どこにどんな星座があるかなんてわからなかった。小学校で習った夏の大三角と蠍座くらいしかわからない私が星を見つけるなんて無謀だったのかもしれない。でも、悠真ならきっと「あそこにあるのはね」と、教えてくれただろう。

「わかんないよ、悠真」

 星の位置も、名前も、あなたがいなくなった理由も、私がこれから生きる理由も、もう、全部わからない。

「教えてよ、悠真」

 わからないことしかない。あなたしか私に教えてくれる人はいないのだ。

 宝石をばらまいたような、静かに輝く美しい星空に、一筋の光が流れる。

 流れ星だ。

 もしも願い事を三回言えたなら、本当に叶うのだろうか。あんなのは迷信かもしれないが、それにすら縋りたかった。

 涙でにじむ空を睨んで、私は流れ星を探す。ただ、すぐには見つからない。沢山の星であふれているこの場所でも、そんなに運のいいことはなかなか起こらない。それでも私は空をにらみ続けた。

 きらり、星が落ちる。

「悠真に会いたい、悠真に会いたい、悠真に会いたい!」

 どこかにいる悠真に届くように、精一杯の声で叫ぶ。喉の奥がビリビリする。

 ひゅうっと強い風が吹く。髪を揺らし、スカートの裾をはためかせ、落ち葉を空へ巻き上げる。

 パチン、と、スイッチを押すような音と共に何かが目の前で弾けて、フラッシュが焚かれたかのように白い光が散らばった。いきなりの出来事と、強い光に目が慣れていなかったので、思わず目を瞑る。

「それ、お願い?」

 少年のような、高く透き通った声がした。この場所には誰もいなかったのに、いきなり誰が来たのだろうと恐る恐る目を開ける。

「なにこれ」

 目の前にあったのは、ぼんやりと光る立方体だった。私の手のひらと同じくらいの大きさのその立方体は、私の目線と同じ高さに浮いている。ただ、上下にも左右にも動かないそれは、浮いているというよりも、透明な棚に置かれているようだ。クリーム色の優しい光はまるで満月の色のようで、中心部分から滲み出るようなその光は熱を帯びていて、それはどこか懐かしさのあるあたたかさだった。

「それ、お願い?」

 同じ言葉が繰り返される。

 信じがたいが、声はこの立方体からしているようだ。もしかして何かの受信機でも入っているのだろうか。なら、こちらの声は聞こえるのだろうか。

 不審に思いながらも私は返事をした。

「そうよ。お願いよ」

「悠真って、誰?」

「私の恋人よ。一昨日、事故にあったの」

 流れ星に三回お願いして、いきなり出てきた謎の立方体。本当に願いが叶うかなんてわからないけれど、普段ならそんな信じられないようなものにすら、今は本当に信じられるような気がした。

「ねえ、あなたは誰なの?」

 ただ、不安はあるので聞いてみる。

「名前はないよ。僕はみんなのお願いを叶えるものだよ。空を流れる星みたいなものなんだ」

「私のお願い、叶えられる?」

「死者の蘇生だね。少し条件がつくけれど、いいよ」

 ゴクリ、とツバを飲み込む。

「わかった。悠真に会えるなら、なんでもいいわ」

「僕の力はこの次元とは別の次元にあるんだ。だからその『悠真』を連れてくることは出来るけれど、それは君が最後に会った『悠真』ではないと思う。一番この場所から近い場所にある『悠真』をこの場所に引っ張ってくるからね。それでもいいかい?」

 つまり、私のことを知らない悠真が来ることになるかもしれないということだろう。それでも構わない。悠真に会えるならそれでいい。もしもまだ恋が始まる前なら、もう一度恋を始めればいいだけだから。

 ぐっと拳を握りしめた。

「構わないわ」

「じゃあ、目を閉じて。『悠真』のことを強く思って。君のイメージを頼りに僕は『悠真』を探してくるから」

 指示されたとおり目をつむると、さっきよりも強い熱が顔に当たる。まるでストーブの前にいるみたいだ。

 初めて会ったときの悠真は人見知りがすごかった。大学二年生の秋ぐらいにあったサークルの合同飲み会で、隅っこの方でちびちびと、しかめっ面で枝豆を食べていた。同学年だしという理由だけで連絡先を交換した。その後、同じ講義を受けているところを見たときはびっくりしたな。てっきり別の学部だと思っていたんだもん。華やかな時代を一緒に過ごした。その分、悲しい思いも、苦しい思いも分け合ってきた。告白は悠真からだった。夜に電話がかかってきて、「もしもし」も言わずに「好きだ、付き合ってほしい」だなんて、びっくりした。でも、嬉しかった。講義の後のご飯だとか、課題がわからないときに図書室で教えあったりとか、くだらないメールのやりとりだとか。そんな小さな悠真と過ごす日常が楽しくて、私も好きだった。

 時間は飛ぶように過ぎていった。留年の危機も、就活の辛さも、一緒に乗り越えてきた。

 付き合ってもう三年が経った。私達は学生じゃなくなり、二人で過ごす未来についていつも考えていた。「もう少し貯金が溜まったら一緒に住もう」だとか、「お互いの会社から程々の場所に家を借りよう」なんて具体的な話や、「もしもペットを飼うなら猫がいい」みたいな夢まで話していた。

 なのに、どうして。

 低くてゆったりとした声も、石鹸の匂いがする柔らかな黒い髪も、ごつごつと節くれだっていた指も、どっしりとしていた広い背中も、いかつい顔の中にある小さくて可愛らしい目も、笑うたびに頬に浮かび上がる笑窪も、隣にいると感じられていたぬくもりも、照れると顎を掻く癖も、キスをするといつもミントガムのすうっとした味がしたことも、私の髪型が崩れることを全く気にしてくれない豪快な頭の撫で方も、息が詰まるくらいぎゅっと抱きしめてくれたことも、全部、全部、好きなのだ。

 なのに、どうして。

「現在から千三百二十一日と十二時間六分前の『悠真』を、現在に転送するよ」

 つまり、四年くらい前の悠真だ。私とまだ会っていない悠真。私のことを知らない悠真。

「目を開けていいよ」

 恐る恐る目を開ける。

 光る立方体はどこにもいなかった。代わりにさっきまで立方体がいた場所には私が会いたかった人がいた。

「あれ、ごめんなさい。なんだかぼうっとしていて」

 低くて落ち着いた声。悠真の声だ。ほのかに石鹸の匂いが青い草の匂いに混じる。視線を少し上げれば、小さな瞳に私が映る。

「いいの、いいのよ。会いたかったの」

 そう言っても悠真はぽかんとしていた。

 仕方ない。この悠真は私のことを知らないのだ。

 それでもそこにいるのは間違いなく悠真で、私の生きる理由で、私の大切な人で、私が心の底から愛している人だ。

 一歩、悠真に近づいて、その筋肉で引き締められているがっしりとした体を抱きしめる。両方の目から大粒の涙がボロボロと溢れていた。止め方なんて、わからなかった。

「はじめまして。愛しているの」
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