伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン

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第11話

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​「薫、少し席を外す」
​その日、ガルド様は眉間に皺を寄せて立ち上がった。
​「マスターが呼んでいる。……五分だ。五分で戻る」
「はいはい、行ってらっしゃい。」
「動くなよ? 俺の結界から一歩も出るな」
「わかりましたって」
​俺は軽く手を振って、過保護な英雄を送り出した。
執務室の重厚な扉が閉まる。
ふぅ、と息を吐く。
ガルド様と離れるのは、昨日の夜以来だ。
たった数分だが、常に「スゥーッ」という呼吸音を聞かされている身としては、この静寂が何よりの保養だった。
​「……コーヒーのおかわり、貰いに行こうかな」
​俺は立ち上がり、給湯室へ向かおうとした。
ガルド様には「動くな」と言われたが、同じフロア内だ。問題ないだろう。
​そう思って、廊下に出た時だった。
​「……見つけた」
​ゾワリ。
背筋に冷たいものが走った。
ガルド様の視線とは違う。あちらが「燃え盛る炎」なら、これは「冷たいメス」のような視線だ。
​「誰ですか?」
​振り返ると、そこには白衣を着た男が立っていた。
痩せこけた頬、黒いクマ、そして異様に大きな眼鏡。
手には怪しげな水晶玉を持っている。
​「初めまして、三上薫くん。……いや、『聖香』の宿主とお呼びすべきかな」
​男はニチャリと笑い、一歩近づいてきた。
​「私はネロン。王立魔導研究所の副所長だ」
「はあ……」
「単刀直入に言おう。君、私のラボに来ないか?」
​ネロンは俺を上から下まで舐めるように見た。
​「素晴らしい……! 魔力を一切感じないのに、周囲の魔素を分解している……! 君は生きているだけで奇跡だ!」
「褒め言葉どうも。でも、俺はギルドの職員なんで」
「ギルド? くだらん! 君の価値は事務仕事などではない!」
​ネロンが興奮して身を乗り出した。
薬品の臭いが鼻をつく。
​「君を解剖すれば……いや、体液を調べるだけでも、魔力中毒の特効薬が作れるかもしれない! 血液、唾液、髄液……すべて提供してくれ!」
「お断りします! 帰ってください!」
​俺は恐怖を感じて後ずさった。
こいつ、目が笑っていない。完全にマッドサイエンティストだ。
​「遠慮するな。君は人類の進歩のために犠牲に……いや、貢献になるんだ!」
「離せ!」
​ネロンの手が伸びてくる。
俺は避けようとしたが、魔導師特有の拘束魔法で足を止められた。
​「動くな。サンプルを採取するだけだ。……まずは皮膚の一部を……」
​ネロンの冷たい手が、俺の手首を掴んだ。
その感触に、鳥肌が立つ。
​「やめろッ!」
​俺が叫んだ、その瞬間だった。
​バキィッ!!
​乾いた音が響いた。
何かが折れる音だ。
​「……あ?」
​ネロンが間の抜けた声を上げた。
彼の手首が、ありえない方向に曲がっていたからだ。
そして、その腕を掴んでいたのは――。
​「……俺の『所有物』に、許可なく触れるな」
​地獄の底から響くような、絶対零度の声。
​「ガ、ガルド様……?」
​そこには、鬼がいた。
ガルド・ベルンシュタイン。
だが、いつものような甘い雰囲気は微塵もない。
彼の瞳は、感情の一切を欠落させた虚無の色をしていた。
​「ガ、ガルド……!?」
​ネロンが悲鳴を上げて後ずさる。
だが、ガルド様の手は万力のように彼の手首を締め上げていた。
​「貴様……どこの馬の骨だ?」
「わ、私は魔導研究所の……ぐぁっ!?」
​メキメキメキッ……!
​ガルド様がさらに力を込める。
ネロンの腕が、枯れ木のように粉砕されていく。
​「名前など聞いていない。……俺が聞いているのは、『どの指で触ったか』だ」
「ひぃぃぃッ!! 親指! 親指ですぅぅ!!」
​「そうか。なら、いらん」
​ボシュッ!!
​ガルド様の掌から黒い炎が噴き出した。
ネロンの右腕が、肘から先まで一瞬で炭化した。
​「ぎゃぁぁぁぁぁぁッ!!??」
​ネロンが激しい痛みにのたうち回る。
ガルド様はそれをゴミのように蹴り飛ばした。
​「失せろ。……次に俺の視界に入ったら、研究所ごと更地にする」
「ひ、ひぃぃ……!」
​ネロンは片腕を失ったまま、這いつくばって逃げていった。
廊下には、焦げた肉の臭いと、俺の震える息遣いだけが残った。
​「……薫」
​ガルド様がゆっくりと振り返る。
その顔には、先ほどの冷酷さはなく、ただただ深い悲しみと焦燥が張り付いていた。
​「ガ、ガルド様……あの、俺は……」
「触られたな?」
​ガルド様が俺の手首を掴む。
ネロンに掴まれた場所だ。
​「汚い……。なんてことだ……。他人の脂が、垢が、細菌が……俺の聖域を汚染した……!」
​ガルド様はブツブツと呟きながら、ハンカチで俺の手首を乱暴に拭った。
皮膚が赤くなるほど強く。
​「痛いっ! 痛いですガルド様!」
「黙ってろ! 消毒しないと腐るぞ!」
​ガルド様はハンカチを投げ捨てると、俺の手首に唇を押し当てた。
いや、唇じゃない。舌だ。
​「んっ……!?」
​ジュルリ、と。
ガルド様の熱い舌が、俺の手首を舐め上げた。
犬が傷口を舐めるような、あるいは獣が獲物を味わうような、生々しい音。
​「ガルド様、やめて……! ここ廊下!」
「上書きだ。……俺の唾液で、俺の匂いで、あの虫の痕跡を塗り潰す……」
​ガルド様は俺の抗議など聞こえていないようだった。
手首を舐め、吸い、噛み跡がつくほど強く歯を立てる。
そこには、純粋な独占欲と、俺を失うことへの病的なまでの恐怖があった。
​「……お前は俺のだ。……誰にも渡さん。……指一本、髪の毛一本だって……」
​俺は抵抗するのをやめた。
震えるガルド様の頭を、反対の手でそっと抱きしめる。
この人は最強の英雄だ。
でも、俺がいなければ、こんなにも脆い。
​「……大丈夫ですよ。俺はここにいます」
​俺がそう呟くと、ガルド様はピクリと動きを止め、濡れた瞳で俺を見上げた。
その目は、捨てられた子犬のようで……悔しいけれど、愛おしいと思ってしまった。
​「……帰ろう、薫。……今日はもう、君を誰の目にも触れさせたくない」
「……はい」
​俺たちは早退した。
その日、ガルド様の屋敷の寝室から、俺が一歩も出してもらえなかったことは言うまでもない。
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