伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン

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第16話

​「……いい天気だ」
​ガルド様の屋敷に移り住んで数週間。
休日の朝、俺は久々の晴天に目を細めた。
絶好の洗濯日和だ。
​「よし、やるか」
​俺は洗面所にあったランドリーバスケットを持ち上げた。
中には、俺とガルド様の三日分の服が溜まっている。
ここには優秀なメイドたちがいるが、「薫様の衣類に触れていいのは旦那様だけ」という鉄の掟があるため、俺の洗濯物は俺がやるしかないのだ。
​「洗剤入れて、スイッチオンっと……」
​俺が洗濯機の蓋を開けようとした、その時だった。
​「待てェェェェェェェッ!!!!!」
​ドォォォンッ!
洗面所のドアが吹き飛んだ。
湯気立つ体で飛び込んできたのは、風呂上がりのガルド様だった。
腰にタオル一枚。濡れた髪から水滴が滴り、筋肉が隆起している。無駄にセクシーだ。
​「ガルド様!? 何ですか!?」
「薫……今、何をしようとした?」
​ガルド様が俺の手首を掴み、鬼のような形相で洗濯機を睨みつけた。
​「洗濯ですけど」
「正気か!? それは『虐殺』だぞ!!」
「は?」
「水と洗剤の暴力で……そこに宿る俺の愛しい菌たちを、全滅させる気か!!」
​ガルド様はバスケットを奪い取ると、中の洗濯物を愛おしそうに抱きしめた。
​「見ろ……この襟元の黄ばみを。君が懸命に働いた証だ。……この袖の汚れを。君が昼食のパスタソースを飛ばした可愛い失敗の記録だ」
「汚いから洗わせてください!」
「駄目だ! これは歴史的資料だ!」
​ガルド様はバスケットを抱えたまま、地下室への隠し扉を開けた。
​「来い、薫。……正しい『保存方法』を教えてやる」
​   ◇
​連れて行かれたのは、例のコレクションルームの一角だった。
以前はただの棚だったスペースに、巨大な銀色の機械が鎮座していた。
​「……なんですか、これ」
「最新型の魔導真空保存機だ。本来はドラゴンの肉を百年保存するために使う」
「そんなものを家庭に持ち込まないでください」
​ガルド様は真剣な眼差しで、バスケットから俺の靴下を取り出した。
​「いいか、見ていろ」
​ガルド様は専用の厚手ビニール袋に靴下を入れると、機械にセットした。
スイッチオン。
​シュゴォォォォォォォッ!!!!!
​凄まじい吸引音が響く。
袋の中の空気が一瞬で抜かれ、靴下がペチャンコに圧縮されていく。
​プシューッ。
​完了。
そこには、カチカチに固められた俺の靴下が密封されていた。
​「……完成だ」
​ガルド様はパックを光に透かし、うっとりと眺めた。
​「これで酸化は防がれた。君の足の指の間の湿り気も、フローリングを踏みしめた時の埃の匂いも……永遠にこの中に閉じ込められたのだ」
「……」
​俺は言葉を失った。
隣の棚を見ると、すでに大量のパックが並んでいた。
​『202X年 〇月×日 パンツ』
『備考:会議で緊張して汗多め。非常に芳醇』
​『202X年 △月△日 インナーシャツ』
『備考:就寝時に着用。ミルクのような甘い香り』
​ラベルには、達筆な文字で詳細なテイスティングノートが書かれている。
ソムリエかよ。
​「ガルド様……これ、どうするつもりですか」
「熟成させる」
「は?」
「十年後、あるいは二十年後……我々が年老いた時に、これを開封するんだ。『ああ、あの頃の薫はこんな若々しい匂いだったな』と、二人でワイングラスを傾けながら語り合いたい」
「俺のパンツをさかなに晩酌するな!!」
​俺は棚のパックを鷲掴みにし、床に叩きつけようとした。
​「やめろ薫!! それはヴィンテージ物だぞ!! 今年の君の汗は、例年に比べて塩分濃度が絶妙なんだ!!」
「知るか!! 不潔です!! 洗います!!」
​「ならん! 洗うなら俺を洗え!」
「意味がわからない!」
​   ◇
​一時間の攻防の末。
俺たちはリビングのテーブルを挟んで向かい合っていた。
停戦協定を結ぶためだ。
​「……条件を言います」
​俺はメモ用紙にペンを走らせた。
​「一、下着と靴下は毎日洗うこと。真空パック禁止」
「異議あり! せめて週一回は保存させろ!」
「却下。……二、シャツなどの上着は、ガルド様が『納得』するまで嗅いでいいが、最終的には洗うこと」
「……ぐぬぬ。洗濯前の猶予期間は?」
「三十分です」
​ガルド様が机を叩いた。
​「短い! 繊維の奥の匂いまですべて吸い尽くすには、最低でも二時間は必要だ!」
「そんなに嗅いでたら酸欠で死にますよ!」
「俺の肺活量を舐めるな!」
​結局、以下のルールで妥結した。
​薫の洗濯物は、ガルド様が「検品、吸引」した後でなければ洗濯機に入れてはならない。
​検品時間は最大一時間とする。
​ただし、記念日や特別なイベント(冷や汗をかいた日など)の衣類に限り、真空パック保存を認める(月一枚まで)。
​「……月一枚か。厳しいな」
​ガルド様は不満げに唸りながらも、俺が脱ぎ捨てたばかりのパジャマを抱きしめた。
​「わかった。……だが薫、これだけは覚えておいてくれ」
「なんですか」
「洗剤の匂いなど、君本来の体臭の前ではノイズでしかない。……俺は、ありのままの君が一番好きなんだ」
​ガルド様は真剣な顔で、パジャマの襟元に顔を埋めた。
キメ顔で言うことじゃない。
言ってることはただの不潔なフェチ発言だ。
​「……はいはい。愛されてて光栄ですよ」
​俺は諦めて、洗濯機のスイッチを入れた。
ウィーン、という水流の音に混じって、背後から「スゥーッ……ハァ……」という深呼吸の音が聞こえてくる。
これが、俺たちの「日常」の音だ。
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