伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン

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第21話

​【ガルド視点】
​腕の中が、軽かった。
あまりにも、軽すぎた。
​「……薫? おい、目を開けろ」
​屋敷の玄関ホール。
俺の腕の中で糸が切れたように崩れ落ちた薫は、人形のように動かない。
顔色は蝋のように白く、唇からは血の気が引いている。
​そして何より――「匂い」がしなかった。
​いつも俺を安堵させてくれる、あの甘く、少しスパイシーな生命の香りが、枯れ果てた泉のように消え失せている。
​「医師を呼べ!! 今すぐにだ!!」
​俺は獣のように咆哮した。
屋敷中がパニックになる中、俺は薫を抱えて寝室へと走った。
冷たい。
薫の体が、急速に冷えていく。
俺の体温を分け与えても、まるでザルのように熱が逃げていく。
​(なぜだ? さっきまで笑っていたじゃないか。クレープを食べて、俺の手を握って……)
​「……診断が出ました」
​駆けつけた王宮筆頭侍医が、薫の脈を取り、重苦しい口調で告げた。
その言葉は、俺の心臓を氷の杭で貫くようなものだった。
​「生命力の枯渇です。……何者かに、魂ごと吸い尽くされたような状態です」
「吸い尽くされた……? 誰に……」
​医師は沈黙し、そして俺を直視した。
責めるような、しかし哀れむような目で。
​「あなたです、ガルド様」
​「……は?」
​「三上様の『聖香』は、彼の生命力を源としています。あなたは無自覚に、それを許容量を超えて摂取し続けた。……いわば、あなたは彼を『捕食』していたのです」
​視界が真っ白になった。
俺が?
薫を?
​自分の手を見る。
大きくて、無骨な手。
この手で薫を抱きしめ、首筋に顔を埋め、あろうことか「もっとくれ」とねだった。
薫が苦しんでいることにも気づかず、俺は自分の快楽のために、愛する男の命を啜っていたのか。
​「……ぇッ……」
​強烈な吐き気が込み上げた。
胃の中身ではなく、自分という存在への嫌悪感が逆流してくる。
​俺は化け物だ。
魔力中毒で狂っただけの獣ではない。
最も大切なものを守ると誓いながら、その実、最も残酷な方法で殺そうとしていた寄生虫だ。
​「……ガルド様、離れてください。今のあなたの魔力は、瀕死の三上様には毒です」
「……あ、ああ……」
​俺は後ずさった。
薫の寝顔を見る。
苦しげに眉を寄せている。その原因は俺だ。俺がいるだけで、彼は死に近づく。
​(……離れなければ)
​俺は逃げるように部屋を出た。
そして、扉に最高強度の結界を張った。
誰も入れないためではない。
俺自身が、二度と薫に触れないようにするために。
​   ◇
​【三上 薫 視点】
​深い、泥の中にいるような夢を見ていた。
体が重い。指一本動かせない。
でも、どこかで誰かが泣いているような声が聞こえて、俺は無理やり意識を浮上させた。
​「……ん……ぅ……」
「気がつかれましたか、薫様!」
​目を開けると、天蓋付きのベッドの天井が見えた。
傍らには、涙ぐんでいる執事のセバスチャンと、数人の医師。
​「……ここ、は……? ガルド、様は……?」
​俺が掠れた声で尋ねると、セバスチャンが痛ましげに顔を伏せた。
そして、医師から告げられた事実は、俺の理解を超えていた。
​「……俺の命を、吸ってた?」
「はい。ガルド様の『吸入』は、あなたの生命維持に必要なエネルギーまで奪っていたのです」
​なるほど。
最近のダルさや、貧血気味だったのはそのせいか。
合点がいった。
​「で、その馬鹿犬はどこにいるんですか? 説教してやらないと」
「……旦那様は、部屋の外にいらっしゃいます」
「じゃあ呼んでください」
「できません」
​セバスチャンが首を横に振った。
​「旦那様は……『自分は薫様を殺す化け物だ。もう二度と会う資格はない』と、自らを隔離なさいました。……薫様が回復次第、この屋敷から退去していただく手はずになっております」
……………………は?

退去?
二度と会わない?
​「……ふざけんな」
​俺は点滴の管を引きちぎりそうになりながら、ベッドから起き上がった。
足元がふらつく。視界が回る。
それでも、怒りの炎が体を突き動かした。
​「三上様! 安静に!」
「どいてください!」
​俺は制止する医師たちを睨みつけ、這うようにしてドアへ向かった。
重厚なマホガニーの扉。
そこに手をかけるが、ビクともしない。
強力な結界が張られている。
​「おい! ガルド! そこにいるんだろ!!」
​俺はドアを叩いた。
拳が痛い。でも、心の痛みの方が強かった。
​「……薫か」
​ドアの向こうから、聞き覚えのある声がした。
でも、いつもの自信満々な英雄の声じゃない。
弱々しく、枯れ果てた老人のような声だ。
​「……すまない。……本当に、すまなかった」
「謝るな! 開けろ!」
「無理だ。……俺が近くにいるだけでお前は死ぬ。俺は……薫を失いたくない」
​ガルドの声が震えているのがわかった。
​「金は用意した。一生遊んで暮らせる額だ。……だから、俺のことは忘れて、遠くへ行ってくれ」
「……」
​俺はドアに額を押し付けた。
この人は、本当に馬鹿だ。
最強のくせに、一番大事なところで臆病になる。
​「……勝手に決めるなよ」
「…」
「俺の命だぞ!? 俺が誰に吸わせるか、俺がどう生きるか、なんでアンタが勝手に決めるんだよ!!」
​俺は叫んだ。喉が裂けそうだった。
​「散々振り回しといて今更なんだよ……!俺は、あんたとのデート楽しかった! 幸せだったんだよ! それを……『化け物だから』なんて理由で突き放してんじゃねぇよ!!」
​「……だが、薫……。俺と一緒にいれば、君は……」
「死ぬかもしれない? だから何だ!」
​俺はドアを思いっきり蹴った。
​「死ぬのが怖いんじゃない! ……アンタがいない世界で、のうのうと生きる方がよっぽど怖いんだよ!!」
​シーン、と静まり返る廊下。
俺の荒い息遣いだけが響く。
​「……帰れ、薫。……頼むから、俺をこれ以上、惨めな男にしないでくれ」
​ズルズルと、何かが引きずられる音がした。
ガルドが去っていく。
俺の言葉は届かなかった。
あの人の自己嫌悪は、俺の愛よりも深かったのだ。
​「……くそっ……!」
​俺はその場に崩れ落ちた。
涙が出てきた。
悲しい…いや、悔しいからだ。
あんなに強くて、あんなに俺を求めていた人が、自分のこととなるとすぐに逃げ出すあの弱虫が、どうしようもなく腹立たしい。
​「……セバスチャンさん」
「……はい」
「晩飯、まだですか」
​俺は涙を袖で乱暴に拭い、執事を見上げた。
​「え?」
「聞こえませんでしたか? 腹が減ったって言ってるんです」
​俺の腹が、グゥと鳴った。
生命力が足りないなら、補充すればいい。
毒になるなら、毒ごと食らってやるくらいの体力をつければいい。
​「特大ステーキと、ニンニク増し増しのスタミナ丼と、あと精力剤でも何でも持ってこい!!」
​俺の目には、鬼のような炎が宿っていたらしい。
セバスチャンがハッとして、深く頭を下げた。
​「……承知いたしました。直ちに、料理長を叩き起こして最高カロリーの食事をご用意させます」
「あと、筋トレ器具もだ。……あの結界、絶対ぶち破ってやる」
​見てろよ、ガルド・ベルンシュタイン。
俺を一方的に捨てたこと、後悔させてやる。
そして再び会った時には、俺の匂いで窒息するまで抱きしめてやるからな。
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