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第22話
「セバスチャンさん! おかわり!」
「は、はい! 直ちに!」
屋敷の東棟、薫様の私室。
そこは今、戦場と化していた。
テーブルには山と積まれた皿。
空になったステーキ皿、空のスープボウル、そして大量のパンの残骸。
「うっぷ……。くそ、まだだ。まだ胃袋に隙間がある……!」
薫様は、鬼気迫る表情でフォークを握りしめていた。
顔色は、数日前の瀕死状態が嘘のように赤い。
いや、むしろ脂ぎっている。
「薫様、さすがにこれ以上は……胃が破裂しますぞ」
「破裂させてたまるか! 俺の体は今、スポンジなんだ!」
薫様は水を一気飲みし、自身の腹を叩いた。
「いいですか、セバスチャンさん。あの馬鹿犬は、俺の生命力を無自覚に吸ってしまうんですよ。 だったら話は簡単だ」
「はあ……」
「吸われる量以上に、俺が生産すればいい!!」
理論が脳筋すぎる。
だが、薫様の目は本気だった。
「食って、寝て、代謝を上げる! 俺のタンクを倍にする! そうすりゃ、あいつが少しくらい吸っても死なない体になる!」
「そ、それでよろしいのですか……?」
「いいに決まってます! 俺はあいつの『酸素ボンベ』なんです。……空っぽのままじゃ、あいつが窒息しちまう」
薫様はニヤリと笑い、最後の一切れの肉を口に放り込んだ。
その笑顔は、かつて魔王を倒した頃の旦那様よりも、遥かに英雄らしく見えた。
◇
一方、屋敷の西棟。
厚い遮光カーテンが引かれた部屋は、墓場のように静まり返っていた。
「……うぅ……ぐ、ぅ……」
部屋の隅で、毛布にくるまった巨大な影が震えている。
「……か、おる……。薫……」
旦那様の状態は、悲惨の一言だった。
目は落ち窪み、無精髭が伸び放題。
手足は小刻みに痙攣し、体からは制御できない魔力が黒い霧となって漏れ出している。
魔力中毒の再発。いや、以前よりも酷い禁断症状だ。
一度「純正の酸素」を知ってしまった体が、汚れた空気を拒絶しているのだ。
「……吸いたい……。一吸いだけでいい……。薫のうなじを……」
旦那様の手には、銀色の袋が握りしめられていた。
『202X年 〇月×日 薫の靴下(真空パック済)』。
以前、薫様が激怒したあの「保存食」だ。
「……スゥゥゥッ……!!」
旦那様はパックの封をわずかに切り、そこから漏れ出る微かな分子を必死に吸い込んでいた。
「……薄い……。足りない……。これは過去の残滓だ……。俺が欲しいのは、今の、生きている薫の……」
旦那様は涙を流しながら、靴下を抱きしめていた。
S級探索者の威厳など欠片もない。ただの愛に飢えた廃人だ。
ガチャリ。
私がドアを開けると、旦那様がビクリと反応した。
殺気が飛んでくる。
「……誰だ。入るなと言ったはずだ」
「私です、旦那様。……薫様から、お届け物です」
私は銀のトレイを差し出した。
そこに乗っているのは、一冊のノート。
「……薫から?」
殺気が消え、代わりに縋るような色が瞳に宿る。
旦那様は這うようにして私に近づき、震える手でノートを手に取った。
「……これは……」
旦那様がノートに顔を近づける。
「……匂う……。インクの匂いと……これは、ステーキソースか? それに、微かなニンニクと……薫の指の脂の匂いだ……」
旦那様はノートを開くこともせず、表紙に顔を擦り付けた。
「……温かい。……薫が、さっきまでこれを触っていたんだな……」
「はい。薫様から『読め』と」
旦那様は、恐る恐るページを開いた。
そこには、力強い筆跡でこう書かれていた。
『〇月×日 天気:晴れ』
『朝:ステーキ300g、卵5個。 昼:パスタ大盛り、チキンソテー。 夜:現在進行形で焼肉中』
『体調:絶好調。筋肉痛あり。』
ただの食事記録だ。
だが、最後の行に、太く大きな文字でこう殴り書きされていた。
『俺の命は満タンだ。いつでも吸わせてやるから、首を洗って待ってろ。この臆病者!』
「……っ……」
旦那様の喉から、嗚咽が漏れた。
「……あいつ……。俺は、怖くて逃げ出したのに……。俺を……受け入れるつもりなのか……」
ボロボロと落ちる涙が、ノートの文字を濡らす。
「……強いな、薫は。……俺なんかより、ずっと……」
旦那様はノートを胸に抱きしめ、子供のように泣きじゃくった。
その体から漏れ出していた黒い霧が、少しずつ晴れていくのが見えた。
薫様の言葉が、旦那様の理性を繋ぎ止めたのだ。
「……セバスチャン」
「はい」
「……俺も、負けてはいられないな」
旦那様が顔を上げた。
充血した目には、久しぶりに強い光が戻っていた。
「薫が命を削ってまで俺を受け入れようとしているなら……俺も、彼を殺さない方法を見つけねばならん」
旦那様はふらつきながら立ち上がり、壁に掛けられた剣を見つめた。
「……魔力を制御する。……薫の生命力を傷つけずに、匂いだけを抽出する技術を……完成させてみせる」
「……それでこそ、旦那様です」
私は深く頭を下げた。
東の部屋では、薫様がステーキを食らいながらスクワットをしている。
西の部屋では、旦那様が靴下のパックを片手に魔力制御の特訓を始めた。
壁一枚隔てた二人の奇妙な「戦い」は、もうすぐ終わりを迎えるだろう。
そしてその時、この屋敷の壁がまた一枚壊される予感がして、私はこっそりとため息をついた。
「は、はい! 直ちに!」
屋敷の東棟、薫様の私室。
そこは今、戦場と化していた。
テーブルには山と積まれた皿。
空になったステーキ皿、空のスープボウル、そして大量のパンの残骸。
「うっぷ……。くそ、まだだ。まだ胃袋に隙間がある……!」
薫様は、鬼気迫る表情でフォークを握りしめていた。
顔色は、数日前の瀕死状態が嘘のように赤い。
いや、むしろ脂ぎっている。
「薫様、さすがにこれ以上は……胃が破裂しますぞ」
「破裂させてたまるか! 俺の体は今、スポンジなんだ!」
薫様は水を一気飲みし、自身の腹を叩いた。
「いいですか、セバスチャンさん。あの馬鹿犬は、俺の生命力を無自覚に吸ってしまうんですよ。 だったら話は簡単だ」
「はあ……」
「吸われる量以上に、俺が生産すればいい!!」
理論が脳筋すぎる。
だが、薫様の目は本気だった。
「食って、寝て、代謝を上げる! 俺のタンクを倍にする! そうすりゃ、あいつが少しくらい吸っても死なない体になる!」
「そ、それでよろしいのですか……?」
「いいに決まってます! 俺はあいつの『酸素ボンベ』なんです。……空っぽのままじゃ、あいつが窒息しちまう」
薫様はニヤリと笑い、最後の一切れの肉を口に放り込んだ。
その笑顔は、かつて魔王を倒した頃の旦那様よりも、遥かに英雄らしく見えた。
◇
一方、屋敷の西棟。
厚い遮光カーテンが引かれた部屋は、墓場のように静まり返っていた。
「……うぅ……ぐ、ぅ……」
部屋の隅で、毛布にくるまった巨大な影が震えている。
「……か、おる……。薫……」
旦那様の状態は、悲惨の一言だった。
目は落ち窪み、無精髭が伸び放題。
手足は小刻みに痙攣し、体からは制御できない魔力が黒い霧となって漏れ出している。
魔力中毒の再発。いや、以前よりも酷い禁断症状だ。
一度「純正の酸素」を知ってしまった体が、汚れた空気を拒絶しているのだ。
「……吸いたい……。一吸いだけでいい……。薫のうなじを……」
旦那様の手には、銀色の袋が握りしめられていた。
『202X年 〇月×日 薫の靴下(真空パック済)』。
以前、薫様が激怒したあの「保存食」だ。
「……スゥゥゥッ……!!」
旦那様はパックの封をわずかに切り、そこから漏れ出る微かな分子を必死に吸い込んでいた。
「……薄い……。足りない……。これは過去の残滓だ……。俺が欲しいのは、今の、生きている薫の……」
旦那様は涙を流しながら、靴下を抱きしめていた。
S級探索者の威厳など欠片もない。ただの愛に飢えた廃人だ。
ガチャリ。
私がドアを開けると、旦那様がビクリと反応した。
殺気が飛んでくる。
「……誰だ。入るなと言ったはずだ」
「私です、旦那様。……薫様から、お届け物です」
私は銀のトレイを差し出した。
そこに乗っているのは、一冊のノート。
「……薫から?」
殺気が消え、代わりに縋るような色が瞳に宿る。
旦那様は這うようにして私に近づき、震える手でノートを手に取った。
「……これは……」
旦那様がノートに顔を近づける。
「……匂う……。インクの匂いと……これは、ステーキソースか? それに、微かなニンニクと……薫の指の脂の匂いだ……」
旦那様はノートを開くこともせず、表紙に顔を擦り付けた。
「……温かい。……薫が、さっきまでこれを触っていたんだな……」
「はい。薫様から『読め』と」
旦那様は、恐る恐るページを開いた。
そこには、力強い筆跡でこう書かれていた。
『〇月×日 天気:晴れ』
『朝:ステーキ300g、卵5個。 昼:パスタ大盛り、チキンソテー。 夜:現在進行形で焼肉中』
『体調:絶好調。筋肉痛あり。』
ただの食事記録だ。
だが、最後の行に、太く大きな文字でこう殴り書きされていた。
『俺の命は満タンだ。いつでも吸わせてやるから、首を洗って待ってろ。この臆病者!』
「……っ……」
旦那様の喉から、嗚咽が漏れた。
「……あいつ……。俺は、怖くて逃げ出したのに……。俺を……受け入れるつもりなのか……」
ボロボロと落ちる涙が、ノートの文字を濡らす。
「……強いな、薫は。……俺なんかより、ずっと……」
旦那様はノートを胸に抱きしめ、子供のように泣きじゃくった。
その体から漏れ出していた黒い霧が、少しずつ晴れていくのが見えた。
薫様の言葉が、旦那様の理性を繋ぎ止めたのだ。
「……セバスチャン」
「はい」
「……俺も、負けてはいられないな」
旦那様が顔を上げた。
充血した目には、久しぶりに強い光が戻っていた。
「薫が命を削ってまで俺を受け入れようとしているなら……俺も、彼を殺さない方法を見つけねばならん」
旦那様はふらつきながら立ち上がり、壁に掛けられた剣を見つめた。
「……魔力を制御する。……薫の生命力を傷つけずに、匂いだけを抽出する技術を……完成させてみせる」
「……それでこそ、旦那様です」
私は深く頭を下げた。
東の部屋では、薫様がステーキを食らいながらスクワットをしている。
西の部屋では、旦那様が靴下のパックを片手に魔力制御の特訓を始めた。
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そしてその時、この屋敷の壁がまた一枚壊される予感がして、私はこっそりとため息をついた。
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