伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい

マンスーン

文字の大きさ
22 / 37

第22話

​「セバスチャンさん! おかわり!」
「は、はい! 直ちに!」
​屋敷の東棟、薫様の私室。
そこは今、戦場と化していた。
​テーブルには山と積まれた皿。
空になったステーキ皿、空のスープボウル、そして大量のパンの残骸。
​「うっぷ……。くそ、まだだ。まだ胃袋に隙間がある……!」
​薫様は、鬼気迫る表情でフォークを握りしめていた。
顔色は、数日前の瀕死状態が嘘のように赤い。
いや、むしろ脂ぎっている。
​「薫様、さすがにこれ以上は……胃が破裂しますぞ」
「破裂させてたまるか! 俺の体は今、スポンジなんだ!」
​薫様は水を一気飲みし、自身の腹を叩いた。
​「いいですか、セバスチャンさん。あの馬鹿犬は、俺の生命力を無自覚に吸ってしまうんですよ。 だったら話は簡単だ」
「はあ……」
「吸われる量以上に、俺が生産すればいい!!」
​理論が脳筋すぎる。
だが、薫様の目は本気だった。
​「食って、寝て、代謝を上げる! 俺のタンクを倍にする! そうすりゃ、あいつが少しくらい吸っても死なない体になる!」
「そ、それでよろしいのですか……?」
「いいに決まってます! 俺はあいつの『酸素ボンベ』なんです。……空っぽのままじゃ、あいつが窒息しちまう」
​薫様はニヤリと笑い、最後の一切れの肉を口に放り込んだ。
その笑顔は、かつて魔王を倒した頃の旦那様よりも、遥かに英雄らしく見えた。
​   ◇
​一方、屋敷の西棟。
厚い遮光カーテンが引かれた部屋は、墓場のように静まり返っていた。
​「……うぅ……ぐ、ぅ……」
​部屋の隅で、毛布にくるまった巨大な影が震えている。

​「……か、おる……。薫……」
​旦那様の状態は、悲惨の一言だった。
目は落ち窪み、無精髭が伸び放題。
手足は小刻みに痙攣し、体からは制御できない魔力が黒い霧となって漏れ出している。
​魔力中毒の再発。いや、以前よりも酷い禁断症状だ。
一度「純正の酸素」を知ってしまった体が、汚れた空気を拒絶しているのだ。
​「……吸いたい……。一吸いだけでいい……。薫のうなじを……」
​旦那様の手には、銀色の袋が握りしめられていた。
『202X年 〇月×日 薫の靴下(真空パック済)』。
以前、薫様が激怒したあの「保存食」だ。
​「……スゥゥゥッ……!!」
​旦那様はパックの封をわずかに切り、そこから漏れ出る微かな分子を必死に吸い込んでいた。
​「……薄い……。足りない……。これは過去の残滓だ……。俺が欲しいのは、今の、生きている薫の……」
​旦那様は涙を流しながら、靴下を抱きしめていた。
S級探索者の威厳など欠片もない。ただの愛に飢えた廃人だ。
​ガチャリ。
私がドアを開けると、旦那様がビクリと反応した。
殺気が飛んでくる。
​「……誰だ。入るなと言ったはずだ」
「私です、旦那様。……薫様から、お届け物です」
​私は銀のトレイを差し出した。
そこに乗っているのは、一冊のノート。
​「……薫から?」
​殺気が消え、代わりに縋るような色が瞳に宿る。
旦那様は這うようにして私に近づき、震える手でノートを手に取った。
​「……これは……」
​旦那様がノートに顔を近づける。
​「……匂う……。インクの匂いと……これは、ステーキソースか? それに、微かなニンニクと……薫の指の脂の匂いだ……」
​旦那様はノートを開くこともせず、表紙に顔を擦り付けた。
​「……温かい。……薫が、さっきまでこれを触っていたんだな……」
「はい。薫様から『読め』と」
​旦那様は、恐る恐るページを開いた。
そこには、力強い筆跡でこう書かれていた。
​『〇月×日 天気:晴れ』
『朝:ステーキ300g、卵5個。 昼:パスタ大盛り、チキンソテー。 夜:現在進行形で焼肉中』
『体調:絶好調。筋肉痛あり。』
​ただの食事記録だ。
だが、最後の行に、太く大きな文字でこう殴り書きされていた。
​『俺の命は満タンだ。いつでも吸わせてやるから、首を洗って待ってろ。この臆病者!』
​「……っ……」
​旦那様の喉から、嗚咽が漏れた。
​「……あいつ……。俺は、怖くて逃げ出したのに……。俺を……受け入れるつもりなのか……」
​ボロボロと落ちる涙が、ノートの文字を濡らす。
​「……強いな、薫は。……俺なんかより、ずっと……」
​旦那様はノートを胸に抱きしめ、子供のように泣きじゃくった。
その体から漏れ出していた黒い霧が、少しずつ晴れていくのが見えた。
薫様の言葉が、旦那様の理性を繋ぎ止めたのだ。
​「……セバスチャン」
「はい」
「……俺も、負けてはいられないな」
​旦那様が顔を上げた。
充血した目には、久しぶりに強い光が戻っていた。
​「薫が命を削ってまで俺を受け入れようとしているなら……俺も、彼を殺さない方法を見つけねばならん」
​旦那様はふらつきながら立ち上がり、壁に掛けられた剣を見つめた。
​「……魔力を制御する。……薫の生命力を傷つけずに、匂いだけを抽出する技術を……完成させてみせる」
「……それでこそ、旦那様です」
​私は深く頭を下げた。
​東の部屋では、薫様がステーキを食らいながらスクワットをしている。
西の部屋では、旦那様が靴下のパックを片手に魔力制御の特訓を始めた。
​壁一枚隔てた二人の奇妙な「戦い」は、もうすぐ終わりを迎えるだろう。
そしてその時、この屋敷の壁がまた一枚壊される予感がして、私はこっそりとため息をついた。
感想 6

あなたにおすすめの小説

処刑エンドの悪役公爵、隠居したいのに溺愛されてます

ひなた翠
BL
目が覚めたら、やり込んだBLゲームの悪役公爵になっていた。 しかも手には鞭。目の前には涙を浮かべた美少年。 ——このままじゃ、王太子に処刑される。 前世は冴えない社畜サラリーマン。今世は冷徹な美貌を持つ高位貴族のアルファ。 中身と外見の落差に戸惑う暇もなく、エリオットは処刑回避のための「隠居計画」を立てる。 囚われのオメガ・レオンを王太子カイルに引き渡し、爵位も領地も全部手放して、ひっそり消える——はずだった。 ところが動くほど状況は悪化していく。 レオンを自由にしようとすれば「傍にいたい」と縋りつかれ、 カイルに会えば「お前の匂いは甘い」と迫られ、 隠居を申し出れば「逃げるな」と退路を塞がれる。 しかもなぜか、子供の頃から飲んでいた「ビタミン剤」を忘れるたび、身体がおかしくなる。 周囲のアルファたちの視線が絡みつき、カイルの目の色が変わり—— 自分でも知らなかった秘密が暴かれたとき、逃げ場はもう、どこにもなかった。 誰にも愛されなかった男が、異世界で「本当の自分」を知り、運命の番と出会う—— ギャップ萌え×じれったさ×匂いフェチ全開の、オメガバース転生BL。

異世界オークションで売られた俺、落札したのは昔助けた狼でした

うんとこどっこいしょ
BL
異世界の闇オークションで商品として目覚めた青年・アキラ。 獣人族たちに値踏みされ、競りにかけられる恐怖の中、彼を千枚の金貨で落札したのは、銀灰色の髪を持つ狼の獣人・ロウだった。 怯えるアキラに、ロウは思いがけない言葉を告げる。 「やっと会えた。お前は俺の命の恩人だ」 戸惑うアキラの脳裏に蘇るのは、かつて雨の日に助けた一匹の子狼との記憶。 獣人世界を舞台に、命の恩人であるアキラと、一途に想い続けた狼獣人が紡ぐ、執着と溺愛の異世界BLロマンス。 第一章 完結 第二章 完結 第三章 完結

龍は精霊の愛し子を愛でる

林 業
BL
竜人族の騎士団団長サンムーンは人の子を嫁にしている。 その子は精霊に愛されているが、人族からは嫌われた子供だった。 王族の養子として、騎士団長の嫁として今日も楽しく自由に生きていく。

2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。

ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。 異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。 二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。 しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。 再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。

竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜

レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」 魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。 彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。

【完】僕の弟と僕の護衛騎士は、赤い糸で繋がっている

たまとら
BL
赤い糸が見えるキリルは、自分には糸が無いのでやさぐれ気味です

『偽物の番』だと捨てられた不憫な第三王子、隣国の冷徹皇帝に拾われて真実の愛を教え込まれる

レイ
BL
「出来損ない」と捨てられた場所は、私の居場所ではありませんでした。 ラングリス王国の第三王子・フィオーレは、王族の証である『聖種の紋様』が現れなかったことで「偽物の番」と罵られ、雪降る国境へと追放される。 死を覚悟した彼の前に現れたのは、隣国アイゼン帝国の「冷徹皇帝」ヴォルフラムだった。

悪役令息(Ω)に転生した俺、破滅回避のためΩ隠してαを装ってたら、冷徹α第一王子に婚約者にされて溺愛されてます!?

水凪しおん
BL
前世の記憶を持つ俺、リオネルは、BL小説の悪役令息に転生していた。 断罪される運命を回避するため、本来希少なΩである性を隠し、出来損ないのαとして目立たず生きてきた。 しかし、突然、原作のヒーローである冷徹な第一王子アシュレイの婚約者にされてしまう。 これは破滅フラグに違いないと絶望する俺だが、アシュレイの態度は原作とどこか違っていて……?