執着騎士団長と、筋肉中毒の治癒師

マンスーン

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2話

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​第2話 専属契約は誤解と共に


​ 王都を守る騎士団の本部は、質実剛健な石造りの建物だった。

 その最奥にある団長執務室。
 僕は今、豪奢なソファにちょこんと座り、目の前の男――ガドリエル・ヴォルフレア団長を見つめていた。

​「――つまり、お前は『魔力欠乏症』であり、他者から魔力を補給しなければ生きていけない体質だと言うのだな」

​ 執務机に向かいながら、ガドリエルが低い声で確認してくる。
 彼は書類仕事の最中だった。
 黒い軍服の上着を脱ぎ、白いシャツの袖を肘まで捲り上げている。

​(……素晴らしい)

​ 僕はゴクリと喉を鳴らした。
 話の内容はどうでもいい。僕の視線は、彼がペンを走らせる右腕に釘付けだった。

 男の肉体において、最も日常的に露出され、かつセクシーな部位。
 彼が羽根ペンをインク壺に浸し、紙の上で滑らせるたびに、その前腕には奇跡のような地形変化が起きていた。
​ 手首から肘にかけて伸びる、橈側手根屈筋(とうそくしゅこんくっきん)。
 それがペンの動きに合わせて、生き物のように蠢く。
 そして何より――血管だ。

​(見てください、この血管の川……! ボートで下りたい……!)

​ 鍛え上げられた筋肉の上に浮き出る、青白い静脈の隆起。
 肌の下を流れる熱い血潮の奔流が、視覚的に訴えかけてくる。

 特に手の甲の血管が、指先へ向かって分岐するラインは芸術点が高い。あれを指でなぞるだけで、僕は一週間は断食できる自信がある。

​「……おい、聞いているのか?」

​ ガドリエルの怪訝そうな声で、僕は現実に引き戻された。
 いけない。あまりにガン見しすぎて、涎が出そうになっていた。

​「は、はいっ! その通りです! 僕は……高魔力の持ち主に触れて、その溢れ出る『余剰魔力』をマッサージで揉みほぐして頂戴しないと、干からびて死ぬんです!」

​ 嘘ではない。半分くらいは本当だ。
 ただ、「マッサージ」という手段は僕の趣味だ。
 触りたいだけである。
​ ガドリエルはペンを置き、眉間のシワを深くした。

​「ふむ。俺の魔力はお前の言う通り、規格外に多いらしい。常人なら触れるだけで酔うレベルだが……昨夜のお前は、むしろ元気になっていたな」
​「はい! 団長の魔力(筋肉)は最高級品(極上の弾力)でした!」
​「……そうか」

​ ガドリエルは小さく息を吐いた。
 その表情には、隠しきれない疲労の色が滲んでいる。

 それもそのはず、机の上には山のような未決裁書類。彼は騎士団長としての激務に加え、魔獣討伐の遠征から帰ってきたばかりなのだ。
​ 僕はすかさず畳み掛けた。

​「団長、あなたは……お疲れではありませんか? 肩も背中も、岩のように凝り固まっているはずです」
​「……職業病だ。気にするな」
​「いいえ! 凝りは魔力の澱みです! 僕がそれを揉みほぐせば、あなたは楽になり、僕はその放出された魔力を頂ける。これぞまさに、ウィン=ウィンの関係!」

​ 僕は身を乗り出した。
 ガドリエルは少し考え込み――やがて、覚悟を決めたように頷いた。

​「わかった。俺の身体で良ければ、好きに使え」
​ ズドン。
 心臓を撃ち抜かれるような重低音ボイス。
 「好きに使え」。なんという甘美な響きだろうか。

​「お前の命を救えるなら、安いものだ。俺のそばにいろ、レオ」
​「(神か……! 筋肉の神か!)はいっ! 毎日欠かさず、隅々まで揉みしだ……い、いえ、治療させていただきます!」

​ ガドリエルは契約書代わりの羊皮紙に、さらさらとサインをした。
 最後の署名をする瞬間、彼の手首の健がピクリと跳ね、前腕の筋肉がギュッと収縮する。
 そのあまりの美しさに、僕は思わず声を上げそうになった。

​「では……契約成立だ」

​ ガドリエルが手を差し出してくる。
 僕は震える手で、その大きく分厚い手を握り返した。
 熱い。そして硬い。手のひらのマメ一つ一つが、歴戦の証だ。
​ 僕の目が潤んでいるのを見て、ガドリエルはふっと口元を緩めた。

​「(……よほど嬉しかったのか。これほど純粋に俺を慕う者は、久しぶりだな)」

​ 彼は僕の頭を、空いた左手でポンポンと撫でた。
 完全に「迷子の仔犬を保護した飼い主」の顔だ。
 違うんです団長。僕は今、あなたの前腕の静脈を親指でスリスリしたい欲求と戦っているだけなんです。

​「では、早速ですが……」

​ 僕は契約書を大事に抱え、真剣な眼差しで告げた。

​「今夜、団長の寝室へ参ります。初日は念入りに、全身を診察しないといけませんので」

​「……あ、ああ。わかった。部屋の鍵は開けておく」

​ ガドリエルは少し顔を赤らめ、視線を逸らした。
 治療とはいえ、寝室に他人を入れるのは慣れていないのだろう。その初心さがまた、食欲(マッサージ欲)をそそる。
​ 僕は満面の笑みで執務室を後にした。
​ だが、僕たちは気づいていなかった。
 分厚い扉の外で、警備の騎士たちが聞き耳を立てていたことに。

​「おい、聞いたか……? 『好きに使え』『隅々まで揉みしだく』だと……?」
「しかも今夜、寝室へ行くってよ……鍵は開けておくって……」
「新入り、マジかよ。あの氷の団長を一日で陥落させるとは……」

​ 廊下には、戦慄と誤解の嵐が吹き荒れていた。
 こうして、僕とガドリエルの「秘密の関係」は、尾ひれをつけて騎士団中に広まっていくことになる。
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