完璧後輩に拾われました。

マンスーン

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​タクシーが静かに横付けされたのは、都心の一等地にある、首が痛くなるほど高いタワーマンションだった。
大理石張りのエントランスにはホテルのようなコンシェルジュデスクがあり、ふかふかの絨毯が足音を吸い込む。

​「えっと……瀬野くん。ここ?」
「はい。さ、どうぞ」

​専用のカードキーでゲートを抜け、高速エレベーターで高層階へ。
案内された瀬野の部屋は、独身男性の一人暮らしとは到底思えない広さだった。
生活感の一切ない、モデルルームのような広々としたリビング。壁一面の大きな窓からは、東京の夜景が宝石箱のように煌めいている。

​「わぁ……すっご……」
「適当に座っててください。お茶淹れますね」 

​スーツの上着を脱ぎながら、瀬野がオープンキッチンへと向かう。
ふかふかの高級そうなソファに浅く腰掛けた湊は、自分の膝の上にあるくたびれたビジネスバッグを見て、急激に我に返った。

​(いやいやいや! 駄目だろこれ!)
​冷静に考えなくてもおかしい。
つい昨日、長年付き合った恋人に「他に好きな人ができた」と振られ、自己評価が地の底に落ちている真っ最中なのだ。

おまけに家は水浸しで、所持金は数千円。
​そんな惨めな男が、社内トップクラスの成績を誇る、容姿端麗な後輩の超高級タワマンに保護される?
惨めさが際立つどころの騒ぎではない。場違いすぎて息が詰まりそうだった。

​「瀬野くん、ごめん! 俺、やっぱりネカフェ行くわ!」

​立ち上がり、鞄を抱え直した湊に、マグカップを持ってきた瀬野がピタリと動きを止めた。

​「どうしてですか? 遠慮なんていらないって言ったじゃないですか」
「遠慮っていうか……こんな凄い部屋に、タダで泊めてもらうなんて図々しすぎて無理! 家賃払おうにも、俺の給料じゃ絶対足りないし……っ」

​逃げるように玄関へ向かおうとした湊の腕を、長い指がスッと掴んだ。
痛くはないが、絶対に振りほどけない強さだった。

​「……先輩が家賃のことでそんなに気にするなら、提案があるんですけれど」

​瀬野の端正な顔が、ふっと困ったように歪む。
先ほどまでのスマートな余裕が消え、どこか弱り切ったような表情に、湊の足が止まった。

​「僕、仕事ばかりで毎日コンビニ弁当か外食なんです。最近、本気で胃の調子が悪くて……」
「えっ、胃腸荒れてるの? 大丈夫!?」
「はい。でも、自炊する時間も気力もなくて。……先輩、昔から料理が得意だって言ってましたよね? お弁当もいつも手作りでしたし」
「う、うん。まあ、節約も兼ねてね」
「だったら……家賃と食費の代わりに、僕に毎日ご飯を作ってくれませんか?」

​懇願するように見下ろしてくる、少し潤んだ黒曜石のような瞳。
完璧な後輩が見せた初めての『隙』と『弱音』に、生来の面倒見の良さ――が、湊の中で激しく疼いた。

​(瀬野くん、最近も大きなプロジェクト任されて残業続きだったし……。それに、料理を作るだけなら、俺でも役に立てるかもしれない)

​「……俺の作るご飯でいいなら、喜んで」
「本当ですか!? ありがとうございます、先輩!」

​パァッと花が咲いたように笑う瀬野の顔は、年相応の青年の無邪気さがあって、湊の胸の奥がきゅっと鳴った。

​――この時の湊は、全く気づいていなかった。
瀬野のキッチンには、最新式の調理家電や高級な調理器具が『なぜか』すでに完璧に揃えられていたことに。
そして、俯いた瀬野の口角が、獲物を完全に檻に閉じ込めた歓喜で三日月のように吊り上がっていたことに。


​翌朝。
湊は冷蔵庫のあり合わせの食材を使い、手早く朝食を整えた。

出汁巻き卵、ほうれん草のお浸し、豆腐とワカメの味噌汁、そしてふっくら炊き上がった白米。なんてことのない、普通の和定食だ。

​「いただきます」

​ダイニングテーブルに座った瀬野が、箸を割って出汁巻き卵を口に運ぶ。
途端、瀬野の動きがピタリと止まった。

​「瀬野くん? 味、薄かった……?」

​不安になって顔を覗き込むと、瀬野は口元を手で覆い、わずかに肩を震わせていた。

​「……最高です。信じられないくらい美味しい」
「えっ、大袈裟だなぁ。ただの卵焼きだよ?」
「いいえ。……一生食べたい」

​ボソッと低く呟かれたその言葉は、まるで厳かな誓いのように響いた。

(よっぽどコンビニ弁当に飽きてたんだな)
​「ふふ、そんなに喜んでくれるなら、毎朝でも作ってあげるよ」
「是非お願いします」
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