完璧後輩に拾われました。

マンスーン

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​「……ですから、その条件では弊社として承服しかねます。契約は白紙に戻させていただくということで、よろしいですね?」

​フロアに響く、凍りつくような冷たい声。
営業部のフロアでは、電話口の相手を理詰めで追い詰める瀬野拓海の姿があった。
口元には完璧な営業スマイルを貼り付けているが、その目は一ミリも笑っていない。絶対零度の吹雪すら幻視できそうなほどの威圧感だ。

​「お、おい見ろよ……瀬野のやつ、また厄介な取引先を一人でねじ伏せたぞ……」
「相変わらずエグい交渉術だな。顔は王子様なのに、中身は冷徹なサイボーグだよな、あいつ」

​遠巻きに見守る同僚たちが、ヒソヒソと畏怖の声を漏らしている。
少し離れた事務のデスクからその光景を眺めていた湊は、手元の資料に視線を落としながら、内心で盛大に首を傾げていた。

​(冷徹……? サイボーグ……?)

​湊の脳裏に浮かぶのは、今朝の瀬野の姿だ。
『先輩……あと五分だけ……。会社行きたくないです、先輩の匂い嗅いでたい……』と、湊の腰に両腕を巻き付けてソファから離れようとしなかった、あの図体ばかりデカい甘えん坊の姿である。

​(あれのどこがサイボーグなんだろう。どっちかっていうと、寂しがり屋の大型犬なのに……)

​「結城さん、ごめん! これ、瀬野くんに渡してきてもらえないかな? 私、あの冷たいオーラに近づく勇気なくて……」
「あ、うん。いいよ」

​先輩の女子社員から頼まれ、湊は承認済みの決裁書類を手に瀬野のデスクへと向かった。
電話を終え、無表情でパソコンのキーボードを叩いていた瀬野だが、湊が2メートル以内に近づいた瞬間――その空気が一変した。

​「瀬野くん、これ、高橋さんから頼まれた――」
「湊先輩!」

​パァッと、文字通り背景に花が咲いたような極上の笑顔。
先ほどまでの絶対零度のオーラはどこへやら、今の瀬野の背後には、千切れるほど激しく振られる尻尾が見えるようだった。

​「わざわざ持ってきてくれたんですか? ありがとうございます」
「う、うん。仕事、大変そうだね。お疲れ様」
「先輩の顔を見られたので、疲れなんて全部吹き飛びました。……あ、そうだ」

​瀬野は湊から書類を受け取るついでに、そっと湊の指先に自分の指を絡ませた。
そして、周囲には聞こえないギリギリのトーンで、甘く囁く。

​「今日の夜ご飯、ハンバーグがいいです。チーズ乗せてください」
「えっ、あ、うん。わかった、挽肉買っとく。……って、会社でそういう話は……っ」
「ふふ、楽しみにしてます。定時で帰りますね」

​とろけるような声音で微笑まれ、湊は耳まで赤くしてそそくさと自席へ逃げ帰った。
心臓がバクバクとうるさい。いくら「お見合い回避の彼氏役」だからといって、会社でまであんなフェロモンを振り撒かなくてもいいだろうに。瀬野は本当に演技派すぎる。

​しかし、自席に戻った湊を待ち受けていたのは、周囲の女子社員たちの射抜くような視線だった。

​「……ねえ、結城さん。今、瀬野くんと何話してたの?」
「へ!? べ、別に、仕事の話だけど……?」
「嘘だ! 瀬野くん、結城さんを見た瞬間、完全に『恋する乙女』みたいな顔になってたよ!?」
「それに今、『夜ご飯』って聞こえたような……。もしかして二人、付き合ってるとか、同棲してるとか……!?」

​女性たちの鋭すぎる勘に、湊は冷や汗を噴き出した。
ここで「彼氏役」の協定をバラすわけにはいかない。お見合いの話が広まったら瀬野に迷惑がかかる。

​「ち、違う違う! たまたま俺が料理得意だから、たまーにお裾分けしてるだけで! 付き合ってなんかないよ、男同士だし!」
「えぇ~? 本当にぃ? 瀬野くんのあの執着心丸出しの目、絶対ただの先輩後輩じゃないと思うんだけど……」

​疑いの目を向ける同僚たちに、湊が必死に弁解していたその時。
ふと視線を感じて振り返ると、遠くのデスクから瀬野がこちらをじっと見つめていた。

​湊と話している同僚たちに向かって、瀬野はニコリと完璧な笑みを浮かべる。
しかし、その目は『俺の先輩に気安く話しかけるな』と、氷のように冷たく警告していた。
同僚たちはヒッと短く息を呑み、蜘蛛の子を散らすように自分の席へと戻っていく。

​「……? みんな、急にどうしたんだ?」
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