完璧後輩に拾われました。

マンスーン

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​「……んっ、げほっ……」

​朝。目覚まし時計の音よりも先に、自身のくぐもった咳で湊は目を覚ました。
重い瞼を押し上げると、視界がぐらりと揺れる。体が鉛のように重く、関節の節々が熱を帯びて痛んでいた。

​(うわ……風邪、引いたかも……)

​季節の変わり目と、慣れないタワマン生活での見えない疲労が溜まっていたのだろうか。
せめて朝食だけでも作らなければと、這いずるようにベッドから起き上がろうとしたその時。

​「先輩? 起きてきませんけど、どうし――」

​ノックの音と共に寝室のドアが開き、エプロン姿の瀬野が顔を覗かせた。
ベッドに手をついて荒い息を吐く湊の姿を見るなり、瀬野の表情からスッと血の気が引く。

​「……先輩!? 顔が真っ赤です、熱があるんじゃ……っ」
「せ、のくん……ごめん、ちょっと寝坊しちゃって……朝ごはん、今から……」
「馬鹿なこと言わないでください! 寝ててください!」

​瀬野は慌てて駆け寄ると、湊を強引にベッドへ押し戻し、その額に自らの額をピタリと押し当てた。

​「っ……!? せ、瀬野くん、うつるから……!」
「かなり熱いです。体温計、持ってきますからそのまま動かないでくださいね」

​有無を言わさぬ厳しい声。普段の甘えるような大型犬の面影は消え去り、そこには有無を言わさぬ『保護者』の顔があった。
ピピピ、と鳴った体温計の液晶には『38.5度』という数字が非情にも表示されている。

​「……今日は会社、休んでください。僕が連絡しておきます」
「う、うん。ごめん……。瀬野くんは、仕事、遅れちゃうから早く行って……」
「僕も休みます。有休を取ります」
「はい!?」

​流れるような瀬野の言葉に、湊は熱でぼんやりする頭をフル回転させた。

​「だ、駄目だよ! 瀬野くん、今週は大事なコンペがあるって言ってたじゃないか! 俺の風邪なんかのためにエースが休んだら――」
「先輩の体より大事な仕事なんて、この世にありません」

​きっぱりと言い切る瀬野の目は、一切の冗談を孕んでいなかった。
氷のように冷たい、けれど奥底に煮えたぎるような熱を持った瞳。その絶対的な圧に飲まれ、湊はそれ以上反論することができなかった。

​それからの瀬野の看病は、言葉通り『至れり尽くせり』だった。
こまめに汗を拭き、着替えを手伝い、消化に良い特製の卵粥を作って、ふーふーと冷ましながら口まで運んでくれた。

​「あーん、してください」
「じ、自分で食べられるよ……っ」
「駄目です。体力を温存してください。ほら、あーん」

​結局、赤ん坊のようにスプーンで食事をさせられ、薬を飲まされた湊は、再び深い眠りへと落ちていった。


​――どれくらい眠っていただろうか。
熱が少し下がり、呼吸が楽になってきた頃。湊は微睡みの中で、自分の頬に何か温かいものが触れているのを感じた。

​(……瀬野くん、の手……?)

​薄く目を開けると、ベッドの脇に置かれた椅子に瀬野が座っていた。
部屋の照明は落とされ、薄暗い中だが、瀬野が湊の頬を愛おしそうに撫でているのがわかる。

​「……早く、良くなってくださいね」

​ぽつりとこぼれ落ちた、ひどく切実な声。
そして、瀬野の親指が湊の唇をそっと、なぞるように触れた。

​「でも……こうして僕だけを頼って、僕の腕の中で弱っている先輩も……可愛くて、たまらない……」

​鼓膜を震わす、甘く、どこまでも重たい執着の響き。
ぞくりと、湊の背筋を熱病とは違う類の痺れが駆け抜けた。

​(え……?)

​その視線には、「お見合い回避の彼氏役」という演技や、「お世話になっている先輩への親切」という範疇を完全に超えた、生々しい熱情が渦巻いていた。

獲物を巣穴に引き摺り込み、誰の目にも触れさせず、一生独り占めしたいと願うような――狂おしいほどの独占欲。

​(瀬野くん、今の、顔……)

​湊の心臓が、ドクン、と大きく跳ねる。
これって本当に、「お試し」なんだろうか。
彼は本当に、自分のことを「ただの先輩」だと思っているのだろうか。

​「……先輩? 目が覚めましたか?」

​湊が息を呑んだ気配に気づき、瀬野がハッとしていつもの『爽やかな後輩』の顔に戻る。
しかし、湊の胸に芽生えた疑念と、どうしようもないほどの胸の高鳴りは、もう誤魔化せる段階を過ぎていた。

​「ううん……ごめん、ちょっと寝ぼけてた……」

​湊は布団を頭まですっぽりと被り、熱を持った顔を隠した。

風邪のせいだけじゃない。この息苦しさと心臓の音は、絶対に熱のせいだけじゃない。
​無自覚に築き上げられていた外堀の底で、湊はようやく、自分がとてつもなく甘く危険な檻の中にいることに気づき始めていた。
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