8 / 11
8
しおりを挟む
風邪がすっかり治り、数日ぶりに会社へ出社した湊は、溜まっていた事務作業をこなし、定時少し過ぎにオフィスを出た。
瀬野は今日、夕方から外回りに出ているため、珍しく帰りのタイミングが合わなかった。
(瀬野くん、最近ずっと看病で無理させてたし……今日は俺が、とびきり美味しいハンバーグを作って待ってよう)
スーパーで合挽き肉とチーズを買って帰ろう。そう思いながら会社の最寄り駅へ向かう道を歩いていた、その時だった。
「……湊!」
背後から腕を強く掴まれ、湊はビクッと肩を跳ねさせた。
振り返ると、そこには見慣れた、しかし今となっては最も顔を見たくない男が立っていた。
先日、「他に好きな人ができた」というLINE一通で湊を捨てた、元恋人だ。
「な……なんで、ここに」
「ずっと出待ちしてたんだよ。LINEブロックされてるし、電話も着信拒否だしさ」
悪びれる様子もなくヘラヘラと笑う元恋人に、湊はサッと血の気を引かせた。
「……なんの用? 俺たち、もう関係ないだろ」
「いや、それがさ。あっちの医者の彼氏、すっげーワガママで金遣い荒くて、すぐ別れちゃったんだよね。やっぱり俺には、湊の地味で家庭的なとこが合ってるなって痛感してさ」
信じられないほど身勝手な言葉の羅列に、湊は眩暈を覚えた。
「だから、またやり直そうよ。水漏れしたアパート、まだ直ってないんだろ? 俺の家でまた一緒に住んで、ご飯作ってよ」
「……ふざけないで。俺を裏切って捨てたくせに、自分の都合のいい時だけ戻ってこようとするな!」
湊は掴まれた腕を強く振り払おうとしたが、男の力は予想以上に強く、ビクともしなかった。
むしろ、逆上したように男の顔が険しくなる。
「なんだよ、人が下手に出てやれば! お前みたいに取り柄のない地味な男、俺以外に拾ってくれる奴なんかいないだろ! 意地張ってないで来いって!」
「やめろ、離せ……っ!」
無理やり手を引かれそうになった、その瞬間。
「――その汚い手で、俺の恋人に触るな」
まるで極寒の地から吹いてきたような、凍てつくほど冷たく、鋭い声が背後から響いた。
元恋人がハッとして振り返るより早く、湊の腕を掴んでいた手が、容赦のない力で弾き飛ばされる。
「痛っ……! な、なんだお前!?」
よろけた元恋人の前に、長身の影が立ちはだかった。
オーダーメイドのスーツを完璧に着こなし、圧倒的な美貌と威圧感を放つ男――瀬野だった。
「せ、瀬野くん……!?」
「湊先輩。遅くなってすみません。お迎えにあがりました」
湊を背後に庇うように立ち、瀬野は一度だけ湊に向かって『彼氏役』としての優しげな笑みを向けた。
しかし、その視線を元恋人に移した瞬間、瀬野の瞳からは一切の光が消え失せた。
「お前、湊の新しい彼氏か? 笑わせるな、どうせこいつが俺に嫉妬させるために金でも払って雇ったんだろ!」
「……頭の悪い妄想ですね。彼があなたのような下劣な人間に、そこまで執着する価値があるとでも?」
瀬野の声は低く、地を這うようだった。
普段の『爽やかなハイスペック後輩』の面影など微塵もない。そこにあるのは、大切な宝物を傷つけられた肉食獣の、純粋な殺意にも似た怒りだった。
「なっ……! お前、俺を誰だと――」
「誰であろうと関係ありません。あなたのように、彼の優しさにつけ込み、価値も理解できずに捨てた愚か者が、どの口で復縁などと寝言をほざいているんですか」
一歩、瀬野が元恋人に歩み寄る。
その背丈と、纏っている底知れぬオーラの違いに、元恋人は思わず後ずさった。
「彼は今、僕の家で一緒に暮らしています。僕が彼を養い、彼の手料理を食べ、誰よりも愛して大切にしている。……あなたのような底辺が二度と触れていい存在じゃない」
瀬野の眼光が、物理的な刃のように元恋人を射抜く。
『これ以上一歩でも近づけば、社会的に息の根を止める』という無言の脅迫が、その立ち姿全体から溢れ出していた。
「ひっ……!」
元恋人は恐怖に顔を引き攣らせ、言葉も発せずに背を向けると、逃げるように走り去っていった。
その無様な後ろ姿を見送ることもせず、瀬野は大きく一つ、深い息を吐き出した。
「……瀬野、くん。ありがとう。助かったよ……」
湊が震える声で礼を言うと、瀬野はゆっくりと振り返った。
その顔には、いつもの余裕のある笑顔はない。
前髪の隙間から覗く瞳は、ひどく切羽詰まったような、隠しきれない熱と執着で揺らいでいた。
「……帰りましょう、先輩」
瀬野は湊の手首を掴むと、返事も待たずに歩き出した。
その握る力は、痛いほどに強く、絶対に逃がさないという強い意志を孕んでいた。
「瀬野くん、あの……手、痛いんだけど……」
「……すみません。でも、離せません」
振り返らずに放たれた声は、怒っているのか、それとも別の感情に支配されているのか、微かに震えていた。
瀬野は今日、夕方から外回りに出ているため、珍しく帰りのタイミングが合わなかった。
(瀬野くん、最近ずっと看病で無理させてたし……今日は俺が、とびきり美味しいハンバーグを作って待ってよう)
スーパーで合挽き肉とチーズを買って帰ろう。そう思いながら会社の最寄り駅へ向かう道を歩いていた、その時だった。
「……湊!」
背後から腕を強く掴まれ、湊はビクッと肩を跳ねさせた。
振り返ると、そこには見慣れた、しかし今となっては最も顔を見たくない男が立っていた。
先日、「他に好きな人ができた」というLINE一通で湊を捨てた、元恋人だ。
「な……なんで、ここに」
「ずっと出待ちしてたんだよ。LINEブロックされてるし、電話も着信拒否だしさ」
悪びれる様子もなくヘラヘラと笑う元恋人に、湊はサッと血の気を引かせた。
「……なんの用? 俺たち、もう関係ないだろ」
「いや、それがさ。あっちの医者の彼氏、すっげーワガママで金遣い荒くて、すぐ別れちゃったんだよね。やっぱり俺には、湊の地味で家庭的なとこが合ってるなって痛感してさ」
信じられないほど身勝手な言葉の羅列に、湊は眩暈を覚えた。
「だから、またやり直そうよ。水漏れしたアパート、まだ直ってないんだろ? 俺の家でまた一緒に住んで、ご飯作ってよ」
「……ふざけないで。俺を裏切って捨てたくせに、自分の都合のいい時だけ戻ってこようとするな!」
湊は掴まれた腕を強く振り払おうとしたが、男の力は予想以上に強く、ビクともしなかった。
むしろ、逆上したように男の顔が険しくなる。
「なんだよ、人が下手に出てやれば! お前みたいに取り柄のない地味な男、俺以外に拾ってくれる奴なんかいないだろ! 意地張ってないで来いって!」
「やめろ、離せ……っ!」
無理やり手を引かれそうになった、その瞬間。
「――その汚い手で、俺の恋人に触るな」
まるで極寒の地から吹いてきたような、凍てつくほど冷たく、鋭い声が背後から響いた。
元恋人がハッとして振り返るより早く、湊の腕を掴んでいた手が、容赦のない力で弾き飛ばされる。
「痛っ……! な、なんだお前!?」
よろけた元恋人の前に、長身の影が立ちはだかった。
オーダーメイドのスーツを完璧に着こなし、圧倒的な美貌と威圧感を放つ男――瀬野だった。
「せ、瀬野くん……!?」
「湊先輩。遅くなってすみません。お迎えにあがりました」
湊を背後に庇うように立ち、瀬野は一度だけ湊に向かって『彼氏役』としての優しげな笑みを向けた。
しかし、その視線を元恋人に移した瞬間、瀬野の瞳からは一切の光が消え失せた。
「お前、湊の新しい彼氏か? 笑わせるな、どうせこいつが俺に嫉妬させるために金でも払って雇ったんだろ!」
「……頭の悪い妄想ですね。彼があなたのような下劣な人間に、そこまで執着する価値があるとでも?」
瀬野の声は低く、地を這うようだった。
普段の『爽やかなハイスペック後輩』の面影など微塵もない。そこにあるのは、大切な宝物を傷つけられた肉食獣の、純粋な殺意にも似た怒りだった。
「なっ……! お前、俺を誰だと――」
「誰であろうと関係ありません。あなたのように、彼の優しさにつけ込み、価値も理解できずに捨てた愚か者が、どの口で復縁などと寝言をほざいているんですか」
一歩、瀬野が元恋人に歩み寄る。
その背丈と、纏っている底知れぬオーラの違いに、元恋人は思わず後ずさった。
「彼は今、僕の家で一緒に暮らしています。僕が彼を養い、彼の手料理を食べ、誰よりも愛して大切にしている。……あなたのような底辺が二度と触れていい存在じゃない」
瀬野の眼光が、物理的な刃のように元恋人を射抜く。
『これ以上一歩でも近づけば、社会的に息の根を止める』という無言の脅迫が、その立ち姿全体から溢れ出していた。
「ひっ……!」
元恋人は恐怖に顔を引き攣らせ、言葉も発せずに背を向けると、逃げるように走り去っていった。
その無様な後ろ姿を見送ることもせず、瀬野は大きく一つ、深い息を吐き出した。
「……瀬野、くん。ありがとう。助かったよ……」
湊が震える声で礼を言うと、瀬野はゆっくりと振り返った。
その顔には、いつもの余裕のある笑顔はない。
前髪の隙間から覗く瞳は、ひどく切羽詰まったような、隠しきれない熱と執着で揺らいでいた。
「……帰りましょう、先輩」
瀬野は湊の手首を掴むと、返事も待たずに歩き出した。
その握る力は、痛いほどに強く、絶対に逃がさないという強い意志を孕んでいた。
「瀬野くん、あの……手、痛いんだけど……」
「……すみません。でも、離せません」
振り返らずに放たれた声は、怒っているのか、それとも別の感情に支配されているのか、微かに震えていた。
75
あなたにおすすめの小説
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
言い逃げしたら5年後捕まった件について。
なるせ
BL
「ずっと、好きだよ。」
…長年ずっと一緒にいた幼馴染に告白をした。
もちろん、アイツがオレをそういう目で見てないのは百も承知だし、返事なんて求めてない。
ただ、これからはもう一緒にいないから…想いを伝えるぐらい、許してくれ。
そう思って告白したのが高校三年生の最後の登校日。……あれから5年経ったんだけど…
なんでアイツに馬乗りにされてるわけ!?
ーーーーー
美形×平凡っていいですよね、、、、
【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
心からの愛してる
マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。
全寮制男子校
嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります
※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください
俺の親友がモテ過ぎて困る
くるむ
BL
☆完結済みです☆
番外編として短い話を追加しました。
男子校なのに、当たり前のように毎日誰かに「好きだ」とか「付き合ってくれ」とか言われている俺の親友、結城陽翔(ゆうきはるひ)
中学の時も全く同じ状況で、女子からも男子からも追い掛け回されていたらしい。
一時は断るのも面倒くさくて、誰とも付き合っていなければそのままOKしていたらしいのだけど、それはそれでまた面倒くさくて仕方がなかったのだそうだ(ソリャソウダロ)
……と言う訳で、何を考えたのか陽翔の奴、俺に恋人のフリをしてくれと言う。
て、お前何考えてんの?
何しようとしてんの?
……てなわけで、俺は今日もこいつに振り回されています……。
美形策士×純情平凡♪
僕はただの平民なのに、やたら敵視されています
カシナシ
BL
僕はド田舎出身の定食屋の息子。貴族の学園に特待生枠で通っている。ちょっと光属性の魔法が使えるだけの平凡で善良な平民だ。
平民の肩身は狭いけれど、だんだん周りにも馴染んできた所。
真面目に勉強をしているだけなのに、何故か公爵令嬢に目をつけられてしまったようでーー?
【完結】我が兄は生徒会長である!
tomoe97
BL
冷徹•無表情•無愛想だけど眉目秀麗、成績優秀、運動神経まで抜群(噂)の学園一の美男子こと生徒会長・葉山凌。
名門私立、全寮制男子校の生徒会長というだけあって色んな意味で生徒から一目も二目も置かれる存在。
そんな彼には「推し」がいる。
それは風紀委員長の神城修哉。彼は誰にでも人当たりがよく、仕事も早い。喧嘩の現場を抑えることもあるので腕っぷしもつよい。
実は生徒会長・葉山凌はコミュ症でビジュアルと家柄、風格だけでここまで上り詰めた、エセカリスマ。実際はメソメソ泣いてばかりなので、本物のカリスマに憧れている。
終始彼の弟である生徒会補佐の観察記録調で語る、推し活と片思いの間で揺れる青春恋模様。
本編完結。番外編(after story)でその後の話や過去話などを描いてます。
(番外編、after storyで生徒会補佐✖️転校生有。可愛い美少年✖️高身長爽やか男子の話です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる