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駅からタワマンまでの道のり、そして高速エレベーターの中。
瀬野はずっと無言のまま、湊の手首をきつく握りしめていた。その横顔はひどく険しく、普段の「完璧で爽やかな後輩」の面影は微塵もない。
ガチャン、と重厚な玄関のドアが閉まり、オートロックが掛かった瞬間。
「……っ!」
唐突に腕を引かれ、湊の背中が玄関の壁に押し付けられた。
逃げ道を塞ぐように、瀬野の両腕が湊の顔の横にドンッとつかれる。いわゆる壁ドンの体勢だが、瀬野から放たれる切羽詰まったような熱気と威圧感は、少女漫画のそれとは比べ物にならなかった。
「せ、瀬野くん……? どうしたの、怒って……」
「怒ってますよ。あの男にも、そして……無防備すぎる先輩にも」
至近距離で見下ろしてくる瀬野の瞳は、暗く、ドロドロとした熱情を孕んでいた。
「あんな男に、また絆されたりしないですよね? 僕という『彼氏』がいながら」
「絆されるわけないだろ! あいつのことはもう何とも思ってない。それに、俺たちはあくまで『お見合い回避の演技』で……」
湊が必死に弁解しようとした言葉を、瀬野が低く遮った。
「演技? まだそんなこと言ってるんですか」
「え……?」
「お見合いの話なんて、最初からありませんよ」
湊は息を呑んだ。
頭の処理が追いつかない。お見合いがないなら、なぜ瀬野はあんな提案を? なぜ自分をこのタワマンに住まわせ、毎日甘やかし、過保護に世話を焼いていたというのか。
「先輩をこの部屋に囲い込むための、ただの口実です。料理を作ってほしいというのも、全部僕が仕組んだ罠だ」
瀬野は自嘲気味に笑うと、湊の頬にそっと手を添え、親指で震える唇を撫でた。
「先輩。僕が偶然、先輩と同じ会社に入ったとでも思ってますか?」
「……え? 偶然じゃ、ないの……?」
「僕が先輩に一目惚れしたのは、大学の時です。新入生歓迎会で迷子になっていた僕に、先輩が優しく声をかけて、案内してくれた。……先輩にとっては数ある親切の一つだったんでしょうが、僕はあの日からずっと、狂ったように先輩だけを見てきたんです」
低く紡がれる言葉の重さに、湊の心臓が早鐘を打ち始める。
大学時代。もう五年も前のことだ。瀬野は、そんなに前からずっと自分を……?
「先輩を追いかけて、死に物狂いで勉強してこの会社に入りました。でも、先輩にはすでにあの男がいた。だから僕は、ずっと『可愛くて優秀な後輩』の仮面を被って、先輩の隣の席が空くのを待ってたんです」
瀬野の端正な顔が、苦しげに歪む。
余裕に満ちたエース営業マンの姿はそこにはなく、ただ一人の男を欲しがって足掻く、不器用で執着にまみれた青年の素顔があった。
「浮気されて泣いている先輩を見た時……心配するフリをして、内心では狂喜乱舞しましたよ。ようやく僕の番が来たって。家がないと聞いた時は、神様に感謝すらした」
「瀬野、くん……っ」
「毎日、先輩が僕のためにご飯を作って、僕の部屋で眠って、僕の用意した服を着て笑ってくれる。それがどれだけ幸せで、同時にどれだけ理性を削り取られる思いだったか、鈍感な先輩には絶対にわからないでしょうね」
瀬野の顔が近づき、その熱い吐息が湊の肌に触れる。
「お試しなんて嘘です。最初から本気でした。先輩の生活も、胃袋も、心も、全部僕の色に染め上げて、二度と他の男のところへ逃げられないように外堀を埋め尽くしてやろうと思った。……最低でしょう?」
告白というにはあまりにも重く、独占欲に満ちた言葉の濁流。
引かれてもおかしくないほどの異常な執着。
しかし――湊の胸に込み上げてきたのは、恐怖や嫌悪ではなかった。
こんなにも完璧で、何でも持っているハイスペックな男が、平凡な自分のためだけに五年も片思いをこじらせ、こんなにも切羽詰まった顔で自分を欲しがっている。
その事実が、自己評価の低かった湊の心の一番深いところを、甘く、激しく満たしていく。
『お見合い回避の演技』だと自分に言い聞かせながらも、この数週間で瀬野から与えられた圧倒的な安心感と溺愛に、湊自身もとっくに骨抜きにされていたのだ。
「……最低だね。嘘ついて、俺の同情心につけ込んで……」
湊は震える声でそう言いながらも、瀬野の胸ぐらをぎゅっと掴み返した。
「それに、俺が料理とか世話焼くのが好きだってわかってて、あんな……過保護に甘やかして。俺が瀬野くん無しじゃダメになるように仕向けてたんだろ?」
「……はい」
「……まんまと引っかかったよ、俺」
湊の瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
それは悲しみの涙ではなく、どうしようもないほどの安堵と、恋心の自覚によるものだった。
「俺も……もう、瀬野くんがいない生活なんて、考えられない。あの男に復縁迫られた時も、瀬野くんが助けに来てくれて、すっごく……嬉しかったんだから」
「先輩……っ」
湊の素直すぎる言葉に、瀬野の瞳が大きく見開かれた。
そして次の瞬間、理性のタガが完全に弾け飛ぶ音がした。
「んっ……!?」
瀬野の唇が、湊の唇を貪るように塞いだ。
「練習」なんかじゃない、初めての、本気のキス。
長年の飢えを潤すように、深く、熱く、息継ぎすら許さないほどの激しい口付けに、湊は抗うことなく、瀬野の広い背中に腕を回した。
「好きです、先輩……愛してます。もう一生、逃がしませんから」
唇を離した瀬野が、微熱を帯びた声で囁く。
外堀の底は、抜け出すことなど到底不可能な、甘くて深い海だった。
瀬野はずっと無言のまま、湊の手首をきつく握りしめていた。その横顔はひどく険しく、普段の「完璧で爽やかな後輩」の面影は微塵もない。
ガチャン、と重厚な玄関のドアが閉まり、オートロックが掛かった瞬間。
「……っ!」
唐突に腕を引かれ、湊の背中が玄関の壁に押し付けられた。
逃げ道を塞ぐように、瀬野の両腕が湊の顔の横にドンッとつかれる。いわゆる壁ドンの体勢だが、瀬野から放たれる切羽詰まったような熱気と威圧感は、少女漫画のそれとは比べ物にならなかった。
「せ、瀬野くん……? どうしたの、怒って……」
「怒ってますよ。あの男にも、そして……無防備すぎる先輩にも」
至近距離で見下ろしてくる瀬野の瞳は、暗く、ドロドロとした熱情を孕んでいた。
「あんな男に、また絆されたりしないですよね? 僕という『彼氏』がいながら」
「絆されるわけないだろ! あいつのことはもう何とも思ってない。それに、俺たちはあくまで『お見合い回避の演技』で……」
湊が必死に弁解しようとした言葉を、瀬野が低く遮った。
「演技? まだそんなこと言ってるんですか」
「え……?」
「お見合いの話なんて、最初からありませんよ」
湊は息を呑んだ。
頭の処理が追いつかない。お見合いがないなら、なぜ瀬野はあんな提案を? なぜ自分をこのタワマンに住まわせ、毎日甘やかし、過保護に世話を焼いていたというのか。
「先輩をこの部屋に囲い込むための、ただの口実です。料理を作ってほしいというのも、全部僕が仕組んだ罠だ」
瀬野は自嘲気味に笑うと、湊の頬にそっと手を添え、親指で震える唇を撫でた。
「先輩。僕が偶然、先輩と同じ会社に入ったとでも思ってますか?」
「……え? 偶然じゃ、ないの……?」
「僕が先輩に一目惚れしたのは、大学の時です。新入生歓迎会で迷子になっていた僕に、先輩が優しく声をかけて、案内してくれた。……先輩にとっては数ある親切の一つだったんでしょうが、僕はあの日からずっと、狂ったように先輩だけを見てきたんです」
低く紡がれる言葉の重さに、湊の心臓が早鐘を打ち始める。
大学時代。もう五年も前のことだ。瀬野は、そんなに前からずっと自分を……?
「先輩を追いかけて、死に物狂いで勉強してこの会社に入りました。でも、先輩にはすでにあの男がいた。だから僕は、ずっと『可愛くて優秀な後輩』の仮面を被って、先輩の隣の席が空くのを待ってたんです」
瀬野の端正な顔が、苦しげに歪む。
余裕に満ちたエース営業マンの姿はそこにはなく、ただ一人の男を欲しがって足掻く、不器用で執着にまみれた青年の素顔があった。
「浮気されて泣いている先輩を見た時……心配するフリをして、内心では狂喜乱舞しましたよ。ようやく僕の番が来たって。家がないと聞いた時は、神様に感謝すらした」
「瀬野、くん……っ」
「毎日、先輩が僕のためにご飯を作って、僕の部屋で眠って、僕の用意した服を着て笑ってくれる。それがどれだけ幸せで、同時にどれだけ理性を削り取られる思いだったか、鈍感な先輩には絶対にわからないでしょうね」
瀬野の顔が近づき、その熱い吐息が湊の肌に触れる。
「お試しなんて嘘です。最初から本気でした。先輩の生活も、胃袋も、心も、全部僕の色に染め上げて、二度と他の男のところへ逃げられないように外堀を埋め尽くしてやろうと思った。……最低でしょう?」
告白というにはあまりにも重く、独占欲に満ちた言葉の濁流。
引かれてもおかしくないほどの異常な執着。
しかし――湊の胸に込み上げてきたのは、恐怖や嫌悪ではなかった。
こんなにも完璧で、何でも持っているハイスペックな男が、平凡な自分のためだけに五年も片思いをこじらせ、こんなにも切羽詰まった顔で自分を欲しがっている。
その事実が、自己評価の低かった湊の心の一番深いところを、甘く、激しく満たしていく。
『お見合い回避の演技』だと自分に言い聞かせながらも、この数週間で瀬野から与えられた圧倒的な安心感と溺愛に、湊自身もとっくに骨抜きにされていたのだ。
「……最低だね。嘘ついて、俺の同情心につけ込んで……」
湊は震える声でそう言いながらも、瀬野の胸ぐらをぎゅっと掴み返した。
「それに、俺が料理とか世話焼くのが好きだってわかってて、あんな……過保護に甘やかして。俺が瀬野くん無しじゃダメになるように仕向けてたんだろ?」
「……はい」
「……まんまと引っかかったよ、俺」
湊の瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
それは悲しみの涙ではなく、どうしようもないほどの安堵と、恋心の自覚によるものだった。
「俺も……もう、瀬野くんがいない生活なんて、考えられない。あの男に復縁迫られた時も、瀬野くんが助けに来てくれて、すっごく……嬉しかったんだから」
「先輩……っ」
湊の素直すぎる言葉に、瀬野の瞳が大きく見開かれた。
そして次の瞬間、理性のタガが完全に弾け飛ぶ音がした。
「んっ……!?」
瀬野の唇が、湊の唇を貪るように塞いだ。
「練習」なんかじゃない、初めての、本気のキス。
長年の飢えを潤すように、深く、熱く、息継ぎすら許さないほどの激しい口付けに、湊は抗うことなく、瀬野の広い背中に腕を回した。
「好きです、先輩……愛してます。もう一生、逃がしませんから」
唇を離した瀬野が、微熱を帯びた声で囁く。
外堀の底は、抜け出すことなど到底不可能な、甘くて深い海だった。
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