こがねこう

綿入しずる

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四歩 躓く(前)

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 六日歩いた。あと一日歩けば人口四万を数える町ジンイに着く。そこを拠点として暫く周りの畑で儀礼を行い、その後更に東側へと進みイン州へと入る予定だった。
 昼休憩も経て、今日もこの調子なら無事着くだろうと思い始めた頃だった。
 なんとなくススキの口数が減った気はしていた。とはいえ彼とて常に喋り通しというわけではなく、他の者が話すようになるのに従い聞き役をすることも増えたし、会話の合間には黒脚コキの振る舞いや景色を眺めていることもあった。しかしなんとなく昼過ぎから――打てば響く調子だったのが鈍った感じがした。疲れてきただろうか、とは思ったのだ。
 単調に続いていたところから抜け出た靴音と寄ってくる気配に見れば後ろを歩いていたマユミだったが、俺ではなくススキの側に並んで、伺った。
「ススキ殿、足でも痛みますか」
 端的で明瞭な質問は俺への報告も兼ねていた。慌てて確かめようとした足は朱色の裾の下で見えない。近く、隣に並んでいてはほとんど視界に入らない位置だった。
「ええ、もうバレたんですか? 隠し事できませんねこれは」
 ススキの驚いた声は肯定だ。足の次に見遣った顔は、目が合うと気まずそうにして逃げていく。マユミからは逆に目配せがある。
「無理することはありません。診てもらいましょう」
「皆、止まってくれ。――医官! レンギョウ殿!」
「――はいッ! 只今!」
 制止をかけ少し声を大きくして医官を呼ぶと、すぐに弾けるような返事があった。今日、彼は黒脚の上に居た。恐らくのんびりと気を抜いていて驚いたことだろう。
「何処か適当なところで平気ですよ。そんなに急がなくても、ちょっと痛むだけで大したことないですから」
 ススキはそう言うが、山道のような不安定な場所ではない。大きな町に続く今日の道は時折他の通行人も見られたが、帝の命による行脚の往来に文句をつける輩など居はしない。道は譲られるものだ。そのまま道の上で止まって構わなかった。
 行列の半ばでしたこのやりとりはすぐに前後へと伝わっていき、端の護衛まで皆が足を止めるとススキは観念したように肩を落として鳴杖を横の岩偶ガグへと押しつけた。
「右足がさっきから少し痛むんです。少しだけですよ」
 改めての白状には眉が寄る。
「隠すな。歩けなくなったらどうする」
「……ほんのりだし、寄りやすいところで言おうと思ってたんです。マユミさんが早かっただけで……」
 言うのも分からなくはないが。
 導いていた雑役たちが止めた黒脚の上からレンギョウが慌ただしく荷を背負って降りてくる。椅子代わりに行李を用意する機転を利かせたのは世話係のナラだ。ススキの顔を覗き込んで座るよう促す。
 他も、歩いていた者は寄ってきて囲むようになり――イタドリが騎乗したドトウも空から降りてきて、行脚の要である金の尾コノオの不調に誰もが心配して目を向けた。
「――そんな大袈裟にするほどのものじゃありません! 待たせてすみません、皆さんも休んでてください」
 当のススキが居た堪れず弱った声を上げるのに皆少し散ったが、休憩のときほどには離れなかった。ほとんどが立ち止まった手持ち無沙汰のままで待った。
 腰かけ脚絆を解いて靴を脱いだ足にレンギョウが触れ、特に腫れや靴擦れは見えない皮膚を触って揉み、動かしてみて痛みを探る。どうやら足首を痛めたようだったが、躓いたりしているところは見ていなかった。本人も挫いたわけではないと言う。
 声を上げて痛がることもない平然とした様子の金の尾にレンギョウも落ち着きを取り戻し、じっくり診て考えてから、自らの仕事道具を納めた背嚢を漁った。
「腫れているわけでもなさそうですが。疲れですかね。一応薬をつけておきますか」
「はい、お願いします」
 湿布を当てて包帯を巻いていく手際はよかった。ススキの再三の申告どおり、大事なさそうで安堵する。
 ……休息は十分にとっていたつもりだが、順調なものだからいつもの、兵士を率いる感覚に近づいてしまっていたかもしれない。全員およそ健脚とはいえ――特にほとんど歩かせている金の尾の彼は。相変わらずよく喋っているから元気だとさっきまで思い込んでいた。
 責めるのではなく謝るべきだと遅まきに思い至った。
「すまない。先に一日休めばよかったな」
「いえ、せっかく天気もいいですし、ねえ。もう次はジンイですし、向こうで落ち着いたほうが……」
 日数的には休日を設ける頃合いだったが、今までの道が思ったよりも楽だったこともあり、あと一日で拠点に着くからそれからと考えてしまった。話し合いはしたし首を横に振る彼も同じことを口にしたが、結果を見れば反省するしかあるまい。 
「というか……あんたの横に並ぼうと思ったら余計に急ぐんですよね。ちゃんと追っついて進むから失念してましたが、その分もあるんでは?」
 そこに追い打ちするように、処置を終えたススキが靴を履きなおすのを待つ間にマユミが言い出したのに愕然とする。
「ああ、歩幅がな。俺たちでも置いてかれることがあるものな」
「あー……」
 少し離れたところに居たヤナギやトガもしみじみと納得の調子で頷いた。
 ――つまり本当に俺の所為か。
 心当たりというか自覚はある。人より背丈がある分脚だって長い。歩幅が違う。外や人前では堂々と歩くように心がけているから余計に。雑談の相手なら、そして引率だからと悠々と騎の上から見下ろしているよりはよかろうと思って並んでいたが。
 あれから五日も、悪いことをした。
「いいえ全然、平気です」
 もう一つ謝っておこうとしたが、割り込むススキの声のほうが早かった。
 きっぱりと言い切る。話し相手にと請うたときとも似た調子で、今は座ったところからより一層に顔を上向けてじっと俺を見る。
「多少追いつかないときもありますが、置いてかれるわけでないし困ってません。疲れたり大変なときはちゃんと言います。聞いてくださるでしょう? 話すには隣か向かい合うのがいいですよ、やっぱり」
 言葉を重ねるのもあのときのようだ。とりあえず頷いて、待っていた中から一番近い護衛と駆駒ククを手招く。
「それは勿論。金の尾の足が一番大事だからな。……今日は駆駒に乗っておけ」
 本当に平気ならいいのだが。ススキの訴えを聞くのは当然として、今後はあまり大股にならんよう気をつけよう。もう少し離れたほうが歩きやすいかもしれない。
 促すと彼は仕方なさそうに頷いた。楽ができると喜んでもいいところだが、どうも気落ちした風だ。
「……そうですね、では門が見えるまでは乗ってます。見えたら言ってください」
「着くまで乗っていればいいだろう」
「それはなりません、体裁がありますので。言うとおり金の尾の足がついてないと。――はい、お待たせしました」
 別に少しくらい構わんだろうと気遣うつもりで言ったが、それには存外につっぱねるような言葉が返ってきて些か驚いた。行脚で保つべき体裁については金の尾のほうが詳しいに違いないが。
 脚絆もしっかりと巻きなおして裾を戻し立ち上がる彼に、気を取り直して大まかな列を組みなおす。駆駒に乗ったススキが後ろにいく代わりマユミたちが横に来て、どことなく平素見慣れた景色になった。
「皆も疲れや不調は遠慮なく申し出てくれ。戦ではないからな、無理はさせん」
 一言、周りにも声をかけて出発とする。
 ススキの提案のお陰である程度は打ち解けてくだらない話をしている仲にはなったが、やはり厳つい軍人には言い出しづらいのではと思う。幾らかは気安い部下のほうにでも伝えてくれれば、彼らはさっきのように俺にも気兼ねしないのだが。
「なに、まだまだ平気ですよ。黒脚の背はいいものです、丁度よく揺られて眠りそうですわ」
 サカキ殿が冗談めかして応じたのはこちらへの気遣いのうちだろう。飄々とした掴みどころのない覡だが人はいい。彼ら巫覡は揃って大体黒脚の上に居るので、実際楽ではあるだろうが。
 歩き出すとそれぞれに雑談も再開された。金の尾の脇についた護衛や世話係が元気づけるように話を振る声も聞こえるので安心した。
「あんたも煙髯エゼンに乗ればよかったのに」
 マユミが言うのにそういえばそうだとは思ったが――もう上へと駆けあがったドトウを呼び戻す気にはならず、仰いだ視線はすぐに前へと戻す。
「ああ――まあ、足並みを揃える訓練にするさ。とりあえず早く気づいてくれて助かった」
「こいつずっとお二人の様子を見てますから」
「トガ」
 金の尾の不調をすぐに見抜いたのは本当に助かった、と改めて告げるとその横から揶揄が飛んでくる。マユミの低い声も意に介さずトガは笑いながら一言足した。
「余程貴方が心配なんですよ」
 金の尾に何かされないか、しないか。またそういう話だろう。マユミの視線の厳しさは相変わらずらしい。眉が下がる。
 夜に煙髯に乗せてやったことなど知られたら本格的な説教でも始まりそうだ。やはり秘密にしておこう。
「信用が無いな」
 溜息まじりのぼやきを、マユミは否定も肯定もしなかった。他の者にも聞こえる場では言及したくもなかったのだろう。トガもそれ以上は言わず、話は軽く、誰のいびきがうるさい、昨日泊った部屋の掃除が雑だったなどという愚痴へと変わっていった。
 予定どおりの小休止も挟みつつ進み続け、急がず遅れず夕刻には問題なくジンイの門が見えてきた。薄暗くなってきた中に早い火を灯して客人を出迎える門や境の塀はこれまでの町より立派なものだった。
 通行証の検めがある、と意識しそれぞれ懐など探り始めたところで、ススキが世話係に声をかけるのが聞こえた。
「もう降ります」
「まだいいのではありません?」
「いえ、見られると――町の方が不安に思われますから。少し頑張ります」
 先程俺にも言った調子で譲らず、門から大分手前で駆駒を降りる。足をつくと痛んだのだろう、身を竦めるのが見えて俺のほうの眉が寄った。姿勢を正してトンと鳴杖で地を打つのは様になって、それ以降は何も窺わせない足取りで歩き始める。
 体裁、と言っていたのはそういうことらしい。豊穣祈願には歩けば歩くほどよい、とは言うが、歩くのが当たり前なのだ。歩かなければ何か言われる――言われたことがあるのだろう。
 俺の視線に気づいて、ススキは黙って頷いた。ここで役人たちに不調を伝えてはそれこそ不安にさせるかも知れない。酷い怪我をしたわけでもないのを大仰に扱われたくもないと見えた。
 俺も黙ったままに前を向きなおし、通行証を掌へと握りこむ。朱の紐が結わえられた銅の細工、暦号と個人の名が記された唯一無二の行脚の証明。家で曾祖父の物を見たこともあったが、記憶の内のそれとは異なりまだくすまずに輝いている。これまで通った町よりもしっかりとした身なりの門番に各々首や腰に提げたそれを呈示していくのはもう皆慣れた流れだ。
「お待ちしておりました」
「はいよろしいです。お疲れさまでした。あちらの者がご案内致します」
「どうぞこちらへ、お待ちしておりました!」
 辺りは一気に賑わう。口々に告げられる労いに気持ちを切り替え、さっさと落ち着いてしまうべく、役場を目指した。
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