こがねこう

綿入しずる

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九歩 宿る

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 また二日三日と、行脚は順調に進んだ。命じられたとおりの道を辿り、イン州南部にて儀礼を行った。一日中人前に立たせるとイタドリは大層くたびれた様子になるので結局は空に逃がしてやる時間も多かった。……別に、共に乗ったとしてもドトウには余裕があるし駆駒ククたちの体力も余っているのだが――そういうときには俺は歩いていた。
 並んでいても離れていてもススキを気にするのならやはり近いほうが得だろうと、そう決めた。
 日が過ぎるとススキのそわついた素振りも落ち着いたが、好意は視線や所作の端々に感じられた。それでも何かが起きることはなく、肌にもその情にも触れることはないまま、ただ共に歩いて話すだけの毎日だった。それもやはり他の者も交えてのことで、人目を憚るようなやりとりは一切無い。道中もそんなもの、村や町に着けば金の尾コノオの口数は減り、俺は引率、代表者としての役目がある。そこにお互いきちりと納まっていた。
 あれ以来彼が部屋にやってくることはなく、俺もまた一人で金の尾を訪ねるだけの適当な理由は捻り出せなかった。重要な務めの最中でもある。日々続く旅では休息も肝要、気持ちに引きずられその妨げになることばかりは避けねばならないとも戒めた。
 あれは本当に一夜限りのことだったやも知れぬと考え始めて、そう繰り返すほどに諦めきれない己が心を認める。飲み下すのが立場なりの振る舞いだとは思えど、二度目を望まないと言えば嘘だ。近くに居たいと考えるし、手を握りたいと思う瞬間がある。酒や茶に誘う口実を探し、何か喜ぶことはできないものかと考える。
 あと一ヵ月程度の旅路。限られた日と思えば短く、この気持ちを抑えるには長い。なかなか落ち着くところは見えなかった。
 ――ともあれ行脚の務め自体は本当に順調だった。手違いや揉め事も取り立てて報告するほどのことは何も無く、皆よくやってくれた。
 今日は朝から曇り空で、幾分急ぎ気味に休憩など減らしどうにか雨には降られずに次に着けるか、そういうときだったが。
「おや吉兆」
 空を覆う雲が光ったのが見えて、誰かが呟いた。農事、儀礼に関しては雷は瑞祥だ。無論、自分たちに落ちてこなければの話ではあるが。今のところは身の危険を感じる近さではない。
「イタドリ、下りておけ」
 俺たちが声をかけるまでもなくイタドリは煙髯エゼンの嘴を下向けていた。すいと降りてくるのを見上げたその折に、額に触れるものがある。
「ああ、雨も来たな。当たった」
「やはり降られるかあ。屋根を広げておきますか」
「そうしてくれ」
「では暫しお待ちを。――おおい、雨だ、止まれ、幌張るぞ!」
 また遠くの雲が瞬いて、今度は鈍く唸るのも聞こえた。肌に触れた水滴も一つでは止まず、草葉を打つ音が広がる中、俄かに人もぱたぱたと慌ただしくなる。雑役ニレの声かけに応じて駆駒も黒脚コキも足を止め、それぞれ荷の覆いなど出る前にも見たものを確かめた。
 横を歩いていたススキたちを木陰に促して、配られる笠を受け取る。
「間に合いませんでしたねえ。濡れないで済むと思ったんですが」
「もう少しだったな」
 ススキは眉を下げて笑い、自身と、岩偶ガグの頭にも笠を乗せた。そうすると顔はほとんど見えなくなる。
 雑役たちが手際よく動いて一度人を降ろした黒脚の上を動き回り、巻子のように丸めていた幌を広げて棹に結いつけ、背に屋根を張っていく。多少手狭にはなるようだが、荷車と獣の利点を併せ持つ黒脚の本領発揮と言えた。
「将軍、もっとこっちへ来たらどうです。濡れますよそこ」
 眺めていると、ススキから声がかかる。視線を落とせば確かに足元は濡れ始めていた。寄った木は大して枝を広げてはおらず、雨宿りに適しているとは言い難い。無理に俺が寄ろうとすればその分誰か濡れるだろう。
「俺は構わん。外套がある」
「そうは言っても後で乾かすの大変でしょう。もうちょっと寄れますよ」
「ススキ殿、あの三光柱さんこうばしらの外套は呪いが縫ってあって雨なんかは弾くんですよ」
 笠の縁を押し上げながら、常よりさらに仰ぐ姿勢で俺を見上げて手招いたススキは、横からのマユミの声に目を丸くした。
「汚れもほつれもしない」
「ええ、便利ですねそれ。いいなあ」
「兵士皆に支給してくれたら大助かりなんですが」
 付け足すと心底羨ましそうな声で言う。実際とても便利なものだ。矢や血飛沫を防ぐ宝珠と似た呪いだが、あれらのように使い捨てではないのが大助かりだ。将軍が見窄らしい恰好はしてられないということだとは思うが、なんとも実用的で好ましい。派手でなければもっと勝手がいいのだが。
 ただし宮中、呪いの専門家が集う窓下司そうかしで作られる特別な品であるから、軍隊への支給は恐らく叶わぬ夢だろう。
「私のにもなんかしてくれたらいいのにな……いえなんも無いことはないんですが、そんな便利なのはまったく聞きませんよ」
 ススキは肩にかかる帯を摘まんでぼやく。背で十字を作るその帯も平素はなかなか見ない鮮やかな朱色の一揃いも、金の尾の旅装なのだから意味も呪いも大いにありそうだが。
「はっは、それは雨も恵みですのでね、豊穣の為の装いに除ける呪いは施せませんわ」
「ああ成程」
 歩み寄りながら笑って教えてくれたのは本人ではなくサカキ殿だ。長らく宮中に身を置く年の功か、専門の儀礼や占いの他にも何にでも詳しい御仁だった。俗説や冗談半分の話も多そうではあったが――今回の説明は確かに納得のいく話である。
「しかしあまり濡れても体に障りますし、急ぐのにもどうでしょう、今日はススキ殿も黒脚に乗るのは」
 言われて、もう一度見遣れば準備の整った様子に頷いた。この辺りは舗装もなく降り続けるとぬかるんできそうだ。雲の切れ間も見当たらないので、止む期待をするより急いで今日の宿を目指すのがいいだろう。
「では女官は皆ガクのほうへ。ススキ殿とサカキ殿、レンギョウ殿……イチハツ殿がキュウに。残りの護衛は駆駒で並走。あと一騎は……そうだな、ハシバミ、お前が先導を」
「承知しました」
「俺はイタドリと煙髯に乗る。乗れそうなら残りも黒脚に乗っていい」
「まだ荷も増えてませんからね、一人二人はいけるかも知れません」
 屋根を背負った黒脚を示して振り分け、異論も出ないのでさっさと動き出そうとしたところで再び空が明るく瞬いた。ガァンと轟くのに皆驚いて身を竦め顔を上げる。
 ――俺は視界の端で、朱色の裾が大きく翻ったのに気を取られた。
「おお、今のはなかなか……」
「近くに落ちないといいけど」
「奉勅ですし、金の尾も巫覡もいるから平気でしょう」
 空を見上げた者たちが口々に言う声も聞きながら、肩を縮こめたススキを見ていた。すぐに周りを窺い――視線に気づけば笠を押さえて顔を隠す。さらには押さえつけ整えるように尻を叩いて背筋を伸ばすのを見た。鳴杖が雨に紛れて小さく音を立てた。
「……ちょっと驚いただけです。お気になさらず」
 恥じらった調子で小さく言うのに堪えきれず、は、と笑う息が漏れてしまった。多少慣れてもきたか、神秘の尾と言えどこんなところを目撃してしまうとやはり動物の尾にも似て、彼の反応も相まって愛らしいとしか思えなかった。
 ススキは逃げるように木陰を出て、指示したとおり白縞模様の黒脚のほうへと寄っていく。縄梯子に手足をかけ、不慣れな様子に先に上がったイチハツが手を貸し、下からオウチが支える。
「どうぞ。腕など踏んでも結構ですよ」
「汚れますよう。金の尾の、足とは、いえっ……と!」
 軽口の調子で言い合って笑いながら、無事身を落ち着ける。笠を外してこちらを見た目は伏せられた。笑うのは堪えて他所へと視線を外しておく。
「高い高い。いいですね」
 雨降りで名分も立つからか、言う声は前に駆駒に乗ったときより嬉しそうだ。他の者たちも乗りなおし列を組みなおして落ち着くのを待ち、俺もドトウに跨った。

 雨は暗くなってからようやく止んだようだ。それまで急いでいた分雨中を進む時間は短く済んだがいつもよりは疲労が濃く、今日は労いや歓待も慎ましく済んで皆部屋に落ち着いた。早めに休んでおけと荷を分け部屋を整えたイタドリを大部屋へと向かわせたところで、入れ違いにマユミが顔を出した。
「話がある」
「なんだ、深刻な話か」
「真面目な話ではありますね」
 わざわざ言ったが、彼が椅子に腰を下ろすことはなかった。手短に済ませようという気が窺える。村の規模同様、これまでの賓館と比べてあまり広くはない部屋で、扉の前に立っていても声は十分に届く。彼はその場で腕を組んだ。
「金の尾とは距離をとっておきなさい。もっと仕事らしく素っ気なく、つれなく」
「急にどうした。何か怪しむことでもあるのか」
 愉快ではない響きに眉が寄った。
 俺とススキが話すのを気にしている様子はずっとあった。だが最初の注意以降こうもはっきり言ってくることはなかったし、近頃はこれも金の尾とそれなりに楽しく話して笑っていたはずだが……
「いいや。あのお坊ちゃんが案外に純朴だと分かったから言うんです。金の尾だからと御大層な心配ばっかりしていたが、もっと単純に……惚れさせても責任とれないでしょう」
 身構えたところで言う、その言葉には一度黙るしかなかった。
「あんな美人がこんな大男にとは思うが、その人相の他はいい男ですからねあんたは。近くにいればそういうこともある。あんなに尾を振って懐いて」
「尾を」
「たとえではなく。実際振ってます。見てたでしょう昼の、雷のとき」
 見ていたし、知っている。服で隠された下に話と違わず本当に尾が生えているのは、儀礼の最中に偶然を装って披露されたのも見たし、実は触れたことだってある。あるが――
「あの人の場合本当に尻に尾があるんでしょうが。あんたと話してると揺れてんですよ。風も無いのに裾がひらひらと」
 それは、知らなかったかもしれない。隣り合っているとあまり視界には入ってこない。まあ確かにいつもあの朱の裾は軽く揺らいでいる印象はある。
「……いつもでは?」
「あんたが見てるときはいつもかも知れませんが」
 マユミの返答は突き返すようであったが、そんなことを聞かされるとむしろにやけそうでいけなかった。口元を擦って誤魔化す。そうして少し、言葉を探した。白状のしどきだろうと改めて一つ息を吸った。
「……すまんが、惚れさせるなという話ならもう遅い」
 言えば、マユミは十分理解したようだった。一瞬固まった後、顔を覆って大きく息を吐く。
「どうやらそういう好かれ方をしている」
「お前なあ……!」
「しかしなんだ、お前が言うような対応はしたくないな。彼を悲しませたくはない」
 さすがに二の句は継げないでいるのを眺め、暫し。
「お前にも見限られたくはないが」
「大莫迦が、もう呆れてる! ずっと言ってるが金の尾だぞ……」
 つつくように言ってやると大声が出た。すぐに外に聞こえるかも知れぬと抑えられたが、その為に残りは呻くような響きになる。
「俺とて悩まんではない。不審と思われるのは御免だ。だが……だからと言ってあれをあしらうのはどうも……うん、それはやはり違うように思う」
「いよいよ本気じゃないか、くそ」
「他にも話して構わん。お前が案じるのも分かってはいるんだ、本当に。その上でだ」
 繰り返し言葉を重ねて、己で頷く。誰かに知られ諫められては揺らぐものと思っていたが、言ってみると逆に意が固まってきた。周りの目ばかりを気にしてそんな風に片づけてしまうのは不本意だと、俺は思っている。
「彼にはよくしてやりたい。務めとしても、個人としても」
 見遣ったマユミはやはり渋面だ。
「……ススキ殿の為にも、下手に気を持たせて落胆させるより早く終わらせるべきじゃないですか。帰ったら縁談が用意されているとでも言って、きっぱりと。あながち嘘でもない」
 ――一度、婚約まで行ったのがなかったことになってからは触れられないでいたが、もう六年前の話だ。そろそろその悪評も落ち着いた頃合いで、行脚の任命で目立ってもいる。それとなく気配は感じていた。マユミの言うとおり家に戻れば話が出るだろう。また何か揉めそうな予感がして元々乗り気ではないが……それより今はこちらの話だ。
 俺の情に訴える調子だったが、やはり承服はしかねた。断りの建前は幾らでもあり、俺だって思いつく。だが建前だ。本心は違う。こうなると譲れぬのが性分だ。
 そもそも、ススキのほうだってその辺りを分かっていないとは思えない。彼は若いが分別がある。金の尾として、周囲にどう思われているか、どう振る舞ってみせるべきかは常に意識にあるように見えたし、尾の宮の人員然り人との交遊がままならぬことは幾度と経験してきたに違いなかった。彼もしがらみは承知の上。俺たちよりも余程実情を分かっている。……それでも寄ってきて触れたあの冷たい手に惚れたのだ。
「この旅限りと短く終わる縁だとしても――この間くらいは。体面は保つ。家に悪い土産は持ち帰らん。そういう引き際くらいは分かっているつもりだ」
「色恋事は目が曇ります」
「お前が言うと実感が籠もるな」
 マユミはまた大きく息を吐き、渋々、仕方なく、諦めた雰囲気で腕を組みなおした。昔からの付き合いだ。長く話したところで風向きが変わらぬのを分かっている。一旦退く構えと見えた。あとは場を改め誰か味方を用意してくるか、もっと直接手を出してくるか。そんなところか。
「将軍として、シマの者として、上手くおやりなさい。頼むから」
 溜息の名残が濃く感じられる声には勿論と頷いておいた。下手を打つつもりは毛頭ない。
「俺が上手くやらなかったことがあるか?」
「幾らもある!」
 咆えた声は今度こそ外まで響いただろう。自分では、ここぞと言うときはいつも上手くやってきたと思うのだが。

 明け、縁側から窺った外は昨日とは打って変わりよく晴れていた。あちこちで人の動き始めた気配がして――厨のほうはまだ食事の準備が始まったばかりのようだ。小姓と共に顔を綺麗にして着替えも終えてしまった俺は、暇が出来た。手持ち無沙汰にまた外を眺め、自分もイタドリと一緒に厩に行って騎の機嫌でも取ってくるかと考えたあたりで、目が覚めるような朱色の衣が見えたのに振り向く。
「おはよう、早いな」
 彼は岩偶だけを伴っている。帯や顔の覆いなどはまだ身につけずにいたが、その他の身繕いは済んだように見えた。
「おはようございます。早寝をしたからか目が覚めて。でも朝餉にはまだ早いですかね」
「そうだな、もう少しかかりそうだ」
 広間のほうを窺い首を傾ぐのに応じて、会話が途切れる。このままなら何処かで適当に腰かけて待つだけの時間になるだろう。それか一度部屋に戻るか。
 ――この間くらいは。せめて、なにか。
 ススキが思案する内に、急いで口を開く。
「一周、散歩でもしてくるか。……三人で」
 二人きりではなく、と余計なことを言ってしまった。今日もこれから務めで歩くのに散歩の誘いはなかったかと思ったが、向かい合う彼は瞬きの後、柔らかに笑んだ。
「――はい。ご一緒させてくださいな」
 花が開く気配にも似た、春の朝の明るさに似合いの顔。
「……ではそこから出よう。厩を見てくればまあ、丁度いい時間になるだろう」
「皆起きてますかね? 寝てたら寝かしてやりたいけど」
 平静を装って促すと笑顔のままに頷き踵を返して先を行く――その足元を見れば、本当に尾が振れている雰囲気で裾が揺らいだ。そうして歩いていくと珍しくもないただの廊下が素晴らしい場所に見える。
 ……もっと早くに何か誘ってみればよかった。二人きりでなくともこの反応が見れれば十分価値がある。そんなに喜ばれて、それだけで俺も喜ばずにはおれない。
 年若い小姓も見ているのだからと表情を引き締める努力をしながら、横へと並んだ。
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