ウェーレイキオルは微笑んでいる

綿入しずる

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序 星が別れた後の世に

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 誕生日の前夜は寝つきが悪い。
 常に寄り気味の眉根を更に寄せて闇を睨み、エドアルドは溜息を吐いた。とうに灯りを消して、もう深夜である。屋敷は静まり返っている。
 誕生日の前夜は寝つきが悪い。――昔からそうだった。子供の頃は純粋に楽しみで、特別に挨拶などをするのも少し緊張して、なかなか眠れなかった。遅くまでずっと話しかけて乳母の手を焼かせたこともあれば、一人でこっそり夜更かしをして星を見て過ごすこともあった。乳母は優しく、星々は澄んで輝いて、そうして遅く眠りについても早起きした翌日には誰もが贈り物など手に彼を祝すのだ。
 その美しいひとときは、彼が十五を迎えたのを境に変化しはじめた。
 盟主国ログラにおいては、成人のとし。その日には守護天使が降臨する。かつての戦いの折、彼らが戴いた白き星が生み出した加護の名残、英雄の魂に紐づけられた力は、今では民の中でも優れた者に一羽ずつ、彼らの為に若く美しい人の姿をとり仕える。
 英雄六氏族はクラウスの末裔、後継であるエドアルドは守護天使を見て育った。父の天使は三人目の親か兄のように彼を慈しんだし、一族や他の英雄の末裔たちも、会う人々は多くが天使を連れていた。美しく、優しく、主を守る。いずれ自身の元にもそんな存在がやってくるのだと聞かされて、エドアルドは憧れ、待ちきれない思いでいた。天使が来るのならば一層星に恥じない振る舞いをしなければならないと自分を律した。人一倍、鍛練や勉学に励み、常に善き行いをした。
 天使はその者を見定めて生まれ降りてくる。早ければ、成人儀礼の日には――
 十五歳の誕生日、その前の晩、エドアルドはほとんど眠れなかった。いつより、期待で一杯だったのだ。
 然れどもその日、少年の前に守護天使は現れなかった。エドアルドは少なからず落胆した。しかし当時は未だ、疑ってはいなかった。彼も、誰も。クラウスの後継者には天使が侍ると。そのうち、次の年には、また次の年には光が差すと、皆が考えていた。
 その当然の認識、周囲の目が変わり始めたのは五年も過ぎた頃だった。同じ年頃の名のある出自の者たちの傍らにはもう天使が揃っていた。特に六氏族の直系ともなれば、この齢で降臨がないのは異例のことだった。二十歳になっても加護の光の無い彼に両親は焦り、口さがない者は噂を立てた。何かやましいことがあるのではないか。美貌の母に似た赤毛の子はしかし、父にはあまり似ていないのではないか。――本当に彼はクラウスの後継者か?
 父の顔は日に日に険しくなり、母は病んだ。高潔なるクラウス家は翳り、一族は憂い身の振り様を囁き合う。
 誰よりも。エドアルド本人が、焦り、不安を抱え、煩悶し続けていた。
 ――何故、天使は来ない。俺に何が足りない。来ないのか。このまま。
 ――明日こそ。
 日々不安に磨り潰されながらも、エドアルドはけっして諦めてはいなかった、信じていた。天使はいつか、明日にも来る。星の光の加護があり、誰も文句を言わず、己は真に後継者と認められるのだと。
 彼は気丈に振る舞い、周囲の疑念を跳ねのけるように生き、ひたすら降臨を待った。特に誕生日の前には格別の期待をして、その度に打ちひしがれてきた。
 十年過ぎた。明日、彼は二十五歳になる。
 溜息、瞬き。シーツの上で手は握られる。
 ああ今も、このように不安なときに天使が寄り添ってくれたなら――ならば不安は消え失せるだろうと思う。天使が見ているなら、エドアルドは惑わず強く立てるに違いなかった。いや、そうだ、天使は見ているはずだった。
 ――絶対に来る。
 無理にも眠ろうとエドアルドは目を閉じる。明日の予定は詰まっている。早く休んでおくべきだった。きっと素晴らしい日になるのだから。

 天には星が輝いて、眩く白くすべてを照らしていた。

 薄らとだけ微睡んで、朝早くにエドアルドは目覚めた。朝日がやけに眩しくて、引き寄せられるように大窓へ駆け寄る。戸を開けて庭に出る。露に濡れた草葉がひんやりと薫る。
 光った。
 秋に色づく中庭を照らす光に現れている。翼を持つ人の姿。広げた翼は影になり黒く――否、実に美しい、大型の黒い翼だった。同じく黒い髪は癖なく伸びて腰まで届く。淡く金の艶を持っている不思議な黒色だった。
 エドアルドを見つめる瞳も蜜の如き黄金色だ。
「お会いしとうございましたエドアルド様」
 天使は張りのある声で囀った。仕える主の名を呼んだ。降り立ち翼を畳んで跪く。
「守護天使ウェーレイキオルまかり越しました。これより傍にてお仕えいたします。どうぞ何なりとお命じくださいませ」
 その言葉をどれほど待っていたか。幼少の憧れ、十年の切望、対面の歓喜がエドアルドの胸を満たした。濡れる瞳を見開き、間違いないことに打ち震えながら、彼はどうにか息を吸った。
「待ち侘びたぞ」
「はい、遅くなりました、申し訳ございません」
 健気に答える、伏せた顔がもどかしく、頬を掴み上げさせる。滑らかな肌と髪が確かに指に触れる。
「黒いのだな」
「はい」
 ウェーレイキオルはその掌に擦り寄った。心底嬉しそうに微笑んで。



 かつて世界は仲睦まじい星の下で一つだったが、あるとき星の意見が対立した。
 黒き星は混沌による成長を望み、白き星は秩序ある継続を願った。互いの光は拮抗した。星は下界の愛し子たちに呼びかけた。
 多くの子はまず白き星に従ったが、竜が黒き星に味方したことで竜人はそれに倣った。巨人族の七割がまた黒き星を選んだ。強大なこれらの勢力に恐れをなし、その軍門に下る者たちも見られた。やがて世界は二つに割れ、命運を賭けて戦いを始めた。
 黒き星は竜に多くの加護を与えた。古竜が王となり君臨した。巨人たちは高く砦となり聳えた。兵として獣や蟲が溢れ出た。
 白き星の下で人々は結束し、武器を鍛えた。白き星は彼らへの加護として天使を創った。初めは光、次にまなこと翼、次には人の形となり、天使は人へと寄り添った。
 多く血の流れる百年の激戦の末、白き星の子ら、七人の英雄が竜の王と巨人を斃し、果ての灯台を奪い新たな火を灯した。それを勝利の合図とした。黒き星は世界の裏へと落ち、また巨人族も共に外海そとうみに沈んだ。敗走した竜族とそのともがらは北東の地へと逃れた。彼らは今なお再起を狙い、復讐を誓っている。
 それより四百年。
 白き星の子らは傷を癒し、なお固く団結した。盟主国ログラの導きで、燻る火を伏し平和は保たれている。


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