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第3章 『水とともに生きる:前編』
第16話 どこのお方?
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――という話をクリスさんにしてみたところ、
「あらあら、そんなことが」
と、特別興味をそそるような話でもない様子。
お客さんのいない時間帯。クリスさんがミルを手入れする音だけが響く。
「……あれ、それだけですか……?」
「それだけ、とは?」
「いや、だから私会っちゃったんですよ、その幽霊騒動の渦中にいる女の子に」
「ええ、そう仰っていましたね」
やっぱり、そこまで響いていない様子。
「え、っと……」
「どのような子だったのですか?」
「えっ? えっと、十歳前後くらいの、髪の長い女の子です」
「ブロンドの?」
「ええ、ブロンドの。で、瞳の色が――」
「両目とも青く、八幡堀の方を見つめていた?」
「えっ、ちょっとクリスさん!? 出会ったことあるんやんか…! 無いって言ってませんでした?」
「ええ、先日までは。私もつい先ほど、そのような子をお見かけしたものですから」
クリスさんはあっけらかんとして言った。
「えっ、それなら尚更、不思議と言うか、何だろうなってならないんですか?」
「ええ、まぁ。あの子が何者なのか、何となくではありますが、もう予想がついてしまったので」
と、今度はとんでもないことを言い出した。
出会ったことがあるとは言っても今朝の一回きり。そもそも話に聞く分にも材料は少ない。
それでどうやって、あの子の正体が分かると言うのだろう。
「どうして、というお顔をされていますね」
「……相変わらず心を読まないでくださいよ。分かってるなら私にも教えてください」
「あらあら、拗ねる雫さんも可愛らしいものですね」
「またそんなことを……私だってもう大学生なんですから、可愛い可愛いって言われるのも嬉しいようで嬉しくないんですから…!」
「私の言う『可愛らしい』とは、『愛らしい』という意味なのですが――そうですね、雫さんにもお話ししましょうか」
ようやく話が軌道に戻った。
クリスさんはたまに、こうして意地の悪いことをする時がある。
「ただ……そろそろ来る頃合いでしょうから、少し待っていましょうか」
「えっ? 来るって、一体――」
尋ねかけた刹那。
お店の扉が開かれ、そこから先ほどの顔が覗いていた。
「あっ、貴女さっきの…!」
「あぅ……dov'è Chris……?」
橋で見かけた時と同じように、少女は私の知らない言語で何かを尋ねた。
クリス、と言っているのは分かったけれど。
「あぁ、来ましたね。Sono qui. Per favore, vieni qui.」
「く、クリスさん…!? あの子の言ってる意味が分かるんですか?」
「イタリア語です。多少話せる程度ですが」
随分さらりと言うけれど、それがどれだけ凄いことか。
クリスさんは身振り手振りも交えて話していたから、何となく「こちらへどうぞ」的な意味だと分かる。
だとすれば少女は、「クリスはどこ?」とでも尋ねていたのだろうか。
「さて、雫さん。答え合わせと行きましょうか」
「こ、答え合わせって……」
どうして少女がこのお店に来たのか……いや、それ以前にどうして少女はクリスさんを訪ねて来たのか。
謎が謎を呼びすぎて、私には整理もつかない。
少女がカウンター席に着くのを待ってから、クリスさんは少女に尋ねる。
「お嬢さん、日本語は分かりますか?」
少女は少し考えた後で、
「すこしだけ、はなす、だいじょぶ」
と答えた。
カタコトの日本語、可愛いなぁ……なんて思いつつも、私は二人の会話に耳を傾ける。
「お名前は?」
「……ジブリール」
「ジブリールさん、ですね。かの大天使『ガブリエル』と同じ名前ですね。イタリアらしい、いいお名前です」
クリスさんは優しく微笑んで言った。
それに心を許したのか、少女も少しだけ表情が柔らかくなる。
――けれど、今私が気になるのはそこではない。
「あの、クリスさん、どうしてイタリア語を……?」
「以前、趣味で勉強していたことがございまして、それで」
「それで、って……クリスさんって、ほんと何者なんですか」
「ふふっ。ただのしがない喫茶店のマスターですよ」
ただのマスターにしては、小説を書いていたりイタリア語を知ってたり、そもそも頭がめちゃくちゃ切れたりと、只者ではないとしか思えない。
「ちなみに申し上げますと、彼女の出身はヴェネツィアかな、という予想を立てる程のことは出来るマスターです」
「何ですか、その『ちなみに』は」
クリスさんのレベルには着いて行けない。
それを証明するかのように、少女はハッとした様子でクリスさんを見上げた。
「すごい、なんでわかる、ですか?」
少女が尋ねると、クリスさんは口元に指を添えて考える。
「断片的に、ですが――まず、あなたはイタリアの方です。イタリア語を話しますからね。そんなあなたのお名前、敢えて『ガブリエル』と言うならば、ヴェネツィアにある名所『鐘楼』の天辺に像が施されていることでも有名です。あなたの親御さんは、そのようなところからあなたへの名前を思い付いたのではありませんか?」
「うん、あってる、ます」
「加えてここ近江八幡市は、『日本のヴェネツィア』と称されることもしばしばあります。町中をお堀、向こうで言うところの運河が巡っているところから取っているのでしょう。古い街並みも多く残っていますからね。あなたが運河、いえ、お堀の方を見つめていたのは、それが関係していたりしませんか?」
「うん、うん」
「であれば、極めつけはあなたのお召し物。ここが『日本のヴェネツィア』だと言われることを知ってから、イタリア語の勉強ついでにヴェネツィアについても調べたことがあるのですが、現地で作られるレースの織物と、意匠が似ているんです」
「い、しょう……?」
「デザインのことだね。でも、よくそれだけで分かりましたね」
本当、何を食べればそんな頭になるのか……。
「偶然の閃きです。私が過去にそれらの勉強をしていなければ、気付くことすら出来ませんでした」
クリスさんは苦く笑った。
「と、いうのが私の推論なのですけれども、いかがでしょうか、ジブリールさん?」
「あ、あってる、です! すごいですね、クリス!」
「それは良かったです。ありがとうございます」
言いながら、クリスさんは優しく微笑んだ。
私や珠子さんと話す時とは違う種類の、優しい笑顔。
たまに関西弁を話す時ともまた違った側面だ。
「あらあら、そんなことが」
と、特別興味をそそるような話でもない様子。
お客さんのいない時間帯。クリスさんがミルを手入れする音だけが響く。
「……あれ、それだけですか……?」
「それだけ、とは?」
「いや、だから私会っちゃったんですよ、その幽霊騒動の渦中にいる女の子に」
「ええ、そう仰っていましたね」
やっぱり、そこまで響いていない様子。
「え、っと……」
「どのような子だったのですか?」
「えっ? えっと、十歳前後くらいの、髪の長い女の子です」
「ブロンドの?」
「ええ、ブロンドの。で、瞳の色が――」
「両目とも青く、八幡堀の方を見つめていた?」
「えっ、ちょっとクリスさん!? 出会ったことあるんやんか…! 無いって言ってませんでした?」
「ええ、先日までは。私もつい先ほど、そのような子をお見かけしたものですから」
クリスさんはあっけらかんとして言った。
「えっ、それなら尚更、不思議と言うか、何だろうなってならないんですか?」
「ええ、まぁ。あの子が何者なのか、何となくではありますが、もう予想がついてしまったので」
と、今度はとんでもないことを言い出した。
出会ったことがあるとは言っても今朝の一回きり。そもそも話に聞く分にも材料は少ない。
それでどうやって、あの子の正体が分かると言うのだろう。
「どうして、というお顔をされていますね」
「……相変わらず心を読まないでくださいよ。分かってるなら私にも教えてください」
「あらあら、拗ねる雫さんも可愛らしいものですね」
「またそんなことを……私だってもう大学生なんですから、可愛い可愛いって言われるのも嬉しいようで嬉しくないんですから…!」
「私の言う『可愛らしい』とは、『愛らしい』という意味なのですが――そうですね、雫さんにもお話ししましょうか」
ようやく話が軌道に戻った。
クリスさんはたまに、こうして意地の悪いことをする時がある。
「ただ……そろそろ来る頃合いでしょうから、少し待っていましょうか」
「えっ? 来るって、一体――」
尋ねかけた刹那。
お店の扉が開かれ、そこから先ほどの顔が覗いていた。
「あっ、貴女さっきの…!」
「あぅ……dov'è Chris……?」
橋で見かけた時と同じように、少女は私の知らない言語で何かを尋ねた。
クリス、と言っているのは分かったけれど。
「あぁ、来ましたね。Sono qui. Per favore, vieni qui.」
「く、クリスさん…!? あの子の言ってる意味が分かるんですか?」
「イタリア語です。多少話せる程度ですが」
随分さらりと言うけれど、それがどれだけ凄いことか。
クリスさんは身振り手振りも交えて話していたから、何となく「こちらへどうぞ」的な意味だと分かる。
だとすれば少女は、「クリスはどこ?」とでも尋ねていたのだろうか。
「さて、雫さん。答え合わせと行きましょうか」
「こ、答え合わせって……」
どうして少女がこのお店に来たのか……いや、それ以前にどうして少女はクリスさんを訪ねて来たのか。
謎が謎を呼びすぎて、私には整理もつかない。
少女がカウンター席に着くのを待ってから、クリスさんは少女に尋ねる。
「お嬢さん、日本語は分かりますか?」
少女は少し考えた後で、
「すこしだけ、はなす、だいじょぶ」
と答えた。
カタコトの日本語、可愛いなぁ……なんて思いつつも、私は二人の会話に耳を傾ける。
「お名前は?」
「……ジブリール」
「ジブリールさん、ですね。かの大天使『ガブリエル』と同じ名前ですね。イタリアらしい、いいお名前です」
クリスさんは優しく微笑んで言った。
それに心を許したのか、少女も少しだけ表情が柔らかくなる。
――けれど、今私が気になるのはそこではない。
「あの、クリスさん、どうしてイタリア語を……?」
「以前、趣味で勉強していたことがございまして、それで」
「それで、って……クリスさんって、ほんと何者なんですか」
「ふふっ。ただのしがない喫茶店のマスターですよ」
ただのマスターにしては、小説を書いていたりイタリア語を知ってたり、そもそも頭がめちゃくちゃ切れたりと、只者ではないとしか思えない。
「ちなみに申し上げますと、彼女の出身はヴェネツィアかな、という予想を立てる程のことは出来るマスターです」
「何ですか、その『ちなみに』は」
クリスさんのレベルには着いて行けない。
それを証明するかのように、少女はハッとした様子でクリスさんを見上げた。
「すごい、なんでわかる、ですか?」
少女が尋ねると、クリスさんは口元に指を添えて考える。
「断片的に、ですが――まず、あなたはイタリアの方です。イタリア語を話しますからね。そんなあなたのお名前、敢えて『ガブリエル』と言うならば、ヴェネツィアにある名所『鐘楼』の天辺に像が施されていることでも有名です。あなたの親御さんは、そのようなところからあなたへの名前を思い付いたのではありませんか?」
「うん、あってる、ます」
「加えてここ近江八幡市は、『日本のヴェネツィア』と称されることもしばしばあります。町中をお堀、向こうで言うところの運河が巡っているところから取っているのでしょう。古い街並みも多く残っていますからね。あなたが運河、いえ、お堀の方を見つめていたのは、それが関係していたりしませんか?」
「うん、うん」
「であれば、極めつけはあなたのお召し物。ここが『日本のヴェネツィア』だと言われることを知ってから、イタリア語の勉強ついでにヴェネツィアについても調べたことがあるのですが、現地で作られるレースの織物と、意匠が似ているんです」
「い、しょう……?」
「デザインのことだね。でも、よくそれだけで分かりましたね」
本当、何を食べればそんな頭になるのか……。
「偶然の閃きです。私が過去にそれらの勉強をしていなければ、気付くことすら出来ませんでした」
クリスさんは苦く笑った。
「と、いうのが私の推論なのですけれども、いかがでしょうか、ジブリールさん?」
「あ、あってる、です! すごいですね、クリス!」
「それは良かったです。ありがとうございます」
言いながら、クリスさんは優しく微笑んだ。
私や珠子さんと話す時とは違う種類の、優しい笑顔。
たまに関西弁を話す時ともまた違った側面だ。
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